キャリアアップの良い面にも注目してみよう|周囲から信用される人間にならなければ「仕事の自由」は得られない

CLINKS(クリンクス) 代表取締役 河原 浩介さん

CLINKS(クリンクス) 代表取締役 河原 浩介さん

Kosuke Kawahara・大学卒業後にマツダに入社。自動車関連業界の企業を経て、1995年にIT業界に転身。ネットワークメインのSEとして各種プロジェクトを手がけ、30代後半で役員に昇格。2002年12月にCLINKS(クリンクス)有限会社を設立。2005年に株式会社化を果たす。2021年にグループ全体で社員数1,000名を突破。在宅エンジニア派遣サービスやサポートツールの提供など、IT業界の課題解決を図るさまざまな事業を展開している

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クルマが好きで入った自動車業界。初めて触ったコンピュータに大きな可能性を感じた

キャリアにおける最初のターニングポイントは、新卒で入社し、5年間勤めた大手自動車メーカーを辞めたことです。私が就職した頃はまだまだ終身雇用が当たり前の時代でしたし、「地方の進学校から有名私大に入って大企業に勤める」というわかりやすく安定したキャリアを歩んでいた私にとって、初めて後ろ盾を失くす感覚になるような大きな決断でした

自動車メーカーに就職をしたのは、シンプルに小さい頃から自動車が大好きだったからです。自動車業界に絞って就職活動をおこない、個人的な主観ではありますが「純粋なクルマ好きの先輩社員が多い」と思えたマツダに入社。入社後は販売促進やマーケティングの観点からディーラーをサポートする業務を担い、それなりに楽しく働いていました。

しかしバブルが崩壊して同社は営業危機に陥り、在籍中にフォードの傘下に入ることに。フォード社から来た外国人社長のもとで、抜本的な経営の立て直しがおこなわれることになりました。数年後には経営再建が果たされるのですが、一時的に文系社員は活躍の場を狭められることになり、非常に悔しい思いをしましたね。それをきっかけに退社を決めました。

とはいえ、1社目では多くの経験や財産を得ました。特に入社3年目の頃、マーケティングの仕事で販売データを分析する際に初めてコンピュータを触ったことは、その後IT業界に飛び込むことになった最初のきっかけと言えます

当時はまだワープロが主流で、コンピュータも端末でホストコンピュータに入らなければ使えない、今とはまったく違う環境でした。Windows95も発売される前で、Excelのような便利なソフトもなかったので、シンプルな計算をするにも簡単なプログラム入力をしなければなりません。そのような状態でも「ものすごく可能性があるツールだな」と感じたことを覚えています。

そして退社後に独学で勉強を開始。自分でプログラムやゲームを作って楽しんでいましたが、仕事になるとは夢にも思わず、あくまで趣味として触っていました。

1社目の経験値を活かせる場所として、2社目に選んだのはガソリンスタンドの販売促進をやっている会社です。ここで勤めながらPCの勉強を続けているうちに「これを仕事にできるかもしれない」という思いが芽生え、転職から2年後にはIT業界の会社に移ることを決めました。

IT業界に飛び込み「自分に合った仕事」だと実感。自信がついて独立を考えるように

2社目は中小規模の会社で、1社目とはまったく異なる環境でした。文化も仕事のしかたも大きく違っており、外に出てみて初めて「大企業でしかできないことはたくさんあるのだな」と気付かされましたね。大企業の仕事のやり方がまったく通用せず、そして周りからの高い期待値に応えられず、とてもつらかったです。キャリアのなかで一番悩んだ2年間と言えるかもしれません。

大企業出身というプライドから、自分の力量を勘違いしていたのも原因です。周りとうまくやっていこうともせず、期待されたような成果も出せず、本当に申し訳なかったなと思っています。

ただこの時期に必死でもがき、葛藤したからこそ、「自己中心的な目線ではなく、相手目線に立たなければ仕事はできない」という意識が芽生えたのも事実です。勘違いを反省し、自分についてよく理解してから、ソフトウェア開発を手掛ける小さな会社に移ったことは、結果的に大正解でした。

SE(システムエンジニア)の仕事は本当に面白く、「これは自分に合った仕事だ」と強く感じることができました。それまでの社会人経験も活かしてお客様とも信頼関係を築くことができ、どんどん仕事を頼まれる好循環に恵まれ、充実した日々を過ごすことができました。

3社目で飛躍できたのは、心から好きだと思える仕事に巡り会えたからこそ。シンプルですが、学生の人にも「好きな分野の仕事」にこだわることをおすすめしたいです。「何をやっているときに自分は楽しいと思うのか」を掘り下げ、その資質を活かせる領域の仕事を選ぶ。企業の規模は関係なく、それがキャリアを充実させる一番の近道だと思います。

河原さんからのアドバイス

また実際にやってみて分かったことですが、SEの仕事は、1社目でやっていたマーケティングの仕事とも共通点がとても多かったです。理系の仕事というイメージもありますが、少なくとも仮説を立てて実験で検証をしていく研究職のような仕事ではないと感じました。

