「毎日イチを積み重ねたか」を振り返りながら歩んだキャリア|成長の意義を知る人が一歩先を行く

ファクトリージャパングループ 専務取締役 太田 敦士さん

ファクトリージャパングループ 専務取締役 太田 敦士さん

Atsushi Ohta・宮城県仙台市出身。小学3年生でボーイズリーグに入り、5年生で全国大会準優勝。仙台高校に入学後は、2年連続で甲子園の県大会ベスト4に勝ち残る。1995年ドラフト4位でオリックス・ブルーウェーブに入団し、同校初のプロ野球選手となる。1999年に初の一軍登板を果たすも肘を故障し、2000年に現役引退。2005年よりカラダファクトリー直営店で修業を開始し、セカンドキャリアとして2006年3月にカラダファクトリーフランチャイズ加盟企業に入社。2009年4月、ファクトリージャパングループへ転籍。店長やエリアマネージャー、教育部を経て、2018年1月に本部サロン営業本部の本部長兼執行役員に就任。上席執行役員を経て、2021年8月以降、現職

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ファーストキャリアは「小さな前進」を認めてくれる環境へ

「プロ野球選手になりたい」子どもの頃から抱き続けていたこの夢をキャリアとして本気で意識し始めたのは、高校進学の頃でした。甲子園の強豪校である私立高校に推薦で入学する選択肢もあったのですが、プロ野球選手を教え子に持つ有名な監督がいる公立高校に進学しました。「有名な指導者の下で練習できたほうが、プロを志すうえでの自分の成長につながるだろう」と考えたのが理由です。

その期待どおり、高校時代にはプロになるうえで必要な準備ができたと思います。その監督のところへプロ野球のスカウトが見に来るという幸運もつかむことができ、卒業後はプロ野球入りすることができました。幼い頃からの夢がかなった瞬間で、この出来事が、キャリアにおける最初のターニングポイントです

野球選手時代はひたすら“好きなことを仕事にできる喜び”を味わっていましたね。野球が好きで仕方がない人たちと一緒に、幼い頃から大好きだった野球に毎日集中できて、しかもお金までもらえるのですから(笑)。戦力外通告もある厳しい勝負の世界ではありますが、大変さよりも楽しさが勝っていました。

1社目で「仕事って楽しいな」と思えたら、そこから40年以上続くキャリアにもきっと前向きな気持ちで臨めるはず。これから社会に出る皆さんにも、ぜひファーストキャリアを選ぶ際には働くことの楽しさを感じられる会社を探してほしいなと思います。

太田さんのキャリアにおけるターニングポイント

仕事の楽しさを知るためには、学ぶ楽しさを教えてくれる会社に入るのがベストです。人に対してドライで成果主義一辺倒の会社よりも、新人に対して「できないのは当たり前だから」と寄り添ってくれ、何か一つでもできたことを認めてくれるような人たちがいる温かい会社のほうが、仕事の楽しさは見つけやすいと思います

具体的には、10の目標のうち2しかできなかったときに「2進んだね、すごいじゃん」「できたことにフォーカスしよう」と声をかけてくれる環境です。学習期間をくれる会社とも言い換えられるかと思います。

10のうち2しか達成できなかったときに「自分はダメだ」と落ち込んでしまえば、次の一歩をふみ出しづらくなります。逆に「それでも、2は進んだじゃないか」とポジティブに考えられる人は「よし、次は違うやり方でやってみよう」と次のチャレンジに進むことができるでしょう。社会で活躍している人材は、総じてポジティブです。それは、ポジティブでなければ挑戦し続けられないという事実があるからではないでしょうか。

自分で自分を褒められる人=自己肯定のマネジメントができている人は、褒めてくれない環境でもやっていけると思いますが、メンタルが強い人ばかりではないでしょうから、まずはできたことを肯定してくれる環境がある会社に注目してみてください

会社選びで注目すべき観点

実は私も、社会に出てから「自分で自分を褒める」ができるようになった人間です。立場が上になるほど褒めてくれる人は少なくなるので、今でも自分で自分をガンガン褒めてモチベーションを保つようにしています(笑)。

