進むべき方向は直感と違和感で見極める|「撤退」から切り開かれるキャリア
エスケイワード 代表取締役社長 沢田 圭一さん
Keiichi Sawada・就職氷河期を経験し、知人の紹介により新卒でオフィス家具メーカーでの営業を経験。2年ほど働いた後Web業界に興味を持ち、IT系企業に転職。5年半の就業経験を経てプロデューサースキルを身に付けエスケイワードに就職し、部長職、取締役を経て以降現職
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逃げることをも選択肢に。柔軟な思考が導いた行先
わたしの行くキャリアという道には「撤退」の選択肢が常にありました。
ここにいたるまでに立ちはだかってきた数々の山を振り返ると、乗り越えるというよりはうまく避け、別の道を見つけてきた人生だったように思います。
就職氷河期にありながらなんとか職を手にし、2度の転職を経験し、管理職や取締役、事業の立ち上げなどにかかわり、キャリアとしては起伏に富んだ道を歩いてきているように見えますよね。けれどこれらの行動は、違和感を大切にして、逃げること──撤退をも選択肢に入れてきた結果です。
まっすぐ山に向かおうとすると、必ず何かしらの事故が発生するんですよね。そのため何か難しい問題に直面しそうになったら、危機を敏感に察知してすぐに逃げる姿勢で物事に向き合ってきました。しかし、ただ逃げ続けて最終的には遭難──なんて事態も嫌だったので、どこをとおればうまくいくかは考えていましたね。感度というか、そういった機微を察知して動く能力は高かったのだと思います。
経営者としての立場にあっても、その考えは変わりません。荒波に飛び込むのは苦手だし、だからといってそれを避けられるよう先導する船長の気質でもない。強いて言うなら、絵本の「スイミー」のようなイメージでしょうか。自由に海のなかを泳ぎたいからこそ、自分の個性を活かして仲間を集め協力し、大きな外敵による攻撃を凌ぐような感覚です(笑)。
そうしているうちに、撤退も立派な選択肢の一つだと感じるようになりました。ただ問題から背を向けて逃げるのではなく、先のことも考えながらうまく立ち回り問題を回避すると考えれば、それはそれで賢い選択なのではないかと思います。結果として今のキャリアに大きな不足は感じていないので、これまで歩んできた道がまるきり失敗だったわけでもないのでしょう。
ここからは、そんな私がこれまでどのように歩いてきたのか、いかにして「逃げ」を「前進」につなげてきたのかお話しします。
「マジで無理」から始まった山が立ちはだかり続けるキャリア
目の前に明確な山が立ちはだかるようになってきたのは、就職活動の頃からだったと思います。そもそも就職氷河期の真っ只中という時代だったので、ファーストキャリアと言えど選り好みはできません。そのうえ当時はまだ履歴書は手書きが主流だったので、数を打つ戦略も難しい状況でした。
ちなみに、この就職氷河期の就活も乗り越えることはできませんでした。内定は自分の力で勝ち取ったのではなく、「内定がもらえない!」と嘆いていたところ、運良くOBのつてで入社することができたのです。
ところが新卒として入社してからも「マジで無理」の連続でした。当時は営業の仕事をしていたのですが、田舎だったこともあり営業先が見つからず、そもそも営業としてモノを売る仕事も好きになれなかったので、どうにも打ち込めなかったのだと思います。この環境からの撤退は早いうちから決めていましたが、それでも「石の上にも三年」なんて言葉が根付いているような時代だったので、何とか2年は在籍。これ以上は「マジで無理」と思い、退職しました。
2社目に選んだのはIT企業でした。ITやインターネットが注目を集め始めた時期だったので、その領域に興味を持ったのです。ただしここでも相変わらず山が立ちはだかりました。その一番の要因だったのが、長時間労働です。いわゆるプロジェクトの炎上が起こることもあり、そうなると深夜や泊まり込みで作業をすることも珍しくありませんでした。
ちなみにこの会社とは今でも付き合いがあり、労働環境は時代に合わせて改善されていっていますので、念のためお伝えしておきますね。
もちろんここでも撤退を考えたことはありましたが、それをしなかったのはWeb制作に関して自由にチャレンジできる環境だったからです。そもそもIT業界が今のように盛んになる前でルールも確立されておらず、失敗も許容しながらやり方を考えていく進め方ができました。自治体のクライアントも多かったのですが、Webでの情報発信には手探り状態で、いろいろと試しながら進めており、時代に許されていたような側面もあります。
何だかんだで5年半在籍するなかで、エスケイワードと仕事をするようになりました。当時IT企業が苦手としていたデザインの領域に長けていて、納期も守ってくれるので頼りにしていました。退職する前の2年間は、受注した仕事の半分くらいを一緒にやっていたと思います。
どん底にこそ活路を見出す。挫折から得た視点の変え方
エスケイワードに転職するきっかけとなったのが、父の他界です。父親を亡くし今後どうしようかと悩んでいた時、葬儀にエスケイワードから花が送られてきました。お礼の電話をかけてみたところ「こんなときに申し訳ないが、営業ができる人材を探している」と打診を受けたのが始まりでした。ちょうど環境を変えたいと思っていたのと、長らく付き合いのある企業だったので、さほど悩むこともなく転職を決めましたね。
当時は2社目の企業でリーダー職を担っていたのですが、まだまだプレイヤーとしてスキルアップしたいと考えている頃でした。そのため転職の条件としてプレイヤーに集中したいことを伝えていたのですが、エスケイワードで働き始めてから2年目で私を誘ってくれた当時の部長が辞め、3年目にしてやむを得ず部長職を引き受けることに。少しずつ仕事がうまくいくようになり、コンペで勝つのがひたすら楽しかった時代でした。しかし無理が祟ったのか、役員となった頃に体調を崩すことになります。
