迷ったら難しいほうへ。「偶然」を自己成長の糧としよう

MIMIGURI 執行役員 COO 原 申さん

MIMIGURI 執行役員 COO 原 申さん

Shin Hara・大学卒業後、大手百貨店に入社。売場づくりを通じてビジネスのおもしろさに目覚める。その後、自分で事業を作る経験を積みたいと考え2005年にマクロミル入社。営業~営業部長、人事責任者、新規事業開発室長など複数の部門を経験。2019年、製造業の受発注プラットフォームを提供するキャディに入社。オペレーション、営業、営業企画立ち上げなどを経て、2021年よりHead of HRに就任。2年弱で80名から650名に組織を拡大。2023年4月よりMIMIGURIへ入社。以降現職

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閉じた世界で過ごした学生時代。世界を広げるためあえて困難な道を選んだ

迷ったときは、より困難なほうを選ぶ。これが、私のキャリアを貫く考え方です。

事情があり、学生時代は昼も夜もアルバイトばかりしていました。サークル活動もまともにできないどころか勉強の時間も取れず、大学4年の後期にして22単位も残っているような状況でした。

そんななかで唯一受けることができていたのが、マーケティングの授業です。授業を受けるうち、将来はマーケティングの上流、つまり市場分析や戦略立案・商品の企画・開発に携わりたいと考えるようになりました。

そのためには、まず顧客を深く理解する必要があります。そこでファーストキャリアに選んだのが、百貨店です。当時、すでに百貨店は「ビジネスモデル的に大きく成長するのは厳しい」といわれており、いわば斜陽産業の一つでした。なぜわざわざそんな世界に飛び込んだのか。それは、それまで閉じていた世界を広げたかったからです。よりチャレンジングな選択をしたほうが、自分の世界が広がるだろうと考えました。今振り返っても、この選択は自分にとって非常に有意義だったと感じています。

原さんのキャリア変遷

誰もが避ける部署へチャレンジ。0からビジネスを作るおもしろさに目覚めた

百貨店に入社後は、全社で一番キツいといわれる部署に手を挙げました。その部署では商品のラインナップ~陳列・販売体制まですべてを一から考える必要があるため、通常の部署とは比べ物にならないほど忙しかったのです。実際その大変さは社内にも知れ渡っており、手を挙げたのは私だけ。おかげで新人ながらすぐに希望が通り、無事配属が決まりました。

まず任されたのは婦人雑貨です。婦人雑貨は傘やストール、手袋などとにかく品数が多いうえに百貨店の顔といわれる1階にあるため、ディスプレイを週一ですべて取り換える必要がありました。予想していたとおり、とてもハードでしたね。

でも、そんな大変な部署だからこそ良かったこともありました。それは、新人でも重要な仕事に取り組めること。多忙な部署であるがゆえに、通常入社3カ月目の新人には任せられないような仕事も任せてもらえたのは非常に良い経験でしたね。売場のコンセプトづくり〜商品選定、仕入れ計画の策定、プロモーションの企画など、ビジネスの根幹にかかわる仕事に幅広く携わることができました。今の自分があるのは、この時期の苦労あってこそだと思っています。おかげで、0からビジネスを作っていくおもしろさに気付きました。

成長曲線を押し上げるのは「期待を超える+α」の仕事

百貨店の仕事は非常に充実していましたが、学びが多かった分、入社して1年が経過したころには自分で0から事業を作ってみたいと強く感じるようになります。そこで、チャンスが多い成長企業に転職することを決めました

転職先に選んだのは、マーケティングリサーチを主力事業とする企業です。営業からのスタートでしたが、入社3年目にはマネージャーに昇格し大きな数字を扱えるまでに成長していました。その後すぐに営業企画の立ち上げにも携わることができましたね。

転職してから意識していたのは、「与えられた仕事の期待を超える+αの仕事をすること」。たとえば営業であれば、決められた目標を達成することが仕事です。もちろん、まずは目標達成に全力を注ぎます。そのうえで、「仕組み」の力を使って目標達成を可能にできないかを常に考えるようにしていました。

短期的な目標達成を繰り返すだけでは、個人の力に依存しやすく、再現性が生まれません。しかし目標達成できるような仕組みそのものを作れば、誰がいつ取り組んでも近い成果が得られるはずです。短期間でマネージャーに就任できたのは、小規模な組織だったことや、成長中で人手が足りない状況だったこともありますが、常に与えられた以上の期待を超える仕事をしたことが大きかったように思います。

