企業のネームバリューではなく、自分が積み上げていくものがキャリアとなる|未来のワクワクを想像しよう!

運動会屋 代表取締役CUO(Chief UNDOKAI Officer) 米司 隆明さん

Takaaki Yoneji・大学卒業後、金融業界とIT業界の2社を経験。2007年にNPO法人ジャパンスポーツコミュニケーションズを設立。2010年には株式会社を立ち上げ、現職。各種スポーツ大会・イベントの企画運営、企業向けの研修や福利厚生事業の請負を手がける。2015年から海外7か国で日本の運動会を開催、2020年以降はオンライン運動会を展開する

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就職は、ワクワクを見つける旅である。

私が、やろう!と決める判断基準は、ワクワクするかどうか。あとから選択を振り返る際にも「ワクワクで判断をしたかな?」ということは自問自答するようにしています。

今この瞬間、自分の心にワクワクが生まれていなくても、将来ワクワクが生まれそうな選択肢だったり、相手をワクワクさせられる選択肢だったりすれば、それで十分です。ワクワクする瞬間を想像できれば、目の前のしんどいことは苦ではなくなります。

最近知ったことですが、漫画家の藤子F不二雄先生は、結論を決めずに物語を描いていたそうです。展開に迷ったら、結論がひとつではなくても面白そうなほうを選択していたそうですが、このスタンスには非常に共感します。私も結論を決めつけず、常にワクワクする方を選択しています。

もし私の価値観に近い方がいれば、この考え方は就職活動にも応用できると思います。会社を選ぶ際には「この会社での仕事にワクワクするか」「この会社での経験が将来のワクワクへつながるか」 について、いろいろな観点から想像してみてください

実は、私が経験した就職活動には、最初からワクワクがあったわけでも、ゴールが見えていたわけでもありません。アンテナを張って走っていれば、ワクワクしないことにも気づきのチャンスがあります。

ただし、会社や誰かにワクワクさせてもらおう、という受け身のスタンスにはならないことが肝心。仕事は楽しいことばかりではありませんが、どうせやるなら楽しもう!という覚悟を持てるかどうかで、見え方は随分変わってきます。

「自分の考え方次第で、違う世界が開けてくる」という前提に立ち、嫌な仕事であっても「状況を変えられないなら、変えられる自分の気持ちのほうを変えてみよう」という心構えを持って挑戦してみてください

もしあなたが、何がワクワクするかがわからない場合。就職先も配属部署もピンと来なくても、先ずは経験してみることです。どうせやるなら楽しむ、ということも忘れずに。一つ一つの軌跡が自分のキャリアを作るので、決して無駄なことはなありません。その経験は、あなたの人生を左右する貴重な財産となっています。

キャリアとは自分が積み重ねていく人生のこと。やりがいをもって働ける場所を探そう

企業選びにおいて唯一重視するといいと思うのは、他ならぬ自分自身がやりがいを持って取り組める仕事や職場かどうか。キャリアは人生そのもののことで、会社のネームバリューが自分のキャリアになるわけではありません。「自分で積み上げていくものがキャリアなのだ」という意識を持っておくことが重要です。

あくまで私の意見ですが、魅力的な福利厚生制度であっても、それだけを判断基準にはしないこと。どんなに恵まれた制度や環境を与えられても、人は「あれが欲しい、これが欲しい」と際限なく求めてしまう生き物。やりがいを感じられない仕事をしていれば、どんなに制度が整っていても、仕事の手応えや満足感は得られないと思います

最新の『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』(ダイヤモンド社発行)でも、福利厚生制度が充実しているかどうかは、会社に対するエンゲージメント(愛着、結びつき)に直結しない……という調査結果が紹介されていましたが、この結果には私も納得です。

やりがいを持って働ける会社を見極めるためには、自分が「選ぶ意識」を持って就職活動に臨むことが肝心です。自分が選ぶ側だという意識を持っていれば、説明会や面接の場でもたくさん質問をして自分に合う場所かを見極めよう、というスタンスになれるはず。

また質疑応答を繰り返すなかで、自分が共感できる人物が見つかれば、やりがいをもって働ける会社である可能性が高いです。その人物は社長でも、面接官でも、先輩社員でも誰でも構いません。「この人の考えや価値観には共感できる」という人が誰かしらいる会社であれば、仕事が大変なときにも乗り越えられるものです。

