生き方は徹底的な行動と自己理解の先に決める。「やりたいこと」を見出すだけがキャリア選択ではない

ヒトカラメディア 代表取締役 高井 淳一郎さん
Junichiro Takai・1985年名古屋生まれ・岐阜育ち。2010年に名古屋工業大学建築・デザイン工学科を卒業後、起業の志を持って上京し、2社での就業を経験。2013年5月、仲間とヒトカラメディアを設立、以降現職
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幼少期からの目標を失ったことで芽生えた「レールをはみ出す勇気」
キャリアの基軸となるアイデンティティについて最初に考えたのは、小学生の頃です。小学生といえば、勉強かスポーツかのどちらかができることが、人気者の条件。しかし自分は勉強はそれなりにできるもののトップではないし、運動も苦手ではないけれどトップになれる競技があるわけではない。アイデンティティを意識し始めたときに、「自分は何者でもない、どうしよう」という漠然とした不安やコンプレックスを抱くようになりました。キャリアにおける最初のターニングポイントと言えるかと思います。
その頃、たまたまテレビでヨーロッパの古い橋が紹介されている番組を見かけました。「自分が死んでも人の役に立つものを造ることができる仕事はかっこいいな」と建築家に憧れを抱き、小学校の卒業文集に「将来は建築家になる」と書いていました。もともと理系の人間だったので受験科目もスムーズにクリアでき、大学では建築系の学科に進学することが決まりました。
しかし入学してまもなく、建築を「作品」と呼ぶ業界の文化に違和感を覚え始めました。建築物は施主さんが費用を出して作るものなのに、なぜ建築家のもののように呼ぶのだろう。それって施主さんを置き去りにしていないか? と。現在はその価値観も理解していますが、当時の自分はそのように感じていました。今となって思えば、当時から「ビジネスはお客様目線に立ってするもの」という感覚があったのかもしれません。
ともあれ、そういった違和感を拭いきれず、18〜19歳の段階で「建築の世界は自分がいくべき道ではないかもしれない」という結論を出しました。ここが2つ目のターニングポイントです。

10年近く目指してきた目標が突然なくなってしまったので、将来像がまったくのゼロベースに。「やばい、これからどうするの、俺!?」と目の前が真っ白になった感覚でした。選択肢が広くなりすぎて路頭に迷うような気持ちでしたね。
焦りを感じるなかで友人がすすめてくれたのが、芸術家である岡本太郎さんが書いた『自分の中に毒を持て』という本です。詳細は端折りますが、とりあえず行動せよ、行動するから自信がついてくるんだ、すべては自分が起点なんだ、他者評価より自分がどうありたいかが重要なんだ、といった当時の自分が欲していたメッセージが飛び込んできました。
それまでは学習塾に通ったり、剣道に通って三段を取ったりと、割と模範的なレールの上で生きていたように思いますが、この書籍のおかげで、もともと持ち合わせていた“怖いもの知らず”の性格が開花。人生なんでもあり、の行動派に変わっていきました。
とにかく行動しまくった20代。そこから「自分」が見えてきた
以降は学業もそこそこに、超アクティブな生活をしました。朝起きた瞬間から行動を始めて、夜中の2時頃に体力が尽きて気を失うように眠る、という感じでしたね。
ビジネスにもカルチャーにも興味があったので、どちらの界隈にも顔を出していましたし、自分で学生起業のようなこともしていました。学生団体を4つ作り、電話でアポイントメントを取れた会社があれば、そこから「こんなことができます」という企画を考えてプレゼンして仕事をいただいたり、名古屋の経営者が集まるようなお店でアルバイトをしたり。
カルチャー系の人脈としては、ハイブランドやリユースのお店を経営する方々のコミュニティに入れてもらい、何かあると手伝いに行っていました。そこで出会う名古屋のファッションシーンを牽引する人たちは「カルチャーを創っていく」という気概を持っていて、生き様が格好良いなと思うことが何度もありました。
その一方で、自分はアーティストタイプではない、ということをはっきり自覚していきました。ビジネスにかかわることも大好きですが、私はそれ以上にアーティストや表現者というものへの憧れが強い人間で、建築家もその文脈にあった目標だったのだろうと思います。
しかし、とことん行動しまくった結果、一つのものにのめり込みきれない、いろいろなところに興味が移ってしまう自分の性分をはっきりと自覚できたのです。「アーティストになりたくてなれなかった」とも言えますし、良く言えば一つの分野のオタクになるより、いろいろなことをやりたいタイプなのだろうと気づきました。

