キャリアのスタートは「ありがとう」の一言から|価値に気づき生み出す人材になろう

RARECREW 代表取締役 日下部 竜太さん

RARECREW 代表取締役 日下部 竜太さん

Ryuta Kusakabe・芝浦工業大学卒業後、上場企業での研究職を経て25歳で介護業界に転職。2002年、業界未経験から友人とともにいきいきらいふ(現・RARECREW)を設立、以降現職

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2倍の苦労から得た2倍の財産

大学では材料工学の勉強をしており、就職氷河期のなか、なんとか部品メーカーの研究職に就くことができました。そこでは小型化が進められていたノートPCの素材を開発していたのですが、経験の浅い新卒1年目で抜擢を受け、並行して国の研究プロジェクトにも参画することになりました。企業の担当業務と、国の研究所での仕事。どちらも容赦なく任されて、単純に2倍の仕事をしていました。当然疲弊は凄まじく、毎日残業まみれでヘトヘトでしたね。

しかも、企業・研究所どちらの上司もスパルタタイプ。細かいところまで徹底的に追求されるなかで、だいぶ参ってしまいました。同時に大学でやっていたような基礎研究とは違って、短期間で成果を出し、利益を上げなければいけない企業の研究の姿勢にも違和感を感じるように。結局、こうした無理が重なって体調を崩してしまい、退職しました。

就職氷河期のなかで望んでいた研究者の仕事に就いたのに、2年半という短期間で辞めたのは残念でしたね。でも、今振り返ると在籍していた時間が短かったにもかかわらず、信じられないほどさまざまなことを学び、得ることができたと感じます。上司から細部の細部までみっちり指導頂いたことで、正確かつ伝わる報告書が書けるようになりました。文章化のスキルは飛躍的に上がったと思います。

さらに時間の有効な使い方や人との接し方など、社会人として一気に仕上げてもらったように思います。

まさに時間の2倍の仕事をして、2倍学び、2倍成長できた期間でした。大変なことを乗り越えれば、その経験に見合った何かが身に付くのだと痛感しましたね

2倍の仕事・2倍の苦労は2倍の経験値に

無謀な挑戦は若者の特権。タイムリミットありきの無茶を

退職後は少しゆっくりしようと思っていたのですが、学生時代の友人に再会したことで人生が思わぬ方向に転がり始めました。友人は建築系の大学院生として大学に残っていたのですが、あるとき研究・課題のために介護施設を訪問し、そこで愕然としたそうです。「こんなひどい介護をしている施設に、自分の親は預けられない」と。

当時はまだ介護保険が導入され始めたばかりで、まだまだ介護サービスのレベルも低かったのでしょう。友人の落胆は、いつしか「自分がやってやる」という決意に変わり、まさに起業の準備をしているところでした。

そのタイミングで、一緒にやろうと声をかけられました。それまでの人生で介護や福祉について興味を持ったこともなかったですし、知識や経験もまったくありませんでした。

しかし、たまたま退職したばかりで時間があったこと、そして当時祖母が亡くなり「人はいつか老いて亡くなる」ということを痛感していたことから、やってみようという気になったのです。

とはいえ、当時の挑戦は無謀だったと思います。私を誘ってくれた友人も、介護業界の経験はおろか、大学を卒業して社会人経験もなくビジネスに携わったこともないのですから、成功する見込みはまるでありませんでした。無知な自分でもさすがにこれは無謀だということはわかっていたので、「2年間だけ手伝う」と約束して始めました。まだ若く、いくらでもやり直しや方向転換ができるからこそ、2年間くらいなら回り道をしても後悔しないと踏ん切りをつけたのです

無謀なチャレンジに踏み出すまで

無謀な挑戦に踏み出せるのは、若さの特権。それでも怖いときには、時間制限を設けたらどうでしょう。全力でやって、ダメならまた新しい道を考えよう、と事前に思っておけば、少しだけ心にゆとりを持って冷静に取り組めるのではないでしょうか。

言葉には魔力がある。キャリアのスタート地点につながった一言

RARECREW 代表取締役 日下部 竜太さん

素人の私は介護の「か」の字もわからなかったので、まずは職業訓練校に通って資格を取りました。その後、訪問介護のサービスから事業をスタート。当然自分達2人だけで先輩もおらず、学校を出ただけの自分が身一つで利用者の元に出向いて、なんとかサービスをやり切らなければなりません。学校でかなり実践的な授業を受けたつもりでしたが、現場では頭を