20代の遠回りが未来につながる道を作った|自分の「心の置きどころ」を変えるだけで世界は変わる
メイキットコープ 代表取締役CEO 亀石太夏匡さん
Takamasa Kameishi・1971年生まれ。高校時代から脚本家を目指し、大学入学後は脚本を書きながら役者の修行にも取り組む。しかし2人の兄が立ち上げたセレクトショップ「パイドパイパー」に参加して20代後半までアパレル業界で活躍。30歳を前にして退職し再び脚本家と映画製作の夢に向かって踏み出す。2002年公開の「カクト」や2008年公開の「ぼくのおばあちゃん」など5本の映画で脚本やプロデュースを手掛ける。その後、リバースプロジェクトを経て2020年にメイキットコープを設立し現職
夢に向かってがむしゃらに突き進んだ学生時代
高校生の頃には映画の脚本家になりたいという夢を持つようになっていました。父親が俳優をやっていて映画業界が身近な存在だったことも影響していたのかもしれません。自分なりに脚本を書いてみたりもしていました。
映画や脚本家の仕事に興味があることを父に相談すると、体を鍛え、演劇とダンスのレッスンに通い役者修行をすること。また多くの本を読み新聞には毎日きちんと目を通して世の中について学ぶこと。そのうえで大学は4年間できちんと卒業せよと言われました。
同時に修行に必要な費用は自分で稼げというのが父が出した条件でした。
それで昼間は大学の講義を受けて、空いている時間はガソリンスタンドでアルバイト。夜は銀座のクラブで働きながら、俳優のオーディションを受けたりしていました。
もちろんそれですぐに役者や脚本家になれるわけではないのですが、大学卒業が近づいても就職をするつもりもなく、ただひたすらに自分の目指す夢を追い続けていました。
10年周期でキャリアを変化させてきた20代から50代
そんな頃、私の長兄と次兄が2人で都内にセレクトショップを開業し「フラフラしているくらいなら店を手伝え」と言われたのをきっかけに、その「PIED PIPER(パイドパイパー)」という店を手伝うことになりました。
長兄には起業家としての才能があり、次兄は若者雑誌で活躍する気鋭のスタイリストでした。パイドパイパーは開店からしばらくすると芸能人やファッション業界人の間で人気を博し、たちまち人気ショップとなりました。
私は大阪進出を任せられ、同店舗オープンの立ち上げなど忙しく働きました。その頃は脚本を書いたりする時間も余裕もありませんでした。
しかし20代後半になって、このままでいいのかと自問し始めたちょうどその頃に店を訪れた、当時まだ学生モデルで後に俳優になる伊勢谷友介さんと知り合い、友人としての関係性を深めながら彼という存在に多大な刺激を受け、再び映画と脚本家への夢を追いかけたくなりパイドパイパーを辞めました。
その後、私が脚本を書き伊勢谷が監督を務めた「カクト」、私が脚本とプロデュースを行った「ぼくのおばあちゃん」など計5本の映画を世に送り出すことができました。
また、映画の力では届かない社会課題に向き合い、次世代の未来に責任がある大人としてその解決に尽くしたいという考えのもと、2009年にソーシャルビジネスを手掛けるリバースプロジェクトという会社を立ち上げました。
そして50歳を目の前にした2020年にメイキットコープを設立しました。
こうして振り返ると、20代はファッション、30代は映画制作、40代はソーシャルビジネス、そして50代になった現在はメイキットコープが力を注ぐ対象です。
10年周期でキャリアを変化させてきましたが、このメイキットコープという会社を、1人の大人としての、そして起業家としての集大成にしたいと考えています。
目的を見据えて気持ちの置き所を変える。すると見える世界は劇的に変わる
本気で映画制作を目指してパイドパイパーを辞めたときが人生最大のターニングポイントでした。
20代で夢を語ると周りは「すごいね」「頑張って」と温かく見守ってくれますが、30代で夢を語るとなれば、周りからのプレッシャーは20代とは桁違いです。
何としてでも形にしなくてはと思い詰め、とにかく映画という1本のカタチにするまでは映画以外の仕事はしないと、自分自身に誓いを立てました。
ところが2年もすると蓄えがなくなってしまい、車を手放し、家賃も払えず実家に居候。両親に甘え過ぎるのはよくないと、ホテルで掃除の仕事を始めました。30代前半のころです。
就職した同世代の友人たちの中には企業の中で役職に就き始めた人もいましたし、ファッション界に目を向ければ、かつて距離が近しかった仲間たちも華々しく活躍しはじめていました。
