誰よりも必死になれば「上位2割」に入れる|停滞期さえも飛躍のきっかけに
IR Robotics(アイアール ロボティクス) 代表取締役 金成柱さん
Kim Songju・大学在学中にインターンで参加した幕末(現:イシン)に、2006年正式入社。営業としてベンチャー通信、IR通信などの広告営業・メディア制作に関わる。2011年に代表取締役社長に就任後、2015年に退職し、自身でBtoBコンサルティング会社を設立。2017年6月にコンサルティング先として関わっていたIRTV(アイアールティービー)の代表取締役に就任後、現職。2019年に現社名に変更し、上場企業を対象としたIRDX支援、上場を目指す企業の支援を目的とした多彩な事業をおこなっている
企業詳細:コーポレートサイト
サッカーに代わる新たなアイデンティティを探した学生時代
「サッカーができるキム君」から、何者でもない「ただの大学生」になってしまった。
そんなアイデンティティ・クライシスに陥った大学3年生の頃が、人生における第一のターニングポイントだったと感じています。
それまではプロサッカー選手を目指していたのですが、実際にプロになっていくような当時“予備軍”のような選手たちと対峙するなかで、レベルの違いを思い知り、この時期にサッカーを辞めることを決意。
また、世界のトッププレイヤーたちは既に20歳前後で活躍していて、日本のJリーグでは30代になる前の選手も含めて毎年100人以上が引退しているという事実も知りました。この道の先に自分の将来はない、そう判断しました。
とはいえ、小中高とサッカー部のキャプテンを務め、中心的存在としてポジションを築き上げてきていたこれまでだったので、サッカーを辞めた途端、何者でもなくなってしまった。
「何かの分野で、頭ひとつ出る人間にならなければ!」と猛烈に焦りを感じる中で目を留めたのが、経営やビジネスの分野でした。
大学では経営学部に在籍していて、多くの優秀な先輩から「日経新聞を読め」と言われるままに、1年生の頃から訳もわからずビジネスの情報には目を通していました。
物心ついた時から両親が飲食店を経営していたので、もともと商売に興味をもっていましたし、「いずれ継ぐかもしれない」といった漠然とした考えもあったように思います。
毎日1時間以上をかけて日経新聞を読んでいるうちに、「“政治”“経済”“ビジネス”、どうやら世の中のメインストリームはここにあるみたいだ」と思うようになりました。経営者が登壇するビジネスセミナーや異業種交流会、とにかく色んなところに足を運んでみることにしました。
そこで出会ったのが、ファーストキャリアとなった幕末(現:イシン)です。とあるイベントで、参加者に『ベンチャー通信』という雑誌を配っていたのですが、経営者のインタビューばかりが掲載されていて、その面白さに心を掴まれました。
発行者の情報を調べてみると、「あなたの大学にも置きませんか?」という一文を発見。期待して電話をしてみたところ、「いちど会社に遊びに来ませんか」とお誘いを受けたので、尋ねてみることに。すると次は「うちが開催している就活イベントを手伝いませんか?」と。
ビジネスの世界への入り方を探していた自分にとっては願ってもないチャンスだと感じ、「やります!」と二つ返事で即答。それが大学3年生の夏でした。
卒業後はそのまま当時まだ3〜4名しかいなかった同社に入社しました。翌年に取締役営業本部長、2011年からの代表取締役経て、ちょうど10期目が終わるまで務めることになりました。
成長は階段状に訪れる。「踊り場の時期」をどう過ごすかが重要
入社2年目には取締役の肩書もいただいたのですが、いきなり成果を出せたわけではありません。インターン生の頃は先輩の商談についていっていただけだったので、いざ自分でやってみると全く相手にしてもらえませんでした。
相手はベンチャー企業の経営者です。アポイントメントは取れても、経営者の方々に対して意味のある会話ができないので、早々に席を立たれてしまう。
「○○万円で、インタビュー記事を弊社の雑誌に載せませんか」という広告の提案営業だったのですが、その会話の中で費用対効果や経済合理性を説けなかったのが最大の理由です。
この停滞期を突破したのは、入社から9ヶ月ほど経った頃でしょうか。突如、成果が出始めたのです。そこで分かったのは、「成長は階段状に、突然訪れる」ということ。
