「誰かのための仕事」が自分の趣味になることも|仕事の本質に気づけば、セカンドキャリアでの成功も夢じゃない
H.T.M 代表取締役社長 小畠 弘充さん
Hiromitsu Obata・幼少期から野球を続け、スポーツ特待生として進学。卒業後にはプロ選手を目指してクラブチームで1年間を過ごすも、肩の故障により断念。家業を手伝っていた期間を経て一念発起し、2007年よりセカンドキャリアをスタート。営業として活躍後、2011年11月に営業アウトソーシングや人材派遣、広告代理店業を手がけるH.T.Mを創業し、現職
相手目線・会社目線をもって入社する社員は「成長角度」が高い
仕事とは、基本的に「相手の期待」に応えることで成り立つもの。
これから社会に出る人は、その大前提をどこかで意識しておくといいと思います。ビジネスとはそもそも相手ありきで、ニーズがあるものに対して社会貢献をしていくことだからです。
私は幼少期からプロ野球選手を目指し、野球一色の日々を過ごしていましたが、「野球が好きだったから」ではありません。親の夢や周りの期待に応えている手応えや喜びがあったことで、きつくても必死で取り組めていました。
「自分の好きなこと」や「やりたいこと」にこだわり、仕事にしていく道もありますが、やりたいことを仕事にすることが必ずしも自分を幸せにしてくれない可能性はある、という点は、心しておくといいと思います。
相手の期待に応えることと自分のやりたいことが相反する場面は大いにありえるので、本当に好きでやりたいことは趣味で続けたほうが幸せ、というケースは多々ある気がします。
誰かのためになる仕事ができている実感があれば、自分の幸福度が上がり、最終的にそれが、自分の趣味のようにもなっていく気がします。このように思うのは、私が人に喜んでもらいたい気持ちが強い人間だからかもしれませんが、「人の喜びが自分の喜びになる」というタイプの方は、ぜひイチ意見として参考にしてみてください。
「特にやりたいことがない」「誰に対して貢献したいのかがわからない」という人は、入社の決断自体はスピーディーにおこなうのが吉。どの会社を選んでも多少の後悔や疑問を覚える瞬間はあるだろう、と割り切って、まずは飛び込んでみてください。そこでがむしゃらにやって、「そこにどう順応していくか」を模索した先に、自分のやるべきことが見つかってくると思います。
採用面接においても「自分はこの会社にこう貢献できると思う」など、相手目線・会社目線で話してみるのは一案です。
最初からこの目線を持っている人は、入社後の成長度合いも大きい印象があります「自分がどう貢献できるか」は、そもそも会社の全体像を把握できていないと語れませんし、その状態でスタートを切れた人とそうでない人では、10年後は大きな差が開いていると思いますね。最初は小さな角度の違いでも、時間経過とともにその開きは大きくなっていくからです。
「相手のもとめるもの」を理解できないと指示された仕事しかできませんが、理解できている人は、自分からプラスαで「この仕事もやっておいたほうがいいな」と予測できます。自分で考えて取り組める分、ミスも少なくなり、評価につながっていくことでしょう。
「相手のため」に仕事をしていると、最終的には「自分のため」になっていく、ということです。当社の社員たちにも「自分がこう成長したいを語るより前に、まずフォロワーシップを考えてみて」ということを、日頃から繰り返し伝えています。
仕事のなかでは「やれと言われなかったから」と言い訳をする人もいますが、主体的に仕事をしている人から、この言葉は絶対に出てきません。このような言葉を言ってしまう、受動的な仕事の取り組み方にならないためにも、ぜひ「自分のスキルをもって、会社のために、お客さんのために何ができるか」という目線を持って就職活動に臨んでみてください。
けがによる野球キャリアの断念。仕事を通じて自身の成長を実感することで「セカンドキャリア」を歩み出せた
私は2つのキャリアを経験しており、ファーストキャリアは野球、セカンドキャリアは現在のビジネスになります。
ファーストキャリアの最初のターニングポイントは、15歳で親元から離れ、野球の世界に本格的に飛び込んだことです。特待生として県外の強豪校に進学し、1年生からレギュラーを獲得、卒業まで4番バッターを担当しました。大学へもスポーツ推薦で進学し、ドラフト外選手のルートでプロ野球選手になる道を考えていました。
しかし、遊びで出かけたスキーで肩を亜脱臼してしまったことで、その後の人生が大きく変わってしまいました。
