感度の高い人に会えば成長できる|社会で活躍する人に自分から会いに行こう

イノベーション 代表取締役社長 富田 直人さん

Naoto Tomida・静岡県浜松市出身。実家が電気工事会社を経営していたこともあり、大学は横浜国立大学工学部電気工学科に進む。卒業後、父の会社を継ぐ前に社会勉強をしようとリクルートに入社。新規開拓営業を経験した後、2000年にイノベーションを設立し、現職。法人営業の新しいスタイルを創造すべく、法人向けにインターネットマーケティング支援事業をおこなう。2016年12月、東証マザーズ上場を果たす

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就職先の条件は、家業を継ぐ前提の「3年で辞められる会社」

父親が電気工事業を営んでおり、私が長男だったこともあったため、小さい頃から家業を継ぐことは当たり前のことだと思っていました。将来に備えて、学生時代から夏休み、冬休み、春休みには家の仕事を手伝うのはごく当たり前という環境で育ちました。

家業を継ぐという道は、私にとっては既定路線だったのです

大学も工学部電気工学科を志望しました。親元を離れたいという想いもあり、家計的にも負担の少ない国立大学を選び、横浜国立大学へ進学することを決めました。

実力より上の大学でしたが、とにかく東京で華々しいキャンパスライフを楽しむことだけを夢見て猛勉強。晴れて合格した後は、もう解放感で一杯。将来のことなど深く考えないまま就職活動の時期となりました。

学生時代に唯一熱中したいのが、ツアーサークルでの活動です。学生向けスキーバスツアーの企画を中心に、企業にスポンサーになってもらいイベントを開催するなど、ベンチャー企業で働くまねごとのような体験をさせてもらいました。

家業を継ぐ前に、社会経験を積んだ方が良いだろうから、という理由で就職活動を始めました。当時は、バブル景気前の空前の売り手市場。理系学部ということもあり、教授の推薦があればどこにでも入れるような状況だったので、何となくかっこよさそうだからとソニーかIBM(アイビーエム)がいいなと安易に考えていました。

でも、私の場合は「3年限定」の就職です。OB・OG訪問の際にそれを素直に伝えてみると、「3年で辞めるなんてもったいない。そういう価値観ではうちには来ないほうがいい。」という反応ばかりでした。今考えれば、大企業が3年で辞める学生を雇うはずがないですよね。

理系出身者が配属されるような研究分野であればなおさら、定年まで働き続けるのが当たり前の世界でした。そんな風潮を感じ取った私は、良くも悪くも「3年で辞めるなら大手企業に行くのはちょっと違うかも」と考えるようになりました。

3年で実家に戻って家業を継ごう」と考えていた私が最終的に選んだ会社は、当時の理系出身者は選ぶことがなかったであろう、リクルートでした。

定年まで働くのが前提の会社には入社できない」「それなら、ほかの業界もいろいろと見てみよう」と考えて、商社や金融といった文系の学生が進む業界を見て周るようになりました。その延長線上で出会ったのが、リクルートです。

当時、インターネットが無い中で通信やコンピュータ事業に乗り出し、新しいビジネスモデルで成長していたリクルートには、他にはない起業家精神を感じました。業界や仕事内容よりも、若い社員が多く新しいことに挑戦して急成長している企業で、とにかくアグレッシブな会社でした。さらに魅力的だったのは、技術系の採用をスタートさせたばかりだったこと、そして「3年で辞めてもいいよ」と言われたことです。

                  

3年で実家に戻って家業を継ごう」と考えていた私は、3年で辞められるという条件を満たしたからリクルートに入社することを決めました。ところが、そのリクルートで結局10年も働き、おまけに父親の家業を継ぐことなく、自分で一から起業するという想像もしていなかった道へと進むこととなりました。

先入観は覆されるもの。嫌で仕方がなかった新規営業の楽しさに目覚める

リクルートにエンジニアとして採用されたはずの私の最初の配属先は、なんと営業でした。当時の私にとっての営業とは、飛び込み、ノルマ、グラフによる数字争い、人に嫌がられるという、とにかく最悪のイメージをもっていました。

さらに、入社早々、飛び込み訪問をしてできるだけたくさんの名刺をもらってくる「名刺獲得キャンペーン」が始まったのです。自分に最も向いていないと思っていたし、実際、獲得できた名刺の数はダントツにビリでした。辛くて辛くて、ゴールデンウィーク前には半分鬱状態でした。

