「好きになれる仕事」を見つけられるかでキャリアの充実感は左右される|思いは積極的にアピールしよう

IKEUCHI ORGANIC(イケウチ オーガニック) 代表 池内 計司さん

Keishi Ikeuchi・一橋大学商学部を卒業後、松下電器産業(現パナソニック)に入社。1983年、家業である池内タオルに入社し、2代目として代表取締役社長に就任。風力発電で生まれた電気のみを利用して製造したオーガニックコットン100%の自社タオルブランド「IKT」を立ち上げ、2014年に現社名へ変更。2016年に同職を後任に譲り、現在は代表として企画開発部門に従事

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上昇志向で転職ができる時代。自分が心から楽しめる仕事を見つけよう

仕事とプライベートを分けて考える人生はつまらないよ。仕事がつまらないと、人生全部がつまらなくなるよ」。これは当社を志望してくださる学生の人に、私がよく伝えている言葉です。

どんなに週末を楽しんでいても、1週間のうちの5日間がつまらなければ、人生は楽しくなくなる、というのが私の持論です。楽しくないと感じるなら、「今の仕事をどうすれば好きになれるか? 」を考えて動いてみたほうがいい。どうしてもその会社や仕事を楽しめないと思ったなら、転職をすればいい。「自分が心から楽しめる仕事を見つけてほしい」ということは、好きなことを仕事にしてきた私から、若い人たちに一番伝えたいメッセージです。

今の学生の人たちは想像できないかもしれませんが、私がサラリーマンだった40年以上前は、会社を辞める人は、どんな理由であれ、非常にネガティブなイメージを持たれていました。転職をするとキャリアダウンを避けられず、選択肢となる仕事の幅が狭まっていくのが常でした。

しかし今は、転職すること自体はマイナスにならない時代ですし、会社を移るたびにどんどんステップアップをすることも可能です。この点では、非常に良い時代になったなと感じています。

それに応じて、就職活動の様相も大きく変わっている印象を受けます。1社目から楽しく働ける会社を探したいならば、インターンやアルバイトの機会を利用して、できるだけその会社の内部を見ておいてください。

入社前後のギャップを完全にゼロにすることは難しいと思いますが、最近はかなり深いところまで会社を知ってから就職できるようになったので、積極的に行動して、いろいろな会社を見ておくことが、学生時代にできる最善の行動のように思います。

今の若い人たちはデジタルネイティブなので、自分が「心から楽しい」と思える仕事を探し出す方法をたくさん知っているはず。情報処理能力の高さを、ぜひ就職活動でも大いに活かしてください。

私は大学の講演や勉強会にもよく招いていただくのですが、社会や世界のことを真剣に考えている若い人の数は、私の時代よりもはるかに多いです。昔はそのような真面目なことを口走れば変人扱いをされたものですが、今はそうした妙な空気もありません。社会や国のことを考える頼もしい姿を見るたび、若い人たちがつくるこれからの未来に対して、非常に希望を感じています。

「仕事はつまらない、しんどいもの」という風潮があるのは、仕事の楽しさを伝えられていない大人の側にも責任がある、と思っています。仕事の素晴らしさ、楽しさを知ってもらうための企業側の努力が足りないことが、地方からの人口流出の一因ともなっている気がしますね。

当社の本拠地がある愛媛県では、中学2年生を対象に「えひめジョブチャレンジU-15」という取り組みをおこなっています。行きたい職種を選んで1週間インターンシップができる早期のキャリア教育なのですが、非常に素晴らしい取り組みだと思い、当社も立候補して参加させてもらっています。

大切な生徒さんをお預かりするので、いろいろと大変なこともありますが、「モノづくりの楽しさを伝えたい」という思いが勝っていますね。同様の観点から、近隣の小学生の工場見学の依頼なども、積極的にお受けしています。

自分の意思をワガママに発信し続けて、希望のモノづくりに携われた

私がファーストキャリアとなる松下電器産業に就職をしたのは、1970年代。インターネットなど情報を得る手段はまったくなく、「入社式のその日まで、会社の中のことはほとんど知らない」というのが当たり前でした。

景気が良かったので、大学4年生の4月には同級生の大半が就職先を決めているような時代でした。しかし、私は割とのんびり構えており、友人のために会社の募集要項を取りに行って松下電器産業の社員と知り合い、そのツテで大阪万博に招待いただいて入社が決まっていた……という、今では考えられないような就職活動でした。

ただし熱狂的なビートルズファンのオーディオマニアで、音響メーカーに興味があったので、その点だけにはこだわっていました。入社後もオーディオ専用ブランド「Technics(テクニクス)」にしか行きたくない、という意志を頑なに貫きました。

当時の松下電器電産には51の事業部があり、個別の配属希望は出せない仕組みでしたが、初期の工場実習で運よくTechnicsの工場に配属になったので、代わる代わる訪れる各セクションのトップに「Technicsに配属されなかったら辞めます」とアピールを続けました。

