粘り強い努力は瞬発力にも勝る|今進むべきキャリアを見出したいなら「3年後のビジョン」を本気で考えてみよう
アミフィアブル 代表取締役社長 河村 隆一さん
Ryuichi Kawamura・大学卒業後、1998年に日本アイ・ビー・エムにSEとして入社。2005年にアクセンチュアに入社し、その後シニアマネージャーを務める。2014年からはシンプレクスの執行役員(マネージングディレクター)に。2015年にアミフィアブルを立ち上げ、2019年より現職
入社2年目でチームを任されたのは「周りに迎合せず正しいと思うことを貫いた」から
「好きな仕事をやって、後悔なく生きるぞ」。そう決心した小学4年生のタイミングが、私のキャリアにおける最初のターニングポイントです。親が転勤族で、都会から転校した地方の学校にまったくなじめなかったこと、家族の状態が良くなかったことなどが背景にありますが、自分の軸となる生き方のようなものを決めた瞬間といえるかと思います。
学生時代も協調性はあまりなく、新卒入社で入ったIT企業でもスタンスは変わらなかったので、かなり浮いていたと思います。とはいえ就職前から【20代は修行、30代は応用、40代は業界への恩返し、50代は社会への恩返しをする】というマイルストーンを描いていたので、「SEとしてしっかりやるぞ、ここで修行するぞ」という仕事に対する意識はかなり高かったように思います。
たまたまですが、配属されたチームには「言われたことしかやらない」タイプのメンバーが多く、私が仕事を真面目にやっているだけで煙たがられることもありました。
かかわっていた案件で重大なトラブルが起きてしまい、プロジェクトマネージャーが激怒。そして私を指差し「こいつだけが真面目にやっている! 」と評価してくれたのです。
こうした経緯で、入社10年目以上のメンバーもいるなか、2年目にしていきなり20人のチームを率いる役割を任されることになりました。
「正しい言動をしていると、周りに迎合する人には嫌われるけれど、ちゃんと見てくれる人もいるのだな」と確信を持てたことは、その後も自分の支えになりました。この出来事はキャリアにおける2番目のターニングポイントといえるかと思います。
「なじめない職場でも、諦めずに頑張ってよかった」とも心の底から思えたので、学生の皆さんにも「周りに迎合せず、自分が正しいと思っていることは貫いたほうがいい」ということをアドバイスしたいです。
TOEIC300点台でグローバルなチームへ。「がむしゃらにやっていれば、その先で好きなことができる」と確信
その後はプロジェクトの中心的役割として活躍させてもらう機会が増え、プロジェクトアワードなども獲得しました。
30代になり、結婚相手の飲食店事業を手伝うことになっていったん会社を辞めることに。
マネジメントを勉強させてもらうつもりで入ったものの、重役としてほとんど何もしなくてもお金だけもらえるような状態だったので「こんな毎日を過ごしていたら頭がおかしくなってしまう」と危機感を覚え、改めて社会で再スタートを切ることにしました。
そこからは、必死で転職活動を開始。外資系のコンサルティング会社を受けた際には、「私を雇わないと、あなたたちが損します! 」くらいに強烈にアピールしましたね。TOEIC325点しかもっていない状態でよく言えたものだと思いますが(笑)、採用担当者の巡り合わせが良かったのか、入社できることになりました。
とはいえ入社後の数ヶ月間は、かなりの波乱含みでした。最初に入ったプロジェクトは、なんと2カ月間でクビになってしまったのです。マネージャーとの折り合いが悪く、無茶振りをされては1日に何度も罵詈雑言を浴びせられるような毎日でした。
しかし、そのような職場だったからこそ「言われたからやりました、という他責的な生き方はやっぱり最低だ」「これは正しくない、やるべきではないと思うことはやらなくていい」という自分の流儀を貫いていく意思を、改めて確認できました。その意味で、この経験もターニングポイントといえるかもしれません。
「次のプロジェクトでもダメなら、評価としてもう後がない」というクビがかかった状態で入ったプロジェクトが、運命の分かれ目となりました。
