「仕事かプライベートか」の二択で考える必要はない|自己投資の分析をしてなりたい姿を見つけよう

f4samurai(エフフォーサムライ) 最高技術責任者 兼 最高人事責任者 松野 洋希さん

Hiroki Matsuno・早稲田大学大学院理工学研究科を卒業後、2003年に野村総合研究所に入社。オープンソースソフトウェアのサポート、社内の技術支援などに従事。2010年、新卒同期3人でf4samurai(エフフォーサムライ)を創業。同社はスマートフォン向けゲームの企画・開発・運営を手がける。2020年より最高技術責任者に加え、最高人事責任者を兼任

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「選択肢ができるだけ多いところへ行きたい」という観点で1社目へ

その先にある選択肢が、できるだけ多いほうに行きたい」。自分のキャリアの軸にあるこの価値観に気づいたのは、社会人になってからです。後から振り返ってみてわかったことではありますが、どのターニングポイントも「選択肢を潰すようなキャリアの選び方をしてこなかった」という点で共通しています

オセロでたとえるなら「次の石を置けるところがひとつしかないような人生は苦しそうで嫌だから、常に石を置ける場所が何個か選べる状況を作っておきたい」という感覚です。

一社目となる企業も、この考え方に基づいて選びました。

父がSEだったこともあり、小学生の頃からパソコンを触る機会が多くある子どもでした。大学では情報学科でITやプログラミングを専攻し、大学院進学後は「このスキルを活かせる仕事がしたい」と考えていました。昔から父に起業を勧められていたので、起業という選択も頭の片隅にありましたが、その段階ではまだ自分の能力を信じきれない状態でした。

だからこそ「まずはより多くの情報が集まりそうな会社で社会を研究しよう! 」と発想を変えて、数百名単位の多くの同期がいる大企業を検討。周囲はメーカーを母体に持つシステム系企業に進む人が多かったですが、特定のメーカーに縛られると選択肢が限られる印象があり、独立系Slerで、いろいろな商品をフラットに比較検討できそうな野村総合研究所への入社を決めました。

入社後は社内プロジェクトの技術支援チームに在籍しましたが、新人時代は特に目立った活躍をしていなかったように思います。ただチームのリーダーが社内ベンチャー制度に応募したことで、入社3年目頃からは新規事業に関わることに。独立志向のメンバーやパートナー企業とともに、オープンソースのサポートビジネスを立ち上げる経験ができました。

チームでやりがいを持って取り組んでいましたし、「この会社で出世していく道もあるな」と想像はしていました。ただ同期が280名もいる会社なので、「よくて部長になれるくらいかな。そのときに自分は何ができる人になっているのだろう? 」と考えたときに、もっと選択肢が多いキャリアに進みたいと思い、起業という選択肢が視野に入ってきました

私のように「選択肢が限られないような選択をしたい」という価値観の人が就職活動をする際は、できるだけたくさんの情報収集をしてみることをオススメします。そのうえで、一つひとつ「その先にどんな選択肢があるか」を想像しながら比較検討していくと良いと思います

「他者の異なる視点」を素直にもとめたことでビジネスの方向性を決定できた

独立を考え始めてから実際に行動に移すまでは、1年ほどの期間がありました。当時、所属していた新規事業チームでは「いずれMBO(マネジメント・バイアウト)する」という話が出ていましたが、思うように話が進まず、「それなら自分でやるか! 」と気持ちが固まっていきました。

そうして2010年に、同期だったメンバーの金と田口の2名でf4samuraiを立ち上げるのですが、代表である金は、新人研修で同じクラスでした。互いに起業志向だったので、「どんなビジネスをするか」について独立までの1年間、ほぼ毎週末話し合っていました。起業の1ヶ月前にたまたま退社を決めた現取締役の田口を金が誘って3人で起業した、という経緯です。

ユーザーに直接何かを届けるサービスをやろう」ということは決めていたのですが、序盤はブライダル事業やレンタサイクル事業など、今とはまったく関係ない分野を検討していました。ソーシャルゲームの領域に注目したのは、先に辞めて独立していた同期が紹介してくれたベンチャーキャピタルの方に話を伺った際に、勧めてもらったことがきっかけです。

ちょうどその頃、モバゲーやmixiなどがソーシャルゲームに参入し始め、ブームが始まっていた時期でした。3人ともゲームに詳しいわけではなかったのですが、開発自体はITシステムに近く、これまでに培ってきた技術を活かせそうだとわかり、この分野で行こう! と方向性が固まりました。