成績は悪いし、半分鬱状態になっていた私を見るに見かねたのか? ゴールデンウィーク明けに異動を命じられました。異動先は、人事の理系学生の採用担当です。ほっとしたのはたしかですが、この異動を機に、二度とごめんだと思っていた新規営業の楽しさに目覚めることとなったのです

与えられた任務は、関東の上位大学から5人採用すること。しかし、インターネットのない時代です。試行錯誤しながらあらゆる手段を使ってリクルートの魅力を伝えていきました。

学生リストのようなものを片手にひたすら自宅に電話をかける、大学に出向いて直接学生にアプローチするなど必死に頑張った結果、ノルマであった5人を採用することができたのです。とてもやりがいを感じた仕事でした。と同時に気づいたのが「これって営業と同じではないか? 」ということ。

そこで、営業という仕事に勝手な先入観をもっていただけだったことを気づかされました

営業という職種を良く理解しておらず、何となくのイメージで「嫌だ」「向いていない」と決めつけてしまっていましたが、自分に合っている仕事かどうか、自分が興味をもてる仕事かどうかなんて、やってみないとわからないものなんだと心から思いました

これから社会に出る皆さんにも、先入観で判断しないでほしい、と伝えたいです。とにかく、何事もまずは一生懸命取り組んでみるべきだと私は学びました。目の前のことに全力を尽くせば必ず道が開けると信じて、ぜひ頑張ってほしいと思っています

20代後半、起業家との出会いをきっかけに経営者の道へ

営業が嫌で半分鬱状態になっていた私が、人事部への異動をきっかけに新規開拓営業の醍醐味を知ることとなり、今後は自らの希望で元の営業部に戻ることとなりました

新規営業は大変そうだと思っている人もいるかと思いますが、新規開拓の営業は、一番フロントに立って顧客がまだ気づいていない課題を解決するという社会的に意義がある仕事です。

新規営業がいなければ、その商品やサービスが売れないばかりか顧客の課題が解決されないわけですから、課題に気づくというきっかけをつくる大変やりがいのある仕事です。

すっかり営業の魅力にはまってしまい、3年で辞めて家業を継ぐはずが、結局10年もリクルートで営業を続けました。

最初は、1番をとることを目標にひたすら頑張りました。「ここで1番にならなければ実家に帰ってもうまくいくはずがない。絶対に1番をとって、自信をつけてから家業を継ごう」と心に決めていたのです。

次第に、部署内で何度も表彰されるような存在となり、昇進もして大きな自信も得ることができました。仕事はおもしろくなる一方で、家業を継ぐタイミングはなかなかつかめずにいました。

そのころは気がつくといつも、「リクルートで働き続けるか、家業を継ぐか、どちらが自分の成長につながるか」を天秤にかけていたように思います。

ターニングポイントとなったのは、20代後半のころ、若手起業家との出会いです。自分よりずっと先を走る同世代の起業家と会ったことで、自ら起業するという新たなキャリアを意識するようになりました。人材もお金もサービスにも恵まれていて、給与もしっかりいただけるリクルートという居心地の良い会社にいることで「ずっとこの環境にいては、この先大きく成長できない」と限界を感じるようになりました。

起業が実現したもう一つの要因は、家業がうまくいかなくなって、いつかは継がなくてはいけないという役割自体がなくなったことです。

起業のポイント

  • 若手起業家との出会い

  • 成長の限界 「ここいいては成長できない」

  • いつか継がなくてはいけない家業がなくなった

  • 会社員として給料をもらい続けることがずるいと思っていた

家業を継ぐ必要もなくなり、もっと成長したいという強い想いが沸いてきたことからリクルートの退職を決意しました。実はその時点でどういう事業で起業するかは決めていませんでしたが、これまでのキャリアを振り返って改めて「私の強みは何か? 」を整理し、BtoBマーケティングの事業で起業することを決めました。

リクルートで働きながら常に感じていたこと、それは会社員として給料をもらうことにどこかずるい気がしていたことです。人が作った会社や事業、組織のレールの上に乗っかって成果を出しているだけ、こんな甘い世界は続かない……と感じていました。

今振り返ると、親戚も含めて小さい頃から事業を経営する環境で育ってきたので、やはり私にとっては雇われる側でなく経営者として生きていく道が自然だったのだなと感じています。

先入観をもたず、さまざまな業界・職種を見に行こう

自分に合った業界や仕事に出会うためには、とにかくいろいろな会社に足を運ぶことです

人事の人はもちろん、さまざまな業界で働く社会人と話をするだけでたくさんの気づきがあるでしょう。多くの人と交流する中で、自分が好きなこと、得意なことが少しずつ見えてくるため、自分自身とよく向き合い、本当に自分が興味があることは何なのか? を追求していってほしいと思います。