うまく球を投げられなくなり、大学3年生で野球を一旦休むことに。卒業後はクラブチームに入って1年間頑張ってみましたが、やはり以前のような状態には戻れず、野球を辞めることになりました。これが2つ目のターニングポイントであり、人生の底を見た瞬間です。24歳のときでした。
当時は、すっかり気力を失っていました。そのような状態の私を見かねた母がアパートに突然やってきて、強制的に実家に連れ戻されました。
そこからはしばらく、八百屋の家業を手伝っていました。15歳で家を出ていたので、両親はその頃の私のイメージで止まっていたようですが、仕事を手伝うなかで成長していることがわかったのか、徐々に信頼して仕事を任せてくれるように。
それによって私も自信を取り戻し、東京で成功している先輩が「とりあえず東京に出てこい」と誘ってくれたのを機に、「もう一度家を出て挑戦をしたい」と親を説得し、27歳の折に再び上京をすることを決めました。
ファーストキャリアを終えてから長らく苦しんでいましたが、実家で過ごした2年間で親のありがたみに触れ、謙虚な気持ちを取り戻すことができたように思います。
スピーディーに駆け上がれた秘訣は「成功者を素直に真似た」から
上京後は、ハングリー精神全開で仕事に没頭しました。「何のキャリアもない自分が人並み以上に稼ぐには、営業職しかない」と思い、まずは通信ケーブル業界の企業に派遣社員として入社。商材の知識を学ぶ研修などでは、「一言一句も聞き逃さない! 」くらいの気持ちで勉強していましたね。
すぐに成果を出せたことで、今の取引先でもある企業から声をかけていただき、1年後には個人事業主として独立を果たしました。
結果を出せたのは「ここからやってやるぞ! 」という気持ちのレベルが異様に高かったことが理由だと思います。「再び地元に帰ることになったら恥ずかしい」という思いも原動力になりました。
また「素直に人の真似をするようになったこと」も、セカンドキャリアの順調な形成につながったと考えています。
昔は自分の意見を誇示することが多かったのですが、地元で家業手伝いをしていた折、「自分は何も知らないくせに、偉そうなことばかり言っていたな」と初めて自分の小ささを自覚できました。
そこからは自分の考えや意見を過大評価せず、父親や尊敬する先輩を参考に「彼らなら、どうするだろう? 」と考えたうえで決断をするように。哲学や歴史などを勉強して考え方の幅も広げていくなかで、周囲から「お前変わったね、良くなったよね」と言ってもらえるようになりました。
この経験から、これから社会人になる人には「一旦、自分の意見を捨ててみる」という心がけをおすすめします。自分自身を振り返ってもそうですが、20年ちょっとしか生きていない人間のモノサシでは、正しく物事を判断できないことが多いからです。
その代わりに、尊敬している先輩や憧れの成功者の考えを取り込んだり、哲学や歴史から学びを得たりしてみてください。「成功者ならどう考える?どう判断する?」ということを一旦「右ならえ」で真似をしてみたほうが、人に認められる決断ができ、うまく世の中を渡っていくためのスタートが切れると思います。
人の意見を真似てみて周りの反応が変わってくると、より学びたくなり、人間形成もうまくいきます。そうして人間的に成熟していくと、良い経験ができ、良い考えが育ち、そのうちに自分の意見が持てるようになっていくはずです。
自分と同じように「セカンドキャリアを歩む人」を支援したい
その後、2011年に当社を立ち上げることになるのですが、見込んでいた取引先と取引ができなくなったことで、創業1〜2年目は1,000万円単位の赤字が発生。起業早々に、先行き不安な状態に陥っていました。
この局面を挽回できたのは、創業3年目のことです。かなりきつい現場の案件が降りてきたのですが、時間をかけて完璧な準備をして臨み、クライアントも驚くほどの成果を出すことができました。私単独で、10人分くらいの金額を上げられたと記憶しています。
このときの売り上げでマイナス分を補填できただけでなく、当社の名前もお客さんの間に広がり、その後も継続的に依頼をいただけるきっかけになりました。会社を軌道に乗せられたという意味で、ここが当社を立ち上げてからの最初のターニングポイントだったかと思います。
また、この頃には「自分と同じように、セカンドキャリアに苦労している人のための会社にしていこう」という思いも抱くようになりました。
スポーツだけをやってきた人間などはとくにそうですが、スポーツ以外のことを何もやってきていないので、セカンドキャリアでは相当に苦労します。私自身も野球を辞めてからどん底を見ましたが、トップセールスになることができれば、そこから社長への道も切り開くことができる。自分の経験を活かして、必要な学びを提供できる場所を作りたい、と思ったのです。
