仕事の意義は貢献にあり|「つまらない」を天職に変えた学びのすすめ
ハルメクホールディングス CHRO(最高人事責任者)福冨 一成さん
Kazunari Fukutomi・大学卒業後、1994年に日系精密機器メーカーに入社。人事部門での経験を積み、2005年にAIU(エーアイユー)損害保険に入社。AIUおよび富士火災海上保険の人事部門において、さまざまな職務を経験。一貫して人事分野で培ってきた幅広い経験と知見を活かし、統合後のAIG損保の執行役員人事部担当を務める。2024年1月にハルメクホールディングス入社後、現職
自分一人に与えられた仕事だったからこそ「つまらない」から「極めよう」に転じた
学生時代の就職活動は、メーカーの営業職一本に絞って取り組みました。当時はまだメイド・イン・ジャパンのブランドが世界に通用する時代で、「日本の良いものを世界に向けて販売していきたい」と考えたのが理由です。
最終的に選んだのは、精密小型モーターや電子回路の開発・製造・販売を手掛けるメーカーです。ニッチですが、その分野では名の知れた会社で、面接を通じて伝わってきた会社の哲学のようなものにも共感を覚えて入社を決めました。
当時はバブルが弾けた後で、多くの企業が新卒採用の枠を絞っていた時代。楽な就職活動ではありませんでした。また当時のエントリーシートといえば手書きが主流だったので、一枚書くのにも時間がかかったものです。なので自分なりに一社一社を調べ、絞り込んで応募しました。その分、会社側に「この学生はちゃんと理解しているな」とは思ってもらえたのかなと思います。
しかし、3カ月間の新人研修後に配属されたのは、まったく予想していなかった人事部でした。ミスなくできていて当たり前で、褒められることも少ない仕事なので、本音を言えば「つまらないな」と思った時期もあります。しかしそのときの先輩から「人事は競争相手が少ないし、極めればどんな業界や企業にも通じる汎用性がある部門だよ」と教えられたのです。
その年の人事部に配属されたのは、128人の同期のうち自分1人。たしかに先輩の言うとおりだと思い、「この分野の専門性を極めて、自分の強みにしていこう」と決心しました。
以来30年間人事としてキャリアを極めていくことになるので、この決心が最初のターニングポイントと言えるかと思います。
どんな仕事にも目的はある。仕事への向き合い方を変えた貢献意識と学び
人事部に来て最初に担当したのは、約3,000人分の紙の給与明細を切り離す作業でした。当然おもしろい仕事ではなかったのですが(笑)、その紙を待ち望んでいる人も社内にはたくさんいるんですよね。そう考えると「目的があってこの仕事があるんだよな」と思えたのです。会社で働くとは、つまり「自分のスキル・知識・人脈を活用して何か(誰か)の役に立つこと」であり、このことを決して忘れてはいけないと思いました。
そして1年ほど経つ頃には、人事の仕事をおもしろいと思えるようになっていました。「なぜこういうルールや仕組みになっているのだろう」と興味を持って勉強していくうちに、人事業務の奥深さを実感できるようになってきたのです。たとえば給与の計算には、税金の仕組みや社会保険制度などが細かく絡んでくるので、そうしたことを一つひとつ勉強していきました。
学びを深めるうちに、その知識がどんどん自分の血肉になっていく感覚もありました。仕組みを理解すると、システム改修の要件定義で意見を出せたり、他部署の人や上司からの質問や相談に応えられたり、といった場面が増えます。そのなかで、「人の役に立っている」という実感を得られるようになっていきました。そうして、「専門性を極めるということは、特定の分野を極めて人の役に立っていくことだ」と確信を得て、納得感を持って仕事に取り組むようになっていきました。
とはいえ、学生の人に「つまらない仕事もそのうち『おもしろい』と思えるようになるから、我慢してやってみた方が良い」とは言いたくありません。私はたまたま自ら気づいて勉強をしてみたら「おもしろい」と思えるようになったというだけで、万人に通用する話ではないと思います。
しかしながら「そもそも仕事は楽しいものなのか?」という自問自答はぜひしてみてほしいですね。「つまらないから部署を変えてほしい、転職したい」と言うのは簡単ですが、どんな仕事でも「人の役に立って対価をもらう」という前提は共通です。「何かや誰かに貢献するためにやっている」という前提を忘れると、独りよがりな状態になってしまいます。
これは今でもまったく同じ考えです。退職後もどこかの社会的なコミュニティに属して「世の中の役に立っていたい」というビジョンを持っています。
人事に限らずですが、褒められたり、数字で明確に成果が出たり、ということが少ないポジションの人は、自分で自分の仕事を振り返って「こういうふうに役に立つことができたかな」と自分を認める習慣を作るのがおすすめです。私もよく寝る前や休日にふと振り返っていました。
