人生の波は失敗を恐れず乗りこなせ|今よりも一歩先の未来で自分らしく輝くために
デリカフーズホールディングス 代表取締役社長 大﨑 善保さん
Yoshiyasu Ozaki・高校卒業後にアパレル業界へ。20歳で自分の会社を興し、5年間経営を経験する。1997年2月にデリカフーズ(現:名古屋デリカフーズ)入社。2005年に東京デリカフーズ(現:デリカフーズ)に転籍後、2006年に取締役、2007年に常務取締役、2009年に取締役社長、2011年に代表取締役社長に就任(以降、現職)。2013年4月にデリカフーズホールディングスの常務取締役に、2017年2月には代表取締役社長に就任し、以降現職
きっかけは偶然の出会い。25歳からやり直したファーストキャリア
「社会で活躍したい」という志は、昔から強いほうでした。自分から周りを巻き込んで何かをやるのが好きな、ガキ大将タイプではあったように思います。中高生の頃からアルバイトに勤しむうち、大学に行くより実社会で経験を積みたいと思い、大阪のアパレル会社に18歳で就職をしました。
その後、地元愛知へ帰り20歳のタイミングでアパレルの卸売会社を自分で立ち上げることに。レディースの洋服販売で百貨店の店舗の一角を任され、常駐型のセレクトショップを運営することになりました。
当時は人間的にとにかく未熟で、胸を張って話せることは何もないのですが、売上成績だけは順調でした。百貨店側から「若いけど、とにかく売るよね」と評価をいただき、経営も順調に進んでいました。とはいえ私としては、学生サークルのノリで会社をやっていたような感覚でしたね。
しかし25歳のタイミングで、人生の転機がやってきました。結婚式に代理で参加してくれと知人に頼まれ、新郎も新婦も知らないような状態で出向いたところ、案内された席がデリカフーズ一同のテーブルだったのです。
その席には、当社の創業者である先代の社長も同席していました。そして「日本の農業の未来、食の未来を考えて仕事をしている」という志を聞き、私は大きな衝撃を受けました。青年実業家気取りでいましたが、社会に貢献するという目線をまったく持っていなかったからです。
「この人の下で自分を磨きたい」と感じ、すぐさま自分の会社を畳み、社長の会社で働かせてほしいと志願しました。あの結婚式に出席していなかったら今の自分はないでしょう。今につながるきっかけになったという点で、この出来事が最初かつ最大のターニングポイントです。
社長からすれば素性も知れない人間だったわけで、いきなり正社員として迎えてもらえたわけではありません。最初はアルバイトとして、大根の皮むきや野菜の運搬など、いわゆる八百屋の下積み作業から始めました。そのため、私のファーストキャリアはこの時期だと位置付けています。
当時は2人目の子供が生まれ、新築の一軒家を建てたばかりでした。キャリアチェンジの意向を伝えると、義理の両親からは当然、猛反対されましたが、自分なりの覚悟はありましたし、「大見得を切って転職した以上、絶対にやめられない」という気持ちは良い意味でプレッシャーになりました。
苦手克服は成長への近道。若いうちにチャレンジを
下積み時代の努力が花開いたのは、30代になってからです。それまでも矢印をすべて自分に向け、そのときどきで「今の自分が何をすべきか」を考えて動いてはいましたが、20代の頃は今すぐ評価されたい、という気持ちはなかったですね。「えらくなってから活躍すれば良い」「引退する瞬間に幸せであれば良い、その先の人生が豊かになれば良い」というスタンスでした。
営業、システム、受注やカスタマーサポートなど社内のあらゆる仕事を経験し、それが今の自分を形成している実感があります。特定の職種を極めるんだ、という目標設定をしている人は、その職種だけに専念すれば良いと思いますが、私は幅広く力をつけて経営側に行きたかったので、苦手な仕事ほど引き受けてチャレンジし、実力をつけることを意識していました。