このときもそうでしたが、「行き詰まったら他者の意見をもとめる」という姿勢は、今に至るまでとても大事にしています。

基本的には自分の手でトラブル解決を図ることが好きなタイプですし、「チーム内で意見を出し合って、このトラブルを解決していこう」というドライブ感あるフェーズも嫌いではありません。ただそれでも越えられない壁があるときは、素直に他者の意見をもとめるようにしています

あのとき投資家の方に意見をもとめなければ、絶対にソーシャルゲームという領域は選べなかったと思いますし、今までのいろいろな局面を振り返っても「自分では思い付かないような切り口や別の視点をくれるのは常に他者だな」という実感があります。

就職活動やキャリアにおいて壁にぶつかったときにも、ぜひ周りの意見に耳を傾けてみてください。壁を越えられないのは「自分に視点が足りない」可能性が大きいです。できるだけいろんな人の話を聞いて「壁を見る視点」を増やしていくことが肝心です。

両親、先生、友人でもアルバイト先の人や趣味仲間でもいいので、ひとりでも多くの人に相談してみると、その分だけ異なる視点を得ることができ、解決の糸口が見つかってくると思います

独立後の3年ほどは、キャリアのなかでも一番しんどい時期でした。特に苦労したのが、人集めです。大企業の看板がない状態で、興味を持ってもらうことの大変さを痛感しましたね。中ヒットくらいの作品は出せていましたが、当時の当社はゲームとしての見せ方や宣伝が致命的に下手だったように思います。

そこから会社を軌道に乗せることができたのは、セガさんとの提携が決まったことがきっかけです。ゲーム機でプレイするコンシューマーゲームの開発や宣伝が得意な先方と、スマートフォン向けゲームのノウハウを持っている当社とで互いの知見を分け合い、相乗効果をもたらすことができました。

また当時はガラケーからスマートフォンに移行し始めた時期で、時流も味方したように思います。ガラケーのゲームがたいしてうまくいっていなかったので、当社は躊躇なくスマートフォン向けゲームに移行できました。ガラケーでヒット作を出していた会社のなかには、そこに注力を続けた結果なくなってしまったところもあり、「当社はたまたま生き残れただけだな」という感覚は忘れないようにしています。

 「そういえば得意だったな」から新たな活躍のポジションが見つかることもある

起業から9年目となる2019年には、個人的に大きなキャリアの転換点がありました。前年の業績や自分の仕事内容に反省が多く「現場に入ってモノづくりをするフェーズは若手に任せて、自分は別のフィールドを探したほうがいいのではないか」と思い始めたのです。

新たな役割を模索するなかで見えてきたのは、「チームの潤滑油になるのは比較的得意」という自分の資質でした。

自分以外のチームの空気が悪くなっているときに状況整理をして誤解を解いてあげられたこともありましたし、1社目にいた頃も「どうしたらチームの風通しが良くなるか」を考え、大きな模造紙を買ってきて、率先して話し合いの場を作ったこともあります。昔からギクシャクした空気が嫌いで、自分からその解決に動いてきた経験が多くありました。

30代までは自己成長に充実感を得ていましたが、40代になった今、この資質を活かして組織の成長を目指していこう会社がもう一段フェーズに行けるよう尽力しよう―。そんなふうに思うに至り、2020年にCHRO(最高人事責任者)に就任しました。

こうして振り返ってみると、「理想のキャリアを描いて決断をしてきた」というよりは、「そう言えば、こんなこと好きだったな」ということの積み重ねで現在に至ってきたことを実感します。起業も周りから見れば大きな決断に見えたかもしれませんが、自分のなかでは思い切った感はなく、それまでの過去からの地続きで選択した感覚です。

今の役割に注力し、会社をうまく次のステージに乗せられたら、また次なる経験値を広げていくのも良いなと思っていますし、ゲームやエンタテインメントという海外にも輸出できる可能性が高い産業に携われているので、グローバルも含めたあらゆる選択肢を考えていきたいです。

また最近は「日本がもっと楽しく明るく働ける社会になるために、何かできないかな」といった視点も生まれ始めています。次の50代のフェーズには、そうした社会貢献に関わることにも取り組んでいきたいです。

サービスや体験の創出がもとめられる時代。常に「今何をすべきか」を考える訓練をしよう

昔のように「これをやっていれば一生、大丈夫」という仕事がなくなりつつある現代。少し前の世代までは高速道路や図書館、美術館など「皆で大きなものを作る」時代でしたが、今はモノが飽和しており、「サービスや体験をどう作るか」「自分がどういうものを提供できるか」をひたすら考え続けなければならない時代になっています。