褒められることが少ないポジションでも、自分が頑張ったことと他者からの評価が一致することもときどきはあるもので、そういったときは最高にうれしかったですね。他者からの評価をもらえたときは「なぜもらえたのか」、評価をもらえると思ったのにもらえなかったときは「なぜもらえなかったのか」といったところまで掘り下げていくと、次回に向けた改善点も見えてくると思います。
キャリアのチャンスは突然来る。走りながら適応していけば良い
人事としての専門性を極めていくと、担当できる仕事の幅はどんどん広がり、会社からの評価もいただいて、不満もなく楽しく働いていました。しかしちょうど入社10年を迎える頃、転職を決意します。きっかけは、半年間の社外の研修コースに参加したことです。他社の同世代の人たちと比べて「自分はできることの幅が狭い」と感じ、世の中の人事の仕事をもっと見てみたくなったのです。
人材エージェントに紹介をいただいたなかから選んだのは、外資系の損害保険会社でした。1社目が伝統的な日系企業だったので、転職後はあまりのカルチャーの違いに驚きましたね。今でいうジョブ型雇用で、社員同士もお互いに「こういう役割を担っている人」という認識のみで、出身大学名や年次を聞かれたことは一度もありませんでした。
「私は担当分野のこの課題を解決して、会社にこう貢献しています」ということを明確に示していかなければならない外資系ならではの環境に飛び込んだことで、仕事のやり方が大きく変わり転職直後はかなりしんどかったですが、1〜2年ほどで慣れ、プロジェクトリーダーなども任せていただけるようになりました。この時期に、仕事のスピード感やロジカルな説明力など、ビジネスパーソンとしての基本的なスキルが鍛えられたように思います。
さらに4年ほど経った頃、飛び級で部長職(ピープルマネージャー)の打診をいただき、30名ほどの部下を見る立場を引き受けることになりました。1社目でも小さなチームを見た経験はありましたが、これだけの人数をマネジメントするのは正直かなりの重責でした。
当時はまだ30代後半でしたし、役職者としての仕事の進め方も人の動かし方もよくわからず、大変苦労しました。しかし、転職・昇格という2つの出来事で自分自身の成長カーブが大きく上がった実感があります。この決断がなければ今のようなキャリアはなかったと思っており、キャリアにおいての重要なターニングポイントと言えるかと思います。
また、部長職の打診をいただいたときに「自信はないけれどやってみよう」という決断ができたことも、キャリアを振り返って良かったと思えていることの一つです。分不相応な役割ではないかと感じつつも、やってみてダメならダメで良いか、と思えたのです。
昇格してしばらくは強いリーダー像を思い描き、必死で「リーダーシップとは何か」を勉強して肩肘を張っていたように思います。ですが、そのうちにこのやり方は自分には無理だと気づきました。どちらかというと、自分の強みは発揮しつつ、弱いところはそれを強みとしている人に頼れば良いと思えるようになったのです。この柔軟さを身に付けてから、少しずつチームを回せるようになっていきました。
キャリアにおけるチャンスは、こちらの用意ができているときに訪れるとは限りません。準備が整ってから走り出すのも一つの方法論ではありますが、ときには「走りながら適応していく」という心構えも大切にしてみてください。
「基本」を重んじながら歩んだキャリア。軸となったのはこれまでの経験から根付いた哲学
2社目ではチャレンジする機会が多かった分、いろいろと失敗も経験しましたが、同時に失敗から逃げない姿勢を徹底できるようになった気がします。自分の至らなさから目を逸らすのではなく「なぜ失敗したのか」を振り返り、迷惑をかけた人にもきちんと向き合うことを重んじるようになりました。
これから社会に出る人も、キャリアのどこかでプレッシャーがかかる時期を経験すると思います。プライベートでリフレッシュをしてみても、完全にはスッキリした感じが得られないことも少なくないでしょう。行き詰まっているときほど「自分ができること、すべきことに注力する」「問題を放置しない」ということを意識してみるのがおすすめです。
仕事で大切なことは、結局「約束を守る」「相手の立場になって考える」「他人のせいにしない」という基本的なことなのだな、と思ったのもこの時期です。仕事のアウトプットを出すときの姿勢として、今も大切にしている行動指針です。
実はこれらは、1社目の行動指針に掲げられていた内容でした。1社目は徹底した理念経営をしている会社で、たとえば「モーターの型は頻繁に変えない(=周辺機器も変えざるを得なくなり、お客様に迷惑がかかるから)」といったお客様の立場に立った仕事の仕方を徹底していました。転職をして外から見たことで、改めて1社目が貫いていたポリシーに気づかされたのです。
