出会いと助言を素直に受け止めて、情熱を共有できる場所で成長しよう
BABY JOB 代表取締役 上野 公嗣さん
Kouji Ueno・1978年生まれ。紙おむつの大手メーカーを経て、2012年にS・S・Mを設立した後、2018年にBABY JOBを設立。2019年、すべての人の子育てが楽しいと思える社会の実現を目指して、日本初の保育施設向け紙おむつとおしりふきのサブスク『手ぶら登園』をローンチし、業界No.1にまで急成長。自身も保育士免許を持ち、全国小規模保育協議会副理事長も務める
「自分」が信じた先にあった、唯一無二の学び
これまで歩んできたキャリアは、一般的にいうと「異例」とも呼べるものでした。ほかの人とは違う道を行こうと決意した一歩目は、高校卒業前にさかのぼります。
もともとは大学附属の小学校から、地域一番の進学校に通うという、わりと優等生の進路を進んでいました。高校では理系のコースを選んでいたため、そういった大学に進むのが王道でしたね。
ところがいざ大学進学を前にした時、さまざまな大学や学部の話を聞いても、まったくピンときませんでした。大学のイメージも卒業後のキャリアのイメージも持てず、もっとどこかで経験を広げながら将来について考えたいと思いました。
そこで高校卒業後、ワーキングホリデーを使ってオーストラリアに渡ることにしました。高校のなかでそんな進路を選ぶ人はおらず、親にも「受験から逃げるのか」と言われましたが、自分の知らない世界を見てみようと一歩をふみ出したのです。初めての海外で英語を学びながら、農場や宿で働きました。
当時日本からワーキングホリデーでオーストラリアに滞在している人は、大体が大学生や20代前半の若者。10代の自分は日本人コミュニティのなかでも一番若く、生意気だったと思います。アルバイトすらろくにしたことがなく、大人と付き合ったこともないまま海外に出たので、口の利き方を知らなかったのです。
ときにはとがった雰囲気で嫌われることもありましたが、それすらも気にしていませんでした。「みんなに好かれたいわけではない」なんてうそぶいていましたね。するとあるとき先輩に「お前、損してるぞ」と諌められました。最初のかかわり方の良し悪しで、倍の人と付き合える可能性を潰してしまっている、と。出会いの場でおかしな悪印象をわざわざつけなくて良い、ということを教えてくれました。
今考えると当たり前のことですし、自分はただ幼く経験不足で、とがっていたのだと恥ずかしくなります。でも、自分から外に出て、一人で知らないコミュニティのなかに入ったことで、身をもって学ぶことができました。人とは違う進路がもたらしてくれた学びだと思います。どんな選択肢であっても、自分の心に正直に、選んだ道に誇りを持って進めば、得られるものは必ずあります。
「出会い」と「言葉」が転機になる
ワーキングホリデーをとおしたくさんの人と出会うなかで感じたのは、人と人をつなげる楽しさです。そのことから、経営学部で学びたいと考えるようになりました。ただし進学する大学については決めておらず、特待生制度があるという理由で夜間大学への入学を決めました。
2年生になってからは、夜は大学に通い、昼間はパソコン教室で働く生活が始まります。当時はパソコンが一般の家庭にも普及し始め、世間の人はこぞって教室に通っていました。教室ではワープロや表計算のソフトの操作を教えており、私はまるで経験がなかったのですが、プログラマーの父に手ほどきを受けて子どもの頃からパソコンには触れていたので、なんとかなるだろうと軽い気持ちで始めたのです。
教室で特に人気なのは、年賀状を作る講座でした。私も見よう見まねで覚えたスキルを使ってこの講座を担当し始めたところ、大盛況に。そのうち個人でも教えてほしいと言われ、生徒の自宅まで出向いて教えるようにもなっていきました。乞われるままに企業へ訪問して講座を開いたり、講師の養成も始めたりしているうちに、個人事業として十分収入を得るまでになっていましたね。
こうなると、大学を卒業することよりもなんとなく始めたこの事業を続けていくことを考えるようになりました。ところが、そこで出会った人が「大学を卒業して、就職活動をしないのはもったいない」と、強く伝えてきたのです。その人は就活塾を開いていて、当時は彼の手伝いをしたり、一緒に飲みに行ったりする間柄でした。
彼は、当時大人にもなりきれず王道の大学生でもない自分に、まっすぐに向かい合ってくれた数少ない大人でした。自分を思ってくれる純粋な助言は、受け止めなければなりません。「新卒は、その後の人生では行けない場所に行ける切符だから、就活してみたほうが良い」という人生の先輩の言葉に触れて、就活にふみ出すことになりました。
