若さや無知を武器に挑戦と失敗から学ぶ|若いうちの苦労は買ってでもしよう
横引シャッター 代表取締役 市川 慎次郎さん
Shinjiro Ichikawa・中国清華大学の漢語進修生を経て、語言文化大学(現:語言大学)卒業。横引シャッター入社後、2012年に事業承継によって代表取締役就任、以降現職
怠惰な留学生活を変えたのは、自由になって初めて芽生えた責任意識
幼い頃から、家業を継ぐことを前提に育てられてきました。その環境に対する違和感や反発を感じることもなく、いつかは親が経営する会社を率いる立場になるのだと自然と考えていましたね。一方で、やはり親や周囲からの目を気にすることは多かったように思います。
だからこそ、高校卒業後にあるきっかけで中国に留学したときには、人生で初めて心の底から自由だと感じました。
中国留学のきっかけは、会社の事業展開に紐づいたものでした。中国に当社と現地の会社が出資する合弁会社を作ったものの信頼のおける通訳が見つからず、私が将来中国語を話せたほうが良いだろうという父の考えがあったからです。私の意思は特になく、突然中国へ留学することになり、空港で初めて中国語の辞書を買ったくらいでしたね(笑)。
中国では2年半語学学校に通い、その後3年間大学で学びました。誰の目もなく自分の意思で過ごせることがうれしく、中国生活をエンジョイしていましたね。物価が安いのに仕送りは潤沢だったので、やりたい放題でした。当時、日本から中国に留学している学生も似たようなもので、学校にもろくに行かず、麻雀に明け暮れている人が多かったです。
しかし、ある時「これではいけない」と目が覚めたのです。こんな生活をしていたら腐ってしまうと危機感を覚えました。せっかく中国にいて自由なのに、ただ時間を浪費していてもしょうがないと思い直したのです。加えてこの頃は素晴らしい先生に出会ったタイミングでもあり、人生で初めて勉強が楽しいと感じて勉学にも勤しむようになりました。人生のギアチェンジをする良いタイミングになりましたね。
今思い返すと、ただ怠惰な留学生活にならなかったのは、自由の先に責任を感じることができたからだと思います。家族や周囲の目から離れ新しい生活を自分で作っていくなかで、本当の意味での自由を知りました。だからこそ、「自分で自分をどうにかしないといけない」という責任も重要なものとして実感できました。良い教師との出会いも相まって、有意義で貴重な経験を積めたと思います。
若さは最高の武器。今この瞬間だからこそ得られる学びと失敗を
帰国後は家業に加わり、修行の日々を過ごしました。すべてを学ぼうととにかく忙しく働き、何日も徹夜をしたこともあります。家業はシャッターの施工なので、現場を学ぶために1カ月半の間夜間工事に携わり、昼夜なく働いたことも忘れられません。とにかく目の前のことに必死でしたね。
ただ、当時のことを今思い返してもつらかったとは思いません。それはもちろん仕事に没頭していたからでもありますが、睡眠時間を削っても熱中できたり、肉体的な負担が大きくても行動を続けられるという「若さゆえの特権」のようなものがあったからだと思います。若いというのは、それだけで武器になるということです。
あとは、まだまだ素人だというのも同様に強みと言えますね。なぜなら、失敗が許されるからです。私が今の年齢かつ社長の立場で失敗ばかりを繰り返していたら、周りから見限られてしまうでしょう。しかし、まだプロではない立場の若者が失敗しても、世間は寛容です。
だからこそ、若いということや、知らない・できないということを逆手にとって、どんどん挑戦し、失敗してほしいと思います。ただし、素直さは絶対に必要です。失敗を認識し、そこから学ぶという姿勢がなければ、成長は一定のところで止まってしまうでしょう。
素直な気持ちでチャレンジを繰り返せる今の時期は、二度と経験することのできないかけがえのない瞬間です。この時間を大切にしてください。
つらさは受け手次第で成長の可能性に変わる
どんな激務も忙しさもつらいとは感じませんでしたが、社長就任前後の社内のあれこれには、心が削られました。経営や人事をめぐってさまざまなトラブルがあり、毎晩眠れずに過ごした時期もあります。奥歯が割れるほど、食いしばりがひどくなったこともありましたね。大人になるということはこんなにもつらいことなのかと、頭を抱えました。
しかし、あるとき気づいたのです。「これは大人が感じる普遍的なつらさではなく、社長として会社を率いるつらさだ」と。それに気づくと、なぜかスッと気持ちが楽になりました。
社長業の重みなら、しっかり社長になれば乗り越えられるはず。それまでふわふわとしていた自己認識が改まり、覚悟が決まりました。「社員に誇りに思ってもらえる社長になろう」と明確な目標を持てたのもこの時期です。
