自分で選び歩むキャリアにこそ輝きは生まれる|「ありたい世界」を創る仕事をするために

シー・エス・エス 代表取締役CEO 佐川 学さん

シー・エス・エス 代表取締役CEO 佐川 学さん

Manabu Sagawa・大学卒業後、大手飲食チェーンを経験したのち、2000年にシー・エス・エス入社。開発・営業・管理など各部門を経験したのち、2015年9月、4代目の代表取締役CEOに就任し、以降現職。2018年以降はグループ会社であるシー・エス・エスホールディングス、リライフ・ジャパンの代表取締役CEO、アイムシステムサービス取締役副社長も兼務

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ベースにあるのは反骨の精神。それでも父が創業した会社に入った理由

当社シー・エス・エスは私が子どもの頃、父が創業したITの会社です。父は「私が起床前に出勤し、私の就寝後に帰宅する」といった絵に描いたような仕事人間でした。土曜も仕事で、日曜はゴルフ。たまに家にいると思えばずっと寝ているか、お酒を飲んで機嫌が悪いかのどちらかで、父や父の仕事に対して決してポジティブな感情は抱けませんでした。時代の波に乗り、創業後しばらくして事業は好調に転じたようですが、創業期は家計も大変だったと聞いています。

父とのかかわりが少なかった分、幼少期は母や教職だった祖父からとにかく勉強をさせられていました。小学校の高学年の頃から東大卒の家庭教師が家に来るような環境と言えば、その教育熱心さが伝わるでしょうか。しかし物心が付いた頃からは、親にひたすら反発するように。父も母も高学歴だったのでコンプレックスもありましたし、勉強のことばかり言われることに嫌気が差して反骨の精神が大きく育ってしまったのです(苦笑)。

ただ逆に言えば、「こういう大人になりなさい」という周囲からのプレッシャーが強い環境で育ったことが自立心を芽生えさせ、自分のアイデンティティや自我を意識することにつながったようにも思います。「父を超えてやる!」という気持ちは今でも仕事のモチベーションになっていますね

大学時代は当時の流行りのカルチャーを追いかけているような学生でしたが、就職活動でも「父がやっているIT系とは真逆の業界に行こう」という気持ちは強かったです。とはいえ、当時はバブルが弾けた後の超不景気で、いわゆる就職氷河期と呼ばれていた頃。多くの選択肢があったわけではないですが、内定をいただいた大手の飲食チェーンを手掛ける会社に入社することにしました。

佐川さんのキャリアにおけるターニングポイント

 入社後は早々に店長職を任されましたが、不景気の時代に飲食業で利益を出すのは簡単ではなく、一人で3〜5人分の働きはしていたと思います。それでなんとかお店の業績を保っている状況だったのですが、20代後半のある日、過労がたたって倒れてしまったのです。

入院中には、父がお見舞いに来てくれました。久々に会った父は白髪が増え、歳を取ったなとしみじみ思ったことを覚えています。一言二言、仕事のことを聞かれた後、つい「この仕事を続けるのは厳しいかも」とポロッと弱音をこぼしたところ、父の口から飛び出したのは「うち(当社)に来るか」という言葉でした

この言葉をかけられたときには本当に驚きました。それまで父にまともに構ってもらった記憶はなく、子どものことを愛していない父親なのだろうと思い込んでいたからです。反発ばかりしてきた息子にも、そんな温かい言葉をかけてくれるのだなと過去の自分を反省する気持ちになりました。

自分が父の会社に入ったら迷惑をかけるかもしれないと思いましたが、最後の親孝行のチャンスかもしれないと思い、29歳で父の会社に入ることを決めました。ここがキャリアにおける最初のターニングポイントです。

12年間の下積みを経て異業種へのチャレンジが花開いた

転職後しばらくは本当に大変でした。父への反発からITの分野には近づかないようにしていたので、プログラミングなどは当然ながら一度も触ったことがなかったからです。30歳間近で一から新しい技術や知識を学ぶ日々が始まりました

当社は金融業界を中心とした基幹システムや情報系システムの開発を主軸としており、必要な業務知識を懸命に勉強しましたが、自分の性格的にエンジニアは向いていないと思うことが多かったです。その後も企画部門や管理部門など数年単位にいろいろな部署を回りながら、会社全体への理解を深めました。

入社後も創業者の息子として特別扱いをされることはありませんでした。むしろ上司とぶつかったり、当時は働き方改革を断行する前でハードワークだったりして、まともに眠れない時期もあったほどです。しかし、悪夢にうなされて目覚めると、生まれたばかりの我が子が横ですやすやと眠っていて、その寝顔を見ていると、どんなに体が重くても会社に足が向かうのです。自分が幼かった頃、ハードワークをしていた父の気持ちが少しだけわかったような気がしました。

