キャリアのなかに「面白がれること」を見つけよう|人や環境のせいにして思考を止めないことが成長のカギ

一寸房 代表取締役社長 上山 哲正さん

Tetsumasa Kamiyama・高校卒業後、北海道にて酪農業に従事。その後は鉄工所に勤務し、工場長を担う。友人と一度目の起業を経験するも4年間で廃業。10年間のフリーランス期間を経て、2005年に一寸房を起業し、現職

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働く習慣を身に付けた20代。モチベーション次第で環境も変えられると知った

必死で働く習慣が身に付いたこと、そして仕事を通じて自分の強みに気づけたことが、私が20代の時期に得た財産です

理想の酪農をやりたい、自分の牧場を持ちたい」。そんな野心が芽生えて実家の農場を飛び出したことが、キャリアにおける最初のターニングポイントでした。

若気の至りだったので具体的な計画はなく、まずはほかの牧場に住み込んで経験を積むことにしました。必死で働きすぎて倒れて入院したこともありますが、365日ほぼ休むことができない酪農の仕事で「働く習慣」が身に付いたことは、その後のキャリアを支える基本になったかと思います。

現在の会社(一寸房)では今の時代に応じた働き方を実現させているので、あくまで私個人としては……という話ですが、今でも、8時間勤務では半日しか働いた感じがしません。12時間働いて定時という感覚で、1日16時間くらい働いてやっと「よく働いたな」と自分を褒めたくなります。

この感覚が自分にとっては普通なので、当たり前に仕事をしているだけで一定の成果を出せてきましたし、何をしていても、一人前かそれ以上には稼ぐことができました。

ただし、「長く働くのが苦ではない」だけではダメだったと思います。もうひとつ、私のキャリアを支えてくれたのが、数字や効率に徹底して向き合う几帳面な性分です

その強みに初めて気づいたという点で、キャリアにおける2つ目のターニングポイントといえるのが、鉄工所に勤務したことです。妻子を養うために牧場を辞めざるを得なくなり、札幌に出て就いた仕事でした。 

短気な性格なので同僚とぶつかったり、免許停止になったり、決して品行方正な社員ではなかったのですが(笑)、その一方で勤務中は15分刻みに日報を付けながら、ひたすら効率と品質を追求していました

仕事にだけはバカ真面目」な姿勢を買ってもらえたのか、2年目には工場長を任されることになりました。しかしバブル期で優秀な人材の引き抜きが多かったこともあり、社内はバラバラの状況。残ったメンバーは使えない、などと陰で愚痴もこぼしていました。

そんな折、東京から来た叔父に「そんなことを言っていると、お前に人を使う能力がないと判断されるよ」と指摘されたのです。悔しいかな図星だと感じ、「見てろよ、この状況でも俺は上手にマネジメントをしてみせる! 」と意欲を燃やし始めました。

まず心掛けたのは、誰よりも早く出社し、誰よりも遅く帰ること。そして、分かっていることでもあえて相談してみる、という2点です。そうして自分より経歴が長く、知識も持っている先輩たちにきちんと敬意を示すと、ニコニコしながら教えてくれ、心を開いてくれるようになっていきました。 

良い関係ができてくると、「日報を付けながら効率を追求する」という自分と同じ仕事のやり方も実践してもらえるようになり、仕事も良い方向に動き始めました。素直に教わることで自分自身もいろいろなスキルを身に付けることができ、かつ従業員のマネジメントスキルも磨くことができた有意義な数年間でした

人や周囲のせいにすると「思考停止」して成長できなくなる

28歳になると、取引先の商社の方に「経営をしないか」と声をかけられ、友人と新たな鉄工所を立ち上げることに。これが最初の起業で、キャリアのなかでは3つ目のターニングポイントになったかと思います。

ただその後すぐにバブルがはじけてしまい、会社はたった4年間しか維持できませんでした。

バブルが弾けて倒産した企業は無数にあり、知人の経営者が夜逃げした……なんて話も毎日のように聞かれた時代です。しかしそのような状況のなかでも生き残った会社はあるわけで、この倒産は明らかに私の力不足だった、と理解しています。

徹底的に人のせいにしない姿勢」は、自分の夢を叶えるためには一番重要なことではないかと私は考えています。「会社がこうだから、同僚がこうだから、世の中がこうだから」などと人のせいにしてしまうと、そこで思考が停止してしまうからです。自分の責任だと受け止め、自分に何が足りなかったのか……と自分に問い続けることで、初めて「では次にどうするか」のヒントが見えてきます。

