情熱の源泉は人生を歩みながら見出す|キャリアの掛け合わせで唯一無二の人材へ

ウサギノネドコ 代表取締役社長 吉村 紘一さん

ウサギノネドコ 代表取締役 吉村 紘一さん

Koichi Yoshimura・慶應義塾大学環境情報学部卒業後、2001年にアサツーディ・ケイ入社(現:ADKグループ)。マーケティングプランナーやコピーライターとして、企業や商品のマーケットリサーチや広告コンセプトの策定、広告制作、商品開発等を広く経験。2006年からは本業の傍ら、「植物の美しいかたち」をコンセプトにした「Sola cube(ソラキューブ)」を開発し、販売を開始。2011年にアサツーディ・ケイを退社し、2012年に「自然の造形美を伝える」をコンセプトとした「ウサギノネドコ」京都店を立ち上げる。2014年には法人化し、以降現職。翌年には「ウサギノネドコ カフェ」をオープンさせ、2016年以降はニューヨーク、パリ、上海などの展示会にも出展し、海外での取引先や販路を拡大。2019年には「ウサギノネドコ」東京店をオープンさせる

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就活だけで人生は決まらない。未来をつくるのは「情熱の源泉」

私が学生の人に一番伝えたいのは、最初の就職活動だけで人生は決まらないよ、ということです。「この業界、この会社に絶対入るんだ」という針の穴をとおすような就職を目指さなくても良いと思います。第一志望の会社に新卒で入社できる人はほんの一握りですし、その会社に所属することを目的にした “就社活動”をすると、会社の看板がなくなったときに「お前は何者なのか」という問いを突きつけられることになるでしょう。

就職のタイミングでやりたいことが明確な人はむしろ少数派で、社会に出てからやりたいことが見つかる人も多いと思います。その意味でも “やりたいこと探し”を急ぐ必要もありません。ただ、自分のコアとしての「情熱の源泉」を言語化したり、理解しておくことは重要です

「情熱の源泉」は「人生をとおして情熱を注いでやりたいこと」と同義と考えてもらって良いと思います。必ずしも具体的でなくとも構わないですし、抽象度が高くても問題ありません。自分にとっての「情熱の源泉」がどこにあるのかを就職してからも問い続けていれば、徐々に明確化されたり、絞られていくはずです。

「情熱の源泉」を見つけることができたら、それはそれで大切にしつつ、一方で自分の可能性を狭めることなく、いろいろな業界や職種、会社に視野を広げて経験を積んでみてください。そこから予期せぬ新たな視点が生まれたり、その経験が将来、大いに役立つこともあるでしょう。

私自身、決してストレートではないキャリアを歩んできましたが、社会に出て20年以上経った今、点であったすべての経験が線になり、線が面になって自分自身を形成してきたという感覚があります。「情熱の源泉」さえ心のなかで大事にしておけば、キャリアにはいろいろな手段や道があって良いのです。これから社会に出る人も「この会社に入って〇〇になる」といった限定した手段に固執せず、柔軟にキャリアを歩んでほしいなと思います。

吉村さんからのメッセージ

アートに惹かれクリエイティブに憧れた学生時代

私の「情熱の源泉」は今も変わらず「美しいものをつくりたい」というところにあります。物心がついた頃から美術が好きで、小中学生の頃には立体物や彫刻に関心を持っていました。高校時代には学校の選択美術で鍛金を選び、金属の造形物を夢中になってつくっていました。

大学は当時新設されて10年目の慶應義塾大学の総合政策学部に入学しました(後に環境情報学部に転部)。起業家を多く輩出していましたし、色々とチャレンジできそうな印象でおもしろそうだなと思い入学を決めました。

ただ、入学後も美術の世界への憧れを捨てきれず、「現代芸術」という一般教養の授業の先生に「美術やものづくりに興味があるので、大学を辞めて今から美術学校に進学し直そうと考えているがどう思うか?」と相談したことがあります。

