意思決定はゼロベース思考で|世界を自分の言葉で語れる人は強い

ビジョン 代表取締役社長兼CEO 佐野 健一さん

ビジョン 代表取締役社長兼CEO 佐野 健一さん

Kenichi Sano・1969年、鹿児島県生まれ。高校卒業後、1990年に光通信に入社し、数年で部下800人を率いる事業部長に就任。1995年に静岡県富士宮市でビジョンを設立し、国際電話サービスの販売事業をスタート。その後、2012年には海外用モバイルWi-Fiルーターのレンタルサービスの「グローバルWiFi」を開始。2015年東証マザーズに上場し、2016年には東証一部へ指定替え。市場区分見直しで2022年から東証プライム市場

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経営者の原体験は「居酒屋の光景」と「職人の働く姿」

サラリーマンになんてなりたくない」。

子どものころ漠然とそう思っていました。居酒屋を営む母親の手伝いをしていると、店には会社の愚痴でくだをまくサラリーマンばかり。そうした光景を見てきたからでしょう。

一方で、自営業の母親や工務店を営む父親の周りにいる職人は威勢が良くて生き生きとしていました。その姿が自分が見てきたサラリーマンとは対照的ということもあり、自由に生きているなぁと「起業したい」「事業をおこしたい」と漠然と思うようになりました。それが起業を志す原体験です。

そうした思いを抱きながら高校卒業を機に上京。地元の鹿児島よりもチャンスがあると思い立っての上京でしたが、居候先の友人は超高層ビルを設計する事業を手がけ、すでに高収入。「相当出遅れてしまったな 」と危機感を持ちました。

しかし何の経験もスキルもない状態でいきなり起業するのは厳しいと思い、「修行期間」としてまずは企業勤めを選びました。起業に向けて動き出した具体的な最初の転機です。

そうした背景もあり、給料といった待遇・条件面は二の次で、自分の力が自然とつくだろうと考えた業界・企業の将来性や成長性を重視して選びました。なくならない可能性が高いと考えた通信業界の中から、特に勢いがあり、高い成長性を感じた光通信で働くことになりました。

面接で会社を訪問したときに、パッと見る限りでは25歳以上の社員がいなくて活気に圧倒されましたね。それだけ若い人が活躍していて、成長速度も早い会社なんだろうと確信し、入社を決めました。

話すスキルは無形の財産

入社してみたらパッションタイプの社員が多いゴリゴリの営業会社。仕事内容も思っていたものではなかったですが、いま思えば良い勘違いをしたなと感じます。

振り返ると、営業では大きく2つのことを学びました。まずは事業全体の流れや動きが肌感として理解できること。このマインドを身につけられたのは、後の経営にとっても大きな収穫でした。

もう1つは、話す力です。一見単純に見えますが、経営者となったいまでも活きている無形の財産です。

話す力がなぜ大切なのか。まず、顧客としっかり話せなければそもそも良い信頼関係を築けません。商品やサービスについてうまく話せなければ、売ることもできません。当然のことのようですが、これが真理です。

佐野さんが営業で身に付けた力

  • 事業の流れを理解して自分で稼ぎ出せる力

  • 人と自信を持って話せる力

もともと話すことは苦手でしたが、「人と話すのが苦手な状態では起業なんてできない」とも思い、なんとかスキルとして身に付けようと頑張りました。

話す力の要素として、非常に重要なのは聞く力です。営業は商品やサービスについて話せることが最も重要だと思われがちですが、実は聞く力のほうが重要なのです。人の話を聞くことは、お客様のニーズを把握することに必要だからです。

また、「話せる」と「自信を持って話せる」は大きく違います。自信を持って話せると説得力も変わりますし、より商品やサービスの価値提供もできるようになるので、営業には自信を持って話すスキルが必要になります。

難しそうなイメージがあるかもしれませんが、自信を持って話すコツは意外とシンプル。「知識・元気・表情・ボディーランゲージ」の4つのポイントを意識するだけ。どれだけ知識を持っていても、元気がなければ自信があるようには見えないし、顔がひきつっていても印象は良くないですよね。