アイデンティティ発掘の先に見出した「次なる道」

入団4年目には一軍にも昇格でき、さあこれから結果を出すぞと意気込んでいた矢先、肘の痛みを感じるように。違和感があるにもかかわらず「一軍として試合に出たい、結果を出さなければ」という気持ちが勝り、その後も痛みを我慢し続けてしまいました。

その結果、筋断裂の状態になり、試合を休まざるを得ない事態に。治療後は「次のキャンプに間に合わせる」という目標を掲げて半年間ほどリハビリに励み、痛みが残るなかで復帰したのですが、元の感覚や状態には戻ることができず、入団から5年目に引退することになりました。

野球選手は小さい頃から夢だったので、戦力外通告を受けた瞬間はさすがにショックを受け数日間はまったく眠れませんでした。それでも、キャリアの空白期間はあまりなかったように思います。公立高校で野球に没頭しながら授業の単位を取るくらいには要領が良く、比較的常識的な考え方をするタイプだったので、極端に道を逸れることはなく「野球がなくなったら、自分は何ができるのだろうか」と考え始めました

「今から大学に進んで、勉強をし直すか?」「引退後の先輩選手たちのように何かビジネスを始めるか?」等々、恩師や先輩たちに相談しながらいろいろな道を検討しました。ファーストキャリアはドラフト指名だったので、この時期に初めて就職活動中の学生さんと同じような自己分析に取り組みましたね。

そうして見出したのは「体を資本としてやってきた」という自分のアイデンティティです。身体に関する知識を学んでおけば、致命的な故障につながらなかったのではないか。もしかしたら私以外にも、同じ壁にぶつかる人がいるのではないか。そんな結論に達し、トレーナーという職業を目指そうと決意しました。ここが2つ目のターニングポイントです。

トレーナーとして必要な整体の技術を習得するためにカラダファクトリーに入り、修行期間を経て正式に入社できることになりました。それまではトレーニングを受ける側でしたが、施術をする側になったことによる発見や気づきは非常に多かったです。毎日新しいことを知るのが心から楽しく、前向きに成長できたように思います

一方で、何もかも自分でやらなければならない社会人生活の大変さや、世の中の厳しさも実感しました。選手だった頃は一日三食、寮で栄養のあるご飯が食べられますし、遠征に出るとなればホテルや新幹線のチケットも何もかも球団が手配してくれ、野球以外のことを何一つしなくて良い、至れり尽くせりの生活だったからです。セカンドキャリアはそのギャップを埋めるところからのスタートでした。

モチベーションの源泉は「動機」にあり。成長の目的を履き違えないで

ファクトリージャパングループ 専務取締役 太田 敦士さん

野球も自分のスキルを磨くことがファンの皆さんの喜びにつながる仕事ですが、トレーニングは一対一でお客様と向き合う対面のビジネスなので「目の前の一人を喜ばせることができた」という実感は、野球以上に大きいように思います。

施術家になってからは、一人でも多くの方にファンになってほしいという気持ちで頑張っていたのですが、どんなに努力をしても一日十数名が限度でした。そこから、自分と同じ思いを持った人材を育てることができれば、もっと多くのお客様を喜ばせることができるのではないか、教育の仕事もおもしろいのではないかと考えるようになっていきました

そして30歳になる頃には、教育やマネジメントの道に進もうと決めました。ここが3つ目のターニングポイントです。もともと人前で話すのが苦手で、組織のなかでは2番手や3番手でいるのが好き、えらくなりたいと思ったこともなかった私がキャリアアップをしようと思ったのは、施術家として一人でできることに限界を感じたことが理由です。

社会に出るときに「成長したい」と口にする若い人は少なくないですが、成長すること自体が目的ではない、ということはぜひ覚えておいてください。何のために成長するのかという動機付けが一番大事で、その目的があって初めて本気のモチベーションがわいてきます。

私が施術家として成長できたのは、ひとえに「お客様のため」という気持ちが強かったからだと自覚しています。私が提供する施術のファンになっていただき、通っていただきたいという思いが強かったので、再来店いただけなかったお客様がいれば「どうしたら良かったんだろう」と振り返りを必ずしていました。その習慣が、自分を磨くことにつながっていったのです。

