なぜを問い続けよう|オセロが変わる瞬間を見極めるために

ビットバンク 代表取締役社長 廣末紀之さん

Noriyuki Hirosue・1991年に野村證券へ新卒入社。1999年グローバルメディアオンライン(現GMOインターネット)入社後、取締役、常務取締役を経て、2006年ガーラ代表取締役社長に就任。2012年よりビットコインの研究を始め、2014年ビットバンクを創業。日本暗号資産ビジネス協会(JCBA)では会長を務める

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ファーストキャリアで身に付けた精神力と構造化スキル

「ゲームが変わる瞬間の最前線に常にいたい」

産業革命やインターネットの普及による情報社会化……世の中は、オセロゲームの白と黒が一気に変わるように一瞬でゲームルールが切り替わります。そうした瞬間に常に立ち会いたい、そのように考えながらキャリアを積んできました。

大学時代からゆくゆくは起業をしたいと思い、その土台をつくるため企業への就職を目指していました。起業を目指していたのは当時バブルで日本に勢いがあった時期で、多くの若手青年実業家が自分の才覚で活躍している姿を見て、単にかっこいいと思ったから。素朴な憧れからでした。

経営者として人格やスキルを身に付けたいと当時から思っていたので、理想と現実の差分をうめるために、まずは徹底的に鍛えよう。そう考えた企業選びの基準は、とにかく厳しいこと。厳しさの中に成長の種があると思い、当時特に厳しいといわれていた野村證券とリクルートから、ビジネスにとって欠かせない金融が学べる野村證券を選びました

入社後は、朝5時起床、深夜24時に帰宅する毎日の繰り返し。想像以上の厳しさでした。しかも、数字を上げなければ一切認められません。精神的にも肉体的にもすり減る毎日でしたが、この時に鍛えられた「精神力」「物事を構造化する力」は今も財産となっています。

廣末さんのファーストキャリア

No.1から次のNo.1へーーNo.1にこだわる努力こそがキャリアの線を描く

厳しさの中に身を置いたことは、何事にもめげない精神力を養ううえで大きな財産となりました。そうした中で、「自分は結果を出せない」「自慢できるような大きな成果を残していない」と悩んでいる皆さんに一つ、メッセージを送りたいと思います。

それはどんなに小さく狭い範囲でも構わないので、まずは今取り組んでいることでNo.1になることにこだわろう、ということです

廣末さんからのメッセージ

自分の場合、新卒で入社した野村證券で同期500人のうち営業成績1位を獲得した経験がその後のキャリアを切り拓くことにつながりました。大雑把にいえば、成果=質×量ですから、質では勝てる自信がなかったからこそ、人よりも圧倒的な量をこなすことを意識して試行錯誤し、1位を獲得できたのです。

そうして得た次のチャンスは、次の就職先であるGMOインターネット(当時のグローバルメディアオンライン)の熊谷さん(熊谷正寿氏=現在は代表取締役グループ代表/会長兼社長執行役員・CEO)という日本のインターネット業界を代表する百戦錬磨の経営者の真近でビジネスを実践できる機会を得たことです。

当時、同社のCFO(最高財務責任者)だった野村證券時代の友人から「野村證券にすごい奴がいる」と紹介してもらい、野村證券の成果も評価いただいたことや、「インターネットビジネスのど真ん中に身を置きたい」という思いもあり、すぐに入社することに決めました。

入社後、期待されているからこそ必死に頑張ろうと努力します。そうするうちに新天地でも成果を挙げるとまた次のチャンスがめぐってくる。こうして点と点がつながり、線になりました

廣末さんが考えるキャリアの切り拓き方

当社ビットバンクでたとえれば、まずはビットバンクのオフィスのある五反田でNo.1でいい。次は東京でNo.1。その次は日本でNo.1。常にNo.1にこだわり続けることが次のチャンスになります。皆さんにもぜひNo.1になることにこだわって、頑張ってほしいと思います

