坂本龍馬に憧れ「2025年問題」解決のため医療・福祉業界で起業|若いうちの挫折や失敗経験が成長に繋がる!

ドットライン

ドットライン 代表取締役兼グループCEO 垣本 祐作さん

Yusaku Kakimoto・千葉市立稲毛高校、日本社会事業大学 社会福祉学部卒、慶應義塾大学 法学部(通信課程)学士入学。大手人材会社にて、法人営業部として勤務後、ボートレーサー試験に合格し、ボートレーサー養成所(108期養成員)入所。退所後、起業。日本初のボートレーサー試験予備校を設立し、合格者8割以上のシェア達成。マーケティング事業等を経て、2011年ドットライン創業。2014年の医療・福祉事業開始から約8年間で、医療法人も含めて9社のグループ企業、120事業所、従業員数1100名に急成長。高齢者、障がい者、子育て等の困っている人へのワンストップサービスを実現し、医療福祉分野で世界をリードする企業を目指す

この記事をシェアする

起業家を志し、福祉課題解決のために必要な「経営力」を磨くため1社目へ

キャリアにおける最初のターニングポイントは、大学受験を控えた高校生の頃。何をするかは決めていませんでしたが、「起業家になりたい」という志を持ったのがこのタイミングです。

父が小さな溶接の会社を経営していて、自分で事業をやる姿を身近で見ていたことも理由ですが、1番の後押しになったのは、父親の本棚に並んでいた『竜馬がゆく』(司馬遼太郎著)を読んだことです。「竜馬が現代にいたら、きっと起業家になっていただろう。自分もこんなふうに生きてみたい」と思いました。

当時はちょうど堀江貴文さんや藤田晋さんなどが率いるITベンチャー企業の躍進が世の中を賑わせていた頃で、彼ら若手起業家が革新を起こしている様子にも「痛快だ」と魅力を感じていました。

その後、大学受験の小論文で、人口の多い団塊の世代が後期高齢者となる『2025年問題』を知り、この社会課題を解決したいと考えて福祉系の大学に進学。周囲には福祉系に進む人がほぼいない環境だったので、先生や友人たちからはかなり驚かれました。

入学後、アルバイトや実習経験を通じて気付いたのは「福祉の現場には、経営力が圧倒的に足りない」ということでした。経営の問題を解決しなければ抜本的な改革は難しいと感じたことから「まずは経営を学ぼう」と一旦、福祉の世界を離れることに。

起業を前提に考えていたので、1社目は「影響力のある経営者がいること」「社内ベンチャー制度があること」の2点に魅力を感じた大手の人材会社に入社することを決めました。

しかしいざ入社してみると、社内ベンチャー制度は形骸化しており、社風もいわゆる大企業という感じで、自分の考え方とはまったく合いませんでした。当然、組織にも馴染めず、4カ月ほどで逃げるように退社しました。

このような経験はしましたが、ファーストキャリアに関しては「自分で決めて、自分なりの理由を持って入社するならば、それを正解としてよし! 」ということを伝えたいです。

私自身、社長や先輩の姿勢に魅力を感じ、会社の考え方や方向性に「共感できる」と思って入社を決めたこと自体には、一切後悔はありません。外から学生の目に見える企業の姿と、中身が違うことは珍しいことではないと思います。

どんな会社も入ってみなければわからないし、どんな仕事もやってみなければわからない。「いつからでも再スタートを切れる」という前提のもと、自分が良いと思った会社に飛び込んでみると良いと思います。

垣本さんからのアドバイス

ニート生活、ボートレースやWeb業界での経験を経て「夢」の価値に気づく

その後は1年ほど、ニートとして生活。人生で初めて「社会のレールから外れてしまった」と感じたこの挫折経験が、次なるターニングポイントになりました。夢のない人生は、自分には無意味だと気づけたからです。夢を持つことで挫折感から救われましたし、「人は夢をエネルギーに変えて生きているのだな」と実感しました。

