就活もキャリアも「最適解」を選び抜こう|前向きに考えることが明るい未来を作る秘訣
わちふぃーるど 代表取締役 山﨑 舞子さん
Maiko Yamazaki・高校時代に経営者になる夢を描き、アパレル関係での起業を志し、美術大学に入学。まずは修行のためにバッグの会社へ就職を目指すも、母からの誘いでわちふぃーるどに入社。その後事業を継承し、以降現職
学生時代の「好きな役割」から将来の夢が生まれる
学生の頃の経験から「経営者になりたい」という夢を抱くようになりました。
きっかけは高校2年生のときに文化祭のリーダーになったこと。いろいろなタイプの人たちを取りまとめながら、できるだけ売上を上げるために尽力しました。みんなに力を発揮してもらうためには得意なことを任せたほうが良いと思い、それぞれに向いている役割を任せて指示を出すようにしていましたね。
たとえば、しっかり者の人にはお金の勘定を任せると一生懸命やってくれました。ほかにもものづくりが得意な人には模擬店の装飾物を作ってもらったり、人付き合いが上手な人には商店街に出向いて無償で道具を借りてきてもらったり……。一人ひとりが各分野で役に立てるようにまとめることがとても楽しいと感じましたね。
さらに3年生も同じクラスだったので、前年度の経験を活かして「もっと売上を上げるためにはどうすれば良いのか」を考え、みんなと一緒に新たに計画を練り直しました。「こんなふうに進めたらどうだろう」「この分野はこうしたら良いかも」とアイデアを出し合うことで、チームワークを発揮して前年度よりも売上を上げることができたのです。
こうした文化祭でチームをまとめる経験を通じて、将来もみんなのリーダー、すなわち経営者になりたいと思うようになりました。
学生時代の経験は将来の夢につながることも多いです。就活を機に「どんな立場になることが多かったのか」「どんな役割が得意だったのか」を振り返ってみてくださいね。
就活は周りに流されず自分の「最適解」を選ぼう
就活では常に「最適解」を模索し、最終的にベストな選択ができたと思っています。
高校生の頃、友人と「将来一緒にアパレル会社をやろう」と話し、その一歩として私はもともと関心のあったデザインやバッグ制作のスキルを身に付けていくことに。高校卒業後は美術大学に入学し、グラフィックデザイン(ターゲットにメッセージを伝えるためのデザイン)を活用した広告について学びました。学んだことを将来の経営に役立てたいという目的があったので、ほかのことには脇目も振らず、必要な知識をどんどん習得していきましたね。
グラフィックデザイン学科だったので、就活ではほとんどの人は広告会社への就職を目指していましたが、私は将来の夢に向けてバッグの会社だけをみていました。
そしてある会社で何度かデザインを提出するという選考があり、実際に手を動かしてみると非常に楽しかったことを覚えています。実家に住んでいたので、母の隣で夢中になってバッグのデザインを描いていたのですが、その様子を見た母が「ちょうどバッグのブランドを立ち上げたばかりだから、うちの会社にこない?」と一言。わちふぃーるどは「猫のダヤン」という猫のキャラクターグッズを取り扱っており、母は2代目を務めていたので、将来会社を継ぐことも視野に入れた誘いでもありました。
最初は会社を継ぐつもりはまったくなかったのですが、わちふぃーるどには工場もあり、ものづくりの最後まで手掛けられます。一方で、選考を受けていた会社は製造工程は外注のため、最後まで自分の手で作り上げることはできなさそうでした。
最後は「自分のデザインが商品になるまで見届けたい」という思いが勝り、母の誘いを受けることに。またその後、一緒に会社を設立しようと話していた友人とは別の道を歩むことになり、事業を承継することになりました。
就活では、周りに流されることなく「将来の夢のために必要な選択」を考え、行動に移すことが大切だと思います。そして実際に行動してみて「最適解」が浮かんだときには、柔軟に方向転換することでより良いキャリアを描いていけるのではないでしょうか。
大きなピンチは自分次第で「変化」や「成長」に変えられる
当社に入社してから数々のピンチがありましたが、前向きに考えることで乗り切ってきました。
その1つに、ある日長年勤めてくれていた工場長が退職したことが挙げられます。その人とは家族ぐるみの付き合いでしたし、ずっと一緒にやっていくものだと思っていたので、退職することを知ったときは会社全体に衝撃が走りましたね。母親もスタッフもみんな「これからどうしよう……」と慌てていましたが、私はどこか冷静で「そういうことも起きるよな」ととらえていました。
それと同時に、「このピンチをチャンスに変えよう」とも思っていました。実は社長の娘として入社した手前、どこかで大きな成果を残さなければという焦りもあったので、「私に任せてください」と声を上げ、このピンチを巻き取って工場を立て直すことを決意したのです。
