未知の経験に手を伸ばして「自分軸」の確立を|発想を豊かに“前例のない挑戦”を楽しもう
ゼネラル・オイスター 代表取締役社長 吉田 琇則さん
Hidenori Yoshida・大学卒業後、ディスコチェーンを手掛けるノヴァ・インターナショナルに入社。フロアマネジメントの実力を買われ、その後エイベックスグループへ。2000年に独立後、オイスターレストランを経営するヒューマンウェブ(現ゼネラル・オイスター)を立ち上げ、以降現職。2016年4月に現社名に変更。全国26のオイスターバー直営店舗事業に加え、牡蠣加工業、陸上養殖実験トルツメや浄化施設などオイスターの6次産業化を手がける
「人のせいにしない」こと。“自分”で決断することで自信がつく
キャリアにおける最初のターニングポイントは、学生時代、高級ディスコチェーンでアルバイトをしたことです。
最初はウェイターからでしたが、頑張った分だけ評価をしてくれる環境だったので、やりがいを感じながら取り組んでいるうちにどんどん引き上げてもらい、フロア全体のマネージャーも任せてもらえるように。就職活動も一応したのですが、アルバイト先から「卒業したらうちに来い」と誘ってもらい、職場環境が気に入っていたので、そのまま就職することに決めました。
結果論ではありますが、この選択はとても良かったと思っています。もともと敷かれたレール上を行くのが好きではない性格だったこともありますが、その後のキャリアのベースとなる「与えられた条件下で全力でやっていれば、必ず道は開けていく」という自信を養うことができたからです。
決してラクな仕事ではなかったですが、自分が頑張ることで上司やお客さんが喜んでくれる、そのこと自体がとても楽しかったのです。苦労している感覚はあまりなく、自分で決めたことだから頑張ろうという前向きな気持ちでした。
こういった仕事姿勢になれたのは、親の育て方も関係している気がします。幼少期から好きなことを好きなようにさせてもらい、「誰かにやらされている」わけではないことをやってきたからこそ、人のせいにしない姿勢が身につきました。「信じてもらえているなら、その期待に応えよう」と努力できる人間に成長できたように思います。
「迷ったら難しいほうを選ぶ」というチャレンジ精神も、人のせいにせず、自分でキャリアを決めてきたからこそ身に付いたスタンスです。進路について両親には一切相談しておらず、就職もその後の転職もすべて事後報告でした。
「ほかの人がやらないことをやれ」。リスクをとっても独立を決意した教えとは
2つ目のターニングポイントが来たのは、25歳のとき。エイベックスグループが「六本木ヴェルファーレ」を立ち上げるということで、そのフロアマネージャーとして誘っていただき、転職をすることにしました。ヴェルファーレはフロア面積5000平米、地上2階地下3階、そして当時最新鋭の設備を揃えたアジア最大級のディスコです。20代中盤で、時代を代表するような施設の立ち上げにかかわることができました。
当時のエイベックスは、ほかのメジャーレーベルとは一線を隠すレコード会社でした。「ダンスミュージックだけに特化する」という尖ったところからスタートし、小室哲哉さんや浜崎あゆみさんなどのミュージシャンをスターダムに押し上げていきました。私はその後、エイベックスグループの会長秘書になるのですが、当時の会長からはいつも「ビジネスをやるなら、ニッチなことをやれよ」と言われていましたね。
その後、子会社であるヴェルファーレ・エンタテインメントの社長業も任せていただき、ひととおりの達成感を覚えていた33歳の頃、次なるターニングポイントが訪れます。
仕事でよく海外出張をさせてもらっていたのですが、あるとき、ヨーロッパの街角でオイスタバーのお店を見つけて入ってみることに。今でこそ定着した業態ですが、当時はまだ国内になかったので、白ワインと一緒に生牡蠣を食べるスタイルにすっかり魅了され、惚れ込んでしまいました。
私はカキ小屋や海女さんの文化がある岩手県出身。もともと牡蠣が身近な食材だったこともあって強く興味を持ち、帰国後「なぜオイスターバーが日本に上陸していないのか」を調べてみました。すると、牡蠣という食材の扱いづらさが理由とのこと。食中毒になるリスクのある食材のため、全面に打ち出したレストランを作りにくいというのです。
「ほかの人がやらないビジネスこそやるべき」という価値観をエイベックスで学んでいたので、これは逆にチャンスだと思い、独立してこの事業をやろうと決意しました。
大きな危機はチャンスにもなる。逆転の発想が独自性・優位性をつくる