起業の志に立ち返り「3年で起業資金を貯めて起業する」という計画を立て、資金集めができる仕事を探すことに。そこで選んだのが、ボートレーサーという仕事でした。

サッカー部出身だったので運動神経には自信がありましたし、ボートレーサーであれば自分の体格も強みにできる。そう考えて合格率2%という難関試験に一発合格できたのですが、実際に業界の実情を知っていくと、プランどおりのスピードでは稼げないことが分かりました。

その代わり、起業資金を貯める方法として見出したのが、ボートレーサーの受験情報やノウハウを共有するビジネスです。ボートレーサーの世界は一般に開かれた業界ではなく、試験勉強中には「自分の欲しい情報が得られない」という状況を体験しました。私自身は足を使って情報収集に励んだことで合格できましたが、必要な情報を得られないまま5〜6回も受験する人もいることがわかりました。

事前に対策ができれば受かる類の試験で「これはビジネスになる」と感じたことから、日本初のボートレーサー試験予備校を開校しました。

そこから3年ほどで「合格者の8割以上が当校出身者」「ボートレーサーになるには、とりあえずこの予備校に行くのが当たり前」という状況をつくることができました。ただこの事業は私にとってはあくまで通過点のひとつだったので、事業の一部を譲って、このビジネスからは離れることにしました。 

垣本さんのキャリアにおけるターニングポイント

ボートレーサー試験予備校事業をやっているうちに得意になったのが、Web関係のスキルです。そこで次はWebマーケティングやインターネット通販を手がける会社を作り、こちらも数年で好調の波に乗せることができました。

しかし、次第に「数字をいじっているだけで世の中を変化させていない、お客様を幸せにしている感覚がない」と、ある種の虚しさを感じるように。一生続けられる本質的な事業がしたい、という思いがふつふつと沸き起こってきたのです。

時を同じくして、祖母が要介護状態になる、という出来事がありました。しばらくは祖父が面倒を見る形で老老介護をしていましたが、立ち行かなくなり、「最期まで自宅で暮らしたい」という祖母の意向に反してやむなく介護施設に入所してもらうことに。最終的には施設で祖母は寂しく亡くなりました。

消極的な選択肢で最期を見送ったことに悔いが残り、この体験から「やはり福祉領域の課題解決をしたい」と決意。ネット事業を手放して地元である千葉に戻り、社員3名体制で介護事業をスタートさせました。それ以前から「30歳までに本気でやれる事業を探したい」とぼんやり考えていましたが、このとき29歳でした。

今が良くない状況でも、希望があるなら進むべき。長期的に人生を考えてみよう

ドットライン 代表取締役兼グループCEO 垣本 祐作さん

そうして2014年12月に医療福祉事業を開始。介護現場の実情がわかってからは「このままでは業界に未来がない」と危機感を覚えるばかりで、何かを大きく変えようと試みるほど、業界内から反発を受けることもありました。

そのようななかで「大企業を目指すか、ファミリー的な組織として続けるか」という2択に迫られ、組織の拡大を決意したこともターニングポイントと言えるかと思います。

10年間キャリアアップをさせてもらえない職員がいたり、いまだにFAXが使われていたりといった状況をなくし、介護業界が抱えている課題を解決して普通の業界にしたい。やはり変えられるのは自分しかいないと覚悟を決め、2022年10月現在、1000名を超える規模の会社に成長しています。

1社目を辞めるときも、ボートレーサー事業を離れるときも、周りからはいろいろ言われました。私自身の未熟さで、人が離れていった時期もあります。それでも折々で「自分にはプランがあるんだ、覚悟して取り組んでいるんだ」と伝えて回り、反対意見に左右されることはありませんでした。

「実績が伴っていなくても周りのせいにするのはダサい」「自分の責任をとって自分の人生を生きる」という決意は人一倍、強かったように思います。悔しい思いをする瞬間もたくさんありましたが、長期的なスパンで人生を見ているので、いつも「今に見ていろ」という気持ちです(笑)。

今が悪い状況にあったとしても、希望があるならば進むべき、というのが私の持論。夢や希望を持つことは、充実したキャリアを送るためにもっとも必要なものだと思っています。会社という器を使って、自分の理想とする世界を実現し、後世に残していくことが、私の夢です。

現在は高齢者・障がい者(児)・子育ての支援事業を千葉を中心に120事業所以上で展開していますが、これらの事業をあわせて「夢のまちプロジェクト®」と名付けています。