この経験から、学生の皆さんにもファーストキャリアでは「今すぐ評価されること」に重きを置かないことをおすすめします。今すぐ評価されようと思うと失敗ができなくなり、苦手なことへのチャレンジを避けるようになってしまいます。そうすると、苦手なことを克服しないまま年齢を重ねてしまい、後々の自分のキャリアを狭めることになるでしょう。
10年も20年も先のゴールを見ていれば、ちょっとくらい嫌な思いをしたことも、評価されない時期があったこともすべて消化して、自分のキャリアの血肉にしていくことができます。社内で「人と話すのが苦手で……」なんて尻込みしている新入社員がいたら、「だからこそ今のうちにチャレンジしておかないと、うまくならないじゃん!」とアドバイスしますね。そうしてチャレンジした結果、数年後には堂々と皆の前でプレゼンができるようになっていった社員を大勢見てきました。
最近は恵まれた時代だからか、あるいは先が見えない時代になっているからか、目先の幸せを優先する人が増えている印象があります。「今友達に自慢できるところが良い」と、流行りの業界や会社のブランド、初任給などを見て就職先を決めている若者を見ると、その後のモチベーションはどう保っていくのだろうと少し心配になります。
「どこにゴールを置き、そこから逆算すると、今の自分は何をすべきなのか」という目線は、就職活動の時期から意識しておくことをおすすめします。ゴールはできるだけ遠くに置き、「10〜20年後活躍している自分になるために実力をつけよう。そのための仕事を選ぼう」という気持ちで選択していかなければ、活躍するために必要なスキルやキャリアが積み上がりません。結果として、いずれ転職市場をさまようことになりかねないと思いますね。
人生七転び八起き。失敗を恐れず好調不調の波を乗りこなそう
苦手なことへの挑戦は、当然ながら失敗のリスクをともないます。一方で「キャリアをとおして一度も転びたくない」と思っている人は意外と多いですが、そのようなときは人生七転び八起きと考えてみると良いでしょう。七回は転ぶものだとわかっていれば、一度や二度の失敗は気にせずに済むはずです。
良いキャリアを歩むためには、失敗しないことよりも、失敗を気にせず前向きに挑戦し続けられる人間になることのほうが重要です。初めて補助輪なしの自転車に乗れたときの子どもは、「乗れるようになるんだ」ということだけで頭がいっぱいで、転ぶことを恐れていません。無我夢中で乗っては転んでを繰り返しているうちに、自然と乗れるようになっていきます。失敗が怖いなと思うときは、ぜひそのような子どもの姿をイメージしてみてください。
若いうちにたくさん転んでおき「転んでもなんとかなる」という経験を重ねておくと、耐性がつきます。転ばずにできるようなストレスのない仕事だけしていると耐性がつかず、年齢を重ねてから苦労するでしょう。若いうちに挫折しておくほど将来の自分が得をする、くらいに思っておいてほしいですね。
「挫折」なんて言葉を使うことも、そもそもおおげさだよな、と考えてみるのも良いでしょう。挫折感を覚えるのは「自分はできるはずだ」と思っているからこそで、自己評価と実力の差があるということ。「何もかもうまくやろうなんて、お前は今の自分にどれだけ自信があるのか?」と自問し、モヤモヤする気持ちを受け入れてしまえば、一旦はスッキリするはずです。「そりゃそうだよな、今の自分の実力じゃこういう結果になるよな」と認めてしまえば、そこから努力ができ、そのうちに実力がついていくでしょう。
あとは、好調不調の波(運気・バイオリズム)は、キャリアのなかにもあるということを忘れないでほしいと思います。そしてその波は、1年、1カ月、1週間、1日といった細かい単位のなかにもあることを覚えておいてください。
今年の春は調子が良かったのに、夏から調子が出ない。午前中は営業先でやたら怒られたのに、午後は社内でよく褒められる。そのように上がったり下がったりします。波があるのが当たり前だとわかっていれば、不調の波が来ているときにも必要以上に落ち込まなくて済むはず。良い波が来たときに、自分らしさを全開に発揮すれば良いのです。
