「選ばれる人材」になって初めて「選ぶ」ことができる|理想は高く、現実は泥臭く
ネオキャリア 代表取締役社長 西澤 亮一さん
Ryoichi Nisizawa・2000年、大学卒業と同時に中途採用支援を行うネオキャリアを設立し、取締役に就任。2002年には代表取締役に就任後、現職。現在はHuman Resourceを軸に、ITテクノロジーを駆使したWeb広告や自社プラットフォームなどのサービス事業を展開
高校時代から自活し、大学時代のアルバイトで仕事の面白さに気づけた
キャリアにおける最初のターニングポイントは、15歳に親元を離れて高校進学をしたことです。
私は2万人ほどの小さな町で育ったのですが、一族それぞれが飲食店を経営していて「西澤さんち」というと誰でもが分かるような家でした。3人兄弟の末っ子で、さらには従兄弟が30人もいたので、年上の親戚たちにはとても可愛がってもらっていました。
ただ2つ上に文武両道の優秀な兄がおり、比較したりされたりの生育環境がボディーブローのように私の人格に影響を与えた気がします。兄は生徒会長を務めたり、空手で道内優勝をしたりしてTV取材にも取り上げられているのに、私は道内2位止まりでTV取材も来ない。そのようななかで、中学時代になると少しずつ反抗心が芽生えてきました。高校受験の当日には、家を出てから「やっぱり受けたくない」という気持ちが膨らみ、試験を放棄して帰宅した、という事件もありました。
この行動にはさすがに親も驚いていましたが、「お前はもっと広いところに出たほうがいい」と寛大に受け止めてくれ、札幌市内の私立高校に進学することに。車で片道6時間かかるような学校に出してくれ、「ただし生活費は自活しろよ」と言い渡され、15歳から学業とアルバイトを両立する日々が始まりました。
中学時代は勉強をロクにしていなかったので、360人中の下から2番目という成績で入学したのですが、「このままだと留年するぞ」と釘を刺されたことをきっかけに一夜漬けで試験勉強を始め、高校2年生になる頃には理系コースで学年トップの成績に。
兄の後を追う立場ではなく「意外とできる自分」に気づけたことは、2つ目のターニングポイントになりました。
大学進学の予定はなかったのですが、推薦で入学できることになり、大学からは東京へ。学生時代はビデオレンタル店でのアルバイトに熱中しました。仕事が面白くてたまらず、ほぼ週7のペースで働いたので、すぐに代理店長に昇格。接客指導や採用、研修、広告や、会計などの運営面も一任してもらえるようになり、社会人並みの収入をいただいていました。
仕事の責任や面白さに気づけたという点で、学生時代のアルバイト経験もターニングポイントのひとつと言えるかと思います。
一般的な会社では「なりたい30歳」になれないと気づき、就職直前で入社先を変更
就職活動には「30歳で自由(金銭的自由・時間的自由)を手にしている状態になる」という目標をもって臨みました。食べたいものがあれば値段を見ずに買えるといった金銭的自由、行きたくなったら世界一周に出かけられるくらいの時間的自由を手にしていたい、という考えからです。
「稼ぐなら金融業界だろう」と考え、金融・証券・保険会社などを中心に、70社近くは見たでしょうか。選考段階まで進むと割と順調で、複数社から内定をいただきました。しかしどの会社の先輩を見ても、「すごい」と思える先輩社員に出会えないことが気になっていました。
そして「40代にならないと役職には就けない」といった話を聞くうちに、30歳で自分の思っている姿になれるイメージが持てなくなっていきました。「20代で活躍できなかったら、キャリアが詰んでしまう」と進むべき進路がわからなくなり、袋小路に入ってしまいました。
そのタイミングで「うちに入れば若いうちに起業させてあげるよ」と言ってくれたのが、1社目となるベンチャーキャピタルの会社の社長でした。創業まもない会社でロクに企業理解もしていなかったのですが、アルバイト先からも正社員に誘われていたので「ダメならそこに入らせてもらおう」と考え、1期生として飛び込んでみることにしました。
こだわりを持って本気の就職活動を一度やったうえで選んだので、結果的にはこの1社目で良かったと思えています。
ただ入社してから激務の大変な会社だとわかり、半年後には同期社員が半数になっていました。とはいえ入社時の約束どおり、まもなく会社設立に携わることができましたし、創立メンバーにも出会えたので、その点はラッキーだったと思っています。