入社前はもちろん、入社後も「自分は何のため、何を身に付けるためにここに入ったか?」ということは、ぜひ定期的に見つめ直してみてください

自分が手を伸ばせば、Youtubeなども含めていくらでも情報を得る手段はあり、学びやすい時代。目的に応じて必要なもの、身に付けたいものを吸収しよう、という姿勢は常に持っておきましょう。

「A rolling stone gathers no moss. (転がる石には苔がつかない)」というイギリスのことわざがあります。仕事をよく変える人は成功しないという意味ですが、アメリカでは全く逆の意味、活発に動きキャリアアップをすることが成功への道と捉えられています。私はどちらも重要だと思います。常に時代を読み柔軟に対応する、変わることも変わらないことも恐れず挑戦し続けること。これが私の行動指針となっています。

「経験を積み、さらなるステップアップをしたい」と思ったときには、得たいものが得られる場所に転職をしていけばいいと思います。そのように積極的に自分目線で積み上げていくものが“キャリア”なのだと、私は理解しています

「スポーツのようなチームワークや信頼関係がある職場を増やしたい」と起業を決意

ここからは少し、私の人生についてお話しさせてください。

キャリアにおける最初のターニングポイントは、米軍基地の近くで育ったことです。アメリカの街並みや食生活が身近にあり、また航空ショーなどで基地の中に遊びに行ったことが、異文化に対する興味関心が芽生えるきっかけとなりました。しかし、地元の日本人はかかわりが薄く、言葉も違えば会話もしない、囲いの中の基地は別世界、という分断された状態で、幼少期ながら「なんで、お互いを理解して仲良くしたらいいのに」と思っていました。この原体験が、現在の事業やグローバル展開につながっている気がします。

2つ目のターニングポイントは中学生のとき。リレー選手や応援団長として活躍した「運動会」の経験と、野球を通じて深めた仲間との絆。このときの記憶が、運動会の事業のベースになっています。

3つ目のターニングポイントは大学時代、居酒屋でアルバイトをしたこと。学生ながら調理師免許を取らせてもらったり、新店舗の立ち上げを経験させてもらったりしたことで商売や経営に興味が芽生え、起業を志すきっかけとなりました。

大学卒業時点では、いずれ独立をすることを前提に「まず営業力を身につけておいたほうがいいだろう」と考え、就職活動をしました

目的が明確だったので1社だけを受けて金融系の営業職となりましたが、厳しいノルマがある会社で、休日返上でテレアポをしたり、飛び込み営業をしたりと、かなりハードな環境でした。

上下関係も厳しい職場で同期も次々と辞めていき、1年後には1割程度しか残っていませんでした。「何のために働くのか?」と会社のあり方に疑問を覚えるようになり、その環境で働く意義が見出せなくなった結果、2年間で退社を決めました

続く2社目は、IT業界を選びました。これからの時代に必要になるであろうITスキルを身に付けたい、と考えたのが理由です。

1社目は皆が大声を張り上げて電話営業をしている騒々しい職場でしたが、2社目は隣の人ともチャットで話さなければならないような静かな職場でした。しかし画面上では同僚の陰口が飛び交っていて、「誰と働いているのかがわからないな」と何度も感じました。

そんな時に目に飛び込んできたのは、引きこもりといじめのニュース。こんな世の中でいいのだろうか。2つの社会人経験を経て感じた、人間関係やコミュニケーションの違和感を解消できないものか。

そこで思い出したのは、学生時代に打ち込んだ野球の経験です。そこには信頼関係や絆がありました。チームワークをもって、皆で一緒に同じゴールを目指せるような会社が増えたらいいのに……と感じたのです

「自分の手でそういう世の中に変えていきたい」という思いが芽生え、社会人4年目の年に起業を決意。社会の課題を解決するための活動が目的だったので、NPO法人を立ち上げました。そこには、期待と不安が入り混じった「ワクワク感」がありました。

がむしゃらだった独立後、最初の運動会が大きなターニングポイントに

人と人とを気軽につなぐことできるスポーツとして、最初に試したのはフットサルです。

企業対抗試合やフットサルの交流イベントを企画し、何度か開催してみたのですが、フットサルは5人対5人のスポーツなので、一度に10人程度しか出場できないこと、また経験者と未経験者で実力差が出てしまうことをネックに感じました。

年齢や性別、体力を問わず、大勢で参加できるスポーツはないだろうか……と考えた結果、たどり着いたのが運動会です。運動会であればいろいろな競技があるので、自分の運動能力や体力に合った楽しみ方や活躍の場を見つけられ、老若男女が一致団結して臨めるはずだ。

