「自分の人生をどう彩りたいか」を考え自由に未来を創造しよう|パラレルキャリアの歩み方

一般社団法人 東京和文化協会 代表 永田 英晃さん

Hideaki Nagata・名古屋市で大学在学中から塾講師のアルバイトを経験後、高校生向けの学習塾「永田塾」を開校。上京後はさまざまな教育機関やスクールにて、公務員試験対策講座やキャリア講座などの講師業を請け負う。並行して、幼少期から関心を持っていた日本文化に関する活動を、2014年より本格スタート。2018年、東京和文化協会を法人化し現職

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「自分の人生をどう彩りたいか」でキャリアを選択する時代に

「大手企業だって10年後にはつぶれているかもしれない」と考えれば、会社のブランドだけに頼って就職活動をすることの危うさに気づけるはず。そう考えれば、就職活動において何よりも重視すべきは「自分の人生をどう彩りたいか」という視点になるのではないでしょうか。

私のキャリアは2軸あり、いわゆるパラレルキャリアを歩んでいます。ひとつは、盆踊りイベントの企画運営や和楽器の公演など「和文化の推進」にかかわるキャリア。もうひとつは各種試験対策を教える「講師」としてのキャリアです。

いずれも企業によらないキャリアを歩んできた私から伝えたいのは、「人=企業を支える道具」ではなくなりつつある、ということ。これからの時代は「企業=自分の人生を支える道具」だと考え、「自分の人生を輝かせるために企業を利用する」という価値観にシフトしたほうがいいように思います。

日本は護送船団方式だった頃の名残がまだまだ強いですが、すでに自分の身は自分で守らなければいけない時代に突入し始めています。終身雇用や年功序列は間違いなく崩壊するでしょうし、人の寿命が長くなる一方で、世の中の新陳代謝のスピードが速くなれば、企業の寿命もどんどん短くなっていくことでしょう。

世界的に見れば、日本の就職活動はかなり特異なものですし、仕組み自体もそのうち変わっていく可能性がある前提で、就職活動の先にあるキャリア形成や、その年齢ごとの人生の彩りを優先させて考えてみてください

併せて「自分の知っている世界」のなかから仕事を選ぼうとすると、せっかくの大チャンスを逃しかねない、ということにも留意しておくといいと思います。

子どもに「将来なりたい職業は? 」と聞くと、ケーキ屋さん、保育士さんなど、本人が知っている狭い世界のなかの職業しか出てこないですよね。学生も、それと同様のことが起こり得ます。自分の視野の範囲で探そうとするのではなく、「自分にマッチする未知の領域の発見をするぞ! 」くらいの意識を持っておくことをおすすめします

私自身、キャリアを振り返ると「予期せぬ出会いやふとしたきっかけが、人生を大きく変えてくれた転機になっていることが多い」と感じているので、就職活動もそうした予期せぬ出会いを得られるチャンスだ、と考えて臨んでみるといいと思います。

大御所からの激励の言葉で「日本文化を推進する活動を続けよう」と決心

ここからは、私が2つのキャリアをそれぞれどう歩んできたか、お話しします。

和文化への興味は、小学生の頃にまで遡ります。親が大手ゲーム会社に勤めており、ゲームの英才教育をされる環境で育ったことが大きく影響しています。あらゆるゲームやPCがたくさんあり、強制的に「ゲームの時間」があるような家だったので、逆張りをするように日本文化に興味を持ちました。盆踊りなどの伝統的なコミュニケーションが「逆に新しい」と感じたのです。

最大のターニングポイントは、高校時代に訪れました。学校の総合学習で同じ興味を持つ同級生がいなかったので、単独で「歌藝の歴史」について研究発表を担うことに。その際、紫綬褒章なども受賞した日本の大御所国民歌手・三波春夫さんにお手紙を書いてみました。

すると三波さんは高校生の問いかけに何度も返信をくださり、ダンボール1箱分の資料を送っていただきました。また、お手紙の中で「私の死後も日本文化のために頑張ってほしい」という激励の言葉をくださったのです。このお手紙がなければ、日本文化の普及活動に対して、ここまで必死に頑張れなかったと思います。

高校生と同じ目線に立ち、「人間は死ぬまで勉強です。お互い頑張ろうね」とメッセージをくださったことにも、感動と尊敬の念を覚えました。三波さんはそれから半年ほどして、お亡くなりになりました。想像ですが、人生を終える時期になり「思いを次世代に託したい」と感じていただけたのかもしれません

三波さんのお手紙は、その後、敷居が高い伝統文化の世界に入っていくにあたって「ドラマ『水戸黄門』における印籠」のようにも機能してくれました。

上の世代の方と交流していると、そのような貴重なご縁をいただけることもあるので、学生の方にはぜひ異世代との積極的な交流を勧めたいです。特に今の10代〜20代は社会貢献の意識が強いので、「80代以上の人ともっと交流をしてみたらいいのに」とよく思います。双方とも純粋に「国のため、社会のため」という目線を持っている世代だと感じるからです。