人が本当に力を発揮するためには、「誰かのため」というマインドが必要だと私は思います。就職活動の際には「何のために成長したいのか」ということを、自分の胸に問い続けてみてください。くれぐれも、その会社に入ることやその職種に就くことを目的と履き違えないことが肝心です。

「何のために成長するか」のを考えよう

「わかってくれない」に終始しない。自ら相手の思考や行動を変える働きかけを

社会に出れば不満や納得がいかないこともあるものですが、愚痴を言うだけに終始せず、自分から相手の思考や行動を変えるよう働きかけていくことが大切だと思います

入社から10年ほどは関西の店舗にいましたが、当時は社内でもあまり目立たない存在でした。しかし上述した「自分で自分を褒める」という自己肯定のマネジメントができるようになるにともなって積極性も身に付いてきて、次なる飛躍のきっかけをつかむことができ、さらに自分のやりたいことを推進させるために経営トップである社長の力を使わせてもらう、といった大胆なこともできるようになりました。

成果を出しているのに会社に認めてもらえないと感じていた時期には、当時の社長のスケジュールを自分から取りに行って「関西の店舗も見に来てください!」と猛アピール。そして社長が来てくれたら「こういう話をして、こうやって動いてもらおう」と細かくスケジュールを組み、目的を持ったアテンド(付き添い同行)を心がけました。社長に褒められたらスタッフの士気も上がるだろうと考えたことが理由です。

そのようなことを繰り返すうちに、社長は関西を好きになってくださり、「関西の店舗が、一番当社のコンセプトを体現してくれているよね」などと公言してくれるように。私としては関西で目立っていれれば十分だったのですが(笑)、その後「本社に来てほしい」と引っ張ってもらい、現在のキャリアにつながっていきました。

「頑張りを認めてもらえない」と会社に対する愚痴や文句を言う人は少なくないですが、これを読んでいる人がもし同じような状況に悩んだら、上の人の目に入るのをただ待つのではなく、自分からチャンスを取りに行ってほしいなと思います。その行動によってキャリアを開いた私からのメッセージです。

太田さんからのメッセージ

本社の教育部門に移ってからは、社内でも一、二の売上を誇る店舗の売上を立て直す役目を任されて人材育成に取り組んだのですが、この時期の経験も今のキャリアや価値観につながっています。それまでは「自分がやれば売上を作れる」という自信があったのですが、人に教えることの難しさを初めて痛感しました。

こちらの言いたいことを汲み取って成長してくれる勘の良いスタッフもいましたが、あれこれ工夫して教えても活躍に導けないスタッフも一定数いました。「なぜこうできないの?」という思いが先に立ち、他責の念を抱いてしまった時期もあります。しかしある日、いろいろな価値観の人が受け入れられる教え方ができていないのは自分の力不足だ、と認めるにいたったのです

教えを理解させてあげるのが私の仕事で、スタッフ全員の成績を上げられないのは自分の責任だ。そう思えるようになってから、本気で「教える」という行為に向き合いました。

自分が伝えたつもりでも、相手に伝わっていなければ、それは伝えたとは言えないこと。伝わっていても、どのようにして実行に移せば良いかまで導かなくては、教育や指導とは言えないこと。そのようなことを心から理解した結果、次第に教えを理解してくれるスタッフが増えていきました。

今振り返ってみると、以前の教え方には「興味を持ってもらい、実行に移せるよう順序立てて導いていく」といったプロセスがまったくなかったなと思います。

どうすれば人の心と行動が変わるかについては、以降もずっと考え続けてきました。「相手がわかってくれない」ではなく、自分がわからせなくてはならない、そのためには相手に「その情報や知識が欲しい」と思ってもらえることが必要で、欲しいと思ってもらうには「どう伝えるか」が最重要だ。今はそんな結論に達しています。誰が相手でもこの理屈は同じです。

直属の部下を教え、成長に導けることは、今一番のキャリアの充実感につながっています。「自分がこうしたい、ああしたい」ということはちょっと脇に置いている感覚ですね。もちろん、自分の価値観もブラッシュアップし続けなければ、部下も成長させられないという危機感は持っています。

