医師と経営者の両立という選択|一歩踏み出す勇気と広い視野でキャリアの選択肢を広げよう

医療法人社団翔和仁誠会 理事長 たかまつ耳鼻咽喉科クリニック 院長 髙松 俊輔さん

Shunsuke Takamatsu・ 国立山梨医科大学(現:山梨大学)卒業後、東京大学耳鼻咽喉科学教室に入局。複数の病院での勤務を経て、2002年、東京都多摩市にたかまつ耳鼻咽喉科クリニックを開院。2004年に医療法人社団翔和仁誠会を設立し、現在では東京・神奈川・沖縄にて、短期入院手術施設(サージセンター)を含む16院を運営する。2021年には、医療経営コンサルティングに特化したEL CASTELL(エル カステル)を設立。新規開業支援や既存医院に対する経営改革支援など、より流行るクリニックへの支援活動もおこなっている

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キャリアの選択肢として医師の道を選んだ学生時代

医師という仕事を最初に意識したのは、子どもの頃にシュバイツァーや野口英世といった偉人の伝記を読んだことがきっかけです。主人公がアフリカで病気に苦しんでいる人を助けるというストーリーを読み、幼いながらに感銘を受けたのを覚えています。ただ、身近に医師として働いている人もいなかったのであくまでも憧れの職業のひとつでした。

進路について本格的に考え始めたのは高校3年生。当時バブル真っ只中ということもあり、政治家や実業家など華々しい仕事に就きたいと考えていたのですが、自分の将来について明確なビジョンがあったわけではなかったです。

キャリアの選択肢として「医師」という職業を考えはじめたのは、医者一家の友人の自宅に遊びに行ったことがきっかけでした。一般的なサラリーマン家庭で育った私にとって、それまで見たことがないような豪華なお家だったことを今でもはっきりと覚えています。それから医学部を視野に入れて受験勉強を始めました。

家計的に私立の医学部進学は難しかったため国立に絞って受験したのですが、現役合格は叶いませんでした。1年浪人の末に不合格だったときは、医学部受験を続けるか迷いましたね。早稲田や慶應には合格していたので、このままサラリーマンの道に進もうかと思ったこともあります。

しかし、偶然にも当時の恋人がアメリカに行ってしまった失意の時期と重なって、「医者になって見返してやろう!」と、もう一度チャレンジする気持ちが沸いてきたため再チャレンジを決断。2年遅れで山梨医科大学(現:山梨大学)に合格することができました

同年代の挑戦、恩師との出会いに導かれキャリアビジョンが明確に

医学部生は6年間の在学中に専門とする診療科をある程度絞るのですが、私の場合「こんな医師になりたい」といった明確な目標を持っていませんでした。勉強は二の次で、高校から続けていたボクシングにさらに熱が入り、ライセンスを取得してプロのリングに立つほど夢中に。トレーニングに明け暮れる日々を送ってしまい、最終学年である6年生になっても医師としてのキャリアビジョンを描けていませんでした。ただ、私自身が東京生まれなので「東京で勝負したい」という気持ちだけは強くありました。

そんな私の背中を押してくれたのが、当時投手として日本人2人目となる大リーグに挑戦しようとしていた野茂英雄選手です。今でこそ大リーグで活躍する日本人選手は珍しくありませんが、当時は日本人が海外で活躍することなど誰も想像できない時代だったのです。彼の決断は日本中に大きなインパクトを与え、私の心も激しく揺さぶられましたね。

「野茂選手が世界最高峰のメジャーリーグに挑戦するなら、自分も東京大学の医局に挑戦しよう」。ファンでもあり同学年でもあった野茂選手の挑戦に触発され、私自身も大きな挑戦を決意しました。

髙松さんが耳鼻科医を目指すまで

私の場合、先に「東京大学に就職すること」を目標にしていたのですが、医師のキャリアを考える上で重要なのは専門診療科目を決定することです。興味のある科はいくつかあったのですが、どれも決定打に欠けていて決められず、職場を見学して決めようと病院に足を運ぶことにしました。

いくつかの科を見て回り、先輩方や教授とお話しさせていただく中で、「この先生の下で働きたい」と思える耳鼻科の教授と出会えたのです。あれやこれやと考えては進路を決められずにいたことが嘘のように、耳鼻咽喉科の道に進もうと決意しました。

その後、教授がいる耳鼻咽喉科学教室に採用していただけることになり無事に就職先が決まったのですが、先述した通りボクシングにとてつもなく夢中になっていたため、医師国家試験に落ちてしまったんです。普通であれば内定取り消しになるところを、「1年待つ」とおっしゃってくださり、恩に報いるためにも熱心に勉強しました。この教授との出会いが人生のターニングポイントになったと考えています。

自分の適性を客観的に判断する眼を持つことがキャリアアップにつながる

こうして1年遅れで東京大学の医局に入局したのですが、全国から優秀な人が集まるため驚くほどレベルが高く、早い段階で「学問で競っても勝てない」と感じました。そして「このままこの場所でキャリアアップを目指しても勝ち目はなさそうだ。であれば、医局でのキャリアには見切りをつけ、自分の強みを活かせる場所で勝負したほうが良い」と考えるようになりました。

“自分の強み”=“適性”を考えたときに、東大でも評価の高かった外来(診療)が自分の武器になると考えました。大学病院のキャリアアップに必要な研究や手術スキルを追求するのではなく、自分の強みであるコミュニケーション力を活かせる開業医としてのキャリアを目指すことにしたんです。そして医局に6年間勤務し、耳鼻科専門医のライセンスを取得後に退職。33歳で開業に踏み切りました。