当協会でも、現在は「地域のため、社会のため、環境のために仕事をしたい」という20代のメンバーを中心に構成しています。私自身も「世の中のためになること」が一番の充実感になるタイプですが、我々よりも上の現役世代は「勝ち残る成功者がカッコいい」という風潮のなかを生きてきた世代なので、そのあたりの価値観が大きく違うと感じます。利害関係ではない純粋なやりとりができることも、ご高齢の方々とかかわる良いところだと思います

その後、詩吟や講談、浪曲などにも興味を広げ、師匠について習っていた時期もあります。一時期、盆踊りの普及に限界を感じ、大学時代はよさこいのグループにも入ったり、全国へ踊りにも行っていました。

そこから「東京和文化協会」として本格的に活動をスタートさせるのは、2014年頃。続いてはそれまでの間に築いた、もうひとつのキャリアについてお話しします。

父の無念を背負って上京。講師として需要のあるフィールドを発見

「講師」としてのキャリアは、大手予備校でのアルバイトをきっかけにスタートしました。大学在学中には「自分の塾を立ち上げよう」と思い立ち、親戚宅の2階を借りて大学受験向けの塾を開校。近隣に競合が無かったこともあり、想像以上に優秀な生徒が集まってくれました。

全国トップと東大合格の生徒が出るまでは塾経営を頑張ろう」という目標を掲げていたのですが、開業3年目で達成できたことから、次なる目標をもとめて上京をすることにしました。ここがキャリアにおける、2つ目のターニングポイントです。

上京を決めた理由には、父の人生が関係しています。父は若い頃に外国でプログラミングを学び、京都に本社を構える有名ゲーム会社に入っていたのですが、当時は「長男は家を守れ」という時代だったので、念願の東京へは進出できず。窮屈で閉鎖性の強い転職先で仕事に失敗したことがきっかけで圧力をかけられ、重い心の病気になってしまいました。「やりたい仕事を続けられなかった父のためにも、東京で活躍したい」という思いが、上京を後押ししてくれました。

しかし上京後2年ほどは何もかもが上手くいかず、完全にくすぶっていました。負のスパイラルから抜け出せたのは、今の妻となる女性と出会えたことがきっかけです。フランス人という国民性もあってか、彼女は忖度せずに意見を言ってくれ、私にポジティブなものの見方を与えてくれました

ここからキャリアが上向きに回り始めたという点で、彼女との出会いも大きなターニングポイントだと思っています。

東京で講師としてのキャリアが拓けたのは、「公務員試験対策」というフィールドを偶然見つけたことが大きかったです。大学受験はカリスマ講師がひしめき合う世界ですが、公務員試験は公務員を退職した方が講師を務めているケースが多く、「意欲的にバリバリやるぞ! 」というタイプの講師が希少だったのです。

大学受験の講座と同じような授業をしたつもりだったのですが、初回のアンケートでかなりの高評価をいただいたことで「評価とは相対的なものなのだな。ここは自分が活躍できるフィールドかもしれない」と実感。そこから就職試験対策、教員採用試験対策、キャリアコンサルティング、教員向け研修など、新たな領域を切り拓いていきました。

パラレルキャリアの相乗効果・夢をかなえるコツについて分かったこと

現在主宰する「和文化協会」が本格的に動き出したのは、2013年、東京にいた同級生と盆踊りサークルを立ち上げたことがきっかけです。区民館から活動をスタートし、そこからさまざまな大手企業の社内行事や、自治体行事の協力を請け負うようになりました。実績を豊富に持てたことで、2018年にはスムーズに法人化も果たせました。

和文化協会の仕事が増えるにともない、時間や場所に縛られずに動ける方法はないかと考え、講師の仕事のほうでは早くから「映像講座」にも着手していました。このことは、新型コロナウイス感染症が拡大する世の中で大きな強みとなりました。

身に付けた映像分野のスキルを活かして、今度は和文化協会のほうでも動画制作に着手。炭坑節や東京音頭の映像を作ってYoutubeに上げておいたところ、全国の高齢者施設から反響をいただいたのです。外出できず、体力維持のためにも施設内で流して踊ってくれていたそうで、施設の方々からお礼のコメントがたくさん届きました。

そのご縁から、次第に「施設に来て、盆踊りを教えてほしい」というオフラインの依頼が増えてきました。すると今度は、講師業で養った「人に教えるスキル」が役立つ……という、2つのキャリアの経験値やスキルが交差する形になっています。

この経験からは「一歩引いて諦めてみると、夢は案外かなう」ということも学びました

盆踊りの活動も、オンライン講師の活動も、自分から営業活動をしていた頃はなかなかうまくいかなかったのに、「うまくいったらラッキー」程度に肩の力を抜いてやっていたら、向こうからどんどん依頼が来るようになったのです