それなのに私自身はというと毎日ホテルの風呂掃除をしながら悶々とする日々。さすがに落ち込みましたよね。でも、そこで気付きました。
その先に続く「夢」の実現のために「今」を歩んでいるわけでなにもそこまで落ち込む必要はないと。
落ち込むのは自分の気の持ちようの問題でいくらでも解決できる。先に述べたように「今、こうしているのは夢に続く道の途中なんだ」と、そうやって自分自身の機嫌をとってあげるだけで状況は変わる。自分の目に見える世界が劇的に変わることを身をもって感じることができました。
それに振り返ると、私が当時働いていたホテルの仲間はそれはまあ面白い人たちばかりで、人生経験も豊富。せっかくの時間を無駄にせず、この仲間たちと一緒に働く時間だけは、せめて不安も何も忘れて楽しく働こうと意識しただけでも、仕事に対する意識やかかわり方がそれまでと劇的に変わりました。
総じて、この時代において肌で感じた数々の経験は、いま振り返っても得難い本当に貴重な体験になりました。
就活生の皆さんは、これからこの先に待ち受けるであろうさまざまな物事に対して「いやだな」とか「逃げたいな」とネガティブな感情を抱いてしまうこともあるでしょう。
ただ、そんなときこそ「物事を前向きにとらえること」であったり、「(どこか1つでも)前向きにとらえられるものはないだろうか?」とあらゆる視点で対象物を見たり、聞いたり、考えたりすることを、ぜひ意識してみてください。
「人生の岐路」でこそ自分の本心に耳を澄ませる
人生は毎日、いや、一分一秒が選択の連続であると考えています。だからこそ、今こうして就活生の皆さんに向けて言葉を発していますが、「皆さんに向けてどんな言葉を紡げば、この先の人生を豊かにできるヒントになるだろうか」と、皆さんを主語に言葉を選択しながら話す、その感覚を私は大事にして話しています。
大学受験や就職といった分かりやすいタイミングなら自分の選択を明確に自覚できます。しかし、日々の暮らしにおいて、何気なくテレビのザッピングをしているときも、朝目覚めて今日何をしようかとぼんやり考えているときも常に選択し続け、その結果が大げさに言えば人生を形作っているわけですし、私然り、皆さんの「今」があるわけです。
何かを成し遂げる人は、自分にとっての正しい選択ができた結果として、大小さまざまに物事を成し遂げています。
成し遂げるためには想像力を広げ、そして深めていくことが重要で、想像力を鍛える一環として、私はジャンルを問わずさまざまな本を読むことを習慣にしています。
1年間で10冊本を読めば、自分の1年間分の体験に加えて読んだ本の登場人物10人分の体験に触れられる。そうして10人分の体験を通じて得た想像力の幅と深さこそが、自分自身の財産になるという考え方です。
人生の岐路、ターニングポイントに直面して選択を迫られたときには、その財産が生きてきます。
もう1つ大切なこと。それは、自分自身の奥深くにある本心を理解することです。今、あるいは将来を見据えたうえで、「自分は何を望み何をしたいのか」と自らの本音に向き合い、理解することも非常に重要なのです。
参考までに、私は1日の最後に目を閉じて、自分自身の心に向き合う時間を必ず作っています。その日の振り返りだけでなく、過去の良かった記憶、嫌だった記憶、現在に至るまでに辿ったその折々の選択。「本当に間違っていなかったか」と、心に向き合い、心に問う時間を必ず作っています。
このルーティンは自制や自省を醸成させるだけはなく、後ろ向きになり悩んでいたことが、実はいかに悩む必要もない小さなことであったか、ということにも気付ける機会となっています。
自分で勝手に過去の失敗にとらわれてしまい、起きるかもわからない未来の心配事を肥大化させて悩んでしまうことは誰にだってあります。だから自分の心に向き合う必要があるのです。
心のありかを自分で知るために必要なこと
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人生は選択の連続であることを自覚する
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本を読むことで想像力の幅を広げ、深さを得ることができる
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1日10分でもスマホを閉じて自分の心と向き合う
自分自身が最大の味方であり最高の親友である
大小、さまざまな選択をする際、自分にとっての絶対的な正解は、その折々の自分の心の中にあります。しかし、人間もそこまで強くはありません。誰かに相談したい。思いの丈を伝えたい。そうやって、誰かに自分のことを分かって欲しくなることもあるでしょう。