この記事を読んでいる人のなかには、就職活動の真っ只中の人もいるかと思いますが、就職活動だって半分は運です。たまたま採用担当者の体調が悪くて、その日の学生たちを十分に見る余裕がなかった、なんてことだってありうるわけです。
そうでなくとも、採用担当者に人生まで否定をされる必要はありません。「単に相性が悪かっただけ」「たまたま今日はこういう日なんだな、まあ次はなんとかなるだろう」くらいに軽く受け止めても問題はありません。そのうちに「ぜひ来てくれ」と言ってくれる会社との出会いがあるはずですし、自分もその会社で頑張ろうと思えたら、最良のマッチングになると思います。
社会での活躍は「良い習慣」から。うまくいくサイクルを自分に植え付けよう
話は戻りますが、私にとって当社は修行目的で入った会社なので、最初の頃は「成長したらまた自分で起業しても良い」くらいに考えていました。しかし当時は当社がちょうど超大手の外食や弁当チェーンと次々と取引をスタートさせ、会社としても急拡大を続けていた時期。社内体制の整備がまったく追いつかず、やるべきことだらけの毎日で、飛んでくる無理難題の球を必死に打ち返していたら、気がつけば30代前半で役員になっていました。
役員に引き上げてもらった直接のきっかけは、名古屋から東京の拠点に転籍したことが大きかったと思います。東京デリカフーズを立て直して黒字化させる、という大命題を任されてやってきましたが、知っている人は数人しかいない状況でした。工場の人たちからは、当初「名古屋からよくわからないのが来たよ、若いやつがえらそうに」といぶかしげに見られていたように思います。
しかし入社してから7年間、「明るく挨拶をする、嘘をつかない、人を慮る、ルールを守る」といった当たり前のことを心掛けながらどんな仕事でも引き受けてきた、その努力の蓄積がここで開花したように思います。「今までのやり方は間違いじゃなかったな」という答え合わせをしながら奮闘するうち、一人二人と仲間ができていき、2年後には黒字化を果たすことに成功。この結果を受けて経営側にまわり、以降も一足飛びにキャリアを駆け上がることができました。
その意味で、東京に来たことはキャリアにおける2つ目のターニングポイントといえるかと思います。覚悟を決めて頑張っていれば、良い仲間やチームに恵まれるということも、この経験から学んだことです。
また、この時期に成果を出せたのは、良い生活習慣を確立できていたことも大きかったと思います。当時から今まで、朝と夜のルーティンは変えていません。
朝は余裕を持って起きて、しっかりご飯を食べ、元気に挨拶ができ、人に呼ばれたときにも気持ちの良い返事ができるようなフレッシュな状態で出社する。夜は早くお風呂に入って、ストレッチをして、スマートフォンを置いて早めに就寝する。休養も大事ですが、休日は家の中でゴロゴロしてばかりいないで、外に出かけて世の中の様子を見てくる、等々。そんな小さな習慣の積み重ねが、今の自分を形作っているように思います。
世の中の成功者を見渡しても、悪い生活習慣のまま事業を成功させている人は一人として知りません。社会で活躍するためには、良い習慣を自分に植え付けることが必要ということだと思います。当たり前の生活習慣を継続し続けることの大切さは、これから社会に出る人たちにもぜひ知っておいてほしいです。
業界選びの基準は「40年後の未来」。淘汰されない環境を見極めよう
キャリアにおける3つ目のターニングポイントは、37歳で社長になったことです。それまでは「今あるものをどう良くするか」という目線で仕事をしていましたが、将来の構想やビジョンをつくる立場になり、キャリアのステージが変わった実感があります。
20歳も年齢が離れた大手外食チェーンの社長たちとも対等に渡り合わなければならない立場になり、思うようにいかないことも山ほどある。そのようななかでも、この10年強で日本の農業の未来を背負う会社の一つにまで成長させることができました。
