「やりたいこと」にこだわりすぎるより、まずは縁あって就いた仕事を頑張ってみよう|技術が身に付けば仕事はおもしろくなってくる!

NCネットワーク 代表取締役社長 内原 康雄さん

Yasuo Uchihara・専修大学経営学部卒業後、1987年にいすゞ系のプレスメーカーである日本中空鋼に入社 。2年の経験を積んだのち、セイコーエプソン系プレスメーカーである吉野電機へ。1990年に父親が経営する内原製作所に入社し、1991年に専務取締役に就任。1997年にNCネットワークグループを発足させ、1998年にエヌシーネットワーク(現・NCネットワーク)を設立し、以降現職

この記事をシェアする

やりたいことが見つかっていなくてもOK。世の中には“必要”な仕事がたくさんある

自分のやりたいことにこだわりすぎなくてもいい」「世の中には誰かがやらなきゃいけない必要な仕事もある」「まずは縁あって就いた会社の仕事に打ち込んでみて!」学生の方々には、そんなメッセージを伝えたいです。

私は一般的な就職活動をしていません。父親がやっている小さな町工場を継ぐことを考えていたのも理由ですが、大学時代の過ごし方も関係しています。バンド活動や映画鑑賞など趣味活動に非常にのめり込んでいたので、勉強はまったくしていない学生でした。

そんな私の社会に出てからの3年間は、人生のなかでの修行期間でした。父の工場に入る前にモノづくりの会社を2社経験したのですが、1社目に選んだのは金属プレス加工の会社。いすゞ自動車の下請けとして、トラックの部品を作っているところでした。

文化系で痩せ型だった当時の私にとって、毎日20kgの鉄板を運んでは下ろして、溶接したり切断したり………という体力仕事はかなり負荷が大きく、初日は本気で死ぬかと思ったほどです(笑)。

「こんなことを一生やるのだろうか」と暗い気持ちにもなりましたが、1ヶ月ほど続けていればそれなりに仕事ができるように。灼熱の45℃の室内で塩を舐めながら汗だくで働き、「あと何分でビールが飲める!」とそれだけを目標に必死で働きましたね。3ヶ月も経てば、通常業務プラス3時間の残業にも耐えられるくらいの体力と筋肉が付いていました。

2社目は、セイコーエプソン系の金型プレスメーカーへ。ここは1mm四方の中に100個の穴が空いている「超精密プレス」で金型製作をおこなっている会社です。金型とは、たい焼き・たこ焼きのを作る型のようなものですが、自動車や機械用の金型となるとかなりの大きさで、1型で1〜5千万円もの価格になります。同じ金属を扱っているとはいえ、1社目とは考え方がまったく異なっていたので、また新たな勉強ができました

3年間の修行を経て父の会社に入った後は、建築資材の金属プレスを手掛けました。ビニールハウスのパイプをつなぐ金具部品など、手のひらサイズの部品がメインで、単価100〜300万円くらいのものを扱っていました。

こうして【自動車】【家電・弱電】【建築・建材】というさまざまなモノづくりの世界を若い頃に見られたことが、現在の事業に役立っています。

技術が身に付いてきて「仕事のおもしろさ」「組織の率い方」がわかるように

私は文系の人間で、数学どころか算数レベルの計算も苦手でしたが、ちょうどコンピュータで演算ができるCAD/CAMシステムが普及し始めていた時期に社会に出ました。それらを使えば、文系出身でも割と簡単にモノづくりができるのです。恵まれたタイミングだったなと感じていますが、そうして自分の手でモノづくりをするうち、どんどん仕事がおもしろくなっていきました

この時期には、ソニーのゲーム機やCDプレイヤー、ホンダのバイクの金具、EPSON、RICOH、ゼロックスのプリンター部品など、名だたる企業の製品の部品もたくさん手がけました。

特に農業用のビニールハウスの金具に関しては、日本国内で8〜9割のシェアを取れていました。そのため、全国どこへ行っても当社の金物が使われている様子を見られるのです。私は旅行が大好きなので、あちこちでレンタカーを止めては確認し「うちの金具だ!」と感激していましたね(笑)。

もちろん、苦労がなかったわけではありません。父の会社には小学校や中学校を卒業してすぐに就職し、文字をきちんと読めない職人さんたちもいました。当時の工場内は決してキレイとは言えない状態でしたし、そういった場所で組織をまとめていくのは簡単ではありませんでした。