純粋だったとも生意気だったとも言えますが(笑)、結果的に「うちのような事業部をそこまで志望してくれる新人がいるなら、採ってやりなさい」と部長の鶴のひと声で、1/51の確率で本当に配属してもらえることになりました。発信やアピールの大切さを学んだ最初のタイミングと言えるかもしれません。

配属後も上司に恵まれ、10年間にわたる教育ビジョンを組んで手厚く成長をフォローしてくださったことで、製品企画部門を含め、自分の思ったように仕事をさせてもらい、さまざまな経験を積むことができました。

しかし時代がアナログレコードからCDという媒体に移行するなかで、別のグループから来たトップが大きく製造方針を転換。Technicsへの愛情が強すぎたこともありますが、やりたいように動けなくなった状況にフラストレーションが溜まり、ある日「自分は汎用的な製品は作りたくない、それなら辞める」と宣言してしまったのです

辞表は受け取ってもらえたものの、「CDプレイヤーが発売になるまでは責任を持ってやれ」というお達しのもと、その後も半年間は仕事を続けました。退職すると周りに知られている状況で社内に居残って仕事をするのは、かなり精神的にきつかったです。

若気の至りもあり、「辞めたって自分はどこでもやれる」と思い込んで同社を飛び出したのですが、そこから人生の大きなターニングポイントを迎えることになりました。

家業を継いで自社ブランドを設立。倒産の危機をきっかけに会社としての1本軸ができた

1社目にいた頃、当社の創業者である父からは「お前の会社の辞表をくれよ」と常々言われ続けていました。当時は継ぐ気がなかったのですが、会社を辞めてから他の音響メーカーに転職する算段が狂い、地元に帰って継ぐ意思を伝えようかな、と思うように。しかし30周年式典が開催される創業記念日の直前に、父が急逝してしまったのです。

そうして父から仕事を教わることは一度もないまま、急転直下の事態で、社長業を継がざるを得ない状況に。このとき33歳でした。

後から思えばですが、中小企業の承継としては悪くない形だったようにも思います。生きていれば、いろいろと意見対立があったようにも思いますし、父がいなかったからこそ「先代ならどう判断するだろうか」と想像しながら、真摯な姿勢で仕事に取り組めた気もしています。「何も知らない息子が社長になったのだから、助けてあげないと」と好意的に支えてくれる従業員に恵まれたことも有難かったです。

当時の当社は売上数億円程度の会社で、各ブランドから請け負ってタオルを受託生産するOEM事業がメインでした。しかし私が継いでからは、安心や安全性にこだわった自社ファクトリーブランド「ikt」を立ち上げるチャレンジをスタート。世の中の環境意識が少しずつ高まっていた時期で、「世界で一番安全なタオルを作ろう」と思ったことが背景にあります

そうして、100%風力発電のみを使った100%オーガニックコットンのタオル「風で織るタオル」を作り上げたところ、思いがけない注目をいただくこととなりました。

2002年4月には米国の展示会「NYホームテキスタイルショー」で、最優秀賞である「New Best Award」受賞。帰国すると、報道番組のTVクルーが空港で待っていて取材を受け、逆輸入のような形で、国内にも広く知っていただけることとなりました。

生産体制が追いつかないほど注文が相次ぐようになり、「これは史上最高の決算になるぞ」と胸を高鳴らせていた2003年8月のある日、当社の売上の7割を占めていた取引先が倒産する、という突然の一報が届きました。

ショックではありましたが、「OEMで利益を得て、自社ブランドでカッコつけよう」なんて中途半端なことを神様が認めてくれなかったのだな、良いとこ取りをしようとした自分が悪い、と思ったのを覚えています。

この出来事を経て「自社ブランドだけで勝負していこう」と決めたことは、キャリアにおける2つ目のターニングポイントです。この日から今に至るまで、一本筋の通ったモノづくりの姿勢を貫いています。

当時の負債総額は10億超という額にのぼり、民事再生申請によって多くの方に迷惑をかけましたが、一方で「あの出来事がなければ今の当社はない」と考えると、かけがえのない経験をさせていただいたとも感じています。

倒産の危機が報道された後、お客様からは「何枚買えば、会社は助かるのでしょうか」といったメールを多数いただいたことも忘れられません。お客様の熱心な応援にも支えられ、4年後の2007年には民事再生手続きを終了。その後に発売した「コットンヌーボー」という製品が再び世界的に注目いただき、アメリカのエミー賞のギフトに選出されたり、国内のグッドデザイン賞を受賞したりと、多くの評価をいただいています

学生も会社も本音をぶつけ合える就活を。きれいな部分だけ見ているとギャップが生じる

松下電器電産で関わっていたTechnicsブランドは欧米にも輸出され、世界の市場に影響を与えられる、ダイナミックな仕事ができていました。自分の意見もたくさん製品に反映させることができていましたが、それでも私は会社の歯車のひとつであり、私ひとりが欠けても、会社は何もなかったように動いていました

