人生は試用期間。自立力を磨きながら自分だけの「天職」を探そう

JOHNAN 代表取締役社長執行役員 山本 光世さん

JOHNAN 代表取締役社長執行役員 山本 光世さん

Mitsuyo Yamamoto・1997年同志社大学神学部を卒業し、アメリカ留学後、中小企業の経営支援を手掛けるベンチャー支援会社に入社。経営コンサルティングや新事業開発支援を経験後、2003年6月に城南電機工業所(現:JOHNAN)に入社。その後2年間アメリカに渡り、ミシガン大学ビジネススクール卒MBAと同大学自然資源環境大学院卒MSを取得。2010年6月から現職を務め、国内外の企業との資本提携や新規事業投資、組織文化改革に従事する

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武器を持ちたい思いから海外へ。ベースにあったのは自立の精神

キャリアについて最初に考えたのは、大学生の頃です。子どもの頃から勉強しろなどと言われることなく自由に育ったのですが、高卒で苦労した両親の勧めもあって大学には進学することにしました。

同志社大学神学部に入学し、その頃は将来教師や牧師になる志をもっていました。ところがバブル経済の崩壊を受け、父が経営する会社が存亡の危機に直面し、生活が一変。そんな最中に幸い「朝日新聞奨学金制度」と出会い、新聞配達と寮生活で学費と生活費を賄うことで無事卒業できましたが、速やかな経済的自立の必要性を痛感した学生時代でしたね。

在学中、大学3年次に他学部へ編入できる制度の存在を知り、「就職に有利になるかもしれない」という理由から、経済学部や経営学部に移ろうか真剣に検討したことがあります。しかしほかの人がやりそうなことをやっても就職競争には勝てないだろうと思い、卒業まで神学部に籍を置き続けました。周りと違う選択を意識し始めたという点で、キャリアにおける最初のターニングポイントだったように思います

当時は就職氷河期だったので、何か武器を身に付けなければ競争に勝てないという漠然とした思いがありました。実家が関西で電子部品の製造業を営んでいたので、「取引先の大手家電メーカーに紹介しようか?」なんて話ももらったのですが、誰かに人生のレールを敷かれたくない思いが強かったので、頑なに固辞しました。

英語は苦手ではなかったので、自分の武器を身に付けるため、卒業後はしばらく留学することに。といっても親のすねかじりの留学ではありません。「いつまでもあると思うな親と金」と言われていた記憶もあり(笑)、この頃から自立心が育まれたと思います。大学時代は寮に入っていましたし、留学時代も含めるとトータル3種類の奨学金制度を利用し、留学中の費用もすべて自分でやり繰りしました。

留学前にはアルバイトで200万円ほど貯め、「お金が尽きるまで帰らない」と決めて渡米。現地では日本人だけのコミュニティに属することなく積極的に行動し、実践的な英会話力を鍛えられたように思います。お金が尽きて2年間で帰国しましたが、英語という武器を持てたという点で、この経験が2つ目のターニングポイントでした

山本さんのキャリアにおけるターニングポイント

アメリカで学ぶ過程で、あらためて速やかな経済的自立の必要性を感じ、また、まさに“煩悩”といって良いような自分本位な思いが強いことに気づきました。そこで、教師といった職業ではなく、民間企業で経済活動に携わりたいと思うにいたり、帰国後は第二新卒のような形で就職活動をしました。

おもに検討したのは、経営コンサルティング会社です。幼い頃から祖父や父の姿を見てきたこともあり、中小企業の経営者の近くでできる仕事に興味を持ちました。

憧れから外資系の超大手コンサルも受けてはみましたが、最終的に入社を決めたのは、ベンチャー企業や中小企業の支援をおこなうコンサルティング会社です。小さいながらに東証一部(現・プライム市場)に上場することを目指して急成長していた会社で、自主・自立の精神に共感できたことが決め手でした。

私の幼少期は、日本の家電メーカーが最盛期で、Made in Japanが世界に通用していた時期です。そのため、製造業の中小企業は「大手のメーカーについていけば安心だ」という空気がありました。しかしバブル崩壊後は業界再編が起こり、「寄らば大樹の陰」だと思っていた大樹でさえ、崩れる現実を突きつけられたのです。中小企業の今後のあり方のようなものを考えるなかで、1社目のチャレンジ姿勢には心ひかれるものがありました

