“社会人としての夢”を描け|自分の目的を達成するための手段として企業を選ぼう
INEST(アイネスト)/アイ・ステーション 代表取締役社長 執行 健太郎さん
Kentaro Shigyo・光通信の子会社だったネットワークサービスにアルバイトとして入社し、その後、正社員となり係長として管理職の道に進む。2015年6月に代表取締役となり、同年7月に光通信へ転籍してMK事業部部長に就任。2016年10月アイ・ステーションへ転籍後、2017年5月に代表取締役社長に就任し、現職。同社を含む3社の統合を経て、2020年6月からはINEST(アイネスト)の代表取締役社長を兼任
大好きな地元を出る決意をするまでの3つのターニングポイント
「就職するのは今じゃない」。そう感じて大学進学を決めたのが、第一のターニングポイントです。
小さい頃から「社長になりたい、稼ぎたい」と漠然と思っていたものの、高校卒業の時点では具体的なプランが見えていなかったため、「もう少し時間が欲しい、4年あれば準備ができるだろう」と考え、定時制の大学に通うことにしました。
そして在学中、たまたま光通信の子会社でコールセンターの営業職のアルバイトを開始。自分なりにパフォーマンスを上げる方法を見出し、月間成績でトップも獲得できるようになりました。実力主義の職場で上司もかわいがってくれていました。
そうこうしているうちに就職活動の時期になり、他社への就職や独立も考えましたが、「自分ひとりでも社長にはなれるけれど、ちっぽけな社長にはなりたくない」という気持ちが湧いてきたのです。
まずはビジネスを勉強しようと決め、それならよく知らない会社に入るより、「その仕事をすれば何を学べるのか」が分かっているアルバイト先に入社しようと決意。これが人生における2つ目のターニングポイントだったかと思います。
入社を決めたころに、係長という管理職を任せてもらいました。しかし間もなく、10人以上の人数のマネジメントは簡単ではないことを痛感。
5人くらいのチームであればワンマンで引っ張ることもできるのですが、この規模のメンバーをまとめるには「やるもやらないも自己責任」というこれまでのやり方では通用しなかったのです。
このままではチームを拡大できないと気づき、上司らの助言も受けて方針を転換。チームを拡大するために、天才を育てる教育ではなく「全員を平均ラインまで引き上げる教育」をスタートさせました。
マネジメント方法を変えてからは徐々に結果が出始め、課長に就任。入社2年目には福岡支店長を任せてもらえることに。まもなく「大阪支店に来い」という誘いを受けるようになったのですが、地元である福岡が好きだったので、断り続けていました。
しかし着任して1年が経つ頃には「ラクだけど、楽しくない」と仕事にマンネリを感じるように。そうして一生いるつもりだった福岡から出る決心をしたことが、私の人生における3つ目のターニングポイントです。
思い立ったら即行動。大阪へ行くことを決心した2〜3日後には、数名の部下を連れて大阪に向かいました。
どんどん変化する人生を望み、常に「選ばれる準備」をし続けた
飽き性で同じことをやり続けるのが苦手な性分ゆえに、かなりのスピードでキャリアを変化させてきました。1〜2年同じことをやっていると飽きてしまい、「納得のいかない状態で居続けるくらいなら、どんどん人生を変化させるほうが面白い」と気付いたからです。
「前の状態にはいつでも戻れる」という自信はあるので、現状に固執する必要はない。「チャレンジできるときにやっておかないと」そんな気持ちで、どんどん居場所を変えてきました。
ただ選択肢やチャンスが来たときに「他の誰よりも君が適任だよね」と言われるよう、周囲を納得させられる状態に準備しておくことは常に心掛けています。
大阪に出てからは、その状態になるまでに少々時間がかかりました。福岡時代はゼロから実績を認められていたメンバーたちの中でトップに立たせてもらっていましたが、大阪は初めから役職者としてのスタート。
突然23歳の若造が来て突然「今日から上司です」と紹介されたので、すぐには職場の人たちから信用をもらえませんでした。
評価制度も福岡支店とは違っていましたし、文化の違いもあるなかで、組織を自分色に染めるべきか、それとも相手のやり方を尊重すべきか迷うなかで、半年ほどは結果を出せず苦戦しました。
転機になったのは、上長と話し合い、1人で新人メンバーだけを集めた新しい部署を立ち上げたこと。まっさらの新人たちを自分の色に染める方式でマネジメントをし、チームとして結果を出せるようになったことで、社内からの信用や評価が付いてくるようになりました。
「福岡以外であればどこも同じ」と考えていたので、大阪のトップになり、さらに西日本部長を任されたあとは、次はいつでも東京に出られる機会を狙っていました。
東日本エリアとメンバーをシャッフルする取り組みを始め、「近々、大阪を出るから」と部下にも宣言していましたね。そうして東京のポジションが空いたタイミングですぐに手を挙げ、27歳のとき、東京の拠点のトップになるために上京をしてきました。
どの会社に入るかは、目指す人生を叶えるための「手段」でしかない
もし私のように「いずれ社長になりたい」という目標を持っている方がいれば、まずはプレイヤーとして着実にステップアップしていくことにフォーカスすることが大切です。
目の前のことができて初めて社長への道は開かれていくので、常に現状の課題を乗り越え、成果を出していくことに集中してみてください。
新人が成果を出すためには、「聞いて、言って、調べる」という当たり前の行動をガンガンやってみることが重要かと思います。できることを全力でやり、自分の思いや考えはどんどんアウトプットし、わからないことはなんでも周りに聞いて、自分でも納得できるまで調べ上げる。
