世界志向と素敵な刺激で夢を育てよう|成長産業を見極めて自身も成長を
Bioworks 代表取締役社長 坂本 孝治さん
Koji Sakamoto・1990年伊藤忠商事に入社。2002年よりエキサイトに出向、その後転籍。新規事業の立ち上げや上場にかかわり、代表取締役に就任。2009年ヤフー入社。2014年YJ America,Inc.を設立し、社長に就任。シリコンバレーを拠点にスタートアップの開拓・支援に従事するなかで自身も企業側から世界市場に挑戦したいと、2016年社外取締役としてTBMに参画。2018年6月から取締役を務め、2023年にはBioworks取締役執行役員に就任。その後、2024年に代表取締役社長CEOに就任
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いつでも「世界」を見すえる。きっかけは幼少時代の経験
親の仕事の都合で、小学校1年生までの時間をサウジアラビアで過ごしました。砂漠の広がる異文化の世界での経験で、その後の海外への目線が培われたのは間違いありません。グローバルなビジネスに携わりたいと思い、総合商社を志望したのも当然の流れでした。
就職をしたのは1990年。時が流れて現在ではあえてグローバルを切り口にせずとも、どんなビジネスでもグローバルな展開が自然におこなわれていると思います。むしろ、世界を視野に入れていないビジネスはなかなか成長できない状況にあるといったほうが良いでしょう。内需の大きな拡大が望めないなか、日本企業といえども必ず世界に目を向ける必要があります。
だからこそ、これから世の中に出る皆さんにはぜひグローバルな感覚や発想を持ってほしいですね。それは語学力とイコールではありません。さまざまな翻訳ツールがある昨今では、語学力が大きな壁にはならないからです。「日本を含めた世界」という視点で世の中やビジネスを考えられるマインドが一番重要だと思います。いつも世界志向で考える視点を養いましょう。
希望をつかみたいならまずは結果を積み上げよう
念願かなって総合商社である伊藤忠商事に就職したのですが、配属されたのは社内の情報システムのチーム。大学時代にコンピューター系の勉強をしていたので当然と言えば当然なのですが、正直ガッカリしました。グローバルなビジネスをやりたいと思っているのに、そこからは遠い部署にいるのが残念で悔しかったですね。
しかし、腐っている暇はありません。4〜5年後のジョブローテーションを見すえて、それまでに自分の意見を聞いてもらえるように結果を出そうと動きました。
まず情報処理系の資格を端から受験し、資格を取得。また、海外の技術をいち早く導入しようと奮闘しました。当時は海外拠点との連絡にファックスの前身のようなテレックスという通信手段を使っていたのですが、情報量が限られるうえ紙に印字することが前提で、メッセージのやりとりに時間がかかる制約の多いものでした。そこにEメールというものが出てきていると知り、部署内の先輩とのチームで、各部署に掛けあって社内導入に漕ぎ着けました。これによって時差のないリアルタイムのやり取りが可能になる環境をいち早く準備することができたのです。
こうした“結果”を出すことで、会社は自分の意見に耳を傾けてくれるようになりました。自分のやってみたいことをかなえる素地ができたわけです。私はEメールの導入でかかわったサン・マイクロシステムズというシリコンバレーの企業に研修生として駐在することになり、ようやくグローバルに活躍するチャンスを手にしました。
異文化交流から学んだハングリー精神の真髄
当時のシリコンバレーは黎明期で、スタンフォード大学に関連した人々があちこちでビジネスを始めたところでした。そこへITエンジニアとして乗り込んだのですが、技術力ではまったく太刀打ちできませんでしたね。インド人など、世界から集まってきているエンジニアにまるで敵いませんでした。そこで早々にエンジニアからマーケティングへと転換する道を選びました。日本の本社に連絡し、キャリアの方向転換を図ったのです。
シリコンバレーには台湾や韓国の人材も多く在籍していて交流があったのですが、話を聞くと彼らはビジネスを始めるときに必ず最初から海外を視野に入れているそうです。なぜなら、国内の需要が小さく自国内だけでは十分な成長が望めないから。意識の違いに驚かされ、刺激を受けました。世界各国から来ていた人々は、決して英語が堪能なわけでも、飛び抜けて頭が良いわけでもなかったと思います。それでも桁外れのチャレンジ精神と、人を巻き込み知識を吸引していくパワーで夢をかなえていました。