それよりもむしろ、文章能力や論理的思考のほうが肝になることが多い。私は普段から「SEは文系出身者にも向いている仕事」とよく言っていますが、これは自分の経験から強く感じていることです。

3社目に入社したタイミングにも恵まれていましたね。ちょうどWindows95の発売によって、劇的にオフィス環境が変貌していた時期。あらゆる企業でPCの導入が進み、メールなども使われ始めたことで、IT業界のニーズが急激に高まり、私がいた会社もどんどん成長していきました。

楽しく仕事をしているうちに会社からも評価をいただき、気がつけば役員に昇格。経営に参加させていただくうちに気づいたのは、会社での決定権はあくまで社長にあるということ。責任とリスクを一番背負っているのは社長なので、当然と言えば当然ですよね。

これに気が付いてからは、自分がやりたいことをやるならば自分の会社を作るのが筋だろうと思うようになりました

IT業界の課題も見えてきて事業のビジョンも生まれていましたし、7年間やって力が付いた今の自分なら、独立してもやっていけるかな、と思えるように。そうして2002年12月、39歳のときに自宅にてCLINKSを設立しました。ここが3つ目のターニングポイントになります。

思いどおりに仕事がしたいなら、上のポジションを目指すのも1つの手

CLINKS(クリンクス) 代表取締役 河原 浩介さん

キャリアを進めるに従って、自分がどんな環境や立場で働きたいと思う人間なのかも少しずつわかってきました

私は「誰かの指示で仕事をする」よりも、「自分が考えたストーリーどおりに仕事を動かしてみたい」という気持ちが強い人間のようです。

思い返せば新人時代にも、誰かに行動を管理される不自由さを感じる場面が多くありました。どうしたら持てる権限を増やせるのだろうかと考えて社内を見渡したとき、「このくらいの仕事の任され方をしたいな」と思ったのが、課長のポジションでした。経営会議にも参加できるし、自分の考えで1つの課を動かせるなら、これくらいになりたいと思ったのです。

しかし当時、最年少で課長に昇格した先輩社員が37歳だとわかり、「その年齢まで我慢できない」と感じたことを覚えています。1社目を飛び出した背景には、こんなことも関係していたように思います。

日々の業務でも、細かく行動の管理や指示をされるより、「今月いくら売ってきて」といった成果で指示をされるほうが自分には合っていると思うことも多かったです。

ただそれを許可してもらうには、上司や会社からの信頼を勝ち得てからでなければ難しいということを、3社目で働き始めてから知りました。

「出世する=責任が重くなるだけ」というイメージを持っている人には、出世することによって得られる自由や良い面もぜひ知ってほしいですね。最近は出世したがらない人が増えている気がしますが、キャリアアップによって得られる自由や楽しさを、上の世代がちゃんと見せていないからではないかなと思うこともあります。

社長になってからは、誰かに行動管理をされるような窮屈さは一切ありません。自分で思ったとおりのやり方で仕事を進めていけるので、不自由だった若い頃に比べると、はるかにおもしろいですね。

河原さんからのメッセージ

リーマンショックによる危機を経て「営業意識を持ったエンジニア集団」へと成長

起業後は自宅で仕事をスタート。テレワークの走りのような働き方をしていましたが、営業をしなくてもどんどん案件が舞い込んでくる状況だったので、すぐに人を増やし始めました。2005年には株式会社化も果たし、毎年のように手狭になったオフィスを移転しているような、売上好調の時期が続きました。

しかし2008年にリーマンショックが起こり、創業以来、初めて仕事の依頼がないという状況を経験。どうすればこの壁を乗り越えられるかわからず、まずは営業経験が豊富な人たちに話を聞きに行きました。

しかし皆それぞれの考えでやっていて「こうすれば仕事を獲得できる」といった共通ノウハウのようなものは見出せませんでした。必死で話を聞きに行くなかで人脈を広げられたことは良かったですが、「営業は一朝一夕にうまくいくものではない」と痛感しましたね。

当時、売上の3割ほどを占めていた開発案件は軒並み不景気の影響を受けましたが、残りの7割の保守・運用案件は影響が少なかったので、なんとか乗り越えられると判断。リストラは絶対にしないことを社内に宣言し、その代わり「エンジニアも全員、営業意識を持って仕事をしてきてほしい! 」と伝えました。客先常駐をしているエンジニアたちが、現場で少しでも仕事を広げてきてくれれば、それが何よりの営業活動になると考えたのです。

社員が一丸となって頑張ってくれたことで、2011年には増収増益に戻すことができ、採用人数も増やすことができました。V字回復を果たすまでの3〜4年間で、社員たちの意識が大きく変わったことも、この時期に得たひとつの財産だと思います。リーマンショック以前と以降では、私も社員も会社全体も大きく成長できたことから、この経験もターニングポイントと言えるかと思います。