「自分はこうなりたいんだ、こう思っているんだ」と発信をしていれば、先輩たちはきっと何らかの答えやヒントを与えてくれるはずです。
特に営業は、意欲や情熱さえあればチャレンジできる仕事。誰もが等しく同じスタートラインに立てる、唯一の仕事だと思っています。ただここ数年は情熱プラス、クリエイティブさや器用さも求められるようになってきた実感がありますね。
昔よりも短い労働時間で成果を出す必要がありますし、情報量の多い時代になっているので、営業にもマーケティングの視点は欠かせません。「ただひたすらやる」だけの営業ではなく、点と点をつないでフレームワークを創れるような企画力を備えた営業会社のニーズが高まっているように思います。
「自分」を主語に考えていけば、選択肢を間違えることは少ない
これから就職活動をおこなう皆さんにアドバイスしたいのは、とにかく“自分”を主語にして考える姿勢。「自分がこれをやりたいから、この会社に入る」という考え方で、会社はあくまで自分の目指す人生を叶えるための手段でしかない、と心得ておくことが大事だと思います。
「絶対に〇〇業界で働きたい」と思うならその業界内の就職先にこだわるべきだと思いますし、「自分の選択肢を広げる生き方がしたい」と思うなら、いろいろな経験をさせてくれる会社を選ぶ必要がある。
「終身雇用してもらえる会社で働きたい」なら、とにかく安定路線の企業を探すのが最善、ということになります。自分を主語にして選んでいけば、大きく道を間違えることはないと思いますね。
会社を主語にしている志望動機もよく見ますが、それだと“他人まかせ”な選択になってしまう気がします。たとえば「この会社は、雰囲気がいいから入りたいです」ということだと、「既にあるものに混ぜてもらいたい」という受け身なスタンスに聞こえてしまう。
あくまで私の場合はですが、「自分が良い雰囲気をつくりだしたい」「皆で良い雰囲気をつくっていく一員になりたい」といったスタンスの人と一緒に働きたいです。
社内に未完成なところがあっても、「自分とチームの皆とで会社の文化をつくれるチャンスだ」とポジティブにとらえられる人や、当事者意識を持って臨める人だといいと思います。
これまでのキャリアでは、常に自分を主語に「自分がどうしたいか」を追い求めてきました。ただ社長という責任ある立場になってからは、それでは難しくなり、今は会社も主語にしながら、自分と会社がWIN-WINの関係になる状態を目指しています。
念願だった社長になるチャンスを掴んだのは、在籍していた会社が直販部隊を独立させると決まった時期です。
自分で独立をしようかと迷っていた時期でしたが、社員数約1000人・売上数十億円という規模の会社を仕切ることができるチャンスはそうそうないと思い、自ら手を挙げてアイ・ステーションの社長に就任。
「公にも認めてもらえる会社になろう」と上場を目指すなかでINEST(アイネスト)の傘下に入り、そのタイミングで上場企業の社長となることができました。
今はグループ全体のコーポレート体制を整えている最中です。経営にはゴールがないことも、最近は特に感じています。
就職は人生をリセットできるチャンス。社会人としての夢を持とう
また今あらためて思うのは「社会人としての成功に、生い立ちはあまり関係ない」ということ。社会人になる瞬間に一旦リセットがかかり、ゼロからもう一度生まれ変われるチャンスを得られる。就職は、そんな大きなタイミングだと思います。
私自身も「社長になる!」という夢を持って社会人になったからこそ実現できたと思っていますし、20歳前後では独立しない決断をしたものの「次は30歳までに独立したい」という具体的な目標を持っていたからこそ、スピード感あるキャリアアップを果たすことができました。
とはいえ、今はまた見えるものが変わってきている実感もあります。社長になることはできましたが、最終的な夢ではなかったし、人並みにお金は稼げるようにもなりましたが、お金がゴールでもないと分かった。
自分のキャリアのゴールがどこにたどり着くのか、自分は最終的にどこに行き着けるのか、先が決まっていないその感覚を、今はとても楽しんでいます。
若い頃は「自分は地元にいるべき」と価値観を持っていましたが、思い切って飛び出してみたら、知らなかった楽しい世界が見えて価値観の刷新ができた。そのように自分の価値観をあれこれ創造していけることも、キャリアを歩んでいくなかでの大きな醍醐味かもしれません。
子どもの頃のように、失敗を怖がらずにチャレンジを
もし社会人になってからのチャレンジが怖いという人がいたら、子ども時代のことを思い出してみてほしいですね。自転車に乗ろうとする子どもは何回転んでも挑み続け、自転車に乗れるようになっていく。しかし大人になると、多くの人が転ぶことを恐れてチャレンジをしなくなっていきます。
チャレンジ、つまり現状よりも上に行きたいと思えば壁にぶつかるのは当たり前のこと。そして壁を超えられないのは、シンプルに今の自分の能力が足りていないから。そんなふうに謙虚に受け止めていれば、うまくいかないことが出てくるのをネガティブに怖がる必要もなく、「壁にぶつかるのは普通のこと」とフラットに捉えられると思います。
個人的な意見ではありますが、子どものように夢や希望を持って社会に飛び込む若者が、もっと増えてほしいです。方法がわからなくても「自分の人生をこんなふうにしたい」という夢と熱量がある人であれば、ぜひ一緒に働きたいです。ファーストキャリアの検討時には、自分が社会人としてどんな夢を描けるかについても、しっかりと考えてみてください。
取材・執筆:外山ゆひら