空振ったっていい。バットを思いきり振るような「失敗を恐れない挑戦」を! 経験を積み上げコミュニケーション力を磨こう

SIA 代表取締役社長 木原 真さん

SIA 代表取締役社長 木原 真さん

Makoto Kihara・1995年、岡山県のソフトウエア開発会社へ入社。システムエンジニアとして、オープン系、業務・役所系システムの開発を幅広く手がける。2001年にフリーランスとして起業し、2003年にSIエージェンシーを設立後、現職。新たにAI・人工知能システム開発事業を開始するにあたり、2018年8月に現社名に変更

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パソコンか、ゲームか。中学時代の選択が今へと続く道につながった

キャリアにおける最初のターニングポイントは、中学生の頃に「パソコンを買うか、ゲームを買うか」の選択肢を与えられ、パソコンを選んだことです。あのときにゲーム機を選んでいたら、今の自分にはなっていなかった気がします

周りで流行っていたのでゲームにも興味はありましたが、家にワープロがあり、触ってみて「かっこいいな」と憧れを持っていたのがパソコンを選んだ理由です。中古のパソコンを買ってもらい、遊びですが、簡単なプログラムを打ち込んで動かす楽しさを知りました。

就職にも、パソコンが関係しています。高校時代に始めたパソコン通信を通じて知り合った人のなかに後のファーストキャリアとなる会社の社長がいて、「うちに来れば?」と誘っていただいたのです。

そうして運良く入社させていただいたのが、岡山県のソフトウェア開発会社です。当時はインターネット黎明期で、企業内ではまだ汎用機が使われていた時代。ちょうどWindows95が発表されたばかりのタイミングでした。

入社後は「新しいことは木原がやれ」という社長の命を受け、社内でも新しい領域のことを担う役割となりました。日本で初めてクレジットカードが利用可能なショッピングモールサイトの開発をおこなったり、学校の学籍管理システムや旅行会社の旅行プラン検索WEBサイト構築に携わったり……と、時代に先駆けたおもしろい仕事を多数経験させてもらえた点で、この会社に入ったことも2つ目のターニングポイントと言えるかと思います。

3つ目のターニングポイントは、同社を辞めようと決意し、引き止めていただいたタイミングです。ビル・ゲイツなどIT界の寵児がもてはやされていた時期で、「自分も早く親元を離れてガンガン稼ぎたい」という野心が高まっていました。独立の意思を社長に話すと、「君はずっと開発にいて営業活動をしていないから、人脈作りをしてみてから考えてはどうか」と提案をいただいたのです。

確かにそうだと思いとどまり、以降は独立に向けた準備期間として、SEとして営業との商談に同席したり、リピーター顧客を増やしたりすることに努めました。おかげで人脈をもって独立できましたし、快く後押ししてくれた社長には今も感謝しています。

木原さんのキャリアにおけるターニングポイント

新たな環境、厳しい案件。やり遂げた先には大きな「糧」があった

そうして6年間勤めた同社を辞めたのが、4つ目のターイングポイントです。今思えばまだまだ未熟でしたが、まずはフリーランスとして既存の取引先に入り、開発業務を担うように。企業各社が一斉に「HPを作ろう」という時期で、時代の追い風もあり、ひとりで食べていくには十分なお金を得られるようにはなりました。

一方で、自分の腕1本で仕事をしている状態で、何かあったときに頼りない立場であることが気になってはいました。そんなときたまたま高校の後輩を紹介してもらい、意気投合。一緒に仕事をするようになりました。彼は現在も当社で専務を務めてくれています。彼と一緒に「東京に行こう!」という話がまとまり、上京すると同時に法人化することを決め、SIエージェンシー(現SIA)を設立しました。

そうしてお客さんもいない東京に飛び出すことになったのですが、すでに東京で仕事をしていた別の高校の後輩からの提案で、大手自動車メーカーの案件を見つけておいたので、仕事にはすぐに入ることができました。とはいえ、たった3カ月で仮バージョンを見せなければならないという非常に厳しい条件。当社以外にも複数のベンダーがいたのですが、他社はほぼ完成している状況で、遅れて入った分の巻き返しが必要でした。ほぼホテルに缶詰状態になり、弊社の4名と、案件を頂いた会社の強力な支援を得てやり遂げました。

この成果を取引先に認めていただき、信頼関係を築けたことで、多くの競合がいるなかで第2フェーズ、第3フェーズにまで残ることができ、会社として安定した滑り出しができました。

同社との仕事を通じて、見積もりの出し方なども勉強させてもらえた実感があります。「ちゃんと根拠を示せば予算を付けてもらえる」とわかったことも、その後の大きな糧となっています。