河原さんのキャリアにおけるターニングポイント

直近のターニングポイントとしては、2016年に在宅専門のエンジニア派遣サービスを開始したことが挙げられるかと思います。

エンジニアの人材不足が続くなかで、「在宅でなら働ける」という主婦や地方在住の方々と企業をつないで課題解消につなげられればと考えたのですが、数年間はなかなかお客様の理解を得られませんでした。

しかしコロナ禍でテレワークが定着し、世の中のほうが変わってくれたことで、サービスも一気に飛躍。2022年度の地方創生テレワークアワード(地方創生大臣賞)など、さまざまな賞もいただき、在宅ITエンジニア派遣事業は当社の1つの事業柱になりました。

「自分でやってみる」以上に有意義な情報収集の手段はない

これからのキャリアで成し遂げたいのは、業界全体にRES(Remote Enginerring Service)を広めていくことです。IT業界にはSES(System Engineering Service)という委託契約の形態が浸透していますが、それをもじって、当社独自でこの言葉(RES)を作りました。

IT業界は活気があり、すごくおもしろくて楽しい業界だと思っていますが、課題として、メンタルに不調を抱える人が定期的に出てくることが挙げられます。

私はこの課題に対し、「客先常駐というSIer(エスアイヤー)の働き方の特殊性が関係しているのではないか」という仮説を立てました。セキュリティ面で仕方がない部分もあるのですが、お客様先の会社に毎日務めて自社には滅多に行かないという勤務形態では、自ずと自社とのエンゲージメントが低下してしまい、それが社員の心に影響を及ぼすのではと考えたのです。

仕事の評価や労務管理も、本来は自社ですべきことなのに、常駐先の担当者や上司が担うのが当たり前になっている。これもおかしいと感じており、「お客様は業務の指示のみ」「労務や勤怠管理は自社が担う」という本来あるべき姿に戻していこう、という考えを言葉にしたのがRESです。

ITツールで定期的に連絡を取り合う体制を整えたり、社内イベントを増やしたりするだけでは、根本的な解決までにはつながっていない実感があります。この課題に対して、やれることはまだまだあると感じているので、お客様先・社員・自社という3社の関係を変えていけるようなサービスを社会に実装していくことが、今後のビジョンです。

2022年からはAIやDX関連の事業もスタートさせていますが、私は「とにかくまずはやってみる」という姿勢を大事にしています

頭の中でシミュレーションすることは無意味だとは思いませんが、まず行動してみるほうが、圧倒的な情報量を得られると思います。よく考えずにやってみて「違ったな」と思っても、貴重な情報を得られたことには違いありません。

一例ですが、「YouTubeをやりたい」と口にする人は世の中にたくさんいますよね。この発言を聞くと、「なぜやらないの? 」と思ってしまいます。難しいことでもなく、誰でも今すぐにやれることだからです。私も一昨年ゲーム配信のチャネルを作ってみましたが、動画編集の大変さ、YouTuberが考えることなど、やってみて初めてわかったことがたくさんありました。

やりたいと言いながら行動していない人、やらずに批判している人が、世の中にはとても多い気がするので、「やりたいと思ったらやってみる」ができる人、その経験を語れる人は、就職活動でも大きな強みにできると思います

まずやってみるができる人は、仕事でも強みになる

本気度が高い人は印象に残る。面接に必要なのは「興味」と「準備」

また新卒採用の面接をしていると、人によって「準備してきた量」にかなり開きがあると感じます。多少なりともITや当社の事業について調べてきている人もいれば、びっくりするくらい何も調べてきていない人もいて(笑)、たまに驚かされることもあります。

当社では未経験者のITエンジニア採用を積極的におこなっているので、専門知識がないことは気になりませんし、ぼんやりしたことで構わないので、「入社後どんなことをやってみたいのか」くらいは考えておいてほしいです。それすら話せない状態だと、面接での会話が成り立ちません。

逆に「ちょっとプログラミングを触ってみてやれそうだと思った」「IT系の資格の勉強をしている」といった人がいると、それなりにこの仕事がしたいと思っているのだなと本気度が伝わってきて印象に残ります。意欲を見せてマイナスになることは滅多にないでしょうし、わからないなりにもせめて興味くらいは示さないと、いくら売り手市場と言っても、企業側に関心を持ってもらうのは難しいと思います。

私も学生時代は遊んでばかりでしたし、今でも人に誇れるような習慣はないので、立派なことは言えないのですが、瞬発力だけはあり、やりたいことには手を付けずにいられない人間です。こういう性格だからこそ、入社を希望してくださる人たちにも「当社の取り組みに多少なりとも興味や意欲を示してほしい」と思うのかもしれません。

先にも話したとおり、ITエンジニアは文系の人にも向いた仕事です。ものすごく尖ったスキルを持って活躍している人はいますが、それはほんのひと握りのレアケースです。他の業界と同様、コミュニケーション力やチャレンジ精神といった資質を持った人たちが活躍している業界だよ、ということは、IT業界を志望する人に知っておいてほしいことのひとつです。

河原さんが贈るキャリアの指針

取材・執筆:外山ゆひら

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