「自分の適性を知ること」は、キャリアを築いていくうえで、もっとも重要なことの1つだと思っています。そのためには自分の強みや弱みを理解して、適性を客観的に判断できるようになる必要があります。

皆さんもキャリアを選択するときには、自分の強みを活かせるかどうかを軸に検討すると良いですね。

髙松さんが考える、キャリアを選択する際に意識すべきこと

  • 自己理解を深めること

  • 自分の適性を知ること

  • 自分の強みを活かせる場所で勝負すること

開業後、ありがたいことに比較的早く地域でも人気の高い耳鼻咽喉科クリニックへと成長しました。

今はあまり見かけないかもしれませんが、一昔前のお医者さんと言えば、偉そうだったり、怖いイメージがありませんか? そんな医師が多かったからこそ、あえて「お客様は神様だ」というサービス精神にこだわってみました。自分の外来に自信があったので、そこでなら勝負できると考えていたのです。そうして、クリニックの温かい雰囲気づくりや親近感を感じてもらえる診察を心がけました。自分の強みであるコミュニケーション力を最大限に発揮できたことが良い結果につながったんだと思っています。

経営者としてのキャリアアップに挑戦 医師を続けながら事業拡大を目指す

経営も軌道に乗り、次のステップとして考えたのが2院目の開業です。プレーヤーとしてだけでなく、医院のマネジメントも両立してやっていくことで仕事に対するモチベーションが上がるだろうと考え、開業して1年ほどで事業拡大に向けて動きはじめました。そのときに経営者としてのキャリアアップのヒントをくれたのが、すでにクリニックの多店舗展開をされていた先輩の存在でした。かっこいいな、あんな風になりたいと素直に感じたのを覚えています。その後、開業2年目で法人を設立。同年に新たに2つの医院を開業し、今では16の医院の経営をおこなっています。

大学病院を退職し、開業してから20年の月日が経ちますが、ここまで事業を拡大できたのは「人とのつながり」のおかげだと感じています

一般のサラリーマン家庭で育ったため、もともとビジネスマンや他業種の経営者の友人が多く、学生時代から今も続けているボクシング仲間とのつながりもあり、多種多様な価値観に触れる機会が多くありました。医療業界だけでなく幅広い交友関係があったことで視野が広がり、それが自分のキャリアを考えるうえで重要なヒントになりましたね。プレーヤーとしての耳鼻科医の仕事に留まらず、経営者としての世界が広がっていくことが大きなやりがいになっています。

「人とのつながり、ご縁、絆はどんなときも大切に」というのは私の信条です。今直接的な関わりがなくても、数年後、数十年後に声をかけてもらったり、力になってくれたりすることがあります。

たとえば、クリニックの多店舗展開をするにはそこで院長を務めてくれる医師を探す必要があるのですが、学生時代に勇気を出して東京大学に挑戦したことが、30年経った今でも医師をリクルートするうえで役に立っているんです。当時はキャリア組に縁遠かった私ですが、今ではその東大医局から人脈が広がりさまざまなご縁につながっています。

必ずいつか助けてくれる人がいると信じて、人とのつながりの積み重ねをぜひ大事にしてほしいと思います。

人とのつながりやご縁、絆などの積み重ねが、数年後、数十年後に大きな力になる

社風と自分のキャラクターが合っていることが重要! 「考える」より「感じる」を大切にしよう

「強みを活かせる場所で勝負しよう」とお話ししましたが、就職活動の時点で自分の適性を正確に理解している人は少ないと思います。そこで判断軸として大事にしてほしいのが、自分のキャラクターと就職先の社風が合うかどうかです。

オンライン面接も主流となり、少ない情報から社風を理解することを難しいと思う人もいるかもしれませんが、たとえ画面越しの面接だったとしても、「温かそうな雰囲気」だったり「活気がある」だとか、面接官とのやりとりであなたが肌で感じることがありますよね。その感覚は間違えてないことが多いです。

「給料が高い」「これから伸びる業界」といった条件に目がいくのもよくわかりますが、自分が肌で感じた印象・感覚を大事に、その会社の社風が自分に合うか合わないかをしっかりと判断することが大事です

今は転職も当たり前の時代なので、1社目で人生が決まるという感覚は持っていないと思いますが、挑戦してみて初めて自分の強み弱みが理解できたりするものなので、頭で考えすぎず、ぜひ自分の感性を信じて就職先を選んでください。

これからもとめられるのは、柔軟な思考、ITリテラシー、語学力

これからもとめられる人材は、「多様性の時代をしっかりと認識できる人」「柔軟な思考ができる人」です。これらができれば、きっとどの業界でも活躍できると思います。

もとめられるスキルとしては、まず「ITリテラシー」です。新型コロナウイルス感染症をきっかけに、医療業界でもIT化が急激に進んでいるのを感じます。どんな業界においてもIT化がますます加速していくので、ITリテラシーの向上は必須になります。

グローバリゼーションもより加速するはずなので、「語学力」も必須スキルにあげられます。英語は最低限。それ以外にもう1言語習得しておくことをおすすめします。

言語の習得だけでなくグローバルな感性も身につけてもらいたいので、どんどん海外に足を運んでもらいたいですね。私自身在学中にバックパッカーとして世界を旅した経験がありますが、今ではそれが大きな財産になっています。

そして、長年ボクシングを続けている身としてお伝えしたいのは「健康」や「体力」も重要だということ。社会人として順調にキャリアアップしていくためにも、体を動かす習慣を身につけておくことをおすすめします。フィジカルの強さは自信にもなりますから。

少子高齢化が進んで労働人口が減少する中、社会は若い世代の力をもとめています。皆さんひとりひとりが期待されていることをぜひ感じてほしいですね。応援しています。

髙松さんが贈るキャリア指針

取材・執筆:小内三奈

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