人のせいにしない習慣」というのは、日常のなかでも養えると思います。余談ですが、先日姉と車に同乗している際、横柄な態度の警察官の男性に出くわしました。私は内心ムカッとしたのですが、姉は「家で奥さんと大喧嘩してきたのかもね〜」と穏やかに言ったのです。

同じ出来事に遭遇しても、自分次第でその解釈は180度変わりうる。どんな仕事をするにしても、このことを理解しておくと、見える世界は大きく違ってくると思います。

1社目の倒産後は10年間、フリーランスで仕事をしていました。フリーランス時代は、精神的に本当に楽でした。社員や債権者に迷惑をかけることは絶対にない立場だったからです。「二度と人に影響を与えることはしたくない」と頑なになっていたので、その気持ちを整理するまでに長くかかったように思います。

工場勤務で身に付けたスキルがいろいろとあったので、図面描きから溶接、現場代理人まで、なんでも請け負っていましたね。作業量に比べて時給が低いと思えば交渉するし、高すぎると思えば値引きもするし、取引先や収入にはまったく困ることなく仕事ができていました。海外に長期出張していた時期もあります。

ただ43歳になった頃、「残りのキャリアは20年くらいか。23歳から今までと同じだけの年月があるのだな」と気づき、今のような楽な仕事のしかたをしていては、自分はバカになってしまうと思いました。

自分にプレッシャーをかけて、自分を成長させるために、もう一度起業しよう。その決意ができた瞬間が、キャリアにおける4つ目のターニングポイントといえるかと思います。

2度目の起業では「会社を守る覚悟」と「自分を客観視する尺度」を意識するように

当社を立ち上げる際には、1社目での反省を徹底して振り返りました。

まず気づいたのは、会社のためを思って決断ができなかった自分の弱さです。当時は「自分とかかわった人たちは全員幸せになってほしい」「どんな状況も人も受け止められる会社にしたい」と思っており、トラブルを起こす社員がいても、決して見放すことはしませんでした。携帯電話のない時代だったので、まっすぐ会社に来られない社員を家に毎日迎えに行っていた時期もあります。

しかし、そうして自分の実力以上のものを溜め込んでしまったから、全員を抱え込んだまま、会社というダムが決壊してしまった。これ以上は抱えきれないと思ったら、どんなに冷酷だと思っても、つらい気持ちになっても「放出」をしなければ、真面目に頑張ってくれている社員まで巻き込んで、会社を決壊させてしまう。それができなかったのは、自分の気持ちの弱さだ……と自覚し、「大切な社員を守るためには、シビアな決断もする」という覚悟を持って2度目の起業をしました。

このことに気づいた際は、戦国武将の生き方を改めて尊敬しましたね。城や民や家を守るためには、時に親兄弟だって追い出すこともある。そのような気持ちを持っていなければならないのが経営者なのだ、と認識しています。

ただ、そうした決断が好き嫌いでなされることがないように……という点は徹底させています。人は感情に左右される生き物なので、大きな決断をする際は「今日の気分だけで決めていないか」「本当に城(会社)のための決断なのか」などと、日を変えて何度も考え直します。そうして決断をした後は、猛スピードで行動に移すようにしています。

これから社会人になる皆さんも、キャリアのなかでは重要な決断を下さなければならない場面が何度も出てくると思います。目指すゴールや目標に沿った決断をするためには、好き嫌いに左右されないよう留意し、できるだけ自分を客観視する尺度を持っておくことをおすすめします

縁あって入った会社でまずは認められるまでやってみよう

これから社会に出る人に伝えたいことは、3つあります。

上山さんがこれから社会に出る人に伝えたい3つの言葉

  • 「まずはサイコロを振ってみればいいじゃない」

  • 「自分にできることを、やってみればいいじゃない」

  • 「その仕事が合うかどうかは、周りに認めてもらってから考えればいいじゃない」

1つ目は、「まずはサイコロを振ってみればいいじゃない」です。どこの会社に入るかは、縁によるところが大きいと私は思います。運良く有名な大企業に入れる人もいるかもしれませんが、結局は「入ってから自分が何をするか、何を考えるか」次第です。それによって、その後の未来は変わります。

私が鉄工所で働き始めたのは、たまたま家から一番近かったから……というだけの理由ですが、そこから前向きに働いたことで、未来が開けていきました。家の場所が違えば、今ごろパン屋をやっていたかもしれません(笑)。今とは時代が違う話かもしれませんが、「どこの会社に入るかなんて、その程度の縁で決まるもの」くらいに考えていてもいいと思います。

会社選びで何かアドバイスをするとすれば、ひとつだけ。「経営者や優秀な人の仕事のしかたを間近で見て盗みたい」と思う人は、中小規模の企業を選んだほうが満足度は高いかもしれません