しかし「そういう人たちに給料や働き先を提供できて、喜んでもらえている。それは当社にとってもありがたいことだ」とあるとき、思うことができたのです。この気づきをくれたのは、本田技研の先輩です。私はお酒が大好きで、いろいろな先輩たちと飲むなかで大切なことを教わり、そのなかで仕事のおもしろさを見つけてこられた実感があります。

この気づきを得てからは、社員たちに「君がここで作ってくれた部品が、ソニーのゲーム機の中に入っているんだぞ」などと積極的に伝えるようになりました。そのようにモノづくりの喜びを共有していると、思いがけずスキルをどんどん伸ばしていく職人さんも出てきました。やりがいモチベーションになったのだろうと思います。

どんな仕事でも、3年もやっていれば必ず「技術」が身に付いてきて、仕事のおもしろさがわかってきます。このことは、これから社会に出る方々にもぜひ覚えておいてほしいことです。

長いキャリアの中では、壁にぶつかることもたくさんあるでしょう。私の解決手段は「お酒を飲んで寝る」のみです(笑)。

もちろん社員が退職するときなどは悲しいですし、悩んだり反省したりもします。しかしとにかく寝て、次の日「よっしゃ、またここから頑張ろう」とリセットします。20年以上も社長業をやっていると多少のことでは驚かなくなりましたし、「忘れる」のは私の特技かもしれません。

旅行に出かけることも、リフレッシュになっているかもしれません。土日は必ずどこかに出かけていますし、コロナ禍は人気のホテルや温泉宿が予約し放題だったので、感染対策に気をつけつつ、いつも以上にあちこちへ通っていました。

業界課題と可能性に気付き、モノづくり企業をつなぐ現在のスタート

「町工場=儲かっていない」という世間のイメージはありますが、業績が良い会社に関してはかなり利益も出せていますし、オートメーション化も進んでいます。父の工場も1970年代からいち早く機械化を進めていたことにより、アジア各国との価格競争がはじまった時代にも、海外にシェアを奪われずに済んでいました。

想像していたより、おもしろい産業だな」と業界構造が見えてきたのが、28〜29歳の頃だったかと思います。

一方で、業界の課題も見えてきました。モノづくりは決して1社だけで完結しないのに、人のツテでしか横のつながりを広げることができない。モノづくりに携わる人たちがもっと自由につながれば、いろいろなコラボレーションが生まれたり、有意義な情報共有ができたりするのではないか――

そんな思いが芽生え、インターネットを活用した工場向けネットワークサービスを作ったのが、当社NCネットワークの出発点です

まずは自社を含めた製造業9社でグループを作り、共同受注をスタート町工場のための検索システム掲示板も作り、東京都の助成金などもいただきながら、さまざまな勉強会をおこないました。

当時はまだまだインターネットが普及しておらず、FAXや郵便で届いた情報をデータベースに入力する、というアナログなものでしたが、「エミダス」と名付けたこのシステムは、業界内でも画期的な存在として注目を浴びました。

10年後には会員数が1,000社を突破し、日経インターネットアワード(ビジネス部門)を受賞。2000年にはNHKで紹介され、さらに会員数が急増、2001年には会員数 10,000社を突破する規模にまで成長しました。

エミダスの名前は、このシステムの入力係だった社員の名前に由来します。エミちゃんは歌手でもあったのでテーマソングなども作り、一緒に歌を作って製造業向けのPRビデオ(Youtube)なども制作しました。こうした取り組みから、現在につながる製造業向けのホームページ・技術動画の制作、営業支援の事業などが生まれてきています

自分と異なる視点を持ったメンバーたちとの出会いによって、会社を大きく成長させられた

1998〜2000年頃は、会社としての大きな転機でもありました。それまではいわゆる親族経営の町工場でしたが「ちゃんとした会社を作りたい」と思い、まずは経理学校に通って自分で財務諸表をつくれるようにしました。

便利な会計ソフトも登場してきた時期だったので、損益計算書や貸借対照表は早々に作れるようになりました。経営学部時代から付き合いを続けていたゼミの先生に、日本的経営の特徴について詳しく教えてもらえたことも力になっています。

上記の準備をしていたおかげで、2000年にはベンチャーキャピタルの主導で、名だたる商社や銀行に出資してもらえる状況を作ることができました。資本金1,000万円で設立した当社ですが、ここで一気に3億7千万円の増資を受けることができ、以降の海外展開にもつながっています。