そのときに、ハッとするようなアドバイスによって自身の考えが180度変わることもあれば、アドバイスがあまりに真逆すぎて受け入れられないこともあるかもしれません。ただ結局のところ、最終的に決断するのはすべて自分自身なんです。
たとえば私は毎朝ジョギングすることを日課としていますが、ひどい二日酔いの朝、自分の心の表層では「今日のところは無理せず休んで、明日からまた再開すればいいさ」とささやきます。
しかし、人の心はミルフィーユのように何層にも積み重なっていますから、表層を1枚めくった下の層では「続けると決めたんだろう。走れよ」ともう1人の自分が励ましてくれるのです。ここ一番のとき、「正解」の道筋を明るく照らしてくれるのは、他でもない自分自身の心なのです。
だからこそ、自分にとって一番信頼できる親友であり味方であるのは、自分自身なのです。どんなことがあっても、最後まで寄り添ってくれるのは、自分の心であるということをぜひ覚えておいてください。
「知る」と「理解する」の違いを理解するために、いくらでも遠回りしよう
変化が早く3年も経てば世の中がガラリと変わってしまうのが現代社会ですから、「この道こそが絶対的な正解」といえるファーストキャリアを選ぶことは至難でしょう。
なので、これからは常に自分にとって有益な何かを探し続ける敏感さが重要になってきますが、その敏感さにつながる重要な要素は「情報」です。
ですから、たとえば興味がなくて、これまでは触れようともしてこなかった政治、経済、国際情勢などの情報にも率先して触れてみてください。興味がなくても目を通すことはできるし、続けることで自身の中で文化になる。
知識の蓄積がやがて物事を正しく理解し、その物事へ対する自分独自の考えを確立することにもつながるのです。
ただし、注意しなくてはならないのが「情報の二面性」です。いわずもがな、この情報社会にあって、情報過多な側面があることにはさまざまなリスクが孕んでいると考えています。
私が言う「情報の二面性」とは、世に出回る情報は、そのすべてが決して正しい情報だけではないということ。一時の自身の感情にリンクする情報だけを信用して痛い目を見て、結果情報に踊らされてしまっただけという経験をした方は、少なくないと思います。
単に情報を「知る」ことは、いわば点で抑えただけの状態です。すなわち、1つの事柄に関して、あらゆる視点の情報を収集し面で抑えること、そして、自分自身が納得し腹落ちするレベルで「理解する」ことが極めて重要なのです。
その道程、特に20代の若いうちは、時間ばかりを要して無駄かもしれないことも、身をもって実体験することで、本質的な理解を得られることは少なくありません。
20代のうちにした遠回りから得られた知識や理解が、結果として自分自身の人間力、魅力の向上につながると考えています。
「逃げ出さない勇気」をもって自分なりの「ヤマ」を超えよう
就職活動に当たって最善を尽くしたとしても、自分に合った企業を選べるか、キャリア選択を間違えずにおこなえるかどうかについては、こればかりは実際に入社してからでないと分からないものです。
ですから、いざ入社してみたものの、当初抱いていた自分の想像とはまるで違っていた、ギャップが生じたなんてこともおおいにあり得ます。ただ、そこで大事なのは、「逃げ出さない勇気」を持つことです。
前段において、私は10年周期でキャリアの変化を遂げてきたとお話しました。そして、そのいずれの道においても「逃げ出せるものなら逃げ出したい」と思ったことは一度や二度ではありませんでした。
しかし、どんな環境であれ、任された業務、ミッションに対して「まずはやってみる」という勇気を持つこと、そしてアクションを起こすことが非常に重要だと思います。
たとえば、任された仕事が決して心からやりたいとは思えないことであったとします。それでも勇気を持ってアクションを継続していくことで、次第に仕事がわかるようになって、少しづつ褒められるようになって、認められるようになって、求められるようになる。
それに比例して会社の評価が上がって、給料が上がって、役職がついて、やがてやりたいと思っていた仕事が出来るようになる。
このように、「遠回り」でもやりたいことを実現させることができるキャリアパスだって実際にあるのです。
もちろん、ただやみくもに続けず、「続ける」or「続けない」の分水嶺となる目標を設定することも大切です。私の場合、抽象的にはなりますが「5つの大きなヤマを越えるまでは辞めない」ことを自分に課してきました。