そのように考えて早速、企業への提案を始めたのですが、当初はまったく良い反応を得られません。「社内運動会をやりませんか」と提案しても、会社で一致団結してやるようなイベントは時代にそぐわない、と突っぱねられてしまうのです。

そこから最初の運動会を依頼いただくまでの1年間が、今までのキャリアのなかで一番しんどかった時期ですね。休日に気晴らしをした記憶もなく、使命感に駆られ、がむしゃらに行動していた記憶があります。その先に思い描いている「ワクワク感」があったので、継続することができました。

最初に受注をくださった企業は、大阪の美容室チェーンでした。Webサイトから当社の活動を知ってくださり、トントン拍子に70〜80人規模の企業運動会の運営を任せてもらえることに。そして結果から先に申し上げますと、この運動会はお客様に、大満足いただく結果となりました

今にして思えばスタッフも道具も十分ではありませんでしたし、当日の運営も完璧にはほど遠いものでしたが、若い美容師さんたちや関西のノリのよさもあってか、社内運動会は最高に盛り上がりました。

肩を組んで応援したり、ハイタッチをしあったり、参加者の方々の心からの笑顔をたくさん見ることができましたし、企業側からも厚い感謝の言葉をいただき「こういう場を増やすことが、自分の使命だ!」と事業に対する覚悟が決まりました

「自分で想像していた以上に、運動会には意味がある」と確信できたこの経験が、これまでのキャリアのなかで最大のターニングポイントです。

株式会社を立ち上げ、海外展開、オンライン運動会もスタート。

その後、運動会事業は少しずつ、しかし着実に広がりを見せていきました。海外展開も視野に入ってきて「より幅広いチャレンジをしたい」と思い始め、2010年には株式会社も設立。NPO法人の活動と並行して、現在に至るまで2つの組織の運営を続けています。

2015年には海外展開をスタート。海外でも種目別の競技会などはありますが、学校教育として運動会を開催しているのは世界で日本だけ、という事実も知りました。そう知って以降は、「教育としての運動会の価値」をより積極的に海外に発信したいと考えるようになりました。

2020年6月以降には「オンライン運動会」もスタート。コロナ下で減少している社内交流やレクリエーションの機会として多くの企業に興味を持っていただき、サービス開始から2年間で200件以上の実績を作っています。

世の中に「活躍できない人材」はいない。チャンスを得るためにアンテナを張り、積極発信をしていこう

運動会には、協力しないと良い結果が生まれない種目が多々あり、チーム内でメンバーの特徴を生かすことが重要になります。足が速い、力が強い、だけではなく、チーム全体の息が合うようにリーダーシップをとる人、苦手を補い勝利を目指せる戦略を練る人、役割も様々です。人にはそれぞれ特徴があり、それぞれの特性や強みを発揮できるポジションがあります。

世の中には多種多様な価値観やフィールドがあるので、世の中で活躍できない人材はひとりとしていない、と私は考えています。しかしながら、どんなにすごい能力や着眼点を持っていても、自分自身が気が付いていなかったり、相手に伝えられないことには、活躍の機会を得ることが難しいです。

「自分自身を知っていて、自分の特徴を発信できる人に、多くのチャンスが巡ってくる」と考え、積極的な発信姿勢を心がけてみてください。得意なことやコツコツと続けていることがあるならば、学生時代のうちからでも、記録をつけて資料にまとめたり、それを人に伝えたり、発表の場でプレゼンしたり。今のご時世、ホームページやSNSで発信することもできます。人に伝わる発信を心がけてみるのがオススメです。

私自身、キャリアのなかで営業職を経験できたことは非常に良かったと感じています。仕事だけでなく、人生そのものにも役立つ「自分を発信する意識」や「積極性」を養うことができたからです。恥ずかしがっていたら市場開拓はできないし、今のように顧客や人脈も増やせなかっただろうと思います。

2社目で学んだITスキルも、存分に活かせています。独立後は自分のホームページ(HP)を作成したり、Web広告を打ってみたりするなかで、徐々に企業からのお問い合わせをいただけるようになっていきました。

ネガティブな社会課題を感じて飛び出した2社でしたが、「どこに行っても何をやっても、キャリアは貯まるのだな」と感じましたし、独立してからもさまざまなキャリアを積み上げられている実感があります。序盤の話ともつながりますが、自分が歩んできた一つひとつの軌跡の積み重ねが、自分だけのキャリアとなっていく……ということなのだろうと思います。

取材・執筆:外山ゆひら

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