こうした基本的なことができていない人も意外に多く、逆にだからこそ大きな強みだと当時は考えましたし、いまも考えています。

佐野さんが考える自信をもって話せるようになる要素

そうして試行錯誤し、まさに自信を持って話せるようになると、周りの評価も面白いように変わっていきました。

「若いからダメ」。だからこそ逆転の発想で

もう1つ成果を残せた理由としては、営業をするにあたってのハンデとなる「若さ」をアドバンテージに大きく変えたことでしょうか。

飛び込み営業をしていた当時、若さはそれだけで第一印象から不利。なかなか信用されにくい状況でした。自分と同じくらいの年齢の子供を持っている営業先も多く、「自分の子供と同じくらいの、ある種不甲斐ない・礼儀を知らない若者が営業に来た」という印象になってしまい、そもそも対等に見てもらえなかったというのもあるでしょう。

しかし裏を返せば、期待値が低いということ。チャンスともいえます。つまり低い期待値を一気に乗り越えてしまえば、むしろそれがプラスに転じるということです

そのように考え、挨拶や言葉遣いなど細かな礼儀作法を意識するようになり、「元気が良くて自信の溢れる若者が来た」と思ってもらえるような振る舞いを心掛けました。「ほかの若者と違うな」と思ってもらえるように努力したのです。

そのおかげで、最初は「若いからきっとダメなんだろう」という印象だったのが、「若いのにしっかりしているね」という評価に変わっていきました。自分と同じくらいの年齢の子供を持っている人たちだからこそ、そこを乗り越えてしまえば、「息子や娘と同じ年齢の若者が頑張っているな」と親近感を持ってもらえるようになり、より強固な信頼関係を築けたのかもしれません。

ハンデと見られがちな若さをプラスに働かせたことで顧客の信用を得られるようになり、入社3年目の24歳には部下を800人率いる事業部長に就任することができました。

自分軸か社会軸かはそれほど重要な問いではない

よく仕事へのモチベーションの軸は「自分軸」か「社会軸」かということが言われます。しかし、私はそれほど重要な問いではないと考えています。

私自身、働きたてのころは自分の成績ばかり気にして、いわゆる自分軸が中心でした。そこから20歳半ばで社会軸、つまり「社会を変えたい、良くしたい」という気持ちにモチベートするようになりました。

当時の光通信という会社の状況もあって、新しいサービスを扱っていてそもそも世の中が自社サービスの良さを認めてくれていなかったという背景があります。それに対する反骨心のようなものが「社会を変えたい、良くしたい」という気持ちにつながったのだと思います。

そうした事情もあり、部長という立場になると部下も含めて周りは年上ばかりでしたが、年齢はあまり気にしませんでした。年齢的なハンデを感じていた瞬間もあったのかもしれませんが、そのときには「会社を良くしていきたい」「世の中を良くしていきたい」という思いが強かったので、会社の置かれた事情もあいまって自分の成績よりも会社や業界全体への視点へ、頭の中のギアが勝手にチェンジされていたような感覚です。

いきなり社会を良くしたいという目線で頑張れていたわけではなく、個人の目標をクリアしつつ、仲間を増やしていって、社会が認めてくれて……というように段階を踏んで積み上げてきたイメージです

佐野さんの働くモチベーションの変遷

ただし、必ずしも「自分軸から社会軸に変わるべき」とか「どの軸を持つべき」といったセオリーにとらわれる必要はないと考えています。どんな軸でも最初から否定することは避けてほしいですね。

キャリアの軸は経験によって定まっていくものなので、否定から入ってしまうと考えが偏ってしまうからです。たとえば、今は自分の成長を軸にしていても、数年後も同じ考えとは限らないですよね。日々一生懸命働いて自分の目で社会を見る経験を積んではじめて、どの方向に進むべきか、社会からどう必要とされているのかに気付けるはずです。

キャリアビジョンを描くためのヒントとして、自分軸や社会軸は考えやすいかもしれませんが、今の段階でどちらかに優劣をつけるような固定観念に縛られてしまうと、結局現実に基づいた軸を自由に考えられなくなってしまいます。常にゼロベースで考えるように意識できると良いと思います

もちろん若いうちから社会へ目を向けて頑張るのも良いです。しかし、抽象的で高い目標だと諦めてしまう人も多いですし、もしまぐれで叶ったとしても実体が伴わずに後で苦労することになります。だからこそ、ステップごとに目標を設定して、目の前の目標をクリアしたら次の目標という連続性を重視してみてください。