好きこそ物の上手なれ。「プロ」にならなければ対価はもらえないことを肝に銘じて

SIA 代表取締役社長 木原 真さん

創業初期はWeb系の仕事を手掛けていなかったのですが、 少しづつ仕掛けてはいたのでその後Web系の仕事も受注を開始。さらには、自分で興味を持ってiOSアプリの勉強をしていたことで興味が湧き、2010年にはiOSアプリ開発事業を開始。その領域に興味のあるエンジニアたちが次々と入社してくれたことで、全体の1/3の社員がiPhone関係の案件をやっている状況となり、同業他社のなかでも個性を出すことができました。

もともとIT技術が好きな人間なので、ここ数年はAIやWeb3.0の技術に興味を持って、いろいろと自分の手で触ってみています。そのように自然な形で次の事業の種を探せていることについては、まさに「好きこそ物の上手なれ」だなと実感しています。

採用においても「パソコンが好きな人、集まれ」という方針です。ITに関わらず、好きなことでお金をいただけるのはラッキーなことですが、同時に「プロにならなければ対価はいただけない」ということは、常に肝に銘じておく必要があると思います

社員たちにも「好きなことでも、楽々と稼げるようになるわけではない」「目標を持って努力してほしい」ということは常々伝えていますね。好きなことだからこそ熱心に勉強して、「仕事」にしてほしいなと思います。

夢を持つことは素晴らしいと思いますが、足元のスキルを蓄えなければ「仕事」にはなり得ません。「すぐに仕事になる」と思い込み、思ったように仕事にならないからとすぐに他の道に進む……ということを繰り返していると、キャリアのベースとなるスキルがなかなか身につかない、ということもあるように思います。

仕事の本当の楽しさがわかるのは、一人前に動けるようになってから。私の肌感覚では、ゼロからプログラマーになるには3年、お客様と会話できるようになってくるのが4〜5年、お客様ときちんと話せるSEになるまでには6年前後はかかると思います。

新人時代は勉強ばかりでもどかしいかもしれませんが、「スキルを蓄える修行期間」と考えて、まずは目の前の壁を一つひとつ乗り越えていくことを意識してほしいですね。そのうちに仕事の楽しさがわかってきて、比例して自信も養われてくるはずです。

木原さんからのメッセージ

興味のある仕事に就職したいという人は、「本当に好きなことなのか?」ということも一度自問自答しておくといいと思います

たとえばIT業界の場合、よくよく尋ねてみると「将来性や需要のある業界だから」という理由で「ITが好き」と言っている人も見受けられます。

そうした理由で会社を選ぶことも、もちろん構わないのです。やりたいことが特に定まっていないならば、やりがいをもって働ける可能性はあると思います。しかし本心には別の希望が隠れていることもあるので「この選択で本当に後悔がないか?」は自問自答してみる必要があると思います。

当社にも以前、入社後に「本当は料理人になりたい気持ちがあった」とわかり、しばらくして辞めていった若手社員がいました。

若いうちであれば、仮にやりたいことで失敗してもいくらでもやり直しが効くので、チャレンジしやすいのは確かです。就職活動を通じて「最初から安定路線を選ぶことが、本当に自分にとっての正解なのか?」ということは、ぜひじっくり考えてみてください。

就活では「自分の本心」をしっかり確かめることが大切であることを解説する画像

若いうちから「バント狙い」にならず、思い切りバットを振ってみよう

私の経験からファーストキャリアについて学生の方にアドバイスできることがあるとすれば、まずひとつは「社風との相性にはこだわったほうがいい」ということです。

仕事をしていると、必死で頑張らなければならないタイミングが時折あるものですが、社内の居心地が良くないと、そうした局面を乗り切るのが難しいです。日々の働きやすさにもかかわってくる部分ですし、周囲と気軽にコミュニケーションを取れる会社のほうが、学べる機会も増やせると思います

もうひとつは、あくまでも個人的な意見ですが「大きすぎない会社のほうがおもしろいのではないか」ということです。大企業はもちろん安定感という意味での安心感はあるでしょうが、一方で、多数の同期のなかで埋もれてしまうリスクも高いように思います。

小さな規模の会社は上司や役員層との距離が近く、現場でバリバリやっている人たちの側にいられるので成長スピードが速くなったり、母数が小さい分、自分の意見が通る確率も高かったりといった良さがあります。会社としての決定が早く、小回りも効きやすいので「新しいことをやりたい」という志向の人は、ベンチャー企業のほうが、やりがいを持って働ける可能性は高い気がします。

