人生に挫折なし。目の前の困難を転機として課せられた役割を果たそう
茶来未 代表取締役 佐々木 健さん
Ken Sasaki・大学卒業後、調理の修業を経て飲食店を多数展開。料理専門誌やTVに多数出演するなど、料理人としての地位を確立する。製茶工場の社長との出会いをきっかけに日本茶の製茶技術を学び日本茶の道へ。神奈川県鎌倉市に日本茶専門店鎌倉若宮大路茶来未を2006年出店、現在は神奈川県藤沢市に本社工場及び直営店舗「茶来未」を展開し、飲食店向けの緑茶や企業向けのオリジナル茶の商品開発など、多岐にわたる商品作りに取り組んでいる。世界緑茶コンテスト最高金賞など受賞歴多数
挫折は転機。考え方一つでチャンスに変わる
小さな頃、自分に自信を持っている人は多かったのではないでしょうか。私も例に漏れず自信にあふれた活発な少年で、いくつかスポーツもしたのですが、チームメイトがあまりにも上手ですぐに敵わないと悟りました。一緒にバスケットボールクラブに入った同級生は、その後ナショナルチームのメンバーになり、サッカーをやった後輩はJリーガーになりましたから、今となっては敵わないのも当たり前だと思えるのですが、当時は圧倒的な力の差がショックでした。
人生の早い段階でこんな挫折を経験したので、その後の人生で、挫折を挫折だと思わなくなった気もします。挫折というより、転機ですよね。自分の実力や限界を知って、新たな場所を探すきっかけになったのですから。
そんな幼い頃の経験もあって、ほかの人とは違うところで輝こうと、自分が活躍できるフィールドを探してきました。
社会を生き抜くには自分を信じられるような武器を磨くこと
そんなふうに自分には何があっているのかと考えながら、なんとなく大学に進学し、変わり映えのない学生生活を過ごしていました。そのなかで、学園祭という自分にとっての転機が訪れます。
カフェを出店したのですが、芸能界とのコミュニティもまったくのゼロの状態から有名タレントを呼ぶことに成功し、芸能事務所の方とつながりができたのです。そこで芸能界を含めたいろいろな社会の一端を覗き見る機会を得ました。
芸能界について深く知るにつれ強く感じたのは、「手に職がほしい」ということ。芸能界のような華やかだけれどキャリアの保証のない世界で生き残っていくのは難しい、とつくづく思ったのです。そこで、ずっと必要とされる業界で使えるスキルがあれば、この先長く食べていけるだろうと考えました。ちょうどバブル崩壊の時期だったので、なおのこと自分を信じられるような武器がほしかったのもありますね。
そこで飛び込んだのが、料理の世界です。食べるという行為がなくなることはないし、美味しいものを食べたいという思いは、時代が変わっても残るだろうと思いました。しかし、大卒でゼロから調理の世界に進む人はあまりおらず、採用もほとんどありません。なんとか滑り込んだ中国料理店で、スキルを磨いて調理人になろうと決意しました。
働いた店は、現代の基準で照らし合わせると決して健全な労働環境ではなかったと思います。朝早くから仕込みをして、夜は終電が終わっても帰れないこともありました。厳しい環境のなかで、ほかのスタッフよりも抜きん出るには、実力や実績を作って評価を上げるしかない。そこでやったのが、教わった仕事をどんどんモノにして、業務を先回りして完遂してしまうということでした。
その日教わった作業を、先輩がいなくなったら自分で復習して、次の日までに仕上げてしまうのです。翌日出勤した先輩は「もう終わってるのか!」と喜びますよね。「はい、次を教えてください」と促せば実力を証明できるし、どんどんステップアップできます。そんなことを繰り返すうちに1年半でマネージメントも含めた店長・調理長を任されるようになっていました。
見えないところで努力してできるようになってしまえば、周りからの評価が上がらないはずはありません。見えているところで努力するのは当たり前。さらに一歩先へ進めるかがキーになります。周りの期待を少し超えるくらいの位置を目指していけば、自ずと評価されるようになるはずです。
困難は新たな道を切り拓くチャンス
飲食業界で経験を積んで、その後、自分でも中華料理店をいくつか経営するようになりました。どのお店もそれなりにうまくやっていたのですが、2008年に中国産の冷凍餃子から毒物が検出されたことで、私の店も影響を受けるようになります。当時の中国バッシングのような流れのなかで、関係のない中華料理店である私の店まで、客足が遠のいてしまったのです。
この経験をとおして、外国の文化は勘違いされやすいことや、日本と他国の関係性のなかで危うくなることもあるのだと感じ、より広い視野を持って多角的に対策を考えていく必要性を感じました。そこで別業態として展開していたカフェを、日本茶を出す専門店に変えることに。国内の素晴らしい文化に、改めて目を向けてみたのです。この転換が、今のお茶の事業へとつながる最初の一歩となりました。