続いて2つ目は、「自分にできることを、やってみればいいじゃない」です。私の見解ですが、会社は良い意味で、新卒の皆さんにそれほど大きな期待はしていません。もちろん「良い形で育ってくれて、いずれ活躍してくれたらいいな」という大きな希望は持っていますが、即戦力を求めているわけではないので、気負いすぎず、焦りすぎずに、まずは目の前の仕事に向き合ってみてほしいです。

最後3つ目は、「その仕事が合うかどうかは、周りに認めてもらってから考えればいいじゃない」です。仕事は一人前になるまでは大抵、おもしろくないものです(笑)。私も初めの頃は、設計の仕事をまったく楽しめませんでした。ただそこでダラダラしていたら、誰にも認めてもらえず、今まで続けてこられなかったと思います。

ベテラン社員の半分以下の戦力だとしても、自分なりにできることをやって、自分に問いかけながら努力をしていれば、「頑張っているな」と同僚も先輩も仲良くしてくれて、その会社にいることが徐々に楽しくなっていくはず。まずは「縁あって入った会社で認められること」を目標にやってみるのは一案かと思います

認められる素養を持った人は、どんな会社に入ってもいずれ認められると思いますが、「一緒に働く人がモチベーションや頑張るきっかけをくれる」ということは、少なからずあるかと思います。

当社にはアジアにも拠点があるのですが、以前、2年間の海外勤務を経て帰ってきた社員がいました。なんだか落ち込んだ様子で、気になって何人かと一緒に飲みに誘いました。宴席のどの会話が響いたのか分かりませんが、翌朝、私の席にわざわざやって来て「アジアに支店を出すタイミングには、また行きたいと思っています! 」と宣言してくれたのです。グローバルな活躍を期待していた社員だったので、とてもうれしかったのを覚えています。

日頃社内では、「新しく入ってきた人に、絶対に孤独感は与えないでね」と伝えるようにしています。本人がどう感じているかは分かりませんが、私がフリーランス時代に一番つらかったのは、ランチを食べる同僚がいないことでした。毎日のように一緒にご飯を食べて話ができる仲間がいることは当たり前じゃないよ、ということは知っておいてほしいです

仕事のモチベーションについては、「社会貢献のため」なんてカッコいい志である必要はありません。国語の先生が好きだと成績が良くなるのと同様、「取引先の人や同僚にかっこいいところを見せたくて、張り切って仕事をする」なんて動機でも、まったく問題はないと思います。

それに、仕事が楽しいのは理想だと思いますが、今の時代、それすらも絶対条件ではないですよね。キャリアのなかでは、仕事でも趣味でもなんでも、自分が楽しいと思えるものを見つけることが一番重要な気がします。「人生は面白がれなかったら、どうしようもないな! 」などと考え、なんでも面白がってやってみることが、満足のいくキャリアを歩む秘訣だと思います。

夢が大きくなるほど不安も増す。でも見たことのない世界がとても楽しみ

スタッフ3名から立ち上げた一寸房も、現在は200名弱の組織にまで成長してきました。2020年には東京証券取引所「TOKYO PRO Market」(トーキョー プロ マーケット)への上場も果たすことができ、2021年には前年比120%を達成し、過去最高益も出すことができました。

そして現在は、アメリカ支店の立ち上げを考えています。今年のお正月に「ロサンゼルス支店を出す」という初夢を見たのですが、いろいろな偶然が重なり、来月アメリカ出張に行けることになりました。

こういった「次の夢」を語るのは本当に楽しく、キャリアにおいて一番充実感がある瞬間かもしれません。上場も含め、今まで口にした夢のうち、85%は実現させてこられたように思います。

ただ、夢が大きくなってくるとものすごく憂うつなのだな、ということも最近実感していることです。「俺って天才じゃないか」などと自惚れる瞬間がある一方で、順調に進めば進むほど、比例して憂うつな気分も広がるのです。未経験のことばかりやっているので、心のどこかで不安を感じているのかもしれません。

そんな折、金子みすずさんの「日の光」という詩に出会いました。日の光は世界を明るくし、花を咲かせるために降り注ぐだけではなく、影をつくるためにも注がれる……といった内容なのですが、光が強くなるほど感じる影も大きくなる、今の心情に重なるところがありました。

しかし憂うつだからといって、成長を止めたいわけではありません。なにせ当社は「自分にプレッシャーをかける場所や状況をつくる! 」という目的から起業したのですから。この憂うつな気持ちがどんなふうに変わっていくか、仕事の状況だけでなく、自分の心境の変化もこれから楽しみなことのひとつです

取材・執筆:外山ゆひら 

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