また最近は失敗を回避したがる人が少なくないと聞きますが、経験上「失敗しても、後に残るものは絶対にあるよ」ということは伝えておきたいです。

失敗を恐れず若いうちにいろいろなチャレンジをしておくことは、自分の将来の可能性を広げることにもつながります。歳をとると体力的なハードルも出てきますし、考えが凝り固まってしまう部分もあるので、ぜひ柔軟なうちに、いろいろとチャレンジをしてみてほしいですね。野球でたとえるなら、最初からバント狙いの戦法よりも、若いときは全力でヒットを目指してほしい、と老婆心ながら思います

私自身、独立して会社を興したのは「若さの勢い」がすべてだったように思います。そして若い時分に一つひとつの案件に全力で向き合ってきたからこそ、取引先との信頼関係という足跡を残すことができました。大きな会社ではないですが、人付き合いを何より大切にしてきたからこそ、20期目となる現在に至るまで会社を続けられているように思います。

若い頃は「お金を稼ぎたい」といったことがモチベーションになることも多いですが、仕事が成り立つのは、人との信頼関係あってこそ。取引先とのコミュニケーションがうまくいかなければ、仕事はやってきません。

長く会社が続いていることは、取引先の安心感にもつながっている気がしますね。旧知の取引先の方と話していると「間違ったことはしてこなかったかな」と感じられることもあります。

「コミュニケーション」はキャリアを左右する重要なテーマ。苦手意識を持たず磨いていこう

当社の採用・育成において最重視していることは、「喋れるエンジニアになろう」ということです。エンジニアは「パソコンと向き合っていれば良い」と思われがちな職業ですが、ひとりで最初から最後まで完遂できる仕事はほとんどなく、チームワークやコミュニケーションの姿勢が不可欠です。ITに限らず、自分ひとりで作った成果物だけで収入を得られる人は、世の中のほんのひと握りしかいません

「コミュニケーションが苦手」「人と会話したくない」と自称する人も、蓋を開けて見ると実はそうでない、ということもしばしばあります。大半は引っ込み思案だったり、うまく喋れないことが不安だったり億劫だったりするのが理由で、うまく話せる相手や環境であれば、おしゃべりになる人も少なくありません。

当社でも場数を踏み、技術力に自信が付いてくるなかで、お客様の前で雄弁に話せるようになっていった社員の例を数多く見てきたので、学生である現時点のコミュニケーション力だけで判断しないことも大切かと思います。

コミュニケーション力を磨くためには、広く浅く、いろいろな経験をしてみることがおすすめです。幅広く話のネタを持っておくと、どんな人とでも話を合わせやすくなります。一つひとつの経験を深める必要はなく、「いろいろなことを齧ってみよう」程度の意識を持っていれば十分だと思います

いろいろなことを経験して人生を膨らませておくことは、ビジネスの視点でも役立ちます。今は生活のあちこちにITが入り込んでいるので、いろいろな分野を知っておくほどチャンスが広がる実感もありますね。たとえば、旅行会社のサイトやシステムを手掛けるならば、旅行経験がある人のほうがお客様とも話が弾みますし、良いものを作るためのヒントも思い浮かぶはず。

「いろいろなものを見聞きしておいて損はない」というスタンスに立ち、学生時代のうちから積極的に行動をしておくと、後々いろいろな場面で役立ってくると思います。

木原さんからのメッセージ

コミュニケーションは、キャリアのなかでも一番難しくて、一番重要なテーマだと思います。

私がいつも心がけてきたのは、大変なときこそ、笑顔で「なんとかなる」という雰囲気をつくること。裏ではいろいろ準備をしたり、情報を集めたりしていますが、チームの雰囲気はメンバーの士気に影響するので、努めてハッピーオーラを出せるようにしています。

もちろん、100%良いオーラを出せないときもありますが、せめて不機嫌で神経質なオーラは出さないよう気をつけていますね。社員が話しかけづらい、意見を言いづらいような雰囲気は絶対に出さないようにしています。

「気分やメンタルをどうコントロールするか」は、キャリア全体を左右します。自らストレスを抱え込みたい人はいませんし、人はシンプルに付き合いやすい相手を選ぶもの。アンガーコントロールの術や、メンタルを安定させる方法は身につけておいて損はない気がしますね。

とはいえ、仕事のために我慢強い人間になれ、ということではありません。メンタルのコントロールをしても難しい仕事はあるでしょう。愚痴を言いながらやるくらいなら、あるいは心身を壊してしまうくらいなら、シンプルに「自分のキャリアに必要な仕事なのかどうか」を見極めていく目線をもっておくことも、良いキャリアを歩んでいくためには大切なことだと思います。

木原さんが贈るキャリアの指針

取材・執筆:外山ゆひら

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