しかしその先生は「せっかくおもしろい大学に来たのにもったいないよ」と引き止めたうえで、「美術の世界に興味があるなら、この学校でコンピューターグラフィックスや、コンピューターアートができるんじゃない?」と助言をくれたのです。その先生は美術館の館長を担っていた方で、いただいたアドバイスには納得感があり、そのまま在学してコンピューターグラフィックスのゼミに入ることにしました。

ゼミでは3DのCGソフトを使ってアニメーション制作に没頭していたのですが、数分間の短い作品を『たけしの誰でもピカソ』(テレビ東京)という番組で取り上げていただき、自分の手がけた映像が地上波で流れるという貴重な経験もできました。

自分がつくった映像が数分間、メディアをジャックしているという体験はワクワクと胸躍る感覚があり、メディア業界に興味を持った直接的なきっかけにもなりました。そして就職活動では放送局や広告代理店などを受け、内定をいただいた広告会社、アサツーディ・ケイ(現:ADKグループ)に入社することを決めました。

どんな環境でも前向きに、全力で。自分が戦える土俵は自分でつくる

当時、広告の世界で花形であったCM制作に携わりたいという思いを持って入社しましたが、配属されたのは予想外のマーケティング部門でした。マーケットリサーチをおこない、そのリサーチ結果を数字的に分析して、企業の広告戦略を導く部署です。

当時はそこにクリエイティビティがまったく見出せず、困惑しましたし、正直なところ落胆もありました。表現への憧れが強すぎて、「つくり手になりたい」ということしか見えていなかったのです。

そんな背景もあって満たされない表現欲求はどんどん強くなったのですが、一方で当時の広告業界のスター達がつくる広告を見て「自分ならもっとおもしろいものをつくれるのに!」なんてことは微塵も思えませんでした。羨望と嫉妬の目で見てはいましたが(笑)。「よくこんなことを思いつくなぁ」「自分にはつくれないなぁ」とあきらめのような気持ちも募っていきましたね。

自分の実力に自信がないからこそ、「大勢の競合がいる土俵や人がつくった土俵には乗らない。土俵はずらして戦う」という自分なりの哲学ができた気がします

圧倒的な才能がある人は、その世界のメインストリームを突き進めば良いと思うのですが、自分はそうではない。それなら自分だけが戦える表現の世界・土俵を、自分でつくれば良いのではないか。そう思いいたったのです。「自分が戦える土俵は自分でつくる」という考え方は、その後のキャリア選択においてのベースになったように思います。

マーケティングの仕事を経験できたことは、そうした「戦略的な思考」を身に付けることができたという意味で、結果的に私のキャリアの土台とも言える重要な経験になりました。ここがキャリアの一つ目のターニングポイントだったと認識しています。

 「一度決めたことは途中でやめたくない」という性格もあったのかもしれませんが、何か身に付けたと言えるくらいになるまでは置かれた環境から逃げないぞ、という気持ちは強かったように思います。それに配属当初こそ戸惑いはありましたが、マーケターの視点を身に付けていくと、おもしろいなと思える仕事はたくさんありましたし、マーケティングのスキルや視点を身に付けたことが後々ものづくりの世界に行ったときに非常に役立ちました。

吉村さんのキャリアにおけるターニングポイント

与えられた仕事が自分の望むものではなかったとしても、3〜5年くらいは本気で頑張ってみる。これから社会に出る人にも、この点を心からおすすめしたいです。

キャリアを軌道修正するチャンスはいくらでもあるので、焦る必要はありません。一つの仕事を最低でも3年くらいがむしゃらにやれば、その仕事を通じて得た知識やスキル、経験は別の場所でも通用するものになります。「石の上にも3年」という先人たちのアドバイスには一理あるように思います。

どんな仕事であっても毛嫌いせずに一生懸命取り組めば、必ず自分の血肉になります。おもしろがってやってみることや、すぐに辞めないことで、得られるものは必ずあるはずです。社会に出たら、まずは目の前の仕事に全力を尽くしてみてほしいですね。