それが大企業の組織の強みであり、良いところなのですが、中小企業で働く場合にはそうはいきません。すべてが自己責任で、モノづくりの責任がすべて自分に跳ね返ってきます。情報伝達の距離が短いので、社内の様子がよく見えて、お客様の顔も見える仕事ができます。

どちらの環境にやりがいを見出すかは人それぞれ異なると思いますが、同じモノづくりでも環境はかなり違うよ、ということは経験からお伝えできる部分です。メーカーを希望する人が就職先を選ぶ場合は「自分はどちらの環境で働きたいか」を比較検討してから決めることをおすすめします。

また民事再生後は、何もかも全部を見せる会社にしよう、と決めました。すべての数字を公開し、「どのようなモノづくりをしているか」をフルオープンにしています

企業の生き様のようなものをしっかり見せることで、矛盾が少ない会社に成長させることができ、近年は「製品のファンが社員になってくれる」という最高の状況が生まれています。

「待遇が下がってもうちに来たい」と熱意を持って飛び込んできてくれるのですが、こんな小さな会社に、こんな立派なキャリアの方に来てもらっていいのかな、と思うこともしばしばです。現社長である阿部哲也氏もそのひとりです。彼らのような素晴らしい社員たちに選ばれる会社にできた、ということは非常に誇りに思っています。

来年入社する新卒社員のなかにも、大手の内定を獲得したものの違和感を感じてインターンに参加し「こちらに入りたいので内定をください! 」と私に直談判をしてきた子がいます(笑)。100%希望に添える保証はありませんが、自分の意思をアピールする姿勢は素晴らしいなと思いますね。

心の中は誰にも見えないので、会社に対して思っていることは、ちゃんと口に出さなければ伝わりません。 会社と社員は極力、理解しあえているほうが、お互いに気持ち良く働けるので、本音をぶつけ合うことはとても大事なプロセスだと思います。

就職活動も同様、会社と就活生がお互いに本音を明かしあい、表と裏の両方を見せたうえで「一緒に働くか」を決めたほうがいい。きれいな部分だけを見せ合って話を進めていくのは違和感がありますし、そのような就職は、入社後にかなりのギャップが生じると思います。

キャリアを支えるのはモノづくりの情熱。お客様の存在が好きな仕事をより好きにさせてくれた

当社を語るうえで、「お客様=ファン」の存在は欠かせません。モノづくりにおいては、業種を問わず「自分の作りたいものを作りたい」というのが開発者の本音だと思いますが、ビジネスにしようと思ったら必ずと言っていいほど、どこかで妥協しなければならない部分が出てくるのが常。しかし当社は幸運にも、妥協のないモノづくりができる、非常に恵まれた状況となっています。

小さな会社だからできたことかもしれませんが、自分たちが作りたいものを作って、それをお客様が気に入ってくれて、お客様がまるで営業マンのように熱心にクチコミ等で広めてくれる。さらにお客様が社員になって、より会社を盛り上げてくれる――。そんな最高のモノづくりの輪が生まれています。BtoBの取引でも、企業のなかで働くファンが購入してくださるので、BtoCとの境目がなくなってきている感覚です。

当社らしくない行動をすると、すぐに厳しい意見が飛んでくるので気は抜けませんが(笑)、熱量の高いファンの皆さんに支えられ、今後も「業界初・世界初の取り組みしかしない」ということを決めています。

キャリアを振り返れば、私の興味の対象は「タオル」と「オーディオ」の2つしかありません。70代になった今も、朝5時半から始業時間までにやるべきことは片付けてしまって、始業後は「次はどんなタオルを作ろうか」「そもそも良いタオルの定義とは何を指すのか?それをどう具体的に落とし込んでいこうか? 」なんてことを、ひたすら考え続けています。

私にとっては、モノづくりへの情熱がキャリアのすべてです。「自分が楽しいと思えることを見つけられるかどうか」で、キャリアの充実感は大きく変わってくる気がするので、繰り返しになりますが、ぜひこれから社会に出る人にもそうしたものを見つけてみてほしいですね。

初めて自社ブランドを立ち上げた頃は、回収の見込みも立たないまま多額の投資が続いていましたが、「やりたいことをやれているから、まだ良いか! 」などと思いながら、自分の作りたいモノづくりに集中していました。1社目で作りたいオーディオを作れなくなって悩んでいた日々のことを思えば、それよりはマシだと思えたのです。

そうしてやりたいことを貫いた結果、熱狂的なファンとなってくださるお客様が増えていき、中には今治にまで足を運んでくれ、製品への想いや我々への褒め言葉を伝えてくれる方もいます。そうした声が、また次のモノづくりへのモチベーションにつながっています。

やりたいことをワガママに追求してきただけではありますが、私が「タオルを作る」という仕事をもっと好きになれたのは、ファンであるお客様の存在のおかげだと思っています

取材・執筆:外山ゆひら

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