工場長の退職後、いろいろな書類を整理していると「中国で工場を作る計画書」が出てきました。よく見ると日本の工費が高騰していることから、どうにかしなければと中国の工場を活用することを考えていたようでした。
あとからわかったのですが、それは工場長が個人的に進めていた計画で、おそらく周りに言うと止められるだろうからとそのままになっていたようです。ほかの人はその計画書を処分しようとしていたのですが、私は「これはピンチを乗り越える大きなヒントになる!」と直感がはたらき、実際に実現していくことを決めました。
さっそく中国の工場にアポイントを取り「うちの商品の製造を手助けしてほしい」とお願いし、無事に取り引きできることに。工場のパートさんに商品の作り方を全部教えてもらい、言葉が通じなくてもわかるように絵を描いたものを持って中国の工場に出向き、何度もフィードバック
を重ねることで良い取り引きができるようになりました。最終的には10年以上もその工場に支えられ、自身のキャリアにおいても大きな成果を作ることができました。
一見大きなピンチだと思うことも、それを乗り越えることができたら、大きな変化や成長につながることもあります。目の前のことにうろたえず「そういうこともあるよね」と前向きにとらえることを意識してみてくださいね。
過去や現在にとらわれず「新しいアイデア」を大切にしよう
現代は変化が激しい時代なので、過去や型にこだわりすぎず柔軟に変化していくことがもとめられると思います。
当社はペンケースやストラップ、ブックカバーなどのオリジナル商品を手がけているのですが、やはり自社製品だけしか作っていないと売上は大きく伸びません。どうにか売上を伸ばす方法がないかを模索していたところ、自社製品を作る際に使用する型が目に留まりました。
型はそのままに表面のデザインだけ変えることができるので、他社の商品にも活用してもらうことができるのです。その性質を活かし、OEM(オーイーエム:お客様のブランドを付けて受注生産をする仕組み)事業をはじめることにしました。
今までは「当社の商品を購入してもらう」というビジネスモデルしかありませんでしたが、OEM事業によって「当社の工場を活用してもらう」という形が生まれ、新たな客層にアプローチできるようになったのです。
もし今までの形にとらわれていたとしたら、新しいアイデアは思い付いていなかったと思います。「Aも良いけどBも良さそう」「AがダメでもBがあるから大丈夫」。そんなふうに柔軟にアイデアを生み出せると、自分にとっても会社にとっても新しい世界が広がる場合がありますよ。
どんな選択の先にも「明るい未来」を描いておこう
就活では「どんな選択にも希望を持つこと」を意識してほしいですね。
業界や会社選びにおいて、「第一志望とそれ以外」の選択肢が出てくることが多いでしょう。「絶対に第一志望に受かりたい」という気持ちもわかるのですが、それ以外の業界や会社になっても明るく過ごしていけるよう、すべての選択肢に希望を持ってほしいですね。
「できればA社に行きたいけど、B社になってもこんな経験ができる」「C社は理想の仕事ではないけど、人間関係が良さそう」というふうに、それぞれに希望を持つことでどんなファーストキャリアになっても明るく進んでいけるのではないでしょうか。
あくまでも就活の時点での第一志望にとらわれ、そこに受からなかったときに悲観的になるのはもったいないです。どんな業界や会社でも必ずそこでしかできない経験があり、すべてを糧にすることができるので、どんな結果になったとしても前向きな気持ちで社会人としてのスタートを切ってくださいね。
今の時代だからこそ「空気を読む力」が必要とされる
これからの社会で活躍できるのは、空気を読む力がある人です。今の時代とは逆説的に聞こえるかもしれませんが、自分の思いを伝えるだけでなく、空気を読むこともとても大切です。
というのも、個人で仕事をする場合は別ですが、会社の一員としてチームで仕事をするとなると、個人の意見や考えをそのまま通すことが難しい場面もあるからです。それを踏まえて自分の意見や考えがあるときは、周りの様子を見て最適なタイミングで伝えるようにしましょう。
やはり若手の人を評価するのは、年齢がひと回り、ふた回り上の人も多いと思うので、周りの人と信頼関係を築き、自分のキャリアをスムーズに進めるためにも空気を読むことも意識してみてくださいね。
社会人になると、誰しも予期しなかったことが起きたり、大変だと感じる場面もあると思います。そこでショックを受けすぎず、「もし最悪の事態になってもこういうふうに生きたら楽しいよね」と、先に明るい未来を描いておくことができると、どんなことも乗り越えていきやすいと思いますよ。
取材・執筆:志摩若奈