時には直感に従ってみることも大切|好奇心と行動力を武器に切り拓いたキャリア
コロプラ 取締役 菅井 健太さん
Kenta Sugai・2000年に設備工事会社へ入社。設計職を担うなかでインターネットの可能性に興味を持つようになり、2001年にフォーラムエンジニアリングへ。業務効率化を図るなかで独学でプログラミングを学び、システム開発の仕事を志すようになる。2005年にSEとしてコムシステクノへ、2008年には旅行の口コミサイトを手掛けるフォートラベルへ入社し、開発経験を積む。2010年6月にコロプラ入社。2016年12月より、現職。2023年から人事部門も管掌
好奇心の赴くままに就職。インターネットに出会い“エンジニア”として生きていく道を見出した
エンジニアとしてキャリアを歩んできた私ですが、小学校の頃はパソコンではなく、工作や油絵が好きな少年でした。突出して上手だったわけではないですが、「他の人より得意なこと」という自覚があり、これを強みとして生きていくのかなと思っていました。
とはいえ、中高時代はまだ仕事に対する具体的なビジョンはなく、福島の競馬場へよく遊びに行っていたり、「ダービースタリオン」というゲームが好きだったりしたことから、騎手を目指せる競馬学校を受験したこともあります。「空を飛びたい」という理由から、航空自衛隊に憧れた時期もありましたね(笑)。最終的には、父親が建築系の仕事をしていた影響で、地元の工業高校に進学。そんな風に、将来のことをふわふわと考えていた学生でした。
しかし本格的に進路を考える時期になり、最初に頭に浮かんだのは絵の道でした。美術の専門学校に進もうかと悩みましたが、親に「仕事にしなくても、趣味として老後にでもやればいいんじゃない? 」と言われ、散々迷った挙句、納得して進学を断念。好きなだけでは仕事にならないと客観的な判断をされ絵の道を諦めたことは、大きなターニングポイントといえるかと思います。
迷っているうちに就職活動シーズンが終わってしまったので、1社目は父の紹介で設備工事の会社に入らせてもらうことに。当時の建築業界は土曜も当たり前に動いていたので、入社してすぐの頃は「同世代が遊んでいるのに自分は仕事か……」などと腐すこともありました。
しかし、アウトプットが完成し、お客様から感謝されるモノづくりの喜びを実感するようになりました。その一環として、配管や水道管の設計図を書く仕事もとても楽しく、やりがいを感じました。
社内にはパソコンが1〜2台しかなく、パソコン関連の仕事は「若いんだからお願い」と任されることが多かったです。しかし、その結果CADソフトを使えるようになり、次第にパソコンの世界に魅了されていきました。
特にインターネットには感動し、「テキスト(ハイパーリンク)で世界がつながっているなんて! 」と衝撃を受けました。触れるうちに「インターネット関連の仕事がしたい」と思うようになり、1年ほどで退社を決意しました。父には怒られましたが、次の道を探すことにしました。
1年しかいなかったにもかかわらず、1社目の会社の人たちのことはすごく覚えています。先輩社員たちが仕事に真剣に向き合う姿を間近で見られたことは、その後の財産になりましたし、尊敬する職人さんにも出会えました。私が「企業選びでは、誰と働くかが一番重要」という考えを持つようになったのは、ファーストキャリアの経験も大きく関係しているように思います。
退職後、転職活動を開始してみるも、当時の地元・仙台にはIT系の事業をやっていて、かつ未経験者を迎えている会社はごくわずかでした。
客先常駐でデータセンターのオペレーションを手がけている会社になんとか迎えていただきましたが、ルーティンワークを続けるのが苦痛で、「ラクにやれる方法はないものか」と独学でプログラムを作ってみることに。これが思いのほかうまくいき、業務の自動化ができたことで、お客様にも非常に喜んでいただきました。
「これは仕事になる」と感じ、プログラムを活用した効率化の提案を積極的におこないました。1社目で「自分はモノづくりが好きだ」と気づき、漠然とインターネットに関われそうな仕事を志しましたが、2社目での経験を通じて「プログラムを作ってモノづくりがしたい」という、より具体的なビジョンが見えてきました。
建築などのモノづくりの世界では、一度失敗すると元に戻らず、その失敗が人の命にかかわる可能性が高いので多くの制約がありますが、プログラミングの世界ではそのような制約が少なく、何度でも気軽にやり直しができます。同じモノづくりの仕事ですが、そのような違いを感じたことを覚えています。
「エンジニアとして生きていこう」という道が定まったことは、キャリアにおける最大のターニングポイントでしたね。
仕事を通じて芽生えた興味に従い、次々とステップアップを続けた20代