それ以降の経験も含めてですが、人は右肩上がりに少しずつ成長していくのではなく、あるときグッと伸びてはしばらく停滞して、またグッと伸びる……という繰り返しで成長していくのだと気づきました。
成長が停滞している時期、つまり階段の踊り場にいる時期には何をしたらいいのか。当時おこなっていたのは、とにかくインプットの作業でした。
日経新聞は読み込んでいましたが、営業相手である経営者やベンチャー業界のことを知らなければ始まらないと思い、起業家が書いた書籍や営業のテクニック本を読み漁りました。当時出会った書籍の中には、今でもバイブルにしているものがあります。
また、テレビ東京がやっている経済番組『ガイアの夜明け』や『カンブリア宮殿』、『未来世紀ジパング(2019年2番組終了)』等は情報の宝庫。欠かさず観て勉強していました。今もずっと見続けています。ジャパネットたかたさんも勉強の材料でしたね(笑)。
テレビショッピングであれだけの売上をつくっている。ブラウン管越しにいる顔の見えない相手に対してモノを売るってスゴイなと。
「人はなぜ高田さんのプレゼンでモノを買うのだろうか?」と研究もしました。そこには惹きつけ方や商材のメリットの見せ方など、「勝てる営業の法則」が詰まっていました。
「営業相手である経営者の頭の中を、どれだけ解像度高く理解できるか。そして商品購入後の利用イメージをどれだけ解像度高く描かせるか」が重要だとわかりました。
ビジネスのあらゆる知識、営業テクニックを吸収しまくったことで、次のステップに上がることができました。
自身の欲や興味の矛先が自分に向いている人ほど、相手目線の商売ができる
「自分が売っている商材を通じて、お客さんがプラスにならない限り、自分に恩恵が跳ね返ってくることはない」と明確に分かってからは、発注者側の目線で考える癖も身に付きました。
お客さんと同じ方向を向いて、「どういうものなら発注する価値があるのか?」について深いところまで考えていく。「どうすれば、お客さんが喜ぶか」を深く深く考えて、解像度高くイメージできるかが、何よりも重要になると思います。
このあたりは、長年飲食店をやっている母から影響された部分も大きいです。母は今でも店に立っていますが、「お客様にいかに気分よく過ごしてもらって、お客様のためになることができるか考えなさい」という顧客目線が常に頭にある人です。
「お客様にはいつもニコニコして頭を下げることも大事。別にニコニコしてても頭下げても何か減るわけじゃないからね(笑)」なんて口癖はよく耳にしてきました。
相手目線、顧客目線というと、自分のことよりお客様のことを思って献身的な気持ちがある人というイメージがありますが、私の持論は違います。
実際には自分への興味や欲が強い人ほど、相手にも興味が持つことができると思っています。もう少し分かりやすく言えば、「自分がこうなりたい」と自分に強い矛先が向いている人ほど、突き詰めると相手目線になれる、ということです。
たとえば、自分のために「収入を増やしたい」と思えば、突き詰めると、目の前のお客さんからお金をいただくしかない。給与は会社からもらっているのではなく、お客さんから頂いているのです。
そうすると「お客さんのその実際の投資がプラスになるにはどうしたらいいか?」を真剣に考えて、自然と目の前のお客様のために行動するようになる。結果的に、相手にプラスを与えて、自分も利益を得られる……という好循環が生まれていきます。
逆に自分に興味が薄い人は、相手にも強い興味を持てないので相手のことを深くまで理解しようとせず、成果もなかなか出せない印象があります。
前職では新卒採用活動にもフルで関わり、全国行脚もしていたので、かなりの数の学生さんにも会ってきましたが、自分や自分の未来にモチベーションがある人はやっぱりいいな、と思います。
私自身も「もっと年収を上げていきたい」という直接的な欲が強い人間だったので、成果を出すためのアイデアはとにかく考え抜いて、そして実行していました。
1社目から自分の考えたように思いきりやれたのは、5名以下の企業に入ったことも大きかったように思います。もしあのとき50人規模の会社に入っていたら、未来が違っていたでしょうし、「もう一回人生をやり直せ」と言われても、できるだけ小さい企業を選ぶはずです。