副業として「ものづくり」のキャリアをスタート 

ウサギノネドコ 代表取締役社長  吉村 紘一さん

入社6年目にはついに目標だったクリエイティブの部門に行くことができ、コピーライターとして経験を積みました。最初から華やかな第一線の仕事ができたわけではないですが、学んだことは多かったです。

当たり前のことですが、そもそも広告は個人の表現の場ではなく、企業や商品の魅力をどう伝えるか、その手段を追求する場だと気づけたことも大きかったですね。そしてそのうちに「クライアントのお金で自分の表現欲求を満たそうなんておこがましい。手弁当(自費)でリスクを取って、自分で本当につくりたいものをつくってみよう」と思うようになりました。そして「植物の美しいかたち」をコンセプトにしたSola cubeを自ら開発し、副業として細々と販売をスタートさせたのです。

「ものづくり」のキャリアを始められたことは、2つ目のターニングポイントです。自分の「情熱の源泉」を体現するための方法を模索し続けてはいましたが、最初の段階でSola cubeを本業にできたかを自問してみると、その自信は正直ありません。事業の基本は「小さく生んで、大きく育てること」だとよく言われますが、本業という基盤があったからこそ、最初の小さな一歩をふみ出すことができた実感もあり、今振り返っても会社員であったことは非常にありがたかったですね。

Sola cubeは自分にとってもまったくの新しいチャレンジでしたし、ニッチな商品ではありましたが、少しずつファンを広げていくことができました。「100人のうち、たった1人の心に深く刺さる商品や体験を提供する」というポリシーはこの頃にできたものです。自分の表現したいものを理解してくれる人が100人中1人しかいないとしても、日本全体で見れば100万人のお客様がいるということも、マーケティングで培われた考え方だと思います。

そして入社から丸10年経ったタイミングで、退社を決意。実は入社のタイミングから、10年間で会社の外に出よう、そのための実力をつけようということは決めていました。実際に10年経って独立するだけの実力があったかどうかはわかりませんが、マーケティングプランナーやコピーライターとしてそれなりの能力を身に付けられた手応えはありましたし、Sola cubeという新しいプロダクトを生み出せていたこと、またそれが徐々に軌道に乗ってきていたことも追い風になりました。

とはいえ、退社の決心はそれなりに勇気が要りました。最後の給料日には「これで会社員としてお金をもらうのは最後だな」とドキドキしたことを覚えています(笑)。

複数のキャリアの掛け合わせで唯一無二の人材へ

1社目を辞めた後は個人事業主としてスタートしました。Sola cubeでは植物をテーマに扱っていたのですが、植物に加え、鉱物、動物も扱うお店をつくろうと決め、自然の造形美を伝えることをテーマにした「ウサギノネドコ」というお店を京都に立ち上げました。ここが3つ目のターニングポイントです。

鉱物や動物に詳しかったわけではありませんが、事業のドメインを決めてからアンテナを広げてみると「おもしろいものがいっぱいあるな」と気づき、自然界全体にある造形美に強い興味関心を持つようになりました。これによって「博物収集家」としてのキャリアにつながっていきます。

ウサギノネドコのコンセプト立案においては、1社目で培ったマーケティング思考が大いに役立っています。論理的思考力や戦略的思考力が鍛えられていたことで、自分がどの世界で、誰を対象に、どんな商品やサービスを提供していくのかを考えることができています。

4つのキャリアの掛け合わせ図

「つくり手」「マーケター」「博物収集家」という3つのキャリアに加え、起業後の11年間で「経営者」というキャリアを確立することができました。

経営の肝の一つは財務だと思いますが、今は経理も財務も自分でできるようになりました。以前はお金のマネジメントは大の苦手だったのですが、経理や財務を理解していることは、会社の健康診断を自分でできるようなもので、会社の課題が手に取るようにわかるようになります。会社の財務事情をきちんと把握することは、経営者として本当に大切だと最近は強く思います