その観点で言えば、常に「今何すべきか」を考えることができ、かつそれを最後まで持っていく「実行力」も備えている人が、これからの時代に活躍する人材像だという気がします

実行力については生まれ持った性格も関係するかもしれませんが、「今何をすべきか」を考える習慣は、訓練でも身につけられます。私はエンジニア時代、常に問題の本質を考えながら、仮説と検証を繰り返して解決に至る……というサイクルを回し続けました。

1社目の上司にもよく「仮説と検証のサイクルを回すのが得意だよね」と言われていましたが、このスキルは現在でも活かせている財産です。「試して外れたら次、また次」という繰り返しをするなかで、正解にたどり着く確率を上げる訓練ができました。

業種業界を問わず、仕事をしていれば必ず、課題にぶつかる場面があるはず。そのときは「いきなり正解にはたどり着くことはない」という前提をもって、根気強く仮説と検証のサイクルを回して、試行錯誤を続けてみてください。

また、今の時代は「好きなことを仕事に」「趣味で生きていく」という風潮も強くなってきていますよね。「趣味や好きなことを仕事にしたい」という人の場合は、ユーザーさんに届いていることがうれしいと思えるのか、あるいは自分の理想を形にすることが好きなのか、一度自己分析をしてみてください。自己分析の結果次第でどういう企業が自分に合うのか変わってきます。

前者の場合は、趣味の領域の仕事を選んでも楽しんで働けると思います。当社も採用においては「ユーザーさんのもとめるモノを形にしたい思いがあるかどうか、その過程に楽しさを感じられる人かどうか」を一番見ています。

後者の場合は「仕事では、理想とは違うものを形にしなければならないときもある」ことについて一度考えてみることをオススメします。当社も好きなことを仕事にしたいという人が多い業界にいますが、「理想がありすぎて、現実との差に苦しくなってしまう」という場面を数多く目にしてきました。理想を持つことは大切ですが、仕事は理想だけではできない、ということは心得ておくといいと思います

その時々で柔軟に比重を変えながら「仕事もプライベートも楽しい人」を目指せばいい

また採用シーンに本格的に関わり始めて感じているのは、友人や両親の意見、人気企業ランキングや流行など、他者の評価に乗っかって志望先を決めようとしている人が意外に少なくない、ということです

そういう人とお話ししていると「本当に当社の仕事をやりたいのかな? 」という印象を受けますし、面接はお互いの考えがマッチするかどうかを見ているだけなので、「企業側の受けが良さそうなことを無理に言わなくてもいいのにな」ということもよく思います。

「自分がどうなりたいかわからない」という人は、今までの行動に注目してみるのがオススメです。「自分が何に時間やお金を使ってきたか? 」を振り返ってみると、机上の空論や頭のなかの理想ではなく、本当に自分が大切にしたい価値観が見えてくると思います。

ちなみに私が学生時代に一番お金を使っていたのは、スキーサークルでの活動でした。スキー自体はたいして上手ではありませんでしたが、仲間とワイワイするのが好きで、盛り上げ役として周りが楽しそうな状況を作ることに注力をしていました。今は人事の責任者として社員たちが楽しく働いている姿を見ているときに、同じような充実感があります。

仕事かプライベートか、なんて究極の二択でキャリアを考えなくてもいいのでは? 」ということも、採用シーンに関わっていて時々感じることです。

「自分はお金のためだけに仕事をして、プライベートを充実させる生き方をする」と両者をトレードオフで考えている人も見かけますし、両者を天秤にかけたり、切り離して捉えたりする風潮もありますが、実際には明確に切り離せるものではない気がします。

本音では「仕事もプライベートも楽しい」というのが一番の理想ではないでしょうか。両方に力を注ぐのが難しいと思ったら、その時々で「今は仕事に没頭しよう」などと比重を変えればいいだけです。私も起業した頃は仕事100%でしたが、子どもが生まれてからはプライベートを優先するタイミングもあっていいな、と思うようになりました。

働けるときは思いきり働いて、セーブしたいときはセーブできる」という状況を作れたら一番理想的だなと思いますが、これも冒頭で述べたように「自分でいろいろな選択肢を持てていて、選べる状態が好き」という価値観ゆえなのかもしれません。

ともあれ、就職の際は「仕事100%でバリバリ働くか、趣味に生きるか」などと極端に考えすぎないことをオススメします。人生をトータルで見て「その時々で比重を置くバランスは変わっても構わない」くらいに、柔軟にキャリアを考えてみてください

取材・執筆:外山ゆひら

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