人が少ない企業の良い点は、自分でコントロールできる尺度が大きいこと。社員の母数はできるだけ小さいほうが、その会社でハンドリングできる要素が大きくなります。
実行レベルで許容される範囲が違ってきますし、自分の成功も失敗も自分で修正をしていける環境だったからこそ、身に付けられたものは多かったと感じています。
世の中に“生かされている”以上、常に目の前のことを必死でやろうと決めた
キャリアの2つ目のターニングポイントは、10年勤めた会社を辞めて外に飛び出したことです。全体で60名近い規模になり、安定的な利益も出始めていた時期なのですが、個人的には「まだまだ新しいチャレンジをしていきたい」という思いが強かったためです。
ちょうど30代に入った頃で、小さな2人の子どももいたのに「わざわざ社長を辞めて、給与ゼロになるのか?」という葛藤はもちろんありました。しかし、もっと新しいことをやっていきたいという想いが勝って、飛び出そうと決断しました。
決断ができたのは、自分にある程度の自信があったこともあります。家族の理解があったことも大きい。そして私自身の人生観も関係していると思います。
私の座右の銘は「Tomorrow never comes」。日本語で言えば「明日が当たり前に来ると思うな」という感じでしょうか。
死生観とも言えるこの考えを持つようになったのは、2004年12末に起きたインドネシア西部を震源地とした「スマトラ島沖大地震」の経験がきっかけです。120万人以上の方がお亡くなりになられた地球史上最悪の大地震です。
当日私はタイのプーケット島にいて、あの大地震によって滞在していたプーケット島も津波による大きな被害を受けました。
同時に、そのもっと先にある小さな島・ピピ島はそれ以上の大津波の被害が。ビーチで遊んでいた人や船で遊覧していた多くの人が命を落とされました。
私は地震の前日はピピ島のビーチにいました。ちょっとしたスケジュールの違いでもしかしたら自分が命を落としていたかもしれない、そう思うと今でもゾッとします。
これまではどこか「自分は自分の力で生きている」と思っていました。この経験を通じて、こうした天災を含めた自分の意図しないことで「人はいつでも死ぬ可能性がある」「自分の力だけで生きているのではなく、生かされているのだ」と考えるようになりました。
それをきっかけに「自分は一回死んだも同然くらいに思ってなんでもやっていこう!」と思うようになりました。
欲を持って必死になれる人間だけが、上位2割の側に行ける
起業する際は「会社を辞めてもなんとかなるだろう」という自信も当然ありました。このあたりは、営業マン時代の努力量が根拠になっています。
社会人になってからは「負けてられない!」と必死に努力してきましたが、20代中盤になる頃にふと周囲を見渡すと「継続的に努力している人間は意外といない」と気づきました。
当時、営業先の社長さんたちから「金さんはこまめに連絡をくれる」「うちにとって価値ある情報をくれる」「良い会社を紹介してくれる」などと言われることが多く、「世の中の大多数の営業マンはここまでやっていない」とわかりました。
それは綺麗に年収分布にも繋がっていることもわかりました。ビジネスでもよく言われる『パレート(2:8)の法則』ですね。
つまり、社会の富の8割は、世の中の2割の富裕層が占めている。そして上位2割になっている人は、そこに入れるだけの努力をしているということです。
皆さんも上位2割の側に行きたければ、「自分より努力している人は周囲にいない!」と思えるくらい、必死で仕事をしてみることをお勧めします。
2015年に前職を辞めてから、BtoB企業に特化したコンサルティングをおこなう会社を起業しました。再スタートを切ってしばらくは久しぶりに自分で案件を取りに行きましたね。
現在代表を務めている会社(IR Robotics)も最初は顧問の立場として関わっていたのですが、縁あって2017年から代表取締役に就いています。
一緒に働いてみると意欲やお互いの相性をしっかり確認できるので、こちらも期待感が高まります。そういった意味でも、興味のある企業のインターンシップにはできるだけ参加したうえで、ファーストキャリアを検討してみるのもいいと思います。
取材・執筆:外山ゆひら