先代の社長のことは今でも尊敬していますし、自分はまだまだ成長途上の人間だと思ってはいますが、経営の手腕に関しては、先代に追いついた(追い抜いた)くらいには思っていますね(笑)。あの結婚式での出会いは、社長にとってもターニングポイントだったのではと思う程度には、一定の実績を残せたように思います。
20代は現場で苦労してこの業界の知見を養い、30代は自分の力を試せるような挑戦を社内でたくさんさせてもらいました。40代は経営者としてさまざまなステークホルダーとかかわりながら社外で多くの経験を積ませてもらい、50代のこれからは、日本の農業全体や世の中に貢献していきたいと考えています。60代でスッパリ引退できるよう、安全で美味しい野菜を食べられる業界のインフラを作り上げることが、ここから先のビジョンです。
当社が扱っている野菜という食材は、人が生きていくうえで絶対になくせない、社会に必要とされ続けるものです。 農産物の流通はほかの業界よりも遅れている部分が多々ありますが、だからこそまだまだ化ける余地があり、可能性に満ちた将来性ある業界だと思っています。
これから業界選びをする人たちにおすすめしたいのは、40年後の未来の社会がどうなっているかを想像してみることです。コンビニや銀行はあると思う? 自動車に運転手はいると思う? などと想像していくと、未来で淘汰されているものと、変わらずありそうなものを仕分けできると思います。
音楽業界などは変化の好例です。1980年代以前はレコードだけだったところから、CDが登場し、1990年代にはMDが出て一世を風靡しますが、PCの普及とともにデータで聞くものに変わり、現在はデジタル配信に置き換わりつつあります。CDは今でも販売はされていますが、その製造だけで売上を作っていた会社は淘汰されつつあるのが現状です。そう考えれば、今この時点で華やかな業界が、40年後もそうとは限らないということがわかると思います。
継続は武器になる。「ここで頑張りたい」と思える唯一無二の会社を探そう
これから社会に出る人には、「30〜40年後もこの業界に身を置こう」と思えるようなところをぜひ探してほしいと思います。なぜなら、続けることには皆さんが考えている以上に力があるからです。
当社にしても野菜のことを30年間一途に、かつ愚直にやってきたからこそ、今では業界のリーディングカンパニーと言われるくらいの存在に成長することができました。
キャリアも同じで、一つの会社の仕事を続けていれば、それ自体が大きな強みになります。あちこちへ転職を繰り返している人より、社内でいろいろな部署を経験している人のほうが、キャリアアップの難易度は低いでしょう。もちろん転職を繰り返しながら出世する人もいますが、それができるのは本当に優秀な人だけだと思います。
継続という武器を持つためにも、ファーストキャリアである程度、覚悟を決めて「ここでやっていくんだ」と思えるような会社を見つけてほしいです。得意なことが特にないと思っている人ほど、一つの仕事を継続することを意識しておくと良いと思いますね。
あとは、挨拶や誠実さなど当たり前のことを大切にすることも重要です。AI(人工知能)やロボットが大抵のことを担ってくれる時代において、人間にしかできない人としてのかかわりやコミュニケーションができる人材は、今まで以上に重視されるようになっていくと思います。
そして、どんな会社であれ自分の意思で決めることは大切にしてほしい、ということが最後のメッセージです。大きな会社であろうと小さな会社であろうと、自分で決めたならそれが正解です。親や友達の顔が浮かんで、ついつい見栄えの良さそうな会社を選んでしまう、なんてことにならないようにしてほしいと思います。
世の中で活躍する人間になりたいなら、キャリアのどこかでは覚悟を決めて頑張る時期が必要です。自分で「この会社でやるぞ」「代わりがいないと言われるような存在になるぞ」と決めた人だけが、その会社で成長できるということはぜひ知っておいてください。働くのはあくまで自分なので、ほかならぬ自分自身がここで頑張るぞと決心できる会社を探してほしいなと思います。
取材・執筆:外山ゆひら