若い感性を信じて突き進め! 常に「次の面」に進みたくなる仕事や、休日も考えたくなるようなキャリアのテーマを見つけよう
MIKAWAYA21(ミカワヤ21) 代表取締役社長 青木 慶哉さん
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ウェルネスシアター 代表取締役/一般社団法人ちぇぶら 代表理事 永田 京子さん
Kyoko Nagata・更年期トータルケアインストラクター。母の更年期うつをきっかけに、2014年「ちぇぶら」を設立。ピラティス・整体・経絡など幅広い健康メソッドを学び、体と心の両面からの更年期ケアを提案。1,000名超の女性や医師の声をもとに「更年期対策メソッド」を開発し、講演・研修の受講者は累計8万人以上。2018年にはカナダの国際閉経学会で研究を発表。米バブソン大学 “Leadership program for women & allies”修了。2024年にウェルネスシアターを設立し、以降現職。著書に台湾・韓国でも翻訳出版されている『ふりまわされない!更年期』(旬報社)がある。日本女性ウェルビーイング学会(副代表)ほか複数学会に所属しており、愛知県を拠点に全国で活動をおこなう
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キャリアにおける最初のターニングポイントは、17歳のときに1週間のヒッチハイク生活を経験したことです。車に乗せてもらったり、民家に泊めていただくなど助けてくれる人にたくさん出会い、人を信じる力を養うことができました。また、自立とは人に頼らないことではなく、いかに助け合える関係性を築けるかであるということを体感しました。
サラリーマンと専業主婦という両親のもとで育ち、小さな世界のなかで生きてきましたが、それまでとは違う世界に飛び出してみたことでいろいろな職業の人に出会うことができ、「こんな生き方もあるのだな、世の中にはいろいろな仕事があるのだな」という発見も多かったです。
ヒッチハイク中に知り合った人からチケットが余っているからと有名な劇団の舞台を見せてもらったのですが、そこでいたく感銘を受けて「私もあの舞台に立ってみたい!」と思うように。その情熱を持って高校卒業後は上京し、俳優を目指してタレント養成学校に入りました。この舞台を偶然見たことも、ターニングポイントの一つと言えるかと思います。
俳優として演技のための表現力を磨くうち、体や筋肉、骨格をもっと自由に動かせないだろうかと思うようになり、その後はピラティス、アロマテラピー、経絡(けいらく)、整体などを興味の向くままに勉強しました。おもしろくてどんどんのめり込んでいき、そのうちに俳優とピラティスインストラクターという二足の草鞋を履くようになりました。
なかでもシンパシーを感じたのは、エクササイズでおこなう産後ケアです。その活動を推進しているNPO法人に出会い、こんなふうに世の中のために良い活動をしている団体がいるのだなと新鮮な驚きがありました。その後は団体に教わりながら、私自身も産後ケアに特化したインストラクターを目指そうと決意。23歳からは個人事業主として、自分で教室を借りて集客をし、クラスを運営する活動を始めました。
今のようにインターネットが浸透している時代ではなかったので、手書きのチラシや手紙を配るなどの集客活動も必死でおこないました。受講生の方々に助けられながら、手作りで教室を作り上げていった感覚です。
産後ケアは1カ月間で卒業するプログラムなので、常に集客活動が必要です。最初は大変でしたが、だんだんと口コミや紹介で産後の女性たちの間に広がり、次第に集客活動に苦労をしなくても受講生が集まる状況を作り出すことができるようになりました。