当時の私と同様、自分が何者なのか、何がやりたいのかわからないという人は、とにかく行動することが肝心です。自分の目でいろいろな世界を見て初めて、自分にはこれが向いているのかもしれないという方向性が見えてくるのだと思います。
年齢に関係なく挑戦できる時代とはいえ、30歳頃になってくると、キャリアの大きな方向性は変えづらくなっていきます。自己防衛本能からか、それまでの自分の生き様を肯定したくなるからだと思いますね。自分の価値観が定まる前の20代のうちに、とにかくたくさんの行動をしておくのがおすすめです。
やってみないとわからないことも多くあるので、やる前から「自分はこれが得意・不得意」と思い込んで、可能性や選択肢を捨ててしまうのはもったいないと思います。「とりあえずやってみる」というラフな行動を心がけてみてください。大きな迷惑をかけない限り、行動する若者をかわいがってくれる大人は少なくないよ、ということは経験からお伝えできることです。
「行動」+「振り返り」と「発信」を繰り返そう
新卒としての就職活動は2回経験しています。最初の就職活動は大学4年生の時。建築学科は大学院に進む人が多かったので、他学部よりもワンテンポ遅いタイミングで「就活は一応やっておいたほうが良いのかな」と思うようになり、ちゃんとした動機を持てていない状態で面接を受けていました。内定はいただいたものの「やっぱりなんか違う」とモヤモヤしたものを感じ始め、結局は辞退することに。親には「留学するから」と口先だけの宣言をして、休学を選択しました。
その後はそれまでの延長で、名古屋のあちこちの界隈に顔を出し、ひたすらアクションを続けながら自分のやりたいことを探し続けました。その生活を終えようと思ったのは、ある日、自分のノートを見返してみたことがきっかけです。
私は昔から毎日のようにノートを付けていました。内省がてら、その日の思いや出来事を書き留めていたのですね。ノートに書いてある内容が2年前と今とでまったく同じだったのです。2年間自分は何をやっていたんだとショックを受けました。と同時に、「これだけ色々とやってもやりたいことを決められないなら、自分はやりたいことが定められない人間なのだな」とスッと腹落ちしたのです。
やりたいことが決められないのなら、生き方を決めよう。そう考えた末に「やりたいことをやりたいやつらとやり続けられる人生を送ろう=起業しよう」という目標を立てることができました。ここがキャリアにおける3つ目のターニングポイントです。
この経験から「行動」と「振り返り」をセットで繰り返すことの意義を実感しました。そのうえで皆さんには、2つに加えて「発信」を心掛けることをおすすめします。行動をしていると「次はこんなことをやってみたい」という興味が生まれてくるので、それを自分のなかだけで抱えるのではなく積極的に発信していきましょう。不思議なことに、発信をするとチャンスをくれる人が現れます。それをしっかりつかみアクションする。そうやって発信を起点にたくさんのアクションをし、その振り返りを続けていると、きっと自分がどんな人間なのかが見えてくると思います。

