仕事のパフォーマンスは「スキル×気持ち」で決まる|チームに好影響を与える肯定的なマインドセットを心がけよう

K-ブランドオフ 代表取締役社長 / コメ兵ホールディングス 取締役 山内 祐也さん

Yuya Yamauchi・大学卒業後、2000年にコメ兵へ入社。2018年に執行役員 経営企画本部副本部長 経営企画部長 兼 事業開発部長に就任。2019年11月にはグループ子会社であるK-ブランドオフの代表取締役社長となり、現職。2022年にはコメ兵ホールディングスの取締役 執行役員コーポレート本部長に就任しK-ブランドオフとコメ兵ホールディングスを兼務

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新人時代は「ポジティブに明るく働く」だけで評価を高くできる

仕事で出せるパフォーマンス量は「スキル×気持ち」の掛け算である。社会に出るうえでまず心得ておくといいのは、この点だと思います。

たとえば「スキル1×気持ち10」で入社した新入社員が、3年経って「スキル10×気持ち1」になっていれば、絶対値は同じになってしまいます。それくらい「どんな気持ちで仕事をしているか」という要素は大きい、ということです。

スキルはいろいろな経験をして、かつ自己研鑽をしなければ身に付かないので、一定以上の期間や年数が必要です。学生時代にどんなに優秀だった人でも、仕事のスキルにおいては社会人経験の長い人に敵わない、と理解しておいたほうがいいと思います。

一方で、「気持ち」は誰でも、今すぐにでも高められます。新人でスキルがなくても、ひとりよがりにならず笑顔で前向きに励んでいれば、周囲は必ず評価をしてくれます。

前向きで明るい新人は会社にいるだけで周囲に良い影響を及ぼしてくれますし、先輩たちにとっても良い刺激を与えてくれます。会社側も「幹部やエースに育つよう、この子にたくさんの経験をさせてあげよう」という気持ちになると思います。

この考え方から、当社では仕事の成果だけでなく「一生懸命に取り組んでいるか、周りと協調しているか」といった気持ちの要素をしっかりと評価しています(「情意考課」と呼ばれますが、当社以外にもこの評価基準を採用している会社はあります)。

私が代表を務めているK-ブランドオフは、コメ兵グループの一員ですが、グループ内でも情意考課がもらえるような存在、つまりグループ他社に対して「いるだけで良い影響を与えられる存在」でありたいと考えています。もちろん数字での成果は説得力として大切な要素ですが、それだけではなく、気持ちやテンションの部分でも一目置かれるようなチームにしたい、というのが私の考えです。

また学生の皆さんからはよく、「社会に出る前にどんな準備をしたらいいか」という質問をいただきますが、「まずは気持ち10で会社に入るための準備をしておくといいよ」と勧めています。

気持ち10の状態で働くためには、「環境と自分の両方が整っていること」が必要です。環境については、自分が毎日ポジティブでいられそうな風土の会社を選ぶこと。私が入社したコメ兵には、常に前向きに仕事をさせてくれる環境がありました。「こんなことをやってみたい」という提案を歓迎してくれ、かつ挑戦させてくれる会社だったので、自分の気持ちを高めやすい環境でした。

気持ち10の状態で居続けるには、併せて「自分の機嫌を取れる人間になること」も重要です。友達や家族、今あるものに感謝する姿勢を心がけ、ストレスを解消する手段を持ち、自分の機嫌を取れる人間への成長を目指すことが、重要だと思います。

私にとっての自分の機嫌を取る手段は、おいしいお酒を飲むことくらいですが(笑)、無意識に不機嫌を撒き散らさないような人間であることは常に意識しています。

いろいろなものを肯定的に見る肯定的なマインドを意識し、今のうちから「自分はどういうことをすれば良い機嫌を保てるか」をわかっておけると、社会に出てから役立つと思います

陸上競技ではなく、会社員として日本一を目指す道を選んだ

ここからは少し、私のキャリアについてお話しします。最初のターニングポイントは、中学時代から心血を注いできた陸上競技の引退を決めたことでした

100m走・200m走の選手として中学時代は岐阜県トップ、高校時代は東海地方でトップ、そして大学ではインカレ(日本学生陸上競技対校選手権大会)4位という成績は残せたものの、「これ以上順位を上げられても、世界では活躍できないだろう」と判断したのが理由です。同じ大学には世界陸上にも出場したハードルの為末大選手もいましたが、彼らのような才能ある選手たちを間近で見ていたことも大きかったですね。

実業団に入って競技を続ける選択肢もありましたが、「どうせいつかは辞めなくてはならないなら、社会人になるこのタイミングで辞めよう」と決心しました。とはいえ、この決心をするのは、内心とても怖かったです。就職活動の序盤では商社や金融業界を見ていましたが、正直、同期社員と戦える自信はありませんでした。勉強をほとんどせず、10年間スポーツしかやっていなかったからです。