1社目は「こういう考え方はすごいな、自分に合っているな」という共感で選んだ会社でしたが、2社目は職種で会社を選び、そして18年間勤めた後、再び会社の哲学に共感を覚えた会社(現在のハルメクホールディングス)に移ってくることになりました。
決断の手綱は自分がにぎる。ファーストキャリアを築く場所は3箇条で見極めよう
会社選びでは「その会社の生業に、興味を見出せる部分があるか」「その生業が世の中にどんな良い影響を与えているか」といった観点も大切にすると良いと思いますね。自分の担当した仕事に「意義があった」と思えることは、昇給や昇格などとはまた違ったやりがいを与えてくれるものです。そう思うことができそうなビジネスをしている会社の方が、仕事の意味を見出しやすいと思います。
現在勤めているハルメクホールディングスは、シニア女性向けの革新的な雑誌で成長している会社です。私が当社で仕事をしてみたいと思ったのは、そのビジネスモデルに納得感があり、この会社の成長に貢献したいと思えたことも理由です。
とはいえ、ファーストキャリアでそれを見極めるのは難しいかもしれません。わからないという人は、まずは「会社の哲学に共感できるか」という基準で選んでみると良いと思います。
そして一番見落としてはいけないのは、「その会社で働くことを通して、自分自身がハッピーになれるか」という点です。その会社で評価されることが、必ずしも自分にとっての幸せとは限りません。就職活動では「ここで評価されることが自分にとっての幸せだ」と思えるような会社を探してほしいですね。
また、キャリア選びにおいて絶対に忘れないでほしいのが、「世間に認められる会社が、必ずしも自分にとって良い会社とは限らない」ということです。
早期退職をする若手社員もたくさん見てきましたが、「親の意見で決めた会社だった」というケースは結構多い気がします。社会人経験がある人にたくさん話を聞いて社会や会社の情報を集めることは有益だと思いますが、周りに惑わされすぎず、最後は自分を信じて自分で決めること。これだけは徹底してほしいなと思います。
会社が望むこと・できること・やりたいことが一致する状態がベスト
自分がハッピーになれる会社を探すためにも、「己が何者なのか」の理解を深める作業は就職活動中にやっておくと良いでしょう。
人が一番充実感を覚えるのは、Will(自分がやりたいこと、こうありたい自分)、Can(自分にできること、得意なこと)、Must(会社がやって欲しいこと)が一致しているときと言われています。充実感を持ってハッピーに働くためには、できるだけこの3つが重なるよう努力することが大切です。
3つがピッタリと一致することは滅多にないものですが、私自身、今は結構うまくリンクしている状態です。30年間の人事経験(できること)を活かして組織や制度改革(やってみたいこと)に取り組んでおり、それを会社からも期待されていると理解しています。会社全体が大きく成長しているので、新しい人事のトレンドも取り入れながら組織全体の変革に貢献していきたいと思っています。
また、Will・Can・Mustのうち一番難しいのは、自分に何ができるか(Can)を測ることです。資格で証明できるようなスキルばかりではないですし、明確に今の自分の実力を測ることは意外と簡単ではないと思います。
実力を知りたいときに私が取り入れていたのは、「周りの人に今の自分を評価してもらう」という方法でした。部長としての自信が持てなかった30代後半の頃は、同僚や家族によくたずねていましたね。「自分の立ち居振る舞いがどのような影響を与えているか」をちゃんと理解しておきたかったのです。
思いきって聞いてみると意外と正直に教えてくれる人は多く、自分の得意・不得意に対する自己理解が深まっていきました。就職活動にも応用できる自己分析法と思うので、ぜひ試してみてください。
最終的に生き残るのは進化を選択できる人材
最後に、人事の立場として、会社で評価される人とそうではない人の両方を見てきましたが、評価される人に共通しているのは、会社の変化にポジティブな答えを出していこうとする姿勢があることです。
逆に、自分のやり方や今やっていることに固執している人、変化にネガティブに反応してしまう人などは評価されないことが多い印象がありますね。
ダーウィンの「最も変化に敏感なものが生き残る」という言葉ではないですが、結局のところ、時代に合わせて自律的に進化できる人が会社でも生き残っていくのではないかと思っています。
おそらくこれからの社会でも、そういった人が必要とされ続けていくことでしょう。皆さんにも時代の変化を柔軟に受け入れる姿勢を持ち、ぜひ今後の会社、ひいては社会で長く必要とされる人材になっていただきたいと思っています。
取材・執筆:外山ゆひら