会社との「縁」は確実にある。自分がいるべき場所で力を発揮しよう
起業を目標に定め、次に考えたのは「いつやるか」です。学生時代から名古屋で人脈を広げまくっていたので、すぐにでもビジネスを立ち上げる自信はありました。しかし、今の実力でやっても世の中に影響を与えるようなことはできないだろうと感じて、もっと力を付けるためにも上京して就職しようと決心しました。
2回目の就活の軸としたのは、ただ一つ。起業に必要な自己成長ができる会社であること。具体的には「若手のうちから、大きな裁量をもらって仕事ができるところ」もしくは「大きなフィールドで仕事ができるところ」という2点を見ていました。
就職活動は縁だとよく言われますが、私もそう思います。最後まで手札に残っていたのは2社で、1つは商社でした。面接の途中までは「ぜひ来てほしい」と言ってもらっていたのですが、最終で落ちた理由を聞くと社風との相性が理由とのこと。それを聞いて「そうか、この会社・方向性とは縁がなかったのだな」と受け入れることができました。相性は自分ではどうにもできないものですし、優劣とは関係ないので、これから就職活動をする人も気にしすぎる必要はないと思います。自分が進みたい方向性と、その会社が目指しているものが入社後も重なり続けそうなところに入社したほうが、お互いにとってハッピーですからね。
そうして、リンクプレイス(現:ディー・サイン)という会社に入ることを決めました。リンクプレイスは上場会社のグループ会社で、ワークプレイスの構築・提案を生業としていました。2年間休学して同世代よりスタートが遅れている自覚はあったので、入社後はガンガン仕事をし、1年半で一つの事業を立ち上げるところまで持っていくことができました。
2社目に移ったのは、スタートアップ企業の社長からスカウトされたことがきっかけです。聞けばまだ社員数3〜5名という立ち上げのフェーズで、これから上場を目指すとのこと。その過程を見てみるのはおもしろそうだと感じて転職を決めました。
意識すべきは自分の価値よりも「他者に提供できる価値」

30歳までには起業しようと決めて上京しましたが、2社目に入って一年ほど経った頃、仲間たちとの状況やタイミングが整い、当社・ヒトカラメディアを立ち上げることにしました。お互いの強みや弱みを補完し合える仲間が見つかり、「一緒にやるか!」という気運が盛り上がったのが、たまたま27歳のタイミングでした。
一人で起業しなかったのは、自分は仲間やチームを率いてビジネスを動かすのは得意だけど、一人ではパフォーマンスが上がりきらない人間だとわかっていたからです。10〜20代の時期に行動をしまくって自己理解を深めていたからこそ、これが自分にベストな形だと迷いなく起業できた気がします。
当社を立ち上げてからは、困り事を抱えているお客様に注目しながら、いろいろな取り組みをしています。自分がやりたいことへの執着ではなく、常に「どのように相手の役に立てるか」を考え、意思ある行動を続けてきました。
社会はあなたが提供できる【価値】にお金を払っているのであり、あなたの【スキル】にお金を払っているわけじゃない。社会で活躍したいならば、この部分を履き違えないことは非常に重要だと思います。

学生時代は自分が起点で動けたと思います。活躍したければ自分の力を磨きさえすれば良く、それを偏差値などで示すこともできます。しかし社会人になるとそうした指標はありません。学生時代に偏差値が高くても、必ずしも社会に出て活躍できるというわけではないと思います。「人の役に立つ」という起点で仕事をしているかどうかで差が生まれるのではないか、というのが私の考えです。自分を起点にして考えていると小さくまとまってしまいがちな傾向はあるように思いますね。
社会人として高いパフォーマンスを出したければ、ぜひ「誰にどのような価値を提供できるか」を考えてみてください。採用面接でも「スキルアップがしたい」という志望動機を語る人は多いですが、それを誰のためにどう使うのかというところまで考えておくと、自己アピールにも説得力が増すと思います。
「予想外」に出会いたい。自分の理想の姿を基盤に描くキャリア
どんな業界や会社を選ぶと良いかは、「大きな方向性として自分がどうなりたいか」によって違ってくると思います。
極端な例ですが、将来100億稼げる人を目指すならば、市場自体の飛躍に乗っかれるような、これから大きく伸びるパイオニアの業界を選ぶ必要があります。一方「社会課題を解決したい」と思っている人ならば、市場規模や業界の状況にかかわらず、自分がそこに携わる意義を見出せる業界や会社に入るべきでしょう。
ちなみに私は、その中間という感覚です。自分なりにかかわる意義を感じられる領域で、きちんと稼ぎ方を探したいと思っています。人並み以上には稼ぎたい気持ちはありますが、使いきれないほどのお金を持って人生を終えても仕方ないとも思っていますね。
やりたいことに執着はしませんが、やりたくない事をやらなくて済むための努力は徹底的にやっています。「かかわる人たちみんながWIN-WINの関係になること」「持続可能な仕組みを作ること」など自分なりのルールを意識して動いています。
特にリソースを割いているのが、座組み設計です。誰と組むか、どういう成果をゴールとするのか、その規模感など、最初の座組みをミスしてしまうとビジネスは絶対にうまくいかないというのが私の持論です。ヒトカラメディア以外にもいろいろなプロジェクトを動かしていますが、いずれも最初からしっかりと座組み設計をすることを大切にしています。