さまざまな就職先を考えるなかで、大企業はいくらでも代わりがいる歯車のような印象を受け、選択肢から外すことにしました。そして自分のなかで軸としたのが、「ニッチな業界でもいいので、陸上では達成できなかった“日本一”になれる会社」「陸上と同じくらい頑張れそうな、元気があって伸びている会社」という2つの軸です。

この2つの軸に当てはまった会社が、コメ兵でした。2000年当時、ブランドリサイクルの市場規模は今とは比べ物にならないほど小さく、競合他社も数えるほどでしたが、コメ兵は既に業界トップの会社でした。かなり伸び盛りの状況だったので「ここなら同期全員にチャンスがあるだろう」とも感じましたね。私は岐阜県出身なので、名古屋発祥のコメ兵のCMを見て育ったこともあり、馴染みのある会社でもありました。

お店に行ってみても非常にエネルギーを感じ、面接の質問も「あなたは何ができますか? 」と個人個人への期待を感じさせてくれるような内容で、私は「今は走ることしかできないですが、入ったら何かできるはず! 」と断言したのを覚えています(笑)。

店舗事業を展開するコメ兵に興味を持った背景には、飲食店や花屋など商売をする家庭に育ち、お店で働く親の姿を見ていたことも大きかったですね。そうして「伸びていく会社でエースになろう」と決めてコメ兵への入社を決めたのが、2つ目のキャリアのターニングポイントと言えるかと思います

陸上競技を続けさせてくれた両親への感謝の思いも強く、引退の決心の後押しとして「自分の子どもにも好きなことをやらせてあげられる社会人になろう」などと思ったことも覚えています。

また社会人になって気づいたのは、「ビジネスはスポーツのようにルールに縛られておらず、選択肢の幅が非常に広い」ということです。

競技は決められたルールのもとでしかおこなえませんし、大会の時期は自分では決められません。資本は自分の体のみ。勝ち負けも相対的なものなので、「強豪選手がいる組に入れられるとどう頑張っても勝てない」ということがあります。無論、負けない努力はするし、努力は裏切らないけれど、勝てるとは限らない世界と言えるかと思います。

一方ビジネスでは、戦うフィールド、勝負に出る時期、リソース、ケイパビリティも何もかもが自由です。極論で言えば「今はまだ戦わない」「このフィールドでは戦わない」ということも選べるわけです。「今ある武器では勝てない」となれば、事業ポートフォリオだっていくらでも変えることができます。

2019年、赤字の状態でグループ傘下に入ったK-ブランドオフを黒字に転換させられたのも「うまく勝てる場所を見つけられたから」だと分析しています。

ビジネスでは、いくらでも戦い方がある。これは学業やスポーツとは大きく異なるところなので、社会に出る上で知っておくといいと思います。

ポジションパワーのない若いうちに「動かせない人を動かす経験」をしておこう

社会人になるタイミングで順風満帆にキャリアを歩み出せないと、「自分は社会で活躍できる人材ではないのかもしれない」と思う人もいるかもしれません。しかし、花形部門に入れなくても、後から活躍できるチャンスはあるということも経験上、皆さんにお伝えできることです。

私がコメ兵入社後に配属されたのは、カメラ売り場でした。ブランドバッグや時計などの花形部門と違い、いわゆる陽の当たらない日陰の部門です(笑)。結果的に9年間と長く在籍することになるこの部署に配属されたことも、キャリアにおけるターニングポイントだったように思います。

自分たちがいくら頑張ってもどうにもならないことが多く、フラストレーションを感じることは多くありました。

このネガティブなサイクルをどうにかして変えなければと躍起になり、9年間ずっと会社側にさまざまな提案を続けていました

もし最初に花形部署に配属されていたら、このような仕事のしかたは身に付いていなかっただろうと思います。逆風の部署にいたからこそ課題解決力や提案力が磨かれ、「正しいと思う意見は出し続けなければいけない」ということも学びました。

そうした頑張りをちゃんと見てくれる上司で、早くからリーダー職も任せてもらっていましたし、チームと一緒に本気で頑張れたのも、恵まれない部署にいたからこそだと理解しています。

「会社は案外、社員側からの発信を待っているのだな」ということもわかりました。ひとつの会社のなかでできることは案外たくさんありますし、ひとつの部署のなかの仕事も、いかようにも掘り下げる余地があります。

置かれた場所に不平不満を持つよりも「今のこの会社のなかで、この組織のなかで、こんなことはやれないだろうか? 」という視点を持って発信し続けていれば、いろいろなことが好転していくと思います。

次なるターニングポイントは、2008年のリーマンショックのタイミングです。不景気になり、会社全体の業績が落ちるなかで、次世代幹部候補選抜を目的としたプレゼンテーション大会が開かれました。ここで私はカメラ売り場での取り組みを発表し、第一期生に選抜されたのです。大した内容のプレゼンではなかったですが、日陰の部門で常に生き残りをかけて奮闘してきたことの熱量が、少なからず伝わったのかなと思います。