限られたパイのなかでどう勝つか。自分の得意・不得意に気づいた20代

JOHNAN 代表取締役社長執行役員 山本 光世さん

1社目はちょうど上場に向かって急成長している時期だったこともあり、毎月20人ほどの新入社員を採用していたので、入社後は同期や次々と入ってくる後輩たちに揉まれながら切磋琢磨する日々が始まりました。担当を頻繁にローテーションしながら若手にもガンガン挑戦させてくれ、「失敗を糧に次に活かす」というPDCAを早いスピードで回すことができたことで自己成長につなげられたように思います

第二新卒扱いで入社したものの、配属されたのは中途入社の社員が多い部署。これまでの経験から培ったそれぞれのスキルを持つ先輩と働くなかで、自分の得意・不得意をいやがおうにも自覚させられました。人の話を聞くことや論理的思考、英語でのスピーチなどは比較的得意で、その強みや特徴を研ぎ澄ませるためには、自己成長が不可欠だと痛感しましたね。

小さいときから変わらない短所として、ツメが甘い、飽きっぽいという性分は仕事にも影響することがありましたが、仕事はチームで取り組むもので、弱いところは誰かの力を借りて進めれば良い、といった学びを得たのもこの頃です。

思えば、学生時代の新聞配達の仕事でも同じような傾向があったように思います。単純作業にもかかわらず、気をつけていても配り忘れをするなどの細かいミスをしがちで、常に慎重さに欠けるところがありました。一方で、急な体調不良者が出たときなどは、当たり前に周囲を助けようとするタイプ。阪神大震災の発生時にはボランティアに行くために休みたいというスタッフたちの背中を押し、送り出した後の営業所全体のオペレーションを率先して担いました。

当たり前にやっていたことなのですが、スタッフの皆から「助けてくれてありがとう」といった感謝の声をもらえたことで、「細かいことは苦手だけど、変化適応力はあるようだ」「目的に向かって中長期的に考えられる目線はあるタイプなのかも」といった自分の特性をつかめたように思います。

自分の特徴が活かせるかどうかという視点は、私のキャリア選択の軸になってきた視点です。 自分の特徴を活かして社会に貢献ができたと感じるときに、何よりの充実感を覚えます。「苦手なことでも頑張るべき」といった考え方もあるとは思いますが、誰にでも長所と短所はあるものです。世の中が必要とするところで、できるだけ自分らしく活躍できるところを探すことが、キャリアの充実につながると思います。

山本さんのキャリア選択の軸

30歳前に家業を継ごうと決意。事業を立て直すため再び米国へ

東京の生活は刺激的でとても楽しかったのですが、30歳直前に4年ほど勤めた会社を辞めて地元に帰る決断をします。きっかけは祖父が余命1年と聞いたことですが、改めて当社の状況を見つめ直して、背負ってみようと思えたことが理由です。

ちょうど創業40周年の記念誌が送られてきたので、俯瞰して見ると「うちの会社も自主独立の精神を持った中小企業に成長しようと挑戦しているのだな」ということが伝わってきました。一方で負債などもあり、必ずしも良好な経営状態とは言えなかったのですが、「これは誰かがやらなきゃいけない仕事だ、背負う人物が必要だ」と。

それまでの自分は職業選択の自由の恩恵を受けていたわけですが、全体を俯瞰的に見て、自分がこの役割を担うべきだろうと自然に思えてきたのです

幼少のころから家業を継ぐことに対する期待を感じたことも、家族や親族から押し付けられたことも一切ありませんでしたが、このときは自らの意思で会社を背負う決意をしました。ここがキャリアにおける最大のターニングポイントと言えるかと思います。当時副社長だった父も「一緒に仕事をしたいと思うんだったら」と歓迎してくれました。

ただ、改めて当社に入って事業の状態を見てみると「このままのやり方では先がない、まったく新しいアプローチが必要だ」と痛感したことから、アメリカにノウハウを学びにいくことに。