そのチームは、フランス人とペルー人、そしてマネージャーがエチオピア人、という編成でした。初対面のときには「英語力のない自分がこんなチームに入るなんて、地獄のジョブだな! 」と思いましたが(笑)、1年後にはそのマネージャーの推薦で、昇格を果たすことができました。「今まではチームに入ってきても辞める人ばかりだった。あなたは逃げないし、言いわけをしない」と評価してくれたのです。
「目の前のことをがむしゃらにやっていれば、結果は後からついてきて、好きなことができるようになる」この自覚を得たという点で、このチームでの経験もターニングポイントだったと感じていますね。以降はトップ評価をいただき、シニアマネージャーに昇格するなど活躍の機会をいただきました。
自分の考えや意見を発信し「先輩にどんどん説明してもらう人」ほど活躍できる
基本的に孤高のスタンスで周りに迎合せずに生きてきた私ですが、「言いわけをしないこと」は大事にしています。どんなに時代が変わっても、社会で活躍するのは結局「自分で責任を持てる人」だという気がします。
何か悪いことが起きたとき、周りの環境が良くないと感じたときに「人が、環境が」と言いわけをし続けるのではなく、「自分にも問題がある」と思えるかどうかが、大きな分かれ目になる気がします。すべての責任を負う必要はないですが、「この事態にならないために、自分が何かできたのでは?」と考えてみる姿勢は、意識的に心掛けておくといいと思います。
「自分にできたことがあったのでは? 」と考える一方で、明るく素直でいることも重要。大きな失敗をしたとしても、その事実は変えられませんし、自分ひとりでやれることなど、たかが知れています。クヨクヨとひきずっているより、たっぷり寝てから「次どうしようか」を考えるほうが、よっぽど有意義です。
今の若い世代の方は真面目で、優しくて優秀な方が多いですが、「真面目すぎると心が折れてしまうよ」と心配になることもあります。反省すべきところはしつつ、あっけらかんと考えてみてださい。
自分の意見を言うときに「間違ったことを言ったらどうしよう」と躊躇うならば、「先輩社員は自分に説明をするために存在している」くらいに理解しておけばいいと思います。内容が間違っていれば先輩が丁寧に説明してくれるし、先輩はそのために存在する人なのだから、どんどん聞けばいいのです。後輩に言い負かされるような説明しかできない人には、先輩としての付加価値はない、くらいに私は解釈しています。
そして後輩としての仕事は「先輩の仕事を奪う」こと。そうすることで先輩は手が空き、また別の仕事ができるので、会社の成長につながっていきます。「若手社員が気を遣って発言できない、質問できないでいると、回り回って会社としての損になる」と理解し、思っていることはどんどん口に出すことを習慣付けていきましょう。
採用面接においても、「正しい言葉遣いでなくても構わないので、自分のことや意見をもっと積極的に話してほしいな」と思うことが頻繁にあります。以前、帰国子女で敬語が使えない社員の面接をしたことがあるのですが、めちゃくちゃな言葉遣いでも一生懸命自分のことを伝えてくれたことで、その子の本質的な部分がよく見えた実感があり、逆に気持ちがよかったです。
上場やグローバル展開など新たな夢も。「やりたいことで利益を生む」を追求していく
アクセンチュアの仕事は楽しかったですが、10年弱で「得るものがなくなった」と感じたことから、次の成長をもとめて事業会社に転籍。そこで改めて「自分の手で製品をつくりたい」という思いが芽生えたことから、自分の会社を立ち上げることにしました。それが現在の会社、アミフィアブルです。
「何か業界に激震を与えるようなものを作りたい」と考え、AIアプリの開発をおこなっているほか、サッカーメディア「サカレコ」、教育Webメディア「Study For.」、求人情報サイト「White Biz」なども運営しています。「ITとリアルビジネスの融合」というテーマを掲げていますが、かなりいろいろなことをやっていて変わったカラーの会社ではあるかと思います。
やりたいことをどんどん形にできる会社を目指して立ち上げましたが、あくまでビジネスの範疇の話です。「ちゃんと利益を出しつつ、好きなことをやる」のが前提です。
