情熱がすべての原動力|安定よりリスクをとってでも好きなことに挑戦しよう
Bee2B 代表取締役 間山 譲さん
Yuzuru Mayama・新卒で日本触媒に入社したが、5カ月後プロミュージシャンを目指すために退社し、2000年4月に4人組のバンドのベーシストとしてメジャーデビュー。2004年から受託開発会社にて、Webエンジニアとして求人媒体・SNSコンテンツ・ECサイトなどのサービス立ち上げと運用にかかわる。2015年に個人事業主として独立。2018年に法人化し、その後現職
キャリアを築くには知識やお金ではなく「情熱」がすべて
音楽が好きで、「できれば音楽で生きていきたい」と思っている人、音楽以外でも学生時代に熱中してきたことをこの先もやっていきたい、と思っている人が少なからずいるのではないかと思います。
今現在は、一経営者として生きている私ですが、学生時代はバンド活動に打ち込んでいたので、将来的にも「音楽を作って世の中に貢献したい」「自分の作った楽曲で感動を与えることこそが幸せだ」と信じていました。
「音楽で生きていく」という夢にとことんこだわっていたわけです。
とはいえ、田舎のしがないバンドメンバーには音楽業界へのコネもありません。身近に成功例もなかっただけに、段々と現実が見えてきたこともあり、高専卒業後一度は有名な上場企業に就職しました。
でも、やはり「音楽で生きていく」という夢を諦めることはできませんでした。
音楽をやらなければ生きている意味がない、くらいに思っていたと思います。正直、今振り返っても、あの当時の感情は自分でも良く理解できないくらいです。それくらい、大好きな音楽へこだわっていました。
「音楽にかけてみたい」。そう決めて、新卒で入社した会社をわずか5カ月で退職。再びバンド活動を始めるという選択をしました。
もちろん、リスクはしっかりと整理して納得したうえでの決断です。アルバイトで収入を得ながら音楽活動をする生活、収入がなくなって最悪ホームレスになる人生もリアルに思い描きました。
リスクをすべて把握したうえで、安定的にお金を得ることよりリスクをとってでもやりたいことに情熱を注ぎたいと思いました。
今振り返って思うのは、キャリアを築いていくうえで「情熱」がすべてだということ。知識を身に付けたりお金に目がいくかもしれませんが、それはごく一部に過ぎません。
すべては「情熱」から始まるということを皆さんに感じてもらえたらなと思います。
休むことの意味がわからないほど「働くことの楽しさ」を知った
いったんは夢をあきらめたはずでしたが、「音楽で生きていく」という夢を叶えるため、バンド活動を再開させました。
プロのバンドとして今ならデビューできると思った理由は、一つは、就職のタイミングでバンドは一度解散したのですが、当時のメンバーの中で一番素晴らしいと思っていたギタリストとボーカリストと組んで新たにバンドを再結成することとなったこと。
もう一つは、地元のライブハウスの力添えもあって、音楽事務所とのコネクションもできたことです。
ホームレス生活までリアルに想像して、あらゆるリスクは整理しましたが、2つの条件が揃ったから「これならいける」という自信があったからこそ決断に至ったのだと思います。
実際、プロミュージシャンとしてメジャーデビューを果たし、2年間は事務所がしっかりとプロモーションもしてくれてしっかり実績も残しました。
3年目からはインディーズバンドとなり、事務所からもらう最低限のお金でレコーディングをしたりツアーを周ったりしながら、肉体労働やWeb制作のアルバイトなどをして生活費を稼ぐ毎日。
その後、バンドを解散してからも「スタジオミュージシャン」という肩書きで音楽にかかわり続けたので、18歳から27歳までの10年間、大好きな音楽の仕事にかかわったことになります。
私の人生のターニングポイントをあげるなら間違いなく、ミュージシャンへ転向を決めたときです。
その瞬間から、すべてが自己責任だと自覚しました。
大きなリスクを背負いながら、ミュージシャンと生活費を稼ぐための仕事という二足の草鞋を履いて1日中働きました。
でもつらいとか、そんなことはまったく思いませんでした。楽しいからやっているだけ。好きなことをやっている時間は最高に楽しいものだと心の底から感じました。
シャネルの創業者、ココ・シャネルは「私は日曜日が嫌い。だって、誰も働かないんだもの。」というような言葉を残しているのですが、それに共感するほど仕事をし続けることが楽しく、昼夜問わず働いていましたが毎日が本当に幸せでした。
仕事は人から言われてやるものではない
現在、Webシステム会社の経営者として生きていますが、Webエンジニアの仕事にかかわることとなった最初のきっかけは、ミュージシャンという肩書きをもちつつ、生活費を得るためにWeb制作の仕事を業務委託で請け負うようになったことです。