ビジネススクールに通いながら、自動車メーカー・フォード社で1年間のインターンシップに参加できることになり、ここでの経験がその後、会社を立て直す際に非常に役立ったことから、2回目の留学も一つのターニングポイントです。補助的な手伝いではなく、学生の目線を活かして課題を解決してほしいとプロジェクトを担い、社員と一緒に仕事をさせてもらいました。それまで未経験だった会計の領域も勉強できました。

こういった経緯から、当社でのインターンも課題解決型のものを実施しています。お互いの相性や社風を見るためのマッチング型のインターンを否定するわけではないですが、お客様の立場で会社の中に入っても、自分に合った良い会社かどうかはなかなか見えてこないだろうと思っています

物事がうまくいかないときは「選択と集中」のチャンスととらえる

2008年にはリーマンショックが起き、その後続く不景気のなかで社長業を継ぎました。社長になると、業績という形で1年間の通信簿が返ってきます。通信簿が芳しくない時期はしんどかったですし、次々と現れる壁を突破していくのは簡単ではなかったですが、この時期に気づいたことがあります。

それは、壁にぶつかったときは「何を残して、何を捨てるのか」の決断に迫られる分、現状の棚卸しをして決断をするチャンスでもあるということです。ビジネスの世界では、企業の事業戦略において得意な分野に経営資源を集中させることを「選択と集中」という言葉で表現しますが、まさにその決断がしやすくなるのですね。

会社を立て直す際に山本さんが気づいたこと

キャリアにおいて何かを捨てるという決断は、想像以上に難しいものです。しかし人が体調不良に陥ったら行動を制限せざるを得ないのと同様、会社も経営状況が悪いときは無理が効きません。数字が上がっていない事業だとしても手放すのはつらいことなので、体力があるときは期待をかけて残してしまいがちですが、体力がないときは取捨選択せざるを得ないのです。

当社も体力が落ちている時期は、行政から補助金をいただいている事業でも将来性がないと感じるものは撤退する、退職金が払えるうちに雇用を切る、といったつらい決断もしました。それでも倒産してしまえば退職金を払えなくなるので、退職金を払えるうちにという思いはありましたね。

そして気づいたのは、社員たちが自分一人で立てる力を育めるよう、会社として支援をさせていただくことの大切さです。人材は世の中からの預かりものであり、会社の体力があるうちに育成して、万が一のときに備えて、どこでも生きていける力を養えるようサポートしておく必要がある。経営者として人材育成の社会的責任を知れたことも、この時期に得たものの一つです。

身に付けるべきは自分で食べていく力。働きがいを持てる会社を探そう

前段の話を社員の立場から見るならば、「人生には想像もしない試練が急に起こり得る」ということでもあります。牧師さんであれば、「試練に遭っても、神様は一緒に寄り添ってあなたの人生を歩んでくれます」と信じて励ましてくれるでしょう。たしかに、自分や人間の力を超えたところに思いを馳せるのはとても重要です。

しかしそれに加えて、そんなときに頼りになるのは自分の潜在的な力でもあります。会社の倒産だけでなく、病気や事故、災害などが起きたときにも、自分で食べていく力を身に付けていれば、常に自分を養うことができます。

心身ともにタフであれば人助けができる可能性が高まります。社会に貢献したい、誰かの役に立ちたいという志を持つのは素晴らしいことですが、自分のことをしっかりできるようになったら、人助けができる、という順番で考えることをおすすめします。もちろん、自分本位なだけでは頑張り続けることは難しく、人のためという気持ちは必ず必要なのですが、ファーストキャリアでは、まずは自分の実力をつけるぞ、というところから始めて良いと思います。

睡眠、運動、食事など生活習慣をきちんとして、家計簿をつけてお金のやりくりをして、といった人としての基本のところが強さの源泉になっていくので、まずは生活面の自立を目指すのがおすすめです。

良い会社の定義は人それぞれ違うと思いますが、自分で食べていく力をつけるためには、「働きやすさ」だけでなく「働きがい」を得られる就職先を選ぶことが大切だと思います。

会社見学やインターンでは、ぜひ「この人たちについていけば、自分で食べていく力がつきそうだ」と思えるようなところに注目してみてください。性格的な相性はあるでしょうが、叱咤激励をしてくれる先輩がいるかどうかは一つの判断軸になると思います。チャレンジをしたいときには応援してくれて、ダメなことはちゃんと叱ってくれる。そういう先輩の近くで、寝食を忘れて仕事に夢中になる時期があれば、社会で自立してやっていく力は自然に磨かれると思います。