どのようなつらさも、結局は受け取り手の感じ方次第です。観点をずらしたり、視野を広げたり、客観視してみたりすることで、ただつらいと思っていたことへの解像度が上がります。
私もつらさの根源には“社長業の荷の重さ”があると理解できたことで、良い社長になってやりきろうと思えました。
つらい、苦しい、抜け出せないと思うときこそ、ほかの観点や受け取り方ができないか、立ち止まって考えてみるのが良いでしょう。
「逃げ」は人生一度のジョーカーカード
視野を広げ、受け取り方を変えることで、きっとたくさんの困難を乗り越えることができると思います。私も自分のつらさととことん向き合ったことで、困難の正体が「社長業の重責」だと理解できてから楽になりました。
しかし、いつでも同じ方法で壁を乗り越えられるわけではないでしょう。どうしても受け入れられないことや、体や心を壊してしまうようなことだってあるかもしれません。そのようなときには、素早く逃げることも視野に入れてください。
ここで意識してほしいのが、「逃げ」はいわゆるジョーカーカードであるということ。逃げ出すのは1回、ジョーカーを切るように、ここぞという場面で使うと良いでしょう。そのように意識していることで、逃げ癖がつくことも回避できます。
私自身も、これまで何度かこのジョーカーカードを切るべきか否かを考えさせられる出来事に直面しましたが、そのたびに「いや、今はそのときではない」と考えてふん張ることができました。逃げは決して悪いことではないものの、その1回のカードを捨てるほどの困難ではない。自分はまだできる。そう自分を信じることにもつながったと思っています。
私にとって、逃げというジョーカーカードは努力を重ねるお守りのようなものでした。みなさんも、ぜひこの視点で自分の人生と向き合ってみてほしいと思います。
自分を変えたいと思うなら、まずは小さな変化から
逃げずにつらさを受け止め、社長としての成長を誓った後、まず始めたのは見た目の改善でした。自分の憧れの姿があって、理想像が描けたとしても、すぐにそれを達成できることは少ないでしょう。だとしたら、まずは負担なくできるところから着手するのも一つの手だと考えたのです。
意外と“見た目”は大きいもので、相手からの印象も変わりますし、自分も鏡を見るたびに変化を実感できます。髪型や服装、姿勢などは、手っ取り早く変えやすいですしね。
気にしていなかった身だしなみを整え、代表取締役というポジションに合った服を身に着けるようにしました。また、表情にも気を使うようになりました。尊敬する経営者でもあった父のようになろうと、目尻に3本のシワができるような、満面の笑顔を意識しましたね。朝、鏡をのぞいて表情の練習をしたほどです。
見た目が変わり、周囲が自分に抱く印象も変わると、次第に人間関係も変わってくるものですが変わってきます。人間関係が良好になれば一致団結しやすくなりますし、そこから実績も生まれて、さらにお互いの信頼は強固なものになりますよ。
結果として、今の自分は理想としていた社長像に向かって前進できている実感があります。私の目標は社員を幸せにすることなので、そこによりいっそう近づいていけるよう、これからも理想の自分の姿を見すえて一歩をふみ出し続けていきたいですね。
泥臭いところにこそ、会社の真の美点がある
理想にはまだまだ遠い私ですが、社員のため、会社の未来のために、力を尽くして経営をしています。そうなると、当然「会社の魅力がわかりやすく出ている部分を見てもらいたい」という思いもわいてくるわけです。そしてそれは、どのような会社でも同じでしょう。だからこそ、就活生の皆さんには外から見た姿が会社のすべてだと思わないでほしいですね。
メディアやセミナーなどで垣間見る姿は、会社のごく一部でしかありません。きれいな白鳥が水面下で必死に足をバタつかせているように、会社の裏側では泥臭いことが積み重ねられているのです。そこへ会社の良いところを見出せるか、泥臭さにも魅力を感じられるかが大切だと思っています。就職活動をするのなら、その裏側が見えないか、感じ取れないか、少しアンテナを立ててみてください。
たとえば、インターンに参加し直接社内の様子を見る、若手の社員と話をしてみるなどの方法があります。特に入社からあまり時間が経っていない若手社員と話して、その姿が自分が望む姿と重なる部分があるかは確認してみるのが良いでしょう。
何より、最後は直感です。きれいなイメージや情報を取り払って、この会社は自分に合っているのかを心に問いかけてみてください。そのとき感じるものを大切にしてほしいと思います。
私のこれからの目標は、社員を幸せにすること。泥臭くも楽しくワイワイと働きながら、社員がしっかりと稼げるような仕組みを作り上げたいと思っています。皆さんも会社の真の姿を見極めて、二度とないファーストキャリアを楽しく、納得してスタートできるよう願っています。
取材・執筆:鈴木満優子