そして転職から12年が経ったタイミングで、営業部に配属になります。ここがキャリアの2つ目のターニングポイントです。長らく鳴かず飛ばずの一社員だったのですが、営業というシンプルな仕事は自分に合っていたようで、それまで積み重ねてきた点が一本の線になったようにキャリアが開花しました。毎年のように昨対比を+20%ペースで伸ばすことができましたし、取引先の会社から「貢献度が大きいから」と特例で表彰していただいたこともあります。

そうこうしているうちに社内からの見る目も変わってきて、営業に来てから3年ほど経った頃、予期せず4代目社長を任されることになったのです。

この経験から皆さんに伝えられるのは、仮に希望どおりの業界や会社に入れなくても、思ったように活躍できなくても、「これが今の自分の実力なのだな」と一旦受け止めて、まずはこの会社で成長しようと決めること。覚悟を決めて仕事をしていれば、高い確率で良いチャンスが舞い込んできて、その先のキャリアにつながっていくはずです。自分の実力が上がれば、希望の会社に再チャレンジするチャンスはいくらでも生まれてくると思います。

佐川さんからのメッセージ

感じることが行動のヒントに。「ありがとう」と言われる人生を

代表になって最初に着手したのは、働き方改革です。ダイバーシティ推進室という専門部署を立ち上げ、職場環境の大々的な改善に努めました。

10年前の当社は紙の書類が中心で、残業も多い会社でした。そこで完全なペーパーレス化を図って情報の整合性を高めながら、並行してクラウドシステムを導入することで、在宅でもセキュリティの高い電話対応ができる体制を作り上げてリモートワークを推進。勤怠システムも導入して残業の抑制を図り、案件の状況やエンジニアの状態の把握をおこなうことで、トラブルを未然に防ぎやすい環境を作り上げました。

働き方改革に力を入れたのは、人はなぜ働くのかという根源的な問いに立ち返ったからです。いろいろな人生の形がありますが、どの社員も「自分や家族が幸せになるため」に働いていることは共通なはず。それなのに会社が社員を苦しめていたら、本末転倒だと思ったのです。

シー・エス・エス 代表取締役CEO 佐川 学さん

並行して、働きがいのある職場づくりも目指してきました。働くことの報酬はイコールお金だと思われがちですが、一生懸命に仕事をした結果、お客様や同僚からもらえる感謝の言葉も報酬の一つで、これがあるからこそ頑張れるのだと思います。自分の人生最後の瞬間を想像してみても、いろいろな人にありがとうと言ってもらえた記憶があれば「良い人生だった」と思える気がしますね。

こうした社内改革を続けてきた結果、この10年で売上もグループ全体で2倍近くに伸ばすことができ、以前よりも良い会社にできているという実感を持てています。

「お客様のシステムを作って納める」という従来型のビジネスに加え、3年前にはBtoBのプラットフォームサービスもローンチしました。

きっかけは、オフィスのレイアウトを変更したほうが生産性を上げられそうだと感じ、会議室の数を2個から10個に増設したことです。それがきっかけで、会社間でお互いに空き会議室を融通しあうプラットフォームを作ればほかの会社にもよろこばれるのではないかと思いつき、新しいサービスを立ち上げることにしました

この経験から改めて気づいたのは「感じること」の大切さです。お客様が困っていたら「なんとかしてあげられないかな」「どうしたらこの人を幸せにしてあげられるのかな」と相手の立場になって困っていることを感じ取りながら、問題を観察してみる。そうしていると「こうすればなんとかなるかも?」という発想やアイデアが浮かんできて、行動につながっていきます。

「感じること」を大切に

本件に限らずですが、「感じること」が前に進むための強い理由になることを、これまでのキャリアで何度も体験してきました。学生の皆さんも、今のうちから友達や家族など身近な人の話を聞いて「感じる訓練」をしておくと、社会に出てから役立つと思います。

仕事とは「人や世の中に感謝されるもの」を生み出すこと

一つのビジネスを立ち上げて軌道に乗せるのは骨が折れる作業ですが、「世の中を良くしたい、こういう世界を作りたい」といったビジョンを持って情熱を持って取り組めることに、今は大きな充実感を覚えています。そしてこれこそが、本当の意味で「仕事」と呼べるものだと思えています。

上述したBtoBのプラットフォームサービスにさほど収益性の高くないシェアリング機能を入れたのも、世の中にとっては良いことだと思えたからです。限られた資源をシェアすることは持続可能な社会への貢献につながります。