さらに遡ると、音楽活動の過程で原稿やイラストづくり、画像処理をおこなうなどのパソコン作業が都度発生していました。毎回同じ作業をするならプログラミングして効率化させようとか、せっかくならホームページを作ってみようとか自分なりに工夫してやっていった過程で自然とWebの領域に関心をもったという経緯もあります。
音楽活動では、バンドメンバーにはそれぞれ個性があって、そこをいかに相互理解していくか、というところがおもしろいところでもあり難しいところ。
一方、Webの領域は、ユーザーの課題を解決するための明確なゴールがあって、そこに向かってどう高得点を取っていくかが問われます。
バンド活動と異なる成果が見えやすく、努力のしがいがあるところに魅力を感じました。
また、楽曲を作っては全国に営業活動をして周るのと同じように、Webの仕事も制作して納品して次の提案をしていくというサイクルと酷似する部分もあり、音楽で地道な営業活動も経験してきたからこそ、作って終わりのエンジニアではなく、営業も当たり前にやるエンジニアになれたなと思っています。
結果的には、音楽活動をやる中で自然とWeb制作の仕事にかかわるようになり、Webの仕事の魅力を知ったことから業務委託で仕事を請け負いながらミュージシャンとして活動を続けた、ということになります。
Web制作の仕事でお金を稼ぎながらミュージシャンとして活動をしている間はずっと、個人事業主として生きてきたことになります。個人事業主になったことで得られた一番大きなことは、仕事をし続けること、達成することの喜びを知ったこと。この喜びを味わえたのは一番の収穫だったと思っています。
また、仕事というのは人から言われてやるものではない、ということも学びました。
「どうやったらもっと良くなるか? 」「どうやったらメンバーがもっと楽しく活動できるか? 」「どうやったらライバルより優位に立てるか? 」
このようなことを常に考えていましたし、土台となる仕事に対する向き合い方はすべてミュージシャン時代の日々で学んだと思っています。
個人事業主になって得たもの
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仕事をし続けること、達成することの喜び
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仕事というのは人から言われてやるものではない
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もっと良くなるには? もっと楽しく活動するには? どうすればライバルに勝てるか? を常に考える姿勢
フリーランスとして生きている人も、その延長に「起業」のチャンスはある
ミュージシャンという肩書きをおろしたのは、27歳のときです。業務委託でやってきたWebエンジニアの仕事一本で生きていこうと、心機一転、会社員となるための就職活動をはじめました。
ところが就職活動にはかなり苦労し、ようやく1社受かったのですが、採用の決め手は社長さんが昔バンドをしていたからというのが理由でした。
その会社に1年半ほど勤め、営業をしながらWebアプリの開発をやっていたのですが、たまたま私の仕事ぶりを別のシステム会社の社長に気に入られ、30歳のときにその会社に転職。10年近く働き、東京営業所長というありがたい役職までいただきました。
ところが、安定したサラリーマンを続けているとなかなか情熱を燃やせないというジレンマを感じ始めました。リスクをとってでも、もっと情熱的に働きたいという気持ちが強くなってきたので、再びフリーランスに戻ることを決めました。
会社に所属してチームで働く意義は、「一人でやるより大きなプロジェクトにかかわれること」。ただ、私にとって安定志向は嫌だったんですね。好きなことにはいつも熱中していたいし、もっともっと働きたくなってしまう性分でした。
現在代表を務めるBee2Bを起業するに至ったのは、フリーランスとしての活動の延長線上です。
事業収入が増えて法人にした方が良いというタイミングと、長期的に同じメンバーと一緒に仕事をしていきたいという想いが重なったので、起業して社員を抱えるというとてつもなく大きな新たなリスクを取ることを決めました。
好きな仕事を続けることにこだわり、経営者としても5期目を迎えました。さまざまな出会いや要素が重なってここに行き着いたと思うのですが、あきらめなかったから今があります。
すべては情熱であり、あきらめない気持ちを維持し続けてほしいと思っています。
自分がその道を選ぶ根拠を可視化して、感情抜きで客観的に見てみよう
好きなことだけを選んできた私だからこそ言えると思うのは、感情を抜きにして客観的に見ることが大事だよ、ということです。
好きなことには情熱をもって突き進んでほしいと思いますが、私自身若い頃は、好き・嫌いにものすごく執着していたなと思います。
ぜひ自分自身とよく会話して、本当に長期的に取り組めるものなのか精査してみることをおすすめします。