お金はとても正直で、「お金が生まれる=その事業に価値がある」ということ。利益を気にせずにやりたいことをやる、というのはもはや仕事ではないと思います。宝箱のような会社を目指していますが、「利益が生まれるような状況を目指す過程で、宝石は磨かれるよね」といった意味合いです。
私はあと3年で50代になりますが、入社前に想定していた【20代は修行、30代は応用、40代は業界への恩返し、50代は社会への恩返しをする】というマイルストーンよりも、少し前倒しで進んでいます。
30代で業界への貢献ができ、40代の現在は社会貢献というテーマに取り組んでいるので、50代、60代ではまた違う展望も描いています。具体的にはこれから3年間で上場すること、研究開発を続けているAIアプリをグローバルに展開していくことなどを考えています。
また私は家庭の事情で、幼少期から児童養護施設にときどき訪れていました。そのご縁から現在も寄付を続けていますが、「何か事業として、児童養護施設に貢献できることはないか」ということについても考え続けています。そこにつながる道として、サッカークラブやサッカースクールを運営している公益財団法人の理事や、印刷会社の社外取締役なども務めています。
やりたいことをやれている今の環境には非常に満足していますが、「好きなことをして後悔なく生きる! 」と決意した小学生の頃から変わらず、キャリアの充実感はいつでも日々生きていることにある、と考えています。
粘り強く取り組む力を身に付ければ「瞬発力がすごい人」にも負けることはない
私は30代になるまでに、マネジメントやプログラミング、コンサルティング、英語などのスキルを身に付けることができました。課題だった英語も、仕事のなかでいつの間にか話せるようになっていましたね(笑)。仕事も人の3倍はやっていたと思いますが、ずっとアドレナリンが出ている感じで「スキルアップの実感が楽しくてやっていた」という感覚です。
「ウサギとカメ」で喩えるなら、私は圧倒的にカメタイプ。2社目は特に地頭のいい人が多い職場でしたが、「ひたすらコツコツとやっていれば、瞬発力のある人にも勝てる」ということを一度でも経験して理解できると、粘り強く努力をするのも楽しくなるのではないかと思います。
1社目と2社目はどちらも外資系の大企業でしたが、社風はかけ離れていました。アクセンチュアは今や社員1.8万人という規模になり、コンサルティング業界では世界のビッグ5と呼ばれる存在になっていますが、私がいた当時は2,000名程度で、まだまだ成長期にあったからかもしれません。純粋な外資系と、外資系の日本法人という組織的な違いもあったのかもしれませんが、企業体質や風土はイメージで判断せず、できるだけ入社前に確かめておくといいと思います。
ともあれ、大企業はいろいろな面で守ってくれますし、ロールモデルがたくさんいるので将来に対する安心感も大きいはず。「手厚い制度のもとで、ゆっくりとキャリアアップしたい」という人には最適な選択肢だと思います。逆に「将来起業を考えている」「実力社会に行きたい」という人は、20代のうちからアグレッシブなベンチャーに行くべきです。
自分が何を目指すか次第ですが、どちらにしても「教えてもらいたい」「勉強させてもらう」といったマインドセットでは、なかなか成長できないと思います。野心がある人ほど、大きく成長できるのは確か。人や周囲がどうこうではなく「自分“で”成長するんだ! 」と決めること。自分で決めたことには言いわけができないので、逃げ道をふさぐことにつながります。
私のように年代別でざっくりとしたマイルストーンを作っておくのも良いと思いますが、学生の皆さんには「まずは3年後のビジョンを本気で考えてみること」を勧めたいです。
なぜなら、遠い目標を描くほうが簡単だからです。「10年後に社長になりたい」とは言えるけれど、「3年後に社長になりたい」というと、今すぐ何かしなければと感じますよね。3年後のビジョンが明確になれば「今から何をすればいいか、そのためにはどんな会社に入ればいいか」が見えてくるはずです。
取材・執筆:外山ゆひら