「心の声」を大切に。オーナーシップを持って歩めばどんなキャリアも正解になる

サンギ 代表取締役社長 ロズリン・ヘイマンさん
Roslyn Hayman・1945年オーストラリアのメルボルン生まれ。1967年メルボルン大学卒業、1969年フランスのニース大学卒業。1971年オーストラリアの貿易産業省を経て、日本に留学し、1977年東京大学大学院修了。同年に帰国し、在オーストラリア日本大使館に勤務。サンギの創業者である佐久間周治氏(現:同社会長)と結婚して来日後、1979年に共同通信社でジャーナリストを経験。1985年からはジャーディン・フレミング証券で証券アナリストとして勤務。その後、麻布大学に編入して1999年に獣医師免許を取得するも、同年に歯みがき剤「アパガード」などを展開するサンギへ入社。入社後は海外展開やリブランディングに注力し、景気低迷に落ちていた同社の立て直しに寄与。経営企画室長、副社長を経て、2016年に代表取締役社長に就任し、以降現職
「女性でもキャリアをあきらめたくない」意欲的に学び続けた20代
まさか80歳になって、歯みがき剤を売る会社を経営しているとは。昔の自分が今の自分のキャリアを知ったら、とても驚くと思います(笑)。
ここ10年以上は経営者として仕事をしていますが、振り返ればジャーナリストや証券アナリストをしていた時期もありますし、言語の研究や獣医師を志したこともあります。80年のキャリアのなかで大切にしてきたもの、そこから見えてきたものを、これから少しお話しします。
私が大学に進んだのは1960年代。生まれ育ったオーストラリアでも当時女性は家庭に入るのが当たり前とされていて、大学進学どころか自由なキャリアを描くことさえも反対されるような時代でした。そうした価値観に断固逆らい、大学に行こうと決めたのが私の今までの経歴の始まりです(笑)。
子どもの頃から弁護士に憧れがあり、法学部に進もうかと考えていたのですが、女性が進出できる分野ではないという風潮に阻まれ、文学部で言語を選択しました。卒業後はワーキングホリデーとしてヨーロッパを回ったり、フランスで大学に通ったりしながら、どんなキャリアを歩むかを考えました。複数の言語を学んだので外交官が良さそうだと思い至り、いろいろと探した結果、オーストラリア政府の貿易産業省にトレーニー(研修生)として参加するチャンスをつかんだのです。性別によって待遇や条件が違うような雇用形態ではありましたが、ここで時代に先駆けてPCやソフトウェアについて学べたことは、後々大変役立ちました。
トレーニーとしての1年間を終えた後は、興味を持ち始めていた日本語を学びに行くチャンスを手にしました。文部省(現:文部科学省)の奨学金で日本の大学に聴講生として1年間在学する予定だったのですが、東京大学大学院の言語学研究室の教授から「修士でも目指してみたら?」と言われたことで、私の人生の方向性が大きく変わりました。
究めるつもりのなかった言語学を深く学ぶことになった経験は、私のキャリアにおける最初のターニングポイントです。入試の締切ギリギリでいただいた話でしたが、必死で勉強して、なんとか入学がかないました。日本語は独特な表現も多く、勉強はとてもおもしろかったです。言語地理学をテーマとした研究室だったので、研究を通じて日本中に足を運べたことも私にとっては有意義な経験でした。