社会に出れば、取引先からの理不尽な物言いや、約束事を反故にされたり、上司から無茶な要望を突き付けられる場面だってあるかもしれません。そうした数々の挫折や苦悩を私自身も味わってきた経験がありますが、そのヤマを逃げず乗り越えられたことによって得られたものは非常に多いです。
さらにいえば、そういった「逆境の場面」をどのようにして切り抜け、乗り越え、何を得ることができたのかということは、企業もよく見ています。もしも、いつかどこかのタイミングで皆さんが転職を決断するとなった際にも、この経験は役立つということも事実として挙げておきます。
「5つの大きなヤマを越えるまでは辞めない」。振り返ってみれば、この覚悟を持って20代を過ごした時間のすべてが、私のその後の人生に活かされています。
ですから皆さんにはどうか、1度や2度の挫折や苦労だけで「これは違う」「これは合わない」「こんな環境では自分の力を発揮できない」「次へ行こう」といった判断を下さずに、「まずはやってみる」勇気を持って日々アクションを起こし続けて欲しいと願っています。
それに、もし逃げ出す習慣が常態化してしまうと、逃げ出すこと自体が自身の文化・性質になってしまいます。世の中ではこれに逆行する「逃げ出す勇気」という言葉も散見されます。私はこれを決して否定しません。
しかし、ただ楽な方へと逃げ続けるような悪しき習慣が自身の中にできてしまうと、若手とは言えない年齢に差し掛かったとき、自分自身には何も誇れる武器がない、という事態に陥ってしまいかねません。
就活生の皆さんにはそうなってほしくないからこそ、「逃げ出さない勇気」をぜひ持ってほしい。心からそう思います。
20代のときに心掛けるべきこと
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任された業務・タスクをまずは一生懸命やってみる
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自分なりの「乗り越えるべき目標」を立てておく
コミュニケーション能力は「細分化」できる
これからの社会……とは言いません。普遍的に社会が求める人材は、ゼネラリストかスペシャリストかを問わず、やはりコミュニケーション能力に長けた人物でしょう。これは決して、人見知りで話が上手ではない人はダメ、といった単純な話ではありません。
コミュニケーション能力は細分化できるというのが私の考えです。
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決して話は得意ではないが、誰かの思いを慮る 「愛情」に長けている
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決して器用なタイプではないが、任された業務をやり切る「責任感」の強さがある
これら以外にも「主体性」、「自走力」、「想像力(=クリエイティブ力)」などありますが、いずれも「コミュニケーション能力」という広義なスキルを支える重要な要素であり能力なのです。
ですから、コミュニケーション能力を高めたいなら、まずが細分化した要素の中で自分はどの部分が秀でているのかを見極める。そして、その能力を磨く。
一方で持ち合わせていない(or持ちたい)ものを会得する為の努力を重ねれば、この能力は誰でも最大化を図れるものと考えています。
コミュニケーションにも人それぞれのスキルやセンスに違いがあるのは当然です。そのうえで、一番大切なのは、「この人と仕事をしたい」「この人が困ってるなら協力してあげたい」「この人とならプロジェクトがうまくいくのではないか」と思わせられる社会人になることです。
これはテクニックではなく、その人が積み重ねてきた経験や、どれだけヤマを越えて心に財産を増やしてきたかが問われる部分でもあります。
日本に生まれた未来あるあなたたちへ
私はソーシャルビジネスにかかわった経験から、海外の恵まれない国の実情を知るに至り、日本人が実はとても恵まれていることを理解しました。
私も悩み事は山のようにありますが、それでも日本という国に生まれ、日本という国の中で、日本人としてあらゆる悩みを抱えられていることに感謝しています。
日本という国で生まれた皆さんは、実はとても幸せであることを、ほんの少しでもいいので「知る」だけでなく、本質から理解してもらいたい。そう思っています。
そしてあなたがいつか将来、国籍や出自を問わず、あまねく人々に幸せの一部を分け与えられる人になっていただきたい。そういう若い方がますます増えていくことを、心から望んでいます。
取材・執筆:高岸洋行