仕事として順調に回っていた産後ケアの教室ですが、立ち上げて8年目には教室を終わらせる決断をします。「更年期をサポートしたい」という強い思いが芽生えたことがきっかけです。
実は17歳の頃にヒッチハイクに出かけたのは、母が更年期障害になっていたことが原因でした。父は単身赴任をしていて、それまで頼みの綱だった姉が大学進学で家を出てしまい、母と二人暮らしの状況で行き詰まってしまったのです。
当時は更年期という言葉をポピュラーに口にする時代ではなかったので、そういうものがあるということすら知らず、「お母さんは私のことが嫌いになってしまったんだ」と考えて、悲しくて寂しくて仕方がありませんでした。
しかし、あれから10年経っても、社会には十分な更年期のサポートがないことを知りました。病院はありますが、正しい知識や対策ケアを知る機会はありません。生徒さんたちが心身の不調に悩む声を聞きながら「どうして更年期のサポートが社会に存在しないの?」「10年経っても状況が変わっていないなら、誰かが動かなきゃ!」「私がやらなきゃ誰がやる!」という強い使命感が芽生えてきたのです。
そして2014年には更年期サポートをおこなう「ちぇぶら」を設立。この決心が、キャリアにおける最大のターニングポイントです。
これから社会に出る方は、ぜひ社会に問いを立てる目線を意識してみると良いと思います。「常識だから」「大変だよね」といった、agree(賛成)の姿勢ばかりにならず、本当にそうなのか、なぜそうなってしまっているのか問いを立ててみる。この視点を持てるのは、AI(人工知能)が担えない人間だけのスキルだと思います。
社会に問いを立てたら、変化をおもしろがりながら、自分で考えて行動に移していくことが肝心です。正解だと確信を持つより先に、とりあえずやってみる。これが自然にできる人が、変化のスピードが速い現代においても活躍するように思います。

更年期ケア事業をやろうと決めてからしばらくは、本当に苦労しました。今でこそ更年期の認知は広がっていますが、当時はまだまだ腫れ物に触るような空気がありましたし、更年期ケアの必要性について周りの理解を得るのは想像以上に大変でした。
あちこちに相談したり助けてもらったりしながら、なんとか一歩ずつ前に進んでいるような状況が1年ほど続きました。どうやればこの新しい事業がうまくいくのか、どうやって更年期ケアを広めていけば良いのか、どういうビジネスなら成り立つのか……と毎晩のように夢でうなされていたことを覚えています(笑)。
そして、更年期のことを知り抜くために経験者の声を集めようと、街頭に立って1,000名の女性にアンケート調査を実施しました。そこから見えてきたのは、更年期を豊かに過ごすには「正しく知る」「運動をする」「コミュニティを持つ」という3つの柱が重要だということです。このアンケートを基に作り上げたプログラムが完成したとき、ようやく自分なりにこの事業に対する自信を持つことができました。
たった一人の想いから始まった活動で、一人だけでこの責務を担ごうとしていた期間が一番大変だったのですが、必死でやっているうちに仲間が増え、だんだんと仕事を楽しむ余裕ができました。
2016年には女性活躍推進法が成立し、この頃から「更年期に関する研修をしてほしい」という企業からの依頼が舞い込み始めました。また、経済産業省による健康経営優良法人認定制度(ホワイト500)がはじまり、女性の健康に対する支援が広がりを見せ、2022年には厚生労働省による初の更年期に関する大規模調査「更年期症状・障害に関する意識調査」が実施されるなど、一気に認知が進んでいったのです。
最初の頃は母のエピソードや「なぜ更年期サポートが必要なのか」を逐一説明していましたが、世の中の理解が進んだおかげで、ここ数年はその説明が不要になりました。10年近く、このビジネスの必要性を信じてやり続けていたら、だんだんと世界のほうが変わってきた。そんな感覚です。

この10年でわかったことは、周りにいる人次第でキャリアも人生も変わるということです。
人は良くも悪くも、周りの人に大きな影響を受けます。更年期ケア事業を立ち上げようとした当時、何をやってもできない理由を並べる人たちがいました。そのようなことばかり言われては、自信がなくなってしまいます。しかし、同じように先の見えないなかでもチャレンジをしている起業家の人たちと付き合うようになってからは、できる方法を考えることが当然になってきました。
周りが変わると自分の思いや行動まで変わることを体感し、自分の周りに誰がいるかは、思っている以上に重要だと気づきました。
私のような自営業者に限らず、会社に勤めるとしても身を置く環境は自分で選んだほうが良いと思います。入社した会社特有の文化についつい流されてしまうことがあるかもしれませんが、人間関係で自分の尊厳が削られていってしまうような感覚や、エネルギーが奪われてしまう状況だと感じるなら、意識的に違うコミュニティを探すことをおすすめします。
環境を変えれば世界が広がる。今ある環境に満足するな。そんな私のマインドを形成したルーツの一つに、『自分の中に毒を持て』という岡本太郎さんの書籍があります。読書は好きで、普段からいろいろな本を読みますが、この本は気持ちを奮い立たせたいときに何度も読み返しています。歩みを止めないことやアクションし続けることの大切さも、この本から学んだことです。
アクションをするために、完璧主義にならないことも意識しています。たとえ7割の出来であっても、勇気をだしてまずはアウトプットをする。そして、反応を見ながらブラッシュアップを繰り返す。これが私のスタイルです。
アクションをすれば当然ながら失敗もあります。昔は「とほほ」と落ち込んでいましたが、最近は「失敗したからこそ、こうしなければ良いというデータが一つ増えた!」とポジティブにとらえられるようになりました。
2022年、アメリカの財団が運営するJWLIというプログラムで、ボストンにあるバブソン大学で講義を受けたことがあります。そこで印象に残っているのが「失敗学」。「失敗したということは、それだけ自分をプッシュできたということだ」という言葉に感銘を受けました。
これから社会に出る人も、ぜひ「歩みを止めない」「完璧さを求めすぎない」「失敗は歓迎」ということを口酸っぱく自分に言い聞かせながらキャリアを歩んでいくと良いと思います。興味があることには気楽に飛び込んでみれば良いのです。