学生のみなさんも、入社後に早く成長したいと思ったらまず「期待を超える+αの仕事をしてみる」ことを意識してみてほしいです。

原さんからのメッセージ

フットワークは軽く。声をかけられたらまず乗ってみよう

営業のマネージャーとしての充実した日々を送るなか、大きな転機となったのが、いきなりの人事への異動でした。一度退いていた創業者が戻ってきたことで方針が変わり、それに影響された形です。「明日から別の仕事をやってもらいたいから、今の仕事を誰に引き継ぐか指名して」といわれたときはびっくりしましたね。

営業マネージャーとして十数億の売上を任され脂の乗っている時期でもあったので、正直戸惑いもありました。しかしここで人事に異動したことが、結果としてキャリアの大きなターニングポイントになりました。

一番大きな変化は、経営者目線で物事を考えられるようになったこと。それまでは営業の最前線に立ち、「目の前の顧客にどう喜んでもらうか」を考えるのが仕事でした。しかし人事として組織全体を見る立場に立ったことで、目の前の顧客だけでなく、従業員や株主、さらには社会全体に対してどんな価値を提供していくかまで考えるようになりました。ここで得た視座は、その後の新規事業立ち上げの際にも大いに役立つことになります。

この経験から、「ゴールを一直線に目指すのが正解とは限らない」と考えるようになりました。いかに最短ルートでゴールに辿り着くかに集中していると、「勧められたことに挑戦してみる」ができなくなります。自分の可能性がどれくらいあるかは、自分だけではわからない。だからこそ、人から「やってみたら良いんじゃない」といわれたことに乗ってみるのは大切だと思います。みなさんも、周囲から勧められたことにはフットワーク軽く乗ってみてほしいです。

原さんがキャリアで大切にしている考え方

主語を「自分」から「社会」へ。困難は「理念への共感」で乗り越えられる

人事に異動し人事責任者や管理責任者を経験したあとも、新規事業開発に複数挑戦したり、副社長として子会社を経営したり、2,000人規模のグループ組織全体を運営したりと、常に挑戦を重ねてきました。そんななかで大きなターニングポイントだったのは、月並みですが、子どもが産まれたこと。子どもを見ていると、「これからの未来を担う次世代の子どもたちに、より良い社会を残したい、つなげたい」と強く思うようになり、20代は「個人」、30代は「企業」だったキャリアの主語を、40代以降は「社会」にしようと決意したのです

次世代により良い社会を残し、つなげるために、「大きな構造負を抱える「製造業」の課題を解決するスタートアップへの入社を決めました。日本最大の産業である製造業の課題が解消できれば、「より良い社会」の実現に大きく一歩近づけると考えたのです。

しかし、そこで待っていたのは困難の連続でした。今振り返ると、人生で一番しんどい時期だったかもしれませんね。一番のハイライトは、人事責任者として、80名弱の組織だったところを3カ月で100名以上拡大させたことです。

MIMIGURI 執行役員 COO 原 申さん

そのなかで課題になったのが、通常ではありえないほど高い目標を設定する、ムーンショットと言われる目標設定の考え方です。たとえば「売り上げを去年の100倍にする」という目標が設定されたら、みなさんはどう思いますか? 考えられない、とても無理だと思うかもしれません。そのような限りなく不可能に近い目標を達成する方法を固定観念を外して考えることで、組織として飛躍的な成長を遂げることができるのです。

しかしこのような目標設定方法を数百名規模の組織全員が体現し続けるのは難しく、苦労の連続でした。うまくいかずに頭を抱えることも多い時期ではありましたが、それを乗り越えられたのは、企業理念に心から惚れ込んでいたからにほかなりません。本気でモノづくり産業のポテンシャルを解放したいと思っていたので、それを推進するためにはなんでもしようと固く心に決めていたのです。結果として、80名弱の従業員は2年で約650名に拡大。ムーンショットという考え方も、徐々に組織全体に受け入れられるようになりました。

この経験からも「企業理念に心から共感できること」は非常に重要です。現在所属しているMIMIGURIも「創造性の土壌を耕す」をミッションに掲げ、新しい経営モデルを通じて人と組織が創造的に・生き生きと探究する社会を、ファシリテーションを軸としたコンサルティング事業やプロダクト・サービスを通じてつくろうとしています。この理念に心の底から共感し、目指す社会を創り上げていきたいと感じたからこそ、日々全速前進で探究しています。自分が信じる「価値あること」を実現しようとしているという感覚が持てれば、どんなに困難な状況に直面しても踏ん張り、楽しめるはず。これから入社先を決める人には、そういう感覚を持てる環境を選んでほしいと思います。

原さんが贈るキャリア指針

取材・執筆:久保鞠奈

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