その後も想定外の出来事が続きます。大学院修了後、どこか入れる企業を探そうと思いながらオーストラリアに帰国したところ、たまたま日本大使館で働いていた知人がキャリアチェンジをするタイミングで「ロズリン、代わりにどう?」と声をかけてくれ、大使館で働けることになりました。
もともとオーストラリア政府に入っていた私にとって、日本政府の中に入って世界を見る経験はとてもおもしろく刺激的だったのですが、しばらくしてから結婚が決定。夫でありサンギの創業者となっていた佐久間とは日本留学中に知り合い、行き来しながら交際を続けた後に正式に来日することになり、再びキャリアチェンジをすることになりました。
興味と心の声に従ってさまざまな仕事を経験
日本に居を構え、さあ次に何をしようかと考え、いろいろと探しているなかで、ジャーナリストになるチャンスに出会いました。昔から文章を書くことが好きで、大学を出てから記者職に応募はしましたが、「女性は雇わない」という時代だったために当時は夢をかなえることができませんでした。
今から45年前の日本も似たような状況でしたが、男性の募集欄で共同通信社の海外部で「ニュース翻訳者」を探していることがわかったので、応募してみることにしました。面接官には性別がわからないように、自分の名前を「R.E.Hayman」としか書きませんでした。書類審査をパスすることができましたが、面接に行ってみると「男だと思っていた」と口々に言われることに。それでも「せっかく足を運んでくれたんだし……」ということで試験を受けるチャンスをいただき、語学力が認められ、就職ができました。
入社後は日本のニュースを海外に向けて翻訳しつつ、自らできる限り取材にも出かけていました。同社は女性記者が全体的に非常に少ない時期でしたが、さまざまなチャンスが与えられ、とても良い経験になりました。
その頃、証券業界で働く知人から「日本語でリサーチできる人材を探している」と声がかかりました。1970年から80年にかけてのこの時期は、証券業界が非常に盛り上がっていたので、話を聞いて興味を持ったことから私がやりたいと申し出ました。6年間のジャーナリスト経験を活かして次のチャレンジをしてみたいと思ったのですね。証券アナリストとして入社後は石油や化学などの新素材領域を選択し、この分野の勉強ができたことは現在の仕事にもとても役立っています。
しかしアナリストのキャリアは、1990年初頭に訪れたバブル崩壊とともに終わることになります。所属していたセクションが解散となり、やむを得ず転職活動を始めることになりました。
今までの経験を活かせるのは銀行業界かなと思い、履歴書を書いていくつかの企業の面接を受けましたが、心の中から「私は本当にこの仕事をやりたいんだっけ?」「志望動機に嘘を書いていない?」という声が聞こえてきたのです。そこでいったん転職活動をストップし、自分がやりたいことを改めて見つめ直すことにしました。ここがキャリアにおける2つ目のターニングポイントと言えるかと思います。
失敗にも学びはある。すべてのキャリアに意義を見出す考え方
考えた末に出た結論は、独立してやれる仕事がしたいという思いでした。そして見出したのが、獣医学の道です。長年、愛猫の世話をしていて思い入れもあったので、学校に通って獣医師の免許を取ろうと考えました。高校時代から文系で、かつ外国人の私にはハードルが高い選択肢でしたが、編入制度を導入している大学が見つかって、2年生から麻布大学の獣医学部に編入することができました。
在学中には猫の病気の研究に注力し卒業後は国家試験にチャレンジしましたが、一度目の挑戦では合格できませんでした。ギリギリであろうと思っていましたが、不合格通知が来たときにはかなり落ち込みました。もう1回チャレンジしようと踏ん張り、大学にあと半年残って、模擬試験を繰り返し受けました。そして翌年、二度目の挑戦で獣医師免許を取ることができました。
しかし、晴れて獣医師としてのキャリアを始めようというタイミングで、夫が立ち上げた会社であるサンギの経営状況が思わしくないことを知りました。起業当初にも「一緒にやろう」と誘われていて一度は断っていたのですが、その後、奮闘する様子をずっと側で見ていたので、協力を求められて返事を迷うことはなかったです。しばらくして私の働きぶりを見た夫は「僕のためにあれだけ頑張ってくれるとは!」と驚きましたが(笑)。その後は夫婦それぞれ異なる強みを活かして協力し合い、徐々に会社を立て直すことができました。
私たちは夫婦喧嘩をほとんどしませんが、過去に一度「私にだって私のキャリアがあったのよ!」と口論になったことがあります。それに対して彼は「あなたがサンギで得られるようなキャリアは、決してよそでは得られないものだ」と答えたのです。そして確かに、私がこれまで経験してきたすべてのキャリアを、サンギの中で活かせている実感があります。
ドイツに子会社を作ったり、フランスの大手企業と共同研究をしたりするうえでは語学力が役立ちましたし、ジャーナリストやアナリストとしての経験は経営やマーケティングの視点につながっています。多くの大学で論文や研究に携わってきた経験は社内の研究部門を見るうえで役立ちますし、国際歯科学会に入ったり、歯科の勉強をしたりする過程では獣医学部で学んだ医学も大いに活かすことができています。