もし立てた目標に対して未達だったとしても、0%で未達ということはないですよね。80%か90%くらいできたけど未達という場合なら、そこまでは確実に自己成長ができたということ。そのフェーズに合わせて、夢や目標を更新してクリアを目指し続けることが大切なんじゃないかなと思います。 つまり自分軸、社会軸、いつそれが何に変わるべきかということはそれほど重要ではありません。まずは目の前のことです。着実にクリアし、視座を高めることがいいんじゃないかと思います。

佐野さんからのメッセージ

訪れた起業への転機。自由と個性の尊重で会社は躍進

ビジョン 代表取締役社長兼CEO 佐野 健一さん

光通信で4年半ほど働いた頃、転機が訪れます。ある出張の帰り、乗っていた新幹線が停車した新富士駅で、車窓から富士山が見えました。日本一の富士山をみて日本一の会社を作ろうと決心して、すぐに駅を降りて駅前の不動産屋で物件を契約して起業しました。

その場の勢いで決断したように思われるかもしれませんが、実はそうではありません。咄嗟の行動でしたが、意思決定の際に大事にしている成功確率の高さと未来への影響の2つの軸をすでに持っていて、一つのきっかけに過ぎませんでした

特に成功確率の高さは重要です。うまくいかないのにやり続けることは不幸なことだし、誇りをもって働くことも難しくなります。起業を決断した際も、自分がいつ辞めても会社が回るように準備はしていましたし、ビジネスを展開しようとしていた静岡のマーケットの状況も把握してやっていける算段が立っていたからこそ瞬時に行動できました。

意思決定で大切にしている軸

そういうわけで1995年にビジョンを起業し、国際電話サービスの事業からはじまり、固定電話事業やブロードバンド事業など情報通信サービス領域で事業を展開していきました。その後も「グローバルWi-Fi」というWi-Fi(ワイファイ)のレンタルサービスをはじめたことで、会社も大きく成長し、現在は東証プライム市場に上場する大企業に育てることができました。

会社経営で常に意識しているのは、「経営は自由だ」ということ。過去の成功事例をなぞらなければいけないというわけではなく、目を向けるべきは「この時代のこの瞬間どうあるべきか」。目的に対して手段を考える際には、自由な発想で取り組むべきだと考えるようにしています。

そもそも目的は、顧客や社会課題の解決のためです。その手段は過去の事例をなぞる必要がありません。手段は前例にとらわれるべきではないという意味で自由であるべきだと考えています。

そうした自由な発想を全社的に促進するためにも、社員の個性をひときわ尊重するようにしています。企業のカラーを大切にしている組織もあるかもしれませんが、金太郎飴のように全員が同じ意見を持っている組織だと、新しい視点や考え方は失われていってしまいます。

だからむしろ「サファリパーク」のような組織を目指しています。サファリパークは多種多様で個性的な生き物が同じ場所に暮らしていますよね。社員それぞれが多種多様な考えを持っている組織を目指しているのです

社員の個性を尊重することで、自分では想像できなかったような新しい視点の意見が集まり、お客様のための施策を打つことができます。自分はそれを楽しめるタイプだし、どんどん新しい発想をしてほしいと思っています。

就活生をはじめとした若い人にも決まりや過去事例にとらわれすぎないようにしてほしいなと思います。それが成果や結果にもつながります。ぜひ自分の個性が生かせる自由な発想を大切にし、また持ち続けてほしいですね

佐野さんからのメッセージ

実体験に勝る経験はない。自分の言葉で世界を語りだそう

そして最後に、これから社会人になるみなさんに伝えたいこと。自分でリアルな体験をしてください、自分の言葉で世界を語れるような人になってくださいということです。

どれだけインターネットや新聞などで情報を集めても、言ってしまえばただの文字の情報。どうしてもリアルな体験で得られる情報には劣ってしまいます。

やはり自分の目で世界を見ることで、価値観や思想は大きく変わりますし、実感値として今の環境を考えることができます。リアルな経験をしてこそ、目の前の現実を語れる語彙は増えていきます。ぜひ自分の足で世界を見ましょう。そして、自分の言葉で世界を語れるようになってほしいですね。

佐野さんが贈るキャリアの指針

取材:團祥太郎、執筆:森実咲

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