2000年に起業してからは、順調に外食ビジネスを広げていくことができました。しかし2006年にノロウィルスが大流行。牡蠣が直接の原因ではなかったものの、風評被害で牡蠣のイメージは大きなダメージを受けてしまったのです。
当社はこの年に10数店舗を一気に出店し、IPO準備なども始めていた時期だったのですが、ノロウィルスの風評被害で売上は激減。店舗に来るお客様も半減し、お店が潰れてしまうかどうかという瀬戸際まできました。
スタッフでさえも恐る恐る牡蠣を提供している状況を見て、その原因をあらためて考えてみました。そこで気づいたのが、「自分たちが直接関与していない流通経路から牡蠣を卸しているからだ」ということでした。
どう扱われてきた食材なのかがわからないから、自分たちもおっかなびっくりで牡蠣を提供しなければならなくなる。それなら、自分たちが商流の川上に行けばいいじゃないかと考えたのです。
自分たちで原料から生産して、安心安全な牡蠣を提供する。この決断をしたことが、キャリアにおける4つ目のターニングポイントと言えるかと思います。
そこからは、牡蠣の陸上養殖産業を一から興すチャレンジをスタートさせました。外食部門で得た利益を研究開発に投資しなければならないので、経営的にはかなり大変なことでしたね。ほかの外食企業が生産までやろうとしない理由を身をもって痛感しました。
しかし歯を食いしばってやり続けた結果、競合他社とは異なる当社の独自性や優位性を生み出せる結果となりました。コロナ禍でも外食産業だけをやっていたら相当大変だったかと思いますが、生産・卸の事業も手掛けていたことで、屋台骨が揺らがずに済みました。コロナ禍が明けてからも「安心・安全」の付加価値から、多くのお客様から引き合いをいただいています。
長期的なスパンで見ても、陸上養殖の事業には多大な可能性を感じています。水産資源の減少は世界的な問題になっており、将来魚が獲れなくなると予想されているレポートもあるほどです。このまま海水温の上昇が続けば、海中でも菌が繁殖しやすくなり、海上養殖の牡蠣の安全性も担保できなくなることかもしれません。こうした時代の流れのなかで、陸上養殖の牡蠣は必ずニーズが増していくと考えています。
前例がないなら自分が“前例”になる。イマジネーションをもって自分の選択を正解にしよう
逆転の発想で考えれば、必ず壁を乗り越えるヒントは見つかる。この確信は年々強くなっていますね。ネガティブな状況に陥ったときほど、あとになって振り返ってみると「あの出来事があったから今がある」と思えることが多く、苦しいときほどキャリアのターニングポイントになる実感がありますね。
それがわかってからは、大半の人がお手上げだと考えるようなネガティブなことがあっても「逆にチャンスだ、おもしろくなってきたな」と心のどこかで思えるように。そして、今まで誰もやったことがないことを実現すること自体に、大きな価値を見出すようになりました。
当社で今取り組んでいる海洋深層水を用いたウィルスフリー牡蠣の陸上養殖の方法は、世界初の取り組みです。日本やアメリカ、中国など4カ国で特許を取得しており、実用化に向けて着々と準備を進めています。誰もやったことがないことで、世界初の挑戦ですが、だからこそ実現させたいです。この事業で花を咲かせることが、今後のキャリアで必ず成し遂げたいビジョンです。
世の中の多くの仕事には、前例があります。会社の先輩をキャリアのロールモデルにして歩んでいったり、テキストやマニュアルがあって、それをアレンジしながら仕事をしていったりするのが一般的です。
しかしそれでは、前例の枠をなかなか越えられないのも事実です。前例のないことをやるには、自分で道を切り開くしかありません。敷かれたレールがないからこそ、「自分が頑張れば道ができる」というおもしろさがあります。
自分で前例のない道を行こうと決めたら、あとはその選択を正解にできるよう、悔いのないように必死で頑張るのみ。もしキャリアの選択に迷ったときは、こんな見方もあることを思い出してもらえたら嬉しいです。
そしてキャリアにおける意思決定では、ぜひ豊かなイメージを持ってほしいです。
うまくニュアンスが伝わるかわかりませんが(笑)、「雪が溶けたら水になる」ではなく、「雪が溶けたら春になる」と考えられるかどうかで、キャリアの広がりは変わってくると思います。
学校の勉強とは違い、社会に出ると“答え”は1つではありません。「雪が溶けたら」の先には、さまざまな正解があって良いということです。自分の仕事の点が線になり、線が面になって広がっていく。そんなイマジネーションを持ちながら、自分の未来を選んでいってほしいなと思います。