ただその後は、地獄のように苦しい日々が始まります(笑)。まずは組織体制を大きく変えるための社内横断プロジェクトのリーダーを任され、役員や部長クラスの方とも隔週で会議をする立場になりました。

並行して、新しくマーケティングの部門(営業企画部)が立ち上がり、そこのマネージャーとして「リーマンショックを乗り切れ! 」という大命題がくだります。CRM(顧客関係管理)の仕組みをイチから作り上げ、当時はまだ顧客数1000名単位でしたが、今では100万人が登録されているデータベースの原型を完成させました。

ポジションパワーのない30歳前半の時期にこの大仕事をやり切れたことは、非常に有意義だったと感じています。立場が偉くなると意見は通しやすくなりますし、人を動かすことも容易になります。

しかし役職のない立場で偉い人たちに納得してもらい、社内の多くの人たちを動かすためには、ロジックやエビデンスをしっかり組み立て、熱意も持ってプレゼンテーションをしていくことがもとめられます。このスキルを磨けたことは、営業企画部にいた4年間の財産です。

この経験からも、若手社員たちにはよく「若いうちに苦労しておいたほうがいいよ」と言っています。これから社会に出る方々にも、動かせない人を動かす努力をする経験は、若いうちにしておくことを勧めたいですね。その時期はしんどいでしょうが、決して無駄ではない経験となるはずです。

周りを頼ってもいいと気づき、自分が正しいと信じたチャレンジを続けようと決意

キャリアにおいて一番大きな壁にぶつかったのは、営業企画部の次に異動した経営企画部門での出来事です

中国から来る観光客の「爆買い」に支えられていた売上が期待できなくなり、店舗を立て直す立場を任されることに。社長からは「社員のリストラだけはNG、それ以外は何やってもいいから復活方法を考えてほしい」と言われ、再建のための計画やアイデアを何度となく経営層にプレゼンテーションしました。

当時は精神的にも追い詰められていて、ある朝自宅で、今日も重たい会議がある、と妻に弱音をこぼしたことがありました。

するとそれを聞いていた3歳の息子が「重たいならみんなで持てばいいじゃん! 」と言ったのです。本人は意味もわからず言ったのでしょうが、その言葉には本当に救われましたね。

またその頃、周囲からよく「頑張れよ」と言われていましたが、昔のカメラ売り場の上司だけが「頑張ろうな」と仲間目線で声をかけてくれたのです。窮地にあるときほど本当の仲間がわかるもので、とてもありがたかったです

ずっと陸上という個人競技をやっていた頃もあり、「自分でなんとかしなければ」という思考パターンが染み付いていたのですが、子どもとその上司のおかげで、人生で初めて「ひとりで荷物を背負うことだけが正解ではない」と思うことができました

それまでは会議でも「こうしましょう」という呼びかけばかりしていましたが、以降は「皆さん、どうしましょうか」と言えるように。全員でこの議論をすることが経営判断だ、と気づくことができました。

最初の段落でも述べたとおり、ビジネスには必ず勝てる場所があり「突破口」は必ずある、人を頼ってもいいし、イリーガルなことでなければ何をやったっていい。そうした気づきに支えられながら必死に案を練り、1年間でV字回復させることができました。

またこの出来事は「自分が正しいと思うことをやろう」と改めて決心するきっかけともなりました。

経営判断は合議で「売上を維持するために、何を担保するか」を決めますが、それだけでは会社は良くなりません。それと合わせて「売上を伸ばすために、何で勝負するか」という意思決定が必要です。

それまでは日本人らしく、調和的に動こうとしていたところもありました。しかし何をやっても、失敗すれば自分の責任になるのならば、自分の考えや意思に従うのが正解なのではないか。自分が思うことをやって狙いが外れたなら、後悔もしないだろう……。

そんなふうに考え、全国の不採算店舗の1/4を閉めるという大決断を敢行。その店舗にいた販売のエースたちを旗艦店舗に配置し直す、という勝負に出た結果、業界最高益を出すことができました。

意志と担保を切り分けて、そのバランスを考える」といった経営手法に関するコツや気づきを得られた点で、この経験も非常に大きなターニングポイントだったように思います。

意志と担保のバランスを考える視点は、就職活動にも活かせると思います。たとえば私は先の見えない陸上の世界を離れて就職をするという「担保」をしつつ、ビジネスで日本一になる! というチャレンジの「意志」も大切にしました。

ハイリスク・ハイリターンな人生もありだとは思いますが、この両方の目線を持っておくと、挑戦と安定の両方を満たす、納得のいくキャリアの決断がしやすくなるのではないかと思います

取材・執筆:外山ゆひら

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