そこで立ち上げたのが、当社ネオキャリアです。9名のメンバーで立ち上げ、当初はNo.2の立ち位置でしたが、経営面が立ち行かなくなり、1年を過ぎる頃には危機的状況に。その時期に仲間たちから「代表になってほしい」と後押しを受け、代表に就きました。
代表を任されたのは、誰よりも自分事として仕事に向き合っていたことが理由だと理解しています。社内で一番売上を立てていましたし、肉体的にも精神的にも頑張っていた自負があります。
商材が売れないときに、お客様のせい、商品のせい、世の中のせいにする人は少なくないですが、私は「そんなことより、どうしたらいいかを考えよう」と提案するタイプです。冒頭で話したとおりの“超自由人”な性格ではありますが(笑)、「他責的に物事を考えない」という点がオーナーシップに通じたのかなと思います。
自分に向いている役割に気づけた点で、ここが4つ目のターニングポイントと言えるかと思います。社長になってからは1年半ほどで、V字回復を成し遂げることができました。
「企業から選ばれる存在になってから、企業を選ぶ」という順番を意識しよう
これから就職活動を始める方々には、「まず選ばれる側になってみよう」ということを提案したいです。「企業選び」という言葉もありますが、会社側から来てほしいとオファーをもらって、初めて自分から「選ぶ」ことができる。この順番を間違わないことが大切です。
学生時代、あるいは就職活動の早い時期に「選ばれる人材」に成長しておけば、本命の企業の選考にも胸を張って挑めると思います。
面接のスタンスとしては「結果を出す自信、その会社に貢献できる自信を持っているか」を示していくことが肝心です。面接をする側になってより感じることですが、会社側が一番知りたいのは「当社に入って活躍できるの?」ということだからです。
私も学生時代の面接の際には「特別な夢や目標はありませんが、20代のうちに誰よりもがむしゃらにやって、結果を出す自信はあります。30歳でこうなっていたいからです」というアピールをしていました。この伝え方で多くの会社から内定をいただけたので、よければ参考にしてみてください。
上記のような考えに基づき、当社の新卒採用では『超成長~誰かを救いたければ、救えるだけの自分に~』というコンセプトを掲げています。この言葉に共感いただける方と、一緒に働いていきたいと考えています。
会社から選ばれる人材になれた前提で、企業選びについてアドバイスするならば、これから伸びていく業界を選ぶことが最重要だと思います。将来性は点ではなく線で見ることが大切で、上向きの線が期待でき、上りのエスカレーターに乗れるだろうと思えるところに行くのがベストではないでしょうか。
今は乗りやすそうに見えても、下向きの線になっていく業界で、下りのエスカレーターに乗ってしまえば「どんなに自分が頑張っても成果が芳しくない」ということも起こりえます。
就職活動では今調子がいい業界や給与が高い業界に目を向ける人が多いですが、「10年後に伸びている業界はどこか」を想像してみると、人気企業ランキングに固執する必要はないと分かるはず。私が今学生なら、メタバースかWeb3.0のどちらかで一番伸びそうな会社を志望します。
加えて、斜め上を行っている先輩がたくさんいるような会社を選ぶと思います。先輩社員は自分が行く道の先行指標になりますし、人は一緒に働く人や環境に依存する傾向があるので「どんな環境に身を置きたいか」も考えながら企業を見てみてください。
もののたとえですが、5mハードルに挑んでいるチームと、7mハードルに挑んでいるチームであれば、練習のしかたや練習量、育成方法は当然違ってきます。自分はどちらのチーム環境に入りたいのか、よくよく考えて決めることが大切かと思います。
現状把握をしっかりして意思決定をしたら、あとは決めたことを頑張るのみ
意思決定においては、とにかく「自分の頭で考えて行動していくこと」が肝心。判断が間違っていたと後から気づいたら、戻ればいいだけです。「考える」のは有意義ですが、「悩む」という行為の生産性はとても低いので、行動をせずにただ悩んでいる時間は非常にもったいないと思います。
悩みを断ち切るには「とりあえず、一旦決めてみる」ことが肝心です。悩んでいるからストレスがかかるのであって、とりあえずでも「こうしよう」と決めてしまえばストレスは軽減します。