行動範囲を広げて未知へ踏み出すこと。骨太な青春時代で芯のある人間を目指そう
起業前から噂に聞いていたとおり、経営者は孤独な仕事です。マクロやミクロの視点で多角的に物事を見ながら必死に決断をしていますが、一番重大な責任を取らなければならない役目であることには違いありません。
決断力を得るために、私が頼りにしているのが書籍です。書籍はときに人生観を変えるほどの気づきを与えてくれますし、先人たちの知恵に触れながら、いつも勇気づけられています。特に「失敗からどう立ち直ってきたか」のエピソードからは学ぶことが多いですね。成功体験の話はまったくおもしろくありません(笑)。
愛読書はたくさんありますが、学生に1冊紹介するとすれば、「『また、必ず会おう』と誰もが言った。」(著者:喜多川泰)をおすすめします。人生に悩んでいる17歳の青年が主人公なのですが、生き方の心構えのようなものが学べる感動的な1冊です。方法論は書いていませんが、私もこの本を読んで、“在り方”のようなものを学べました。
「本屋でたまたま手に取った本にガツンと胸を打たれる」といった意義ある偶然に出会うためにも、自分から未知の世界に手を伸ばしていく姿勢は不可欠だと考えます。
物事の本質は、大きな視点からでなければ見えないもの。海外に出てみて初めて、日本の特徴が見えてくるのと同様、狭い世界のなかにいるとなかなか“気づき”は得られません。
私が牡蠣の事業のヒントを得たのも海外でしたが、学生時代の頃から海外にはよく出かけていて、いろいろなことを学びました。目的がなくても構わないので、時間と体力があるうちにどんどん海外に出て、豊かな経験をしてみてほしいですね。
未知の人や世界に触れることに意味があると思うので、国内でも「親しい友達とテーマパークに何度も行く」よりは、行ったことがない地域や知らない人たちに出会える場所に出かけてみるのがおすすめです。旅先の居酒屋にふらっと入って、地域の人と触れ合ってみるだけでも、普段とは異なる視点や気づきを得られるはずですよ。
読書、旅行、そしていろいろな人と触れ合った経験は、思考の血となり肉となり、自分の意見や価値観の醸成につながっていきます。表面的な自分磨きではなく、自分の芯をつくり出せるような、骨太な青春時代を過ごしてほしいです。しっかりとした自分の軸を持っている若い人に出会えると、とても嬉しくなります。
人を“喜ばせる”気持ちと周囲を“気にしない”ことが大切。失敗を恐れずチャレンジし続けよう
これからの時代に活躍する人は、上述したような自分の芯を持っていて、「皆がどう思っているか」や人の目ばかりを気にしない人だと思います。「チャレンジをして失敗をしたらカッコ悪いかな」「尖って生きていたら笑われるかな」などと気にせず、どうなるかわからないところに飛び込んでみることができる人であれば、どんなキャリアを選んでも、それを正解にしていけるはず。
産業は違えど、どんな仕事でも根底にある目的は「人を喜ばせること、人の役に立つこと」。それがなければ、仕事になりません。自分の仕事の先に、誰が喜んでいるのか、誰の役に立っているのかを想像し、目的意識を持って仕事に取り組める人は、どんな業種・どんな会社に飛び込んでも、きっとうまくやっていけるはずです。
やりたいことが見つからなければ、ファーストキャリアではまず会社員をやってみて、やりたいことが見つかってから転職をすれば良いと思います。尖ったおもしろいことをやりたいならば、ベンチャー企業やスタートアップ企業、そして起業といった選択肢を選ぶのもおすすめです。
無論、そうしたチャレンジングな選択には、失敗もつきものです。スタートアップ企業の約半数が1年でなくなってしまうとも言われています。一方で、日本は「100年企業」が世界一多い国です。なぜ100年も会社を続けられているのか、その理由や法則を自分で見つけ出そうという視点を持っていれば、チャレンジが失敗する要因を排除することは可能だと思います。
失敗や再挑戦がしやすい環境を作るのは大人や政治の役割でもありますが、「キャリアにはサードチャンスもセカンドチャンスもある」ということは、ぜひ心に留めておいてほしいですね。
何かを始めるときに、早すぎることも遅すぎることもありません。ケンタッキーフライドチキンの創業者は、65歳で起業して事業を成功させています。待遇がどうこうといったことよりも、大きな視点やビジョンを持ってキャリアを選ぶ人がどんどん増えてくれば、日本経済全体にダイナミズムや躍動感が生まれてくるのではと大いに期待しています。
取材・執筆:外山ゆひら