経営・医化学・言語と一見すると統一性のない分野を歩んできましたが、そのときどきで懸命に勉強し、周りにワーカホリックと呼ばれるくらいには目の前にある業務に打ち込んできたつもりです。偶然に始まったキャリアもあれば、やむを得ず選んだキャリアもありましたが、どの経験やキャリアも無駄にはならなかったと今は心から誇らしく思います。
これから社会に出ていく皆さんにも「あなたが必死にやっていること、やってきたことは無駄にはならない」というメッセージを送りたいですね。
チャンスも助けも「人のつながり」から得られる

プライベートでは限られた人と深く付き合うタイプですが、キャリアにおいては多くの人とのつながりを大切にしてきたほうだと思います。大使館や証券会社で働くチャンスなども、人のネットワークによって舞い込んできたものですし、職場での人間関係を大切にすることによって周囲に助けてもらった場面は何度もありました。
私がキャリアを築いてきた時代はまだまだ男社会で、どの組織でもパワハラやセクハラは日常的に見聞きしていました。20代の頃には私も上司から被害にあったことがあるのですが、同僚の女性に話したところ彼女が別の上司に進言してくれたため、相手側に異動の辞令が下り被害を最小限に抑えることができました。
当時の私は上層部に訴える勇気がなかったのですが、この出来事から、我慢せずに仲間に話すことや問題を放置しないことの大切さを学びました。組織内に問題があるときにはできるだけ早く動いたほうが、悪いことが蔓延せず、事を小さくおさめられるものです。
キャリアにおける一番の壁は、今も昔も人間関係によるものだと思います。権力を振りかざしてくる人、チャレンジの足を引っ張る人、手柄を横取りしようとする人──。思わぬ人間関係に悩まされることもあるものです。これから社会に出る皆さんも、もしかしたらどこかで困った上司や同僚と働かなければならない時期があるかもしれませんが、そんなときはまず仲間に相談してみてください。そして仲間のトラブルや悩みを見聞きしたときには、自分に何ができるかを考え、できる限りの手を差し伸べてあげてほしいなと思います。
完璧なキャリアを目指す必要はない。失敗する勇気を持とう
当社サンギは、2024年に50周年を迎えました。まだまだいろいろなプロジェクトが進行中なので、元気である限りは今の仕事を続けたいと思っています。今年で80歳になりますが、旅行してみたい場所も世界中にまだまだたくさんあります。
残りのキャリアでやりたいことを挙げるとすれば、書く仕事には今でも興味がありますね。記者の経験から2008年にはインタビューブログ「ロズリンの部屋」をWeb上でスタートさせましたが、気づけば17年目を迎えており、今でも定期的に更新を続けています。仕事というより、一生続けていこうと思っているライフワークの一つという位置付けです。
公私を問わず、話していて「おもしろい!」と思える人に出会うとすぐにインタビューのお願いをしています。インタビュー時には「こんなことを聞いたら失礼かな、恥ずかしいかな」とためらう瞬間もありますが、失礼な言い方さえしなければ、多くの人が快く話してくれるものです。
こうした経験からも思うことですが、「失敗を過度に怖がらないで、失敗する勇気を持ってね」ということは今の若い人に一番伝えたいメッセージかもしれません。
私も失敗すれば当然落ち込みます。しかし後から振り返ってみれば「失敗したことからも何かしら得られたものがあったな」と思えることばかりでした。その経験が、新しい道を開きます。
就職してから「業界選びや会社選びを間違えた」と思う人もいるでしょう。しかしその会社で働いたことで得られたものは何かしらあるはずですし、間違えたと思ったらそこからやり直せば良いだけです。失敗が怖いのは完璧を望む気持ちがあるからではないかと思いますが、そもそも完璧なキャリアを目指す必要があるのか、ということはぜひ考えてみてほしいです。そうすることで、一歩一歩進みながら、自分のいるべき場所に近づくことができると思います。