出資や増資を受けられたのは、Webサイトを通じて、現在の主力メンバーの多くが集まってきてくれたことも大きな理由です。現・副社長の安井さん現・取締役の奥浦さんの二人が中心となり、「外部の資本を集めて、大きな会社にしていこう!」と積極的に動いてくれたのです。安井さんは「すごいサイトだね!」と興味を持って当社のドアを叩いてくれた人で、最初の1年間はアメリカの公認会計士試験を受けながら無償で手伝ってくれました。

私はモノづくりのことばかり考えている人間なので、二人との出会いと尽力により、会社としての成長を果たすことができました。もともと即断即決のタイプで、常に「直感で決める」という決断のしかたをしていましたが、彼らのような人との出会いに恵まれ、そして社長としての責任が大きくなってからは、いろいろな人の話を聞いて考えてから決断するようになりました。

システム部門の成長に関しては、創業メンバーのひとりである工藤さんに出会えたことも大きかったです。彼とは葛飾区の若手産業人会議で出会ったのですが、当時24歳ながら個人で仕事をしていて、システムのアップデートの手伝いをお願いしたのをきっかけに、当社の仲間になってくれました。

今は自分で自分を磨き上げていくしかない時代なので、彼のように一芸、二芸と身に付けている人物を目指すことは、キャリアを切り開くひとつの方法だと思います

会社の規模はもはや関係ない時代。生涯年収を作れる企業を探してみよう

私は仕事上、主に産業界で多くの企業を見てきました。吸収合併を繰り返して何とか生き残っている大企業もありますし、「この会社に入りさえすれば将来安泰」なんて会社はもはや存在しない、くらいに考えておいたほうがベターです

逆に生涯収益をちゃんと作ることができる企業を選べば、会社の規模を問わず、中小企業でも安心して働いていけると思います。

中小企業のなかでどんな会社を選ぶといいかについてアドバイスをするならば、「尊敬できる社長がいるか」「オフィスをキレイにしているかどうか」「組織として変革を続けているかどうか」の3点を見てみるのがオススメです。

まず、どこの会社の社長もそれぞれに強い個性を持っているので、相性が悪い社長のもとで働くのはかなりしんどいと思います。逆に尊敬できる社長のもとであれば、長く継続できる可能性が高いです

オフィスのありようにも、多かれ少なかれ社長の性格が現れます。そして業績の良い会社へ行くと、必ずといって良いほどオフィスが整然とキレイに整頓されています職場環境をキレイにする余裕がある、ということなのかもしれません。

また会社というのは、同じ状態のままで生き続けていくことは難しいです。最初のビジネスモデルがしっかりしていれば誰が舵を取っても会社は伸びていきますが、そのビジネスモデルが時代にそぐわなくなってくるタイミングが必ず訪れます。そのときに組織ごと大胆に変革をすることで生き残ってきた企業も、たくさん見受けられます。

時代によって滅びていく産業はあれど、生き残ったり、新しく生まれたりしていく産業もあるので、今は好調な業界も先々はどうなるかわかりません。でも「次のビジネスモデルをつくりだす努力を常にしている会社」であれば生き残っていける可能性が高いので、この点は入社前に確認しておくと良いと思います

製造業界にも、大胆な変革をすることで生き残っている会社がたくさんあります。たとえば下請けのモノづくりメーカーだった企業が、自社製品の開発や販売を始めたり、海外展開に舵を切ったりしています。

昔は「グローバル化は絶対にしない」といっていた社長が、社員200名規模のときに180度方針を転換し、海外に出ることを決めたことで、1,000名以上の会社に成長した実例も知っています。社長は「あの時期あのまま日本だけで事業をすることを決めていたら、今は50名の会社になっていた」と振り返っていました。

当社も海外進出は積極的におこなっており、アメリカ、中国、タイ、ベトナムなどに拠点を出し、製造業に特化した現地市場開拓や調達支援サービスをおこなっています。先日はコロナ禍後初めてのリアルイベント「FBCアセアンものづくり商談会」をタイ・ベトナムで開催しました。当初の倍となる200社以上が参加してくれ、7〜8千人もの人が集う賑やかな場となりました。

来年はフィリピンにも進出予定で、その先ではアジア全域のモノづくりを支援していきたいと考えています。グローバルな仕事に興味がある人には、たくさんチャンスがあるので、ぜひ当社のような存在にも注目してみてほしいですね

製造業版の「食べログ」のような巨大なネットワークを作り上げ、それをベースに、世界のモノづくりを支援していくことが今後のビジョンです。

取材・執筆:外山ゆひら

この記事をシェアする