現時点で何もやりたいことがないという人は、「とりあえずこの会社良さそうだな」で検討を始めてもいいのではないでしょうか。
その場合もやはり精査は必要。良さそうだと思った根拠を書き出して、客観的に見てみるのが良いと思います。
もう一つ、働き方が多様化している今の時代だからこそ、ファーストキャリアとしては大企業を選んで、しっかりとした新人研修を受けて社会人の基礎を習得するのも大きな意味があるとも考えています。
社会人としての立ち回りの基礎は、生涯の大きな財産になるはずです。個人的にお金をだして学ぶにはおそらく100万円くらいかかるような研修。社会人スタートのタイミングで、お給料をもらいながらみっちりと教えてもらえる体験は、大きな会社に勤めるからこその特権でもあります。
自分の能力で会社にどの程度利益をコミットできるか? という視点をもつ
業務委託で仕事を請け負ったり、フリーランスの経験が長い私としては、2社目以降の就職活動の場合は「会社の事業に対してどう貢献できるか」まで踏み込んで提案できなくてはいけないと考えています。
自分の能力、スキルを使って会社のサービスをどのように成長させていきたいと考えているのか、あるいはいつまでにどのくらいの利益を上げられるのかというビジョンやゴールを描く必要がありますし、面談の場でコミットしたことは何が何でも達成しなくてはいけない。
少しきつい言い方にはなりますが、売上を一向に上げてこない社員に会社側が給料をいつまでも出してくれるとは思わない方がいいです。
現在一緒に働いているメンバーの中にフリーランスの経験者が2人いるのですが、その2人は、会社にきちんとコミットして結果を出すということが自然にできているなと感じます。
会社の事業全体のことを把握しようとする姿勢があれば、少なくとも指示待ち人間にはならないはずです。さらに、フリーランス的な考え方をもっておくと非常に強いと思います。
これからの時代にもとめられるのはAIにはできない「全体シナリオを描ける人」
人間に代わってAIが台頭してくるこれからの時代には、複雑な計算ができるとかそのような力より、どういうシチュエーションで何を組み合わせて使うのかという「全体シナリオを描ける人」だと考えています。
たとえば、Webエンジニアの世界では、顧客から相談を受けて、顧客の抱える課題に対してどのような提案をして、予算はいくらかかって納期はどのくらいかかるかというストーリーをつくります。
その際、機械的に試算するだけでなく、お会いしたときの感触やお話した内容から人間的な感覚を大切にしてどこにプライオリティーをつけるべきか考えることができるか、がポイントとなります。
この部分には時間をかけるべき、この部分にはコストをかけるべきなど、顧客とのやり取りから仮説と根拠を示したうえで、最適な全体シナリオを描ける人が求められています。これはAIにはできないことです。
これからもとめられる人材
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全体シナリオを描ける人は「人間的な感覚」を大切に行間を読み取ってストーリーを描ける人
行間を読んだシナリオづくりができる人になるには、学生時代からさまざまな社会経験を積んでおくのがベターかなと思います。
企業から出資を受けて学生イベントを運営した経験をした人もいるはずです。ご実家の商売を日ごろから手伝っているという人も、その接客経験が必ず生きます。サークル活動などでマネージメントをしていた人も重宝されるでしょう。
コミュニケーションやリーダーシップの力は、現在のAIではカバーできない部分。ぜひ強みとして身に付けておくことをおすすめします。
陰口を言う人とは距離を置くことが成功への一歩につながる
会社を辞めてミュージシャンの道を選んだときに、人生ではじめて陰口を言われるという経験をしました。新たな一歩を踏み出そうとしたまさにそのとき、馬鹿にされ足を引っ張るようなことを言われているのを知り、正直とてもつらかったです。
でも、気にせずとにかく努力してきたから今があります。やると決めたからには、信じて努力し続けることが大事だなと思っています。
皆さんの中には、新しいサービスをつくって世界進出するぞ! とか、大学在学中に起業しよう! とか、夢に向かって頑張っている人もたくさんいると思います。
そしてやはり、学生が立ち上げた会社なんてうまくいかないに決まってるよ、と否定的なことを言ってくる人もいるかもしれません。
そういう人とはすぐに距離を置くことです。おそらく彼らは、成功したときに君には連絡をしずらくなると思います。ぜひ、潔く距離をとってください。
大切なのは、「情熱」と「リスク」と「振り返り」です。情熱があって、リスクをきちんと把握していて、親兄弟に迷惑をかけないのであれば、その選択はあなたにとってきっと正しいと思います。
そして、大切なのはリスクを毎月振り返ることです。当初考えていたリスクも変化していくものなので、リスクもアップデートしていくことが重要です。
取材・執筆:小内三奈