成り行きでビジネスをしたことは一度もありませんが、期待されると応えたくなってしまうタイプなので、やり始めて後でつらくなることはなきにしもあらずです(笑)。人を巻き込むのも、人に巻き込まれるのも好きなので、この先も柔軟に巻き込み、巻き込まれていきたいですね。一つひとつのプロジェクトの方向性は緻密に決めていますし、「この座組みで3年後、5年後も回っているか?」くらいの将来設定はしていますが、予定調和なキャリアは望んでいません。今後のキャリアでも、予想外のことにもどんどん出会っていきたいです。
社会で活躍するコツは「モードの使い分け」にあり
仲間と3人で起業したヒトカラメディアも、現在は80人前後の規模になりました。起業後、一番壁にぶつかっていたのは、従業員数30〜50人くらいの頃です。この頃は、役割が変化していく時期ゆえの大変さがあったように思います。
創業時のピュアな思いを持った自分を優先すると、周囲から求められる役割を担いきれない。マネージャーとして最善を尽くすためには、プレイヤーとしての自分の価値観を封じ込めておかなければならない。そんな感覚に陥り、「こんな思いまでして、会社を大きくしていく意味はあるのか?」と悩んだ瞬間もありました。
しかし試行錯誤するうちに、自分のモードを使い分けることができるようになっていきました。担うべき役割が増えた分、プレイヤーとして、経営者として、マネージャーとして、家庭の一員としてなど、それぞれのモードに切り替えることでうまく回ると気づきました。
微妙なニュアンスの問題ですが、「この相手にはどのモードでインプットし、アウトプットをすべきか」という選択を間違うと、自分も相手も無駄に疲弊してしまいます。経営者として振る舞わなければならない相手に、プレイヤーのつもりで接してしまうと、その関係はうまく回らない、ということです。
これから社会に出る皆さんも、キャリアのどこかで自分の役割が増えるタイミングが訪れることがあると思います。常に同じ自分ではなく、場面場面で「自分がどういう役割を求められているのか」を察知し、俯瞰的に自分を見ながら「今はこのモードが最適だ」と判断できるようになると、うまく立ち回っていけるようになると思います。

自分はまだまだこれから。否定を恐れず貪欲に「成長」を求めよう
入社後しばらくは「新人」という役割になり、新人扱いをされることは少なからずあると思いますが、実力がともなわなくても強気なマインドでいて良いと思います。経験がないのだから仕事や社会のことがわからないのは当たり前ですし、決して悪いことではありません。そういう自分を否定されるのを怖がってしまえば「こう言ったらこう思われちゃうかな」と気にするばかりになって何も言えなくなり、成長も止まってしまいます。
想像力豊かに先回りして、自分を否定されるのを回避しようとする人もしばしば見かけますが、そんなことはしなくて良いんだよ、ということは若い世代の人に伝えたいことの一つですね。
若いうちはとにかく、自分はこれからだと思っておいてほしいです。誰かに「何を言っているんだ」と言われても、「経験がなくてわからないので、教えてください!」とアドバイスを求めれば良いのです。不快な態度を取られたときは、心の中で「いつか見てろよ!」と成長のモチベーションに変えていきましょう。私自身も他者に否定された経験は何度もありますが、それらをすべてまともに心で受け止める必要はありません。
ただ、誰と時間を過ごすかは意識してみると良いと思います。人間は目の前にいる人のマインドに影響を受ける生き物なので、自分に無用なストレスを与える人を周りに置かない、自分の大切な時間は使わない、ということは大事な心掛けの一つでしょう。
誰と一緒に行動しているか、意外と人は見ているもの。人格的に素晴らしいと思える人と過ごせば、自分だけでなく周囲からも良い印象を持たれることにつながったりします。どういった環境やコミュニティにいるか、どういう人に時間を使うかについてはシビアに見定めながら、あなたにとって成長しやすい環境に身を置くように意識してみてください。

取材・執筆:外山ゆひら