電気自動車、カーシェア……ゲームチェンジの瞬間に身を置き続ける

インタビューカット

自分のもともとの性分でもあり、また野村證券でより体系づけて獲得できたマインド・スキルは、物事や産業の成り立ち、構造を把握することです。

そして、それをきちっと理解したうえで、10年単位の長期目線で将来伸びる産業に身を置くこと。その中心にいることで大きなリターンを得られるチャンスが広がります。伸びない産業でいくら頑張ったところで、伸びている産業にはリターンの面でかなうはずもありません。

産業構造の変化には学生時代から強い関心があったので、関連する書籍を数多く読みました。中でも米国の未来学者・作家のアルビン・トフラーの書籍『第三の波』は、工業社会から情報社会への変化を説いた書籍で、産業構造の変化を見抜く視点を与えてくれたと感じています。

アルビン・トフラーが提唱した第三の波

野村證券では、仕事柄、政治や経済の状況、求められる技術など、あらゆる物事により一層アンテナを張り、知見を積み重ねることができました。

産業の仕組みを理解し、常にアンテナを張っておくこと。そうすると自ずと社会の構造が見えてきます。

そして今、「情報通信」を基盤にさまざまな産業でオセロの白黒がひっくり返るような状況が次々と起きています。

そうした時代背景もあり、GMO時代に得たITスキルを基盤にしつつ、2008年に、リチウムイオンバッテリーの顕著な性能向上に着目し、自動車の「電気化/通信化」という大きなトレンドを確信、電気自動車の製造販売を展開するサステナ・エレクトリック・ヴィークルという会社を作り、後に、コミューカという社名に変えて、自動車の「通信化」という視点でカーシェア事業に挑戦しました。

暗号資産(仮想通貨)との出会い。産業の中心に居続けるには

ビットコインという単語を耳にしたのは、2012年ごろ。世界中で爆発的なトレンドとなる少し前のことです。

当時流行り廃りのあったデジタルマネーの類だろうと調べてみると驚きました。

その基盤となっているブロックチェーン(分散型台帳技術)をはじめとした技術構成は非常に斬新なものに見えました。

この技術構成は、将来「お金のインターネット」の原型になると確信し、以降、暗号資産にはまり、日本の暗号資産のビジネス拡大の一端を担うことになりました。

世界最大級の暗号資産取引所を運営していたマウントゴックス社のビットコイン流出事件(2014年)などがあり、社会からのイメージ悪化や風当たりが強くなったことで、「本質が誤解され産業が成長しないのはもったいない。この素晴らしい技術を活用し社会全体を良くしていきたい」という想いから、直後にビットバンクを創業しました

インターネットもそうであったように、革命的な技術は、その内容が理解されにくいことから、初期の段階ではネガティブなイメージがつきまといがちですが、暗号資産もその状態であるといえます。これからビジネスの世界に身を投じる就活生の中には、そのようなイメージの良くない産業に身を置く前に躊躇する人もいるかもしれません。

そうした人にはまず自分自身で理解できるまで詳しく調べてみることをおすすめします。たとえば、暗号資産周りの事故はほぼ暗号資産そのものが原因ではなく、運営側の管理の問題であり、技術やシステムそのものに瑕疵があったわけではないことはすぐにわかるはずです。

イメージ先行で意思決定をしてしまわず、まずは自分でしっかり調べて真贋を見極めてほしいなと思います。

新しいことはまずは反対されるものです。もし皆さんが、新しいビジネスに参画しようとして周囲に反対される場合は、まずは、そのビジネスを詳しく知ってもらうことから始めてみてください。

その後はNo.1の領域を作り出すことを目標に取り組み、一本の線につなげるための「点」を作っていってください

もちろん、その過程にはつらいこともいっぱいあるでしょう。ただし、人生万事塞翁が馬。

私も過去に多くの失敗をしてきましたが、その失敗がなければ巡ってこなかっただろうと思うチャンスもたくさんあります。

思い通りに行かなくても、長い目で見れば必ずプラスになります。長期的な視点を持ち、常に前向きな考えでいることを忘れないで挑戦し続けてほしいなと思います

廣末さんが贈るキャリアの指針

取材:團祥太郎、執筆:赤松真奈実

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