一時的に闘争心に燃えていましたが、やはり自分には突き進むよりも適度に逃げの姿勢を持って臨むのが合っていたのですね。知らず知らずのうちに「いかにして勝つか」を考えることに疲れ果てていました。結果として体調を崩してしまったのだから、これまでのやり方ではダメだったのでしょう。ITの領域は技術の移り変わりも激しいため、今後も無理をしなければならないのは目に見えています。そう考えると、このやり方からの撤退を決断せざるを得ませんでした。
今後どうしようかと考え続け出した答えが、学び直し改めてスキルを身に付けることでした。今の自分に本当に必要なスキルを身に付けようと思ったのです。
そうして学んでみると、ものの考え方や、目の前の選択肢も広がりました。特に役に立ったと思えるのがアサーショントレーニングです。コミュニケーションを取るうえで自分の意見を齟齬なく適切に伝えられるようにするトレーニングなのですが、これによって事実と感情を切り分けた考え方ができるようになりました。
こういった伝えるスキルがないと、感情と事実がぐちゃぐちゃになってしまいます。振り返れば、前職で仕事に猛進していた自分は周りの人を詰めるような言動が多くありました。攻撃的で、「どうしてできないんだ」といった物言いが目立っていたように思います。その自分の振る舞いが人を潰してしまうということに気づけたのは、スキルを身に付けたおかげですね。
また、このときの学び直しから興味が広がり、ワークショップデザイナー(WSD)育成プログラムの受講や、大学院への進学にもつながっていきました。
「よそ者」「ばか者」になれ。異分子であることが変革の極意
何かを学んだり変えるうえでは、「よそ者」「ばか者」といった、ある種の異分子の立場であることが大切だと思っています。もともとはWSDに関する学習や社会・地域の課題解決につながることがしたいと思ったときに学んだ考え方なのですが、変革をするときには「よそ者」「ばか者」「若者」の3つが必要なのだそうです。このうち若者は自分には担えませんが、よそ者とばか者なら今の自分でもできます。
よそ者の特権は、事情を知らないくせにえらそうに発言ができることです。事情を理解すればするほど、物事の本質や真の課題が見えにくくなることは往々にしてあると思います。「この点が課題だけど、こういう事情があるからしょうがない」と無意識に問題に蓋をしてしまうこともあるでしょう。そうではなく、事情を考慮せずに何も知らない顔をして常に物事の本質と向き合っていくことが大切です。
またばか者でいることで、何でもかんでも「わからない」と気兼ねなく言えるようになります。大人になるほどこうした疑問は口にしにくくなるものですが、わからない=なぜなのかと問題を投げかけることにつながります。問題提起は人を、組織をあるべき姿に変えるうえでは非常に重要なことです。だからこそ、わからないことがあればいつであっても積極的に声を上げるべきだと私は思います。
自分のなかで整理できない疑問や悩みの種は、いくらでもありますよね。これを頭のなかにとどめておかず、口に出したり書き出したりすることは非常に大切です。あなたの疑問は他者に気づきを与える可能性を秘めているだけでなく、自分の考えを整理することにもつながります。
自分一人で疑問を抱えて考え込んでいると、気持ちが沈んだり悩みの種が大きくなることも多々あるでしょう。課題を外に出し、自分と分離させた状態で向き合うのがベストです。課題と自分を結び付けず、シンプルに課題に対してどのようなアプローチが必要か、どうすれば解決するのかを考えてみてください。
この考え方は、客観的な視点から課題に対して冷静に解決策を導くうえでも重要です。あとは、経験上そのほうがぐっすり眠れるというのもありますね(笑)。
逃げるも向き合うも正解。自分に合った選択をしよう
ここまで散々私の価値観の話をしてきましたが、これはあくまで数ある選択肢のなかの一つです。私の場合は逃げるのが性に合っていたというだけで、真っ向から立ち向かうことももちろん選択肢として間違いではありません。自分は自分であり、他人の価値観に左右される必要はないのです。
誰かの言う「正しい」はその人にとっての「正しい」であり、自分の場合は違うと判断するのも大切な選択肢の一つです。考えるべきは「先へ進むためにどのような選択をするべきか」でしかありません。立ち向かったほうが生存の可能性が高いなら、立ち向かうのが良いでしょう。物陰に隠れたほうが結果的に先へ進める確率が高いなら、その道を選ぶべきです。
ただし、これから社会に出る皆さんには「どちらかと言えば逃げたほうが良い」という局面も存在することを知っておいてほしいと思います。極端な例を挙げるなら、ハラスメントを受けているときや一人で解決するにはあまりにも無茶な問題を抱えているときなどですね。
問題の渦中にある時、逃げるべきかどうかを判断できなくなることもあると思います。そのようなときに基準にしてほしいのが、直感と違和感です。「何か違う気がする」「これって合っているのか?」そんな小さな違和感を見逃さず、常にアンテナを張っておきましょう。アンテナに引っかかるものがあれば、それをしっかりと追求して自分が生存できる道を選んでください。
長い人生を歩んでいくうえでは、いつでも前を向いて目標に対しまっすぐに向かっていくことだけが正しい在り方とは限りません。そのときどきに応じて、自分が生きられる道を探していくことが何よりも大切です。逃げるも立ち向かうも自分次第。その気持ちを忘れず、あなたなりの人生の歩み方を考えていってほしいですね。
取材・執筆:瀧ヶ平史織