必死で頑張っているときは自分のこだわりが強くなりすぎていて、周りが見えなくなっているからだと分析しています。そういうときには人の意見を素直に聞けなくなり、周囲に対しても「何で協力してくれないんだ」と不満を溜めがちですが、いったん諦めることによって、冷静な判断や周囲への感謝を取り戻せているのではないかと思います

砂丘の砂と同じで、夢は強く握りすぎるとすり抜けるけれど、そっと自然体で手を入れれば、掬い上げることは難しくない………そんなイメージでしょうか。

就職活動も含め、何かうまくいかないことがあるときは、あえて一歩退いてみるのが良いでしょう。そうすることで物事がスムーズに動き始めるかもしれません。

私のように気負ってしまいがちな人は、就職活動も一種のゲームだと考えてみてはどうでしょうか。失敗したと思ったらリセットボタンを押して、ニューゲームを選択すればいい。今は新卒入社以外にもさまざまな選択肢があるので、仮にファーストキャリアで失敗しても、いくらでもやり直せます。転職や起業も当たり前の時代になり、「ファーストキャリアでどこに入るか」の重要度も、昔より低くなっています。

ただし就職を決めたら、「ここが自分の天職だ」といったん、思い込んでみることも大切かと思います。「やってみて自分に合わなかったら、また自分に合った別の場所を探せば良い」と考え、まずは目の前のことに必死で取り組んでみてほしいですね。

人間にもAI機能は内蔵されている。直感やインスピレーションを重視しよう

キャリア選択において何よりも大切にすべきだと思うのは、「直感」です。人間の身体には、もともと体温や免疫などの最適化機能が備わっています。何かを判断するときも同様、無意識のうちに最適解が想起される機能があるはずだ、と私は考えています。

たとえば、各企業のメリットとデメリットを表にして、「メリットが多い会社を選ぶべき」と頭で分かっていても、心で「でもなんとなくこっちの会社のほうがいい」と感じてしまう。これは人間の身体のなかにある、AI機能の為せる技だと思うのです。これまでの経験や知識というデータから「こっちがいいぞ、こっちは危ないぞ」といった判断をしてくれているのでしょう

AIで最適解を出すためにはできるだけ多くのデータが必要なので、直感を磨くには「自分の経験値」を増やす努力をし続けることが有効だと思います。

ただし「何かを真似するだけの経験」では機械と同じで意味がないので、「自分なりの創意工夫を含んだ経験」をたくさんしてみてください。レシピのまま料理を作るのではなく、自分でアレンジを加えながら料理をしてみる経験をたくさんしたほうがいい、ということです。

またAIが急速に進化する時代においては、「パーパスを創れる人」「ナラティブを語れる人」「ゼロから新しい世界を生み出せる人」が活躍するようになると思います。

AIは「やるべきことに対してどうやるか」という「how」の解を出すことは得意ですが、「何をすべきか」「なぜこの仕事をするのか」という「what」や「why」に関する問いには答えられません。

しかし日本の学校教育では「どうやるか」ばかり教えられ、今でも「how」に偏っています。だからこそ、自分で「what」や「why」を見出せる人、自分の好きなことや興味を追求することに将来性を見出せた人には価値が生まれ、いろいろなチャンスが到来することでしょう

人がワクワクするような、心や感情を刺激することは人間にしかできないので、空想やインスピレーションなど、子どもの頃に誰もが持っていた能力を大切に育み続ける意識も持っておくといいと思います。

常に新しい価値を創り出しながら「時代の変化の先端」に立っていたい

私自身の今後の目標は、パラレルキャリアの良さも活かしつつ「常に新しい価値を創り出していくこと」です。人と同じことをやっていても価値がないと思っていますし、そのときどきで変化の最先端に立ち、新しい時代へ胸を張って突き進めるよう精進していきたいです。

若者が輝けるような「これからの組織のあり方」も、模索しています。新しい時代はトップダウンではなく、組織に参加しているメンバー間で意見を出し合い、意思決定をしていく「分散型自律組織(DAO)」が主流になっていくと予想しており、和文化協会もそのような形を目指しています。昭和の護送船団方式が、令和のDAO船団方式として蘇り、日本が世界マーケットに復活する大きな役割を果たすことになるでしょう。

最後に余談ですが、今の年齢になってから「父の言っていたことは正しかったな」と思わされる機会が増えています。父には先見の明があり、以前在籍していたゲーム会社も世界的な企業に成長していますし、キャリアに対する考え方も先進的で、「自分に能力がない人ほど学歴や肩書きに守ってもらう必要がある。能力が乏しい人ほど会社のブランドで選んだほうがいいんだ」なんてこともよく言っていました

近所の子どもを集めてプログラミング教室なども開いていましたが、当時の保護者は「そんな将来の役に立たないものを習わせる余裕はない」という人が大半で、申し込みは少なかったです。このことからも、世の中の大半の人には先見の明がなく、だからこそ「未来を見通せる力がある人」には価値があるのだな、と思えています

取材・執筆:外山ゆひら

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