これまで培ってきた「マーケター×経営者×ものづくり×博物収集家」というキャリアの掛け合わせで、今は自分自身が唯一無二の人材になれている実感があります。今後もこの4つの職能をしっかりと深めていき、「自然の造形美を伝える」プロフェッショナルになっていくことが個人としてのキャリアビジョンです。

10年先、20年先の目標はまだ模索中ですが、最終的には100年後も残っている“強度のある美”を生み出したいですし、結果として100年先にも残っている強い会社にしたいと思っています。

また最近は、これまでの経験や知識、スキルを、講義や文章などの形で見える化し、社会に還元できたらという思いも芽生えています。アート脳とビジネス脳の両方を持っている人はそう多くありません。私の能力は、その一つだけを切り出せば、ほかにも替えがたくさんいると思いますが、複数のキャリアを掛け合わせることで唯一無二になれていると感じます。自分がこれまでに得てきたキャリア、スキル、ノウハウが役立つ人がいるのではないか、といったことを最近はよく考えますね。

特に「才能はあるけれど、どう稼げば良いかわからない」という若いアーティストや表現者たちには、道のつくり方のヒントを何かしら伝えられる気がしており、今後、実現したいことの一つです。

目指すべくは「自らを高められる環境」。柔軟に自分を適応させよう

最近、改めて感じているのは「自分はやっぱり0から1を生み出す仕事が好きなのだな」ということです。事業をやっていると予期せぬ依頼が毎年何かしら舞い込んでくるのですが、やったことがない仕事ほどワクワクするタイプなので、新しいチャレンジは楽しくて仕方がありません。保育園の中に博物館をつくったり、博物館のプロデュースをお願いされたりと、いろいろなチャンスをいただいています。

経営者とひと口に言っても、0から1を生み出すのが得意な人、1を10にするのが得意な人、10を100にするのが得意な人などいろいろなタイプがいて、会社をさらに大きくさせたいと思うなら、1を10にする力も磨かなければと思っているところです

マーケティングにしても経営にしても、もともと苦手意識があったことですが、今はそれなりに身に付けられた感覚があります。その動機の源泉は成長意欲だったように思いますね。苦手であったり、得意でないことであっても、「この試練の先には成長した自分に会えるだろう」といった予感があれば、人は意外と頑張れるもの。これから社会に出る人たちにも、ファーストキャリアには自らを高められそうな環境がある会社を選んでほしいです。

ファーストキャリアの選び方

私にとっての1社目は、まさにそういう会社でした。つらい仕事に向き合っていた時期には「明けない夜はない、終わらない仕事もない」とよく自分に言い聞かせていましたが(笑)、ストレスの大半は仕事量やクライアントの期待に応えていく大変さの部分にあり、理不尽なことや人間関係で悩んだことはありません。上司は厳しくも優秀な人ばかりでしたし「この先に何か学べるものがあるかも」という期待があったから頑張れたのだと思います

当時の広告代理店には師弟関係のような上司と部下の関係性がまだ残っていて、私は10年間の在籍期間中、何人かの師匠の下で修行をさせてもらった感覚があります。この上司はプレゼンが得意だな、この上司はロジカルシンキングがずば抜けているな、この上司はクリエイティビティが素晴らしいな、とそれぞれの得意分野や思考の癖みたいなものを見つけては会得しようと試みていましたね。

私自身末っ子で、昔から上の人を観察するのが得意だったこともあるのかもしれませんが、「今この部署にいるうちに、この上司から、これを学ぼう」と決めて、できる限りのことを吸収しようと試みていました。

そんなふうに周りの環境に適応しながら柔軟に自分を変化させたほうが強い自分になれるよ、ということは、これまでの経験から皆さんにできるアドバイスです。環境に抗って自分を貫くスタイルは決して否定しませんが、自然界の植物や動物も、置かれた環境に適応することでタフに生き残っていきますよね。そんなふうに柔軟にキャリアを歩んでいくことも、正攻法の一つではないかと思います。

吉村さんが贈るキャリアの指針

取材・執筆:外山ゆひら

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