とはいえ、何度アクションしても壁にぶつかったり、行き詰まることもあると思います。ときに視野が狭くなり、心や体がガチガチになってしまうこともあります。そのようなときは、自分をゆるめてみるとアイデアがふっと見えてくることもあるので、きっかけとして全然違うことをやってみるのもおすすめです。
また、ときにはゆっくりと休むことも大切です。人生は思っているよりも長いので、心身が不調のときは焦らず休憩の時期だと考えてみましょう。後から振り返れば、そんな時期も人生の物語の一部になりますから、「がんばらないことを、がんばる」も、生き抜くコツです。
キャリアの軸となるモットーは「誰かの役に立って、楽しいことをする」です。人のために役立つことはもちろんですが、自分の人生をどう過ごしたいか、この仕事をすることで心が躍るかどうかも大切な判断軸にしています。
理由はシンプルで、自分がやりたいことであれば、エネルギー高く自分の力を発揮できるからです。「楽しい! 好き!」と思えることは、それを実現する過程で苦労があっても乗り越え、継続できるものです。
ここ数年は、更年期啓発活動の一環として漫才の活動をスタート。会社の事務局長とコンビを組んで挑戦し、M-1グランプリの1回戦を通過したり、浜松おもしろSHOWというお笑いの大会の決勝まで進出しています。今年の秋には、更年期の知識とセルフケアが物語で分かる新喜劇を上演予定です。

昨年の秋、アフリカのケニアで開催されたマラソン大会に参加しました。サバンナのなかを寝袋や食糧などの荷物を背負って5日間で230km走るという、非常に過酷なレースです。
きっかけは、声をかけてもらい「おもしろそう」と思えたから。また、ちょうどこの頃ミッドライフ・クライシス(中年期に経験する心理的な危機)に陥っており、変化のきっかけを探していたこともあります。マラソンを始めたのは2年前。初めてフルマラソンを完走した数カ月後に、アフリカのマラソンにエントリーしました。それから1年間、完走できるようにしっかりと体づくりに取り組みました。
自分のための挑戦でしたが、今は「経験から得た、サバンナでの体調管理法を話してほしい」「中年期のミッドライフ・クライシスの乗り越え方を聞きたい」など、これがきっかけで新しいテーマでの仕事の機会をいただくこともあります。
本当に過酷でしたがとても楽しい経験だったので、また機会があればこのようなステージレース(2日間以上にわたって開催されるレース)にも挑戦したいです。
40代はいろいろと手放していくときと言われますが、私はその域に達するにはまだまだ早いなと思っています。好奇心は昔より高まっているように感じますし、海外の知らない文化にももっと触れてみたい、知りたいという気持ちです。
社会に出る学生の人にとっては、キャリアを決めることは大変で、一生を決める重大なことのように感じてしまうかもしれませんが、意外となんとかなるものです。また、今この瞬間に決めたことで一生が決まるわけではありません。キャリアはいつでも、いかようにも軌道修正できるので、気負いなく、今この瞬間の心の向くままに歩んでみてほしいなと思います。

取材・執筆:外山ゆひら