独学で学んだプログラムでご飯を食べるために上京しようと決意し、社会人5年目には、システム開発の会社に飛び込むことにしました。4月入社だったので新卒社員と同じように扱ってもらい、20名ほどの同期社員たちと切磋琢磨できたことは非常にありがたかったです。
大規模な受託開発案件が多い会社だったので、入社後はエンジニアが数百名いるようなプロジェクトを多数経験。行政や郵便関係のシステム、大学入試のシステムなど公的な案件も多かったので、品質へのこだわりも鍛えられました。
一方で、設計書どおりに作ることがマストで、自分が良かれと思う改善提案を実装できないことに、少しずつフラストレーションを感じるようになっていました。
そして「自分がこうしたいと思うものを、自社で作れるところに行きたい」と考え、次なる転職先として選んだのが、旅行口コミサイトを運営していたフォートラベルです。20代の頃はバックパッカーとしてよく旅行に出かけていたので、「自分の体験を活かせて、かつ自分が使いたいサービスを作って提供できる仕事は良いな」と魅力を感じて、3年弱ほどいた会社を離れて4社目に移ることにしました。
想像どおり、入社後は自分で裁量を持って、自由度高くシステム開発に取り組めました。「こうしたい」と思うことをすぐに反映してリリースできる環境でしたし、それまで自分で使えるようなシステムを作った経験がなかったので、「ユーザー目線で開発ができること」がとても楽しかったです。開発だけでなく、データセンターでのサーバー運用なども担い、ユーザーの期待に応えていく醍醐味を知りました。
そして28歳のタイミングで、当社コロプラに出会います。先に転職した同僚に誘われたのがきっかけですが、当時のコロプラは、携帯電話の位置情報を使って移動を楽しむ位置ゲームを扱っていたので、「旅行サービスを通じてユーザーを動かす」という前職の業務とも通じるものがある、と興味を持ちました。
創業者である馬場さんは、長年運営ブログを書かれていたので、面接前には過去記事をすべて読破しました。
記事のなかで、向かい風に耐えてひとりで戦い続けている様子が特に印象に残っていたので、「なぜこのようなつらいことを、やり続けることができるのですか? 」と思い切って面接で質問してみたのです。
すると「自分が作ったものをユーザーに触ってもらいたいから」との回答。ユーザー第一の姿勢にいたく感銘を受け、「この人と働いてみたい」という強い直感が働いて入社を決めました。馬場さんとの出会いも、キャリアにおけるターニングポイントのひとつと言えるかと思います。
成長したいなら環境をガンガン変えるのもアリ。直感で飛び込んでみよう
ここまでの話でわかるように、私は直感型の人間で、常に「この仕事をやってみたい」「この会社で働いてみたい」という直感に従ってキャリアを歩んできました。
2016年に当社で取締役の打診をいただいたときも、その場で「やります! 」と即答しました。チャンスだと感じたら、受ける以外の選択肢はないでしょう、というスタンスです(笑)。年齢を重ねるほど人は慎重になりがちですが、今後も直感を大切に、フットワーク軽くチャレンジできる人間でありたいと思っています。
環境をガンガン変えることで、成長を遂げることができた実感もあるので、「慎重に考えすぎずに飛び込んでみると良いよ」ということは、学生の人に伝えられるメッセージかと思います。
キャリアに関する意思決定は、基本的に自分だけのものなので、直感的に動いてもそう大きな問題は起こりません。あまり心配しすぎず、心に従ってみるのは一案かと思います。
ただし、チームや組織の意思決定をするときは、視点を間違えないようにすることが肝心です。あらゆるステークホルダー(関係者)を想定しながら、「自分の決定によって他者にどんな影響が及ぶのか」をひととおり考えます。「どれを選んでも問題はなさそうだ」というくらいにまで選択肢を絞ることができたら、最後は直感で決めることも多いですが、そこまでの過程では、周りの意見をもらいながらさまざまな選択肢を検討します。
就職活動でも同様、悩み尽くして選び抜いた数社であれば、どの会社を選んでも大きな違いはない気がします。その会社の事業に共感できることは前提として、最後は「ここで(この人と)働いてみたい」という直感やフィーリングで決めるのが、一番良い方法だと思います。
絞り込んでいく過程では、インターンシップやアルバイトを通じて、会社のなかを見る機会をできるだけ持ってみてください。私は5社を経験してきましたが、同じ事業をやっている会社はひとつもなかったので、毎回「また違う世界に来たな」と感じていました。
業界のカラーや文化は、中にいる人たちの特徴やマインドから生まれてくるものなので、「自分がどんな人と働きたいか」という目線でも、選ぶ業界は異なってくるかもしれません。