困難も視点を変えればチャンスに変わります。あの壁があったからこそ、もっとも良い選択肢を選べたのだと思えるときが来るかもしれません。困難が目の前にやってきても気後れせず、むしろチャンスにつながる道はないかを考え広い視点で解決策を考えることを大切にしてほしいですね。
身の丈に合わない壁はない。まずは「乗り越えられる」と信じよう
その後も、経営者としての試練は続きます。2011年の東日本大震災では、計画停電によって仕込みや営業ができない事態に陥り、損失がふくらみました。ようやくその危機を耐え忍んだと思ったら、今度は福島第一原発の事故の影響で茶葉からもセシウムが検出されたという報道により、風評被害でお茶の消費が大きく落ち込んでしまいました。当時は日本茶カフェの派生として茶葉の卸売業も展開していたので、影響は大きく、今度こそ会社が持ち堪えられない状況に陥ってしまったのです。
一難去ってまた一難。社会情勢という抗えない波によって事業が傾いてしまうことにつらさを感じましたが、それでもなんとかやり直そうと思えたのは、「乗り越えられない試練は与えられない」という思いがあったからです。
人に与えられる試練は、その人の器に合ったものだと思います。目の前の困難が到底乗り越えられないと思えても、実はその人が向かい合うべくして向かい合った、身の丈に合う壁のはずです。極端な例ですが、政治家でもない私に日本の経済を立て直すという試練は与えられないのと同じことだと思っています。
壁に直面し、その壁が途方もなく高いもののように思えたとしても、落ち着いて向き合い次の一手を探しましょう。「この試練は私が必ず乗り越えられるものだ」と信じてください。そこから必ず現状を打開するきっかけが見つかるはずです。
誰しも引き受けるべき役目がある。責務を果たし信頼を積み重ねよう
悩みながらも試行錯誤を重ねた結果、私一人が残って事業を続けることにしました。小さなプレハブの店舗からやり直し、茶来未というブランドをなんとか大きくしてここまで来たところです。焦らず地道に、周りの力も借りながら、日本のお茶文化を伝える取り組みを続けてきました。今はお茶文化を広めていくことが、私の役割の一つだと感じています。
こういった「引き受けるべき役割」というのは、誰しもあるのではないでしょうか。会社はもちろん、家族、友達、地域社会など、あなたを必要としているコミュニティのなかでしっかりと責務を果たすことで、信頼は大きくなります。任される仕事も、できる業務も広がっていくでしょう。そのためには、周りの人の声に耳を傾ける素直さを持ってほしいですね。
若い人も焦らず、今自分が求められている役割を果たすことを考えてみてください。無理に個性を出そうと奮闘するのではなく、まずは求められているミッションを達成できる自分になることが大切です。
「情報」は吟味して味方につける
それぞれのキャリアのスタートである就職活動。情報過多なこの時代だからこそ、さまざまな情報の優先順位には気を配って欲しいと思います。
情報を手にするうえで意識してほしいのは、その情報がどの程度信頼がおけるのか、利用できるのかということ。それを冷静に判断するには、情報の見極め方や使い方を知っておく必要があるでしょう。情報の質としては、大きく4つがあると思っています。
一つは無料で手に入る情報。これは玉石混交です。正しいもの、間違っているもの、ごちゃ混ぜの状態だと思ってください。話半分、そういった話題があるということを知る程度にしましょう。2つ目は有料の情報です。これに関しては制作側もお金をかけて見てもらっているという責任がある分、参考にできる部分、考察に値する部分もあると思います。
3つ目は客観的で事実として挙げられているデータ・数字です。たとえば企業のIR情報や、論文といったものが挙げられますね。これらは有料・無料に問わず、主観を交え伝えられる情報よりもさらに信頼度が高くなるでしょう。そこから自分で必要な情報を読み取ることができるからです。
しかし、そうしたものに勝る情報として4つ目に挙げたいのが、自分の経験です。あなた自身が体感し、見聞きしたことは、誰にも奪えない真実ですよね。
情報に踊らされがちな現代において、情報収集をする際にはこのことを思い出してほしいと思います。少しでも知りたいと思ったら、自分の足で確かめに行きましょう。信じられないと思うのなら、自分の経験をたどってみましょう。
あなたが歩んできた道は、誰もたどれない唯一無二のもの。自信を持ってそれを糧とし、一番の情報源として進んでほしいですね。
取材・執筆:鈴木満優子