ここ数年は営業部門の責任者として「自分がいなくても回る組織にする」という目標のもと組織作りをしてきましたが、かなり目指す状態に近づいてきました。営業部門が自走できる見込みが立ったら、次は違う部門のマネジメントをしてみたいというのが今後のキャリアビジョンです。

マイルールが変えた「今」。習慣づけをして理想の自分に近づこう

「1」を毎日積み重ねる。これは私がずっと大切にしてきた“自分ルール”の一つです。毎朝、今日はこれを実現しようと決め、ちゃんと実現できたかについて、一日の終わりに必ず振り返りをします。「もっとこうしたほうが良かったかな」「次は気をつけよう」などと思ったことがあれば、それも振り返り、翌日以降の目標にします。

この習慣が自分を成長させてくれたと自覚しているので、学生の皆さんもぜひ試してみてください。若い頃は周りと比較して焦りがちですが、「時間がかかっても、前にさえ進んでいれば良し」と考えてコツコツと「1」を積み重ねることが肝心です。毎日ほんのちょっとでも前に進んでいれば、1年後、3年後にはかなり成長している自分に出会えると思います。

ほかにも「一日一個、必ず知らなかったことを知る」「一日一善」など、さまざまな自分ルールを持っているのですが、もう一つおすすめするとすれば「その役割を演じる」という意識を持つことですね。

私は生来の人見知りで、役員になった今でも人前に立って話すことが好きではありませんが、自分がかなえたい目的を達成するためには、任された役割を演じようという気持ちで対応しています。 たとえば、店長時代は「サロンのトップは勇気と元気を振りまく存在だ、だから自分はこういう立ち回りをしよう」と決めて、自分から積極的にスタッフたちへ声をかけて回っていました。

素の自分がどうであれ「演じる」という意識を持てば乗り切れることは多くあるので、メンタルが弱い、対人力に自信がない人は、一つの方法論として参考にしてもらえたらと思います。

太田さんが大切にしている習慣

流行りの業界に飛び付かず「未来の需要と供給」を考えてみよう

就職活動時には、ぜひ自分なりに未来の社会の需要・供給についても考えてみてください。くれぐれも「今はこういう業界がトレンドだから、とりあえずこの業界に入っておけば間違いないだろう」などと安易に流行に乗っからないこと。世の中を俯瞰的に捉えてみて、これからどういうニーズが生まれてくるのかイメージしてみると、今後きっと必要とされるだろうと自分なりに意義を見出せる業界が見えて来ると思います

あくまで私見ですが、私は「AI(人工知能)やデジタル化が進めば進むほど、一対一の対面サービスの需要が高まる」と予想しています。マッサージロボットがどんなに進化しても、腕を磨き続けているプロの施術家の手によるサービスには敵わないと思いますし、非対面で済むことが増えるほど、運動や健康といったチャネルは重要になってくるだろうと、当社のビジネスに将来性を見出しています。

最後に、何より大切にしてほしいのは、自分で決めるということです。人の意見で決めてしまうと、選択の結果を責任転嫁してしまいます。納得のいくキャリアを歩みたければ、とにかく自分で決めることが肝心です。

若い人と話していると、「どうしたら良いですか」「こうしたら良いですか」と行動や決断を人に委ねるような質問を受けることが多いです。これは学校教育の問題もあり、学生のうちから仕事や社会に対してリアルなイメージを持ちづらいことも原因だと思いますが、そういう質問をもらったときには「正解はいっぱいあるよ、自分の正解を見つけていこうよ」と伝えます。

決められないなら、決めるための材料を自分から取りに行きましょう。「ちょっとおもしろそうだな、やってみたいな」と興味を感じる仕事や会社があれば、自分の目で仕事場を見に行ったり、先輩社員に話を聞きに行ったりしてみてください。迷い続ける人の特徴は腰が重く、アクションを取っていないこと。行動することから見えてくるものはたくさんあるので、自分の人生を決められる人間になるためにも、まずは「一歩」をふみ出してみてほしいなと思います。

太田さんが贈るキャリアの指針

取材・執筆:外山ゆひら

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