そうして思考・戦略・マネジメントなど、成果を上げられる人間になるための幅広い知識やノウハウを学べる仕組みを作り上げました。現在は50名強の組織になりましたが、社員100人体制を目指しており、社員たちの力がついたら社内ベンチャーをどんどん立ち上げて事業を拡大していこう、というビジョンで動いています。
まだまだ上を目指している過程ですし、準備中のこともたくさんありますが、今は「事業が成長しているな」と実感できる瞬間に、今は一番の充実感がありますね。
また、入社時は半信半疑だった社員が「成功する未来は自分たちが作っていくものだ」と心から理解し、決意を固めていく場面もたくさん見られており、嬉しく思っています。今後も物事の本質を理解してくれるメンバーを、ひとりでも多く迎えていきたいです。
いろいろな社員を見てきた立場からアドバイスするならば、企業選びに際しては「トップの考え方や先輩たちの様子に、感じるものがあるか」という点に注目してみるといいと思います。
単純に考えて、共感できないトップや憧れを感じられない先輩がいる会社に入ってしまうと、やる気が湧いてこないですよね(笑)。
トップの考え方に触れて感銘を受けたり、「この人が引っ張る会社なら成長性がありそうだ」と感じられたりする企業ならば、「前向きに頑張っていきたい」と前向きに思えるはず。「先輩たちの姿 = 数年後の自分の姿」ですので、先輩たちのようになりたい、と思える会社も有力な候補になると思います。
キャリアの決断では「本質」を見て「人のやさしさ」に甘えない
キャリアにおける決断においては、「やさしさに頼らない」「本質を見る」という2点を意識してみるといいと思います。
私は長らく、人のコネクションに頼って進路を決めることが多い人生を過ごしてきました。もちろん「実力を見込んでもらって良い話がきた」という側面はあるのかもしれませんが、人のやさしさに頼り、自分に相応の力がないのに他力を使わせてもらっても、結局はうまくいかないことが多い、と痛感したタイミングがありました。
そう気づいてからは、「まずは自分の力があることが大前提で、そのなかに他力が含まれているのはOK」というスタンスに変えています。
もうひとつの「本質を見る」というのは、「青信号だから渡る、赤信号だから渡らない」といったモノの見方をしない、ということです。
少しわかりやすく説明しますね。青信号でも、車が走っているなかで飛び出せば事故に遭ってしまいますし、逆に一台も車が通っていない道であれば、赤信号でも安全に渡ることができます。信号は「交通安全のため」にあるものですが、その指示に従えば絶対的に安全を約束してくれるものではない、ということです。
信号というルールがあっても、自分の目で「安全に運転できるのか」という本質の部分を見る目を持ち、「渡れる」と判断できれば赤信号でも車を進めるし、判断できなければどんなに青信号が灯っていても渡らない。この意識を持っていないと、青信号だと思って渡った先で、事故に遭ってしまう可能性があります。
キャリアにおいて大きな決断をするのは、とても怖いことです。確実性のある未来は存在しないので、どんな決断でも「本当に大丈夫なの? その選択でいいの? 」という不安や疑問を完全に拭い去ることはできません。
自分で決める怖さから、周囲やルールによる後押しをもらえると、ついつい「どうやら青信号っぽいから、大丈夫に違いない」と他責的に物事を決めたくなるものですが、そうしたときにこそ人のやさしさに甘えず、本質を見て決断する、という姿勢を心がけています。
「どうすれば赤信号で、どうすれば青信号か」というルール自体、そもそも人間が考えたものなので、時代が変われば、その定義が180度変わってしまうこともありえます。人としての倫理や規範は守るべきだと思いますが、ビジネスやキャリアにおける決断においては「これが当たり前だから」「ルールだから」といった理由で決めるのは、必ずしも正解ではないと思いますね。
皆さんもキャリアの選択において迷ったときは、「決断するのが怖いから、本質を見ずに決めようとしてはいないか? 」といった視点をもって、自分を顧みてみてください。
そのうえで遠い将来に視点を合わせ、「この選択の先にどうなっていくだろうか? 」を想像しながら考えていくと、「周りもそうしているから」「誰かに声をかけてもらえたから」といった理由ではない、自分らしい決断ができると思います。
取材・執筆:外山ゆひら