逆に言えば、チャレンジしたいときに長々と我慢を強いられる、働きたいときにも働かせてくれないといった会社を選ばないことが肝心です。

山本さんが推薦する会社選びのポイント

最終的な一社を決める段階では、会社の人事制度やその運用の実態まで入社前に見ておきましょう。復職支援制度、副業や社内でのキャリアチェンジへの考え方、産業カウンセリングの有無など、自分に何かあったときにもキャリアの選択肢を持てる会社かどうかを見極めておくのがおすすめです。制度が形骸化している会社もあるので、会社見学やインターンにも積極的に参加して、実態を自分の目で確かめておけるとさらに良いでしょう。ほかの人の評判や評価は参考にしつつも縛られず、自分の意思で探して決めることを心がけておいてください。

現時点でベストだと思える会社が見つかったら、自己分析と企業研究に徹底的に取り組み、内定をもらえるよう努力しましょう。そして入社したら、しばらくその会社で頑張ると腹をくくることも大切だと思います。入社後、ちょっと気に入らないことがあったとしても3~10年は働くつもりでいたほうが身に付くものがあるはずです。

また、会社選びでは他人から見た体裁が気になったり、惨めな気持ちになったりすることもありますが、周りは思っている以上に自分のことを気にしていません。一時的にあれこれ言う人はいるかもしれませんが、あっという間に忘れてしまうものです。あくまで自分の選択なので、自意識過剰にならないことは気を付けておくと良いと思います。

人生は予備校。思いっきりやりきって天職を模索し続けよう

50代になり、会社としては次世代のことを考え始める時期に来ています。この会社をどう残していくかの道筋をつけて、60歳、70歳になる頃には次の経営者を応援する喜びを感じながら生きていきたいというのが、この先のキャリアビジョンです。煩悩の数である108歳まで計画を立てていますが、本当にやりたいこと、やるべきことを中長期的に考えつつ、目の前の今やるべきことをやろう、というバランスを意識しています

人間はいつ死ぬかわからないですが、だからこそ適当に生きるのではなく、緊張感を持って生きていく必要がある。死んだ後が本番で、現世は予備校のようなもの。試用期間だからこそ思いっきりやろう、というのが私の死生観です。世の中がどんなに混乱していても、試用期間だと思えば、どこか肩の力を抜くことができる気がします。自分の心身は預かりものだという意識もあり、世の中に自分を活かすという意識はこれからも持ち続けていきたいですね。

ちなみに「試す」という言葉の語源は、弓の伸び縮みを確認するときの「なめす」に由来し、「試みる」は「心を見る」に由来しているという説があります(諸説あり)。お試しの人生だからこそ、真剣に自分の心と向き合いながら、人生にチャレンジしてみてほしいですね。ただ就職するためだけの企業を探すのではなく、自分の人生や使命、ライフプラン等を複合的に考え、自分だけの天職をじっくりと探してみてほしいというのが、これからキャリアを歩み始める人に送りたいメッセージです。

山本さんからのメッセージ

人生100年時代、自分が担う職業や役職は一つとは限りません。仕事をするということは人生を充実させ、まっとうするにあたって大切な要素ですが、仕事だけが人生ではないですよね。長い人生のなかでは何度か試練にも遭遇することがあるかもしれませんが、「これだけはやりきる、これは守る」といった自分なりの価値観や信念を育み、柔軟に対応することを心掛けていれば、また新たな道が開けてくるでしょう。

最後に、豊かなキャリアを育むためには、豊かな人格を育むことも大切です。学生のうちはサークル、部活、アルバイトや留学などを通じて、積極的に人と出会ってください。

そしてもし、自分のキャリアの軸を持ちつつも多様な人々と快く協力・協働している人物を見つけたら、その人を参考にするのがおすすめです。そういった人はコミュニケーション力、柔軟性、知力が優れていることが多く、本音であなたの人生の相談に乗ってくれると思います。身近にいなければ、歴史上の人物でもOK。こういう生き方がしたいという指針を持っておくと、キャリアに迷うときの道しるべになりますよ。

山本さんが贈るキャリア指針

取材・執筆:外山ゆひら

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