自分の身を振り返ってみても、弁護士になれなかった、部下のマネジメントでわからないことがある等々、できなかったことや自分に足りないものはいくらでも思いつきます。それでも一つひとつを深く考えて落ち込んでいる暇がないくらいには、毎日忙しく充実した日々を送ることができています。
完璧ではなくとも、女性がキャリアを築きづらい時代に非常に多くの経験をさせてもらい、自分は本当に恵まれていたなと感謝の気持ちです。いろいろな組織や環境に新人として入らせてもらい、どの会社や組織からも多くのことを学ばせてもらいました。自分の時間を有意義に使おうという気持ちを持ち、そのときどきで新しい学びを続けていれば、完璧でなくとも、きっと自分で満足できるようなキャリアを歩めると思います。
キャリアにオーナーシップを。従うべきは自分の心の声
最後に、これからキャリアをスタートさせる若い人たちに送りたいのは、「周りの声に負けないで、自分の心の声に耳を傾けてね」というメッセージです。
キャリアにおいて何を大事にするかは、人それぞれ違っていてかまわないと思います。野心的に生きても良いし、ルーティンワークを誠実にやることに自分の存在価値を見出しても良い。仕事はお金を稼ぐものと割り切って、仕事以外で好きなことをしたって良いのです。
ただどういう生き方を選ぶにしろ、自分の人生に対するオーナーシップ(=当事者意識、主体性を持って取り組む姿勢やマインド)は大切にしてほしいです。自分がこう生きるんだと決めてそうしているならば、どんな仕事に就いていてもネガティブに捉える必要はないと思います。社会の多くの部分は「生活のための仕事をしている人たち」に支えられているものですし、自分の幸せの形は自分で決めて良いのですから。
今でもよく覚えているのですが、証券会社で働いていた頃、支店長の送迎を担っていたドライバーの方と何気なく話したところ「運転手はあくまで収入のためで、普段は小説を書いているんだよ」と教えてもらったことがありました。そうした多面性のあるキャリアだって、とても素晴らしいと思います。

逆に、絶対に避けたほうが良いと思うのは「親がこう言うから」「周りがこうしているから」といった他人に軸を置いたキャリア選択をしてしまうことです。
私も夫も、子どもへの希望が強い家庭で育ち親の意向を振り払うのに苦労した経験があります。親の期待と自分のやりたいことが重ならないことはしばしばあるものです。親を思う気持ちはあって然りですが、自分のキャリアである以上、自分の心の声を優先してほしいなと思います。
やりたいことが見つからないときは「ちょっと興味を感じることを試す」という行動を繰り返してみるのがおすすめです。就職活動自体も、やりたいことを見つける良い機会になると思いますね。説明会で話を聞いておもしろそうだと思える会社があれば、先輩社員たちに話を聞きに行くなどして積極的に行動をしてみると、何かしら興味の芽が見つかると思います。
また、採用する側になってみて思うのは、興味や熱意を相手に伝えることの大切さです。応募者の方とお話ししていると、「うちに入りたいと言ってくれているのに、当社のことを調べておらず、あまり理解していないのでは?」と感じることがときどきあります。お互いに興味を持ち合えなければ、ご縁は生まれにくいもの。インターネット上で調べたり、質問を準備したりして、できる限り情報収集に力を入れてから面接に臨んだほうが、会社側もあなたに興味を持つ確率が高まると思います。

取材・執筆:外山ゆひら