その後転職を重ねヤフーに在籍していたときにもシリコンバレーに籍を置いたことがあるのですが、いつもそこにいる周りの人から大きな影響を受けました。成長産業のなかで、野心や意欲、周りを動かしていく力がすぐに成果として現れ、成功を手にしていく──。自分は起業意欲こそなかったものの、「チャレンジ」と「人を巻き込む力」がキャリアを大きく押し進めていくのだと学びました。
未来の見える業界で自身の価値を育てる
当時のシリコンバレーは、IT産業の急成長の追い風のなかで日々大きくなっていきました。業界が成長していると何をやっていても成長できてしまう、というのは言い過ぎかもしれません。しかし成長のチャンスが巡ってきやすいのは事実です。
だからこそ、皆さんには成長の可能性が高い場所に身を置くことをおすすめします。たとえば食品産業は、代替食材の分野に大きな可能性を秘めています。また医療も今後さらに伸びていくでしょう。病気治療に限らず、ウェルビーイングという観点で医療ビジネスは裾野が広そうですよね。また環境ビジネスは、今後重要度が下がることはないでしょう。
こうした展望のもと、IT業界から新たな成長産業だと見込んだ「素材業界」へと足をふみ出すことにしました。素材はある種、伝統的で既存の分野のビジネスですが、やり方によっては大きく成長できる余地があると思います。IT業界で一般的な「技術を使って事業を大きく伸ばすゴールを見せることで資金を集め、その資金でビジネスの成長を加速させる」という方法を導入すれば、きっと素材業界のスタートアップでも成長が加速すると考えました。同時に、このやり方なら自分が貢献できる部分もあると思ったのです。
新しい技術や分野だけが成長産業になるわけではありません。やり方によっては、トラディショナルな業界も大きく成長する可能性を秘めています。そうした幅広い視点で、この業界に未来はあるのか、少し考えてから足をふみ入れるのが良いでしょう。斜陽産業に身を置くと、パイの取り合いばかりで生産的なことができなくなる場合もあります。キャリアを積み上げるときは、成長産業をおすすめしたいです。
私自身も、キャリアの積み方を考えたときに年齢に応じたフィールドでずっと活躍したい、より自分を成長させたいと考えIT業界から離れることを決めました。IT業界はトレンドが激しく移り変わり、若い感性が活かされる部分も大きく、嫌な言い方をすると自分が老害になりやすいと思ったんですよ(笑)。
素材業界に移ったTBMは、80代の会長が毎日出社していました。誰よりも遅くまで会社に残って、積み重ねた自分の技術や経験をすべて発揮している姿に感動しましたね。自分も体が動く限り必要とされる場所で働きたいと思いました。人はいつまでも成長できると思います。どこでどんな力を発揮するのかを考えながら、居場所を求め続けたいですね。
欲と刺激で夢を喚起しよう
現在、経営者として新たな素材を広めていく事業に注力しています。過去の歴史では、自動車メーカーや家電メーカーなど世界で成功している日本企業はいくつもありますが、IT産業の場合は海外発の製品・サービスを日本国内で展開して成功した事業がほとんどです。
そうではなく、本当に日本発のものを海外に広め、根付かせたいと思っています。素材には言葉や文化は必要ないので、障壁が少なくチャンスも大きいはずです。今はこの夢をかなえるために日々奮闘していますが、これから社会に出る皆さんも、ぜひ理想を掲げてそこからの逆算でキャリアを積み上げていってほしいですね。
夢なんてない、やりたいことが見つからないという人も多いでしょう。ワクワクすること、こうなりたいと思う姿、じっとしていられない願望を探すには、刺激が必要です。いつもと違うこと、ちょっと背伸びしたこと、慣れないこと、少しだけ怖いこと──。そんな刺激に触れてみると、何か欲しいものが見えてくるかもしれません。きっと「欲」が湧いてくると思います。
今のままが良い、という声もよく聞きます。でも今の日本の環境や提供されるもののクオリティ、自身の生活を維持したいと願うなら、変わらなければ衰退することは目に見えています。逆説的な言い方になりますが、今のままでいたいなら、変わらなければならないのです。若い皆さんには、世界を見つめて自分の夢を掲げ、一歩ずつ歩んでいってほしいですね。
取材・執筆:鈴木満優子