今振り返っても、ここで就活をして会社員を経験していなかったら、今のキャリア・事業の形はなかったと思います。若いみなさんには出会いを大切に、また周囲から聞こえる言葉に耳を澄ませる感性も大切にしてほしいですね。
新卒で大企業を選ぶ価値は「学び」にあり
とりあえず始めた就職活動では、IT系の企業とコンサルティング会社のほか、紙おむつの大手メーカーに内定しました。IT企業は会社の雰囲気が良く、コンサルはなんだかバリバリとカッコ良さそう。一方の紙おむつの大手メーカーはよくわからないと感じ迷っていたら、就活塾の先輩がまたアドバイスをくれました。
事業の上流から下流までを見られる大きな企業であること、また中途で入ると考えたときに難易度が高くチャンスが限られることから、紙おむつの大手メーカーが良いとすすめられたのです。
実際に入社してみると、助言以上に良い経験が積めたと感じています。大きな組織がどのように機能しているのかを体感でき、ビジネスの全体像を俯瞰することもできました。現在の事業での連携につながる人脈ができたことも、大きな収穫です。
また入社時から、社内ベンチャーにチャレンジしたいこと、ゆくゆくは独立起業したいことなども企業側に伝えていました。大きな企業であれば、そうした観点でキャリアを積んでいくことを応援する風土があることも多いです。いずれは起業やフリーランスで働いていこうと考えている人も、一度大きな企業に所属し、ビジネスや組織の実態を知ることは得難い学びになるでしょう。
失敗は飛躍へのバネ。新たな道へ行くきっかけにしよう
紙おむつの大手メーカーでの経験は非常に価値あるものでしたが、次のステップに進むきっかけとなったのは「失敗」が大きかったですね。
当時営業として実績を出した後、花形のマーケティング部署へ異動になったのですが、一体何をしたら良いのかわからない。自分のいる意味というか、目指すべきゴールが、いつまで経っても見えないままでした。来る日も来る日も「何をやっているんだろう」とモヤモヤした気持ちで働いていたことを覚えています。
なんとかこの状態を脱したい、ブレイクスルーを起こしたいと思って、希望を出して海外に異動したりもしましたが、大した結果は出せなかったですね。その後、地元である大阪に転勤になったことで、「ここに戻ってきたタイミングで起業しよう」と覚悟が決まりました。
大企業のマーケティングを学べた経験は大きかったし、海外での経験も積めたことは間違いないのですが、相対的に見て自分がマーケターとして成功できたとは思えません。しかし、失敗を経験したことで自分をあらためて客観視して「やっぱり自分の事業がやりたい」という初心に戻ることができました。肚も決まったと思います。
失敗をどんな形で次に活かすかは人それぞれですが、私はうまくいかなかったからこそ、その悔しさがまったく違う次のステップへふみ出すきっかけになりました。失敗は大きな成長へのバネになることを忘れず、失敗だと思ったときこそその反動を利用して飛躍する方法を考えるのも一つの手だと思いますね。
現場を見て情熱を育もう
独立してからはさまざまな事業を展開し、紙おむつの大手メーカーと連携したサービスも好評を得ています。起業後、事業の連携に加えて、私が失敗を重ねたマーケティング部署に講師として呼ばれたことがありました。ダメ社員が先生として凱旋するわけですから、人生は何があるかわかりませんね。
それをきっかけにあらためて自分がうまくマーケティングができなかったわけを考えた時、情熱が足りなかったからではないかと思いあたりました。なぜその仕様にするのか、どうしてその数量にするのか──こうした決定の裏には、ユーザーや課題解決への徹底的な共感や当事者意識が必要だったのだと思います。私がかかわっていたのは生理用品でしたが、自分が男性であることを差し引いても、価値創造への意欲が足りていませんでした。
皆さんも志望する業界、企業がありますよね。その商品やサービスが活用されている現場を見ておいて損はないと思います。誰にどんなふうに求められているモノなのかをあらためて自分の目で見ることで、自分がそこにかかわる情熱が生まれてくるものです。
そしてその情熱や価値を共有できる企業であれば、きっと活き活きと働けるはず。ぜひ商品・サービスが提供されている現場を見て、思いを高めてください。その情熱こそがキャリアのエンジンになるでしょう。
取材・執筆:鈴木満優子