また自分のなかで考え尽くした後は、一緒に考えてくれる人に相談してみるのは有効な手立てです。自分の気持ちや知識、努力だけではどうにもならないこともたくさんありますし、客観的な目を入れたほうが、早く最善策にたどり着ける可能性が高いです。
自分たちが良いと思えて、かつユーザーに届くモノづくりを続けていきたい
コロプラ入社後は、開発プロジェクトのマネジメントをおこないつつ、サーバー、情報システム、セキュリティなど部門横断的な業務を担当してきました。入社前に感じたとおり、モノづくりに非常に真摯な会社だと感じています。
新しいものを創る挑戦をずっと続けている点でも、唯一無二の会社だなと誇りを持って働けています。手前味噌ですが、自分たちが心から良いと思っていて、かつユーザーが使いたいものを作り続けられる会社は、そうそうないのではと思いますね。
今後もたくさんの人に触ってもらえるエンターテインメントを作っていきたいですし、海外にも視野を広げ、世界中の人に届くようなモノづくりにかかわっていきたい、というのが現在のビジョンです。
3社目〜4社目にいた頃は「自分が作りたいと思えるものを作りたい」という気持ちが強くなっていましたが、今改めて「ユーザーに届くものを作る」という意識に原点回帰しています。
「自分が何を作りたいか、どんなことを成し遂げたいか」という志を持っておくことは、モノづくりの業界で働くうえで必要なことです。しかし一方で、「ユーザーが触るものを作っている」という目線を持てるかどうかは、モノづくりの業界での活躍を分けるポイントではないか、とも思います。
併せて、モノづくりの技術は”手段”でしかないということも知っておいてほしいです。「この技術を使って何かを作りたい」というよりは、「こういうモノを作りたいので、こういう技術が必要だ」といった順番で考える人のほうが、よりユーザーに届くアウトプットが作れる気がします。
たくさん行動して試してみることでしか「得意なこと」は見つからない
ファーストキャリアを考える際には、自分がやりたいことに加えて、「得意なことはなんだろう?」という視点を持っておくと良いと思います。私も学生時代には瞬間的にあれこれやってみたいことがありましたが、絵が得意なことは意識していましたし、プログラミングという人に認めてもらえる得意なことを見つけて現在に至ります。
すぐに見つからなくても焦る必要はありませんが、得意なことを見つけたいなら、「とにかくやってみる」を心掛けて行動を続けることが大切だと思います。まずはやってみて、合うか合わないかを確かめ続けることでしか、得意なことは見つかってこないからです。
どんな世界にも飛び込むチャンスがありますし、いろいろ試しているうちに「この仕事、好きだな」「他の人よりうまくできるみたいだな」と思える業種や職種が見つかってくれば、そこでのキャリアアップを目指してみると良いでしょう。
私自身、今でも「やってみないとわからない」「自分の手で触ってみないと見えてこないことはたくさんある」と思っているので、頭でっかちに考えすぎるよりも、1文字目を書き始めてみるスタンスを大切にしています。いろいろ挑戦しているからこそ、知らないうちにアウトプットできる引き出しが増えている、という感覚もありますね。
社会で活躍する人に共通しているなと思うのは、「その時々で達成すべきこと」を理解していて「そのために何をすべきか」を考え続けていること。それこそがリーダーシップだと考えています。
仕事は決してひとりでは成り立たせることができないので、そのプロジェクトのなかで自分がどう貢献できるか、自分のスキルセットをどこに紐づけるか、といったことを常に考えている人は活躍の場を広げていけると思います。
成果を上げることを第一に考え、チームの中でどう動くかを理解して、かつ周りを引っ張り上げる……という真のマネジメントができるようになるためは、一歩引いてチームの状況を俯瞰できる目線も大切です。
人事部門を見るようになってからは、学生の人たちにもたくさんお会いしていますが、こちらが気付きや刺激をもらうことのほうが多いです。ただ何かメッセージを送るとすれば「これまでの経験は決して無駄にならないから、自分を過小評価しないで」ということでしょうか。
たとえばの話ですが、大学時代は「サークルの代表として組織を引っ張っている」といったことに自信を持っていたのに、社会に出たら急にその経験がちっぽけに思えてしまい、会社のなかで萎縮してしまう。中学生になったら小学校での経験が、高校生になったら中学校での経験がちっぽけに見えてしまうのと同じことです。
もし社会に出てそんなふうに感じたとしても、それまでの経験値は決して無駄にはなっていません。何かしらの形で活かせる場所やチャンスが絶対にあるので、今までやってきたことを忘れず、自信を失うことなく、ぜひ自分の得意なことや経験値を会社のなかで存分に発揮してほしいなと思います。
取材・執筆:外山ゆひら