当社の企業理念では「幸せの循環創造」を掲げています。「何が幸せか」は人それぞれ異なりますが、「何が不幸せか」は多くの人に共通の要素があります。介護業界に人々の不幸せな状態や姿があるなら、それを解決したい。本人やご家族が不幸せな介護にならないよう環境を整えたい。そんな思いをもって、事業を推進しています。

人間社会の本質は「幸せであること」。お金もインターネットも、すべてそのための道具でしかありません。「手段を目的化させていないか」ということは、常に意識していますね。

自分にとっての幸せを実現させるために働くのであって、お金を稼ぐこと自体やスキルを磨くこと自体が“目的”ではない。就職活動でも、そうした視点を忘れないことをおすすめします。

垣本さんからのメッセージ

成長を止めないでいれば、社会で活躍することは難しくない

私自身のビジネスに対する姿勢はとてもシンプルです。人と向き合う、約束を守る、ちゃんと返事をするといった、人としての基本を徹底させること。それだけです。複雑に絡み合った問題に見えても、分解して単純化してみると、大抵は「人としての基本がなっていなかったから大きな問題になった」というケースが大半です。

人としての当たり前の姿勢を徹底したうえで、これからの社会で活躍するには「成長を止めないこと」が重要だと思います。難しい話ではなく、その時々で「できないことをひとつずつ、ちゃんとできるようにできるようにしていく」という姿勢を続けていけば良いだけです。

会社に入って、もし成長が止まっている先輩を見かけたときは絶対に真似をせず、反面教師として参考にすると良いと思います。

企業を選ぶ際も「現状維持を目指す会社」ではなく、「事業が伸びている会社」に注目するのがおすすめです。事業が伸びている=成長をし続けている社員が多い会社である可能性が高いからです。

事業は成長するに従い、どんどん新たな課題が出てきます。そしてそれを解決するために、半強制的に社員たちの力も伸ばされていきます。それによってさらに事業が伸びていく……という好循環が生まれます。

成長意欲がある人に大いにチャンスを与えるため、当社では「入社3年で管理職になる」ことを明確に提示したマネジメントコースを設けています。中には1年目後半から役職が付く社員もいますし、2年目で2億円単位の予算をマネジメントしている社員もいます。

「10億円を生み出せる人を100人育てれば、売上1000億円の企業になれる」とシンプルに考えており、人材を育てることこそが、会社を育てるための最短ルートだと考えています。

業績が伸びている会社にいると成長できる理由

挑戦して、失敗して、挫折して……という経験は、若くて元気なうちにたくさんしておきましょう。むしろ「失敗も挫折もしないほうがヤバい」くらいに考えても良いくらいだと思いますね(笑)。挫折して落ち込んだときほど物事を考えるもので、私もそうした経験のなかで、世の中の本質が理解できてきた自覚があります

一例ですが、若い頃は「自分が欲しいサービスはお客様も欲しいはず」といった勘違いがありました。しかし「お客様は他人であり、自分と切り離さなければ顧客満足は追求できないのだな」とわかり、市場と自分の違いに気づくことができました。

今は市場を俯瞰的に見たうえで、「では自分が目指す目的に対してどうするか? 」を考えます。年齢を重ねると経験値が増える分、物事が自然と俯瞰的に見えるようになりますし、未来予想が得意になり、人のマネジメント力も磨かれていく実感があります。

一方で、若い頃にしかない感性もありますし、私は「若い人が文化を作っていく」という考えなので、面接では生意気なこともどんどん言って良いと思います。ただどんなに優秀な人でも、社会に出れば必ず自分の力不足に気づく場面があるはず。そのときに素直に力不足を自覚し、素直に学んでいけば良いだけです。

就職活動の時期から無闇に焦る必要もなく、「仕事をしながら成長していけば良い」と心得ておいてください。若い頃は体力もあり、前を向く力も強いので、転んだって何度でも立ち直れますから。20代にたくさんの紆余曲折を経験した私から、学生の方々に送りたいメッセージです。

垣本さんが贈る、キャリアの指針

取材・執筆:外山ゆひら

この記事をシェアする