私自身、悪いイメージしかなかった営業という仕事に魅了されてしまったように、想像していた仕事内容とは全然違うということもよくあることです。就職活動の最初の段階で絞り込んだりせず、できるだけ多くの業界、職種を見て回ってほしいと思っています

大切にしてほしいのは、会社のビジョンやミッションを良く確認することです。「これは、具体的にはどういうことでしょうか? 」と質問して、ぜひ噛み砕いて教えてもらってください。しっかりと話を聞いていいなと思ったのであれば、その感覚をどうか大事にしてください。

これだと思った会社を選んだあとは、もう運に任せるしかありません。

営業だけは嫌だ」と思っていたのに営業に配属されることもありますし、どの部署に配属されるかは人事が決める。これはどうにもできません。

できることは、目の前に与えられた仕事をとにかく精一杯頑張ってみることです。そうすることで、必ず次のキャリアへとつながっていくはずだと信じてほしいと思います。

ベンチャー企業への就職の際は、必ず社長に会って確認しよう

会社のミッションやビジョンに共感できるかは、とても大事なポイントだと考えます

たとえ希望していない職種に配属されることとなっても、そこさえ間違っていなければ次のチャンスを待てるのではないでしょうか。とにかく目の前の仕事を頑張ろうといっても、会社のビジョンミッションに納得ができていなければ頑張ることは難しいと思います。

大企業の場合は社長と直接話をするのは難しいですが、ベンチャー企業であれば社長に会って実際に話を聞いてみることを強くおすすめします

個人的な感覚では、従業員が500人くらいまでの規模の会社であれば社長に会えると思います。

経営者と実際に会うことで、自分に合う会社かどうかがわかることも多いです。ベンチャー企業の場合は、ぜひ社長の言葉人となりからその会社の本質を見極めてください。

今後もとめられるのは、変化に対応できる人・自家発電機を中に持っている人

変化が極端に激しい時代ですから、今後は「変化に対応できる人材」がもとめられると考えています。具体的には、変化に対応できるよう意識的にアンテナを張っている人です

また、多くの企業においてこの先余裕がなくなり、新人とはいえ丁寧に寄り添って面倒を見ていくのは難しくなるはずです。となると、充電しなくても自ら発電できる「自家発電機をもっている人」がもとめられるはずです。何が起きても、自分で考えて自分の意思で動く力のある人が、結局は「変化に対応できる人材」ともなると思うからです。

今後活躍できる人材の条件

  • 変化に対応できる人

  • 自家発電機を中に持っている人

そのためにできるのは、社会で活躍している人と会って話しをする機会を自らつくることです。

私自身、20代後半で起業家の集まりに参加したことをきっかけに刺激を受けてもっと上を目指したい、成長したいと思うようになりました。感度の高い人に積極的に会いにいくことが大切です。逆に、ぼーっとしている人たちの側にいるといつまでたってもぼーっとした人のままです。

今はSNSなどを活用すれば、会いたい人に簡単にアプローチできる時代です。高みを目指している人と会って、学ぶ姿勢を持ち続けましょう。

人間は人に影響されてどんどん成長していきます。世の中で活躍している、感度の高い人にたくさん会って、ぜひ良い影響を受けてください。「ご自身の成長のために何をされていますか? 」と質問してみるのもおすすめです。

起業のハードルは想像以上に高くはない!  臆することなく起業を目指してほしい

今現在、本業とは別に、生まれ育った静岡県の起業家を支援する活動(静岡イノベーションベース)もおこなっています。これまで私が先を行く先輩方からさまざまなことを教えてもらってきたことを、今度は自分が若い世代に伝えていきたいという気持ちからです

自分の力でやりたいことを実現していきたい、日本社会を変えていきたい、雇用される側でいたくない、と気概のある若い皆さんには、「起業」という道もあるということを最後に伝えたいです。

多くの若者の選択肢に「起業」を入れてほしいと思っています。「起業」によって新たな産業が生まれ、そこから新たな雇用も生まれて経済が発展していくからです。

「起業」を考えている人は、気軽に一度当社に話を聞きに来てください。私が「3年で辞められる会社」を条件で就職したように、「起業」を前提に当社を踏み台にしてもらうのも大歓迎です。「起業」を応援したいと考える、そんな会社があることもぜひ知っておいてください。

取材・執筆:小内三奈

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