また仕事において重要な意思決定をする際には、今の状況や状態を正確に把握することから始めます。
医療でたとえるなら、健康診断や診察(現状把握)をしてきちんと状態を把握し、正しい病巣を見つけてからでなくては、適切な手術や治療(意思決定)はできません。
なおかつ、病気になってから健康診断(何かトラブルが起きてから現状把握)をするのでは遅いので、普段から組織内に血を巡らせておくこと(目を行き届かせておくこと)も心がけています。
サービスやお客さん、戦略など、自分の会社にどれだけ手触り感を持てているかは、普段からかなり意識していますね。常にその準備をしておけば、判断や決定は難しくありません。1%でも成功の確率が高いほうの選択肢を選び、あとは自分で決めたことを正解にするため頑張るのみ。
就職活動でもまったく同じで「普段から自分や企業のことにアンテナを貼っておく」「自己分析や企業研究を徹底的にやって決断する」「自分で入ると決めた会社で頑張る」ということができれば、後悔の少ない就職活動になると思います。
私がこれまでのキャリアのなかで「決めたことをひたすら頑張った」という一番の局面を挙げるならば、海外進出をしたタイミングです。
シンガポールにてビジネスをおこなうためのライセンス取得を試みていたのですが、これがなかなか一筋縄にはいかず難航していました。
社内の人間や外部にも任せてみましたが、ことごとくうまくいかない結果に。最終的に「ライセンスを取ると決めたのだから、やるしかない」と私自身が現地に乗り込み、9カ月間ほど英語を猛勉強して、3回目のチャレンジでようやくライセンスを取得することができました。
「日本でみんな頑張っているのに自分は何をしているのか。これでもし取れなかったらどうするんだ?」と不安や孤独感が募る日もあり、この期間はかなりつらかったです。それでも、「最後の砦である自分が諦めたら、二度と海外にチャレンジするチャンスはない」と踏ん張り、なんとか事業を立ち上げることができました。
その後海外事業は拡大していき、現在は国内外に約100拠点を展開できるまでに至りました。大変ではありましたが、その最初のきっかけを作れたことには満足しています。
変化の激しい時代、物事をプラスに考えられることは大事なスキルセットになる
就任から20年以上、当社の代表を務めてきましたが、トップに立つ人間として意識しているのは「楽しく仕事をする」ことです。
これは完全に習慣化させています。トップが楽しそうに働いている会社でなければ、社員たちもつまらないでしょうし、楽しく仕事ができる環境でなくては、社員たちは健やかに育たないと考えています。
もともと周りの人間に楽しんでほしいという思いが強い性格ではありますが、上の人間がドンと構えていないと社員は心配になってしまうだろうな、という思いもあります。
大変でも楽しいと思うようにマインドセットがされてしまっているので、余裕がない時期でも、余裕があるふりをしていますね(笑)。経営者は”鏡”の仕事。「自分の振る舞いは見られている、真似されている」という意識は常に持っています。
最後に、これからの時代に活躍するのは「物事をプラスに捉えられる人」「高い志を持って目の前の一歩に向き合える人」だと思います。
変化の激しい時代になるということは、イコール「思いどおりにいかないことが増える」ということ。そのときに物事を前向きに捉えられるかどうかは、非常に大事なスキルセットになるはずです。
そして「成し遂げたい何かを持っていて、目の前の小さな仕事をサボらずに取り組めるかどうか」で、キャリアは変わってくると思います。
キャリアというのは、ある日突然生まれてくるものではありません。逆算で見れば、一つひとつの積み上げによってできていくものだと私は思います。
目の前のことをおろそかにせず、かつ前向きに取り組んでいれば周りが評価してくれ、1年、5年、10年と経つうち、徐々に社会からの信用を得られる。信用を得ることができれば、大きなことを成し遂げることが可能になる。それが社会の仕組みです。
それに自分を評価するのは自分自身ではなく、周りの人たちです。目の前のゴミを拾えない人、目の前の相手に挨拶ができない人は、その先に大きなキャリアを積み上げることはできない気がします。現実は泥臭く、しかし志は高く。「小さな行動が次の自分を作っていく」ということはぜひ覚えておくといいと思います。
取材・執筆:外山ゆひら