世の中に直接良い影響を与えられることがしたい、良い世の中を作っていきたいという思いは、今の私のキャリアの原動力になっています。自分たちが良ければ良い、お客様だけが良ければ良いでは会社の存在意義として不十分だと思うからです。社会に何かしら良い影響を与えているからこそ世間からも会社として認めてもらえているのであり、「売上が出るからこのビジネスをする」「自分たちが儲ければ良い」というスタンスでは、もはや会社ではないのではと思ってしまいますね。

仕事とは「人にありがとうと言われるもの」を提供すること。お金は「良いこと」の対価として返ってくるものだということは、これから社会に出る人たちにもぜひ意識しておいてほしい点です。こういった働くことの理念を自分の芯にしっかり持つことができていれば、どんな道筋であれ良いキャリアを歩んでいけると思います

私自身、仕事をしていて一番うれしいのは、自社のサービスや技術を提供しお客様側の成果につなげることで感謝の言葉をいただけるときです。代表を任されてからは、社員たちがしっかり仕事をして生活できる環境を作れていると実感したときにキャリアの充実を感じます。

佐川さんが考える「仕事とお金」

上記の観点から、会社選びにおいても「世の中の役に立っている会社かどうか」「世の中に良い影響を与えられている会社かどうか」という視点を持つことを強くおすすめします。

会社の規模感はそのまま社会貢献度の大きさに比例するという考え方もできますが、規模が小さくても社会貢献度の高い会社はありますし、逆も然りです。世の中に良いことを続けている会社は、長く社会に受け入れられる会社であり続けるでしょう

そのあたりを見極めるためにも、入社前に社長や社員の話をしっかりと聞いておくことも大切です。きれいな言葉で書かれている文章ではなく、できるだけ生の声に近いものに触れてください。社長自身がやっているSNSなどがあれば、そういったものもチェックしておくと良いと思いますね。

確かめておくべきは、理念として掲げている世界観を、本当に情熱を持って追いかけているのかどうか。相手が言うことを鵜呑みにする必要もなく、「この人、本当のことを言っているかな? 本音かな?」と少し斜めから見るくらいでちょうど良いと思います。「この人たちと一緒に、こういう世界を作るために頑張りたい」と思える会社なら、入社後に多少大変なことがあっても乗り越えやすくなるでしょう。

また最近は「初任給が高い会社」が注目されがちな風潮がありますが、自分が成長して会社で活躍できる人になればお金は後からついてくるもの、ということもぜひ頭の片隅に置いておいてください。どれだけ初任給が高い会社に入っても、会社に貢献できる存在に成長できなければ、キャリアも給料も先細りです。目先のことだけにとらわれない中長期的な目線を持っておくことをおすすめします。

納得のいくキャリア選択をしたいなら「自分が決める」にこだわろう

反骨の精神が強く、周りのアドバイスを素直に聞くことができない性格だったので、40歳くらいまでは失敗もたくさんしましたが(苦笑)、何度かあったしんどい時期に踏ん張れたのは、それなりに高みを目指す気持ちはあったからだろうと思います。自分の力で一人前になるぞ、自分で入ろうと決めた業界や会社でやっていくぞという覚悟だけはあったので、目の前の壁やつまずきは些細なことに思えていました。

憧れの職業というわけでもなく、具体的にやりたい仕事もなかったわけですが、今では「この道を選んできて良かった」と思えていますし、これまでのキャリアにも後悔はありません。過労で倒れるまで仕事に没頭した経験も含め、すべて自分で決断し選択してきた結果なので、自分なりに腑に落ちているのだと思います

キャリアの選択で一番重要なのは納得感があること。自分で決断すると「自分で決めた手前やるしかない」というある種の覚悟が決まります。自分が選んだことは誰かのせいにできないので逃げ場はありませんが、その分、しんどいときにひと踏ん張りが効くので、自己成長にもつながりやすい気がします。

給料で選ぼうが、世間体や将来性で選ぼうが、自分でそれが良いと思って決めたことならば納得感は持てるはず。逆に一番良くないと思うのは「自分はあまり気が進まないけれど、周りがこうしたほうが良いと言うから」といった他人の意見で決断してしまうことです。自分で決めないと、うまくいかないときに誰かのせいにして不平不満ばかりになったり、うまくいっていても、なんとなく納得できないキャリアになったりしてしまうと思います。

これから社会に出る皆さんも、キャリア選択においては「自分で決めること」にだけはこだわることをおすすめします。それさえ守っていれば、どんなルートになったとしても「自分が選んできた道だ」と納得して人生を歩んでいけるのではないでしょうか。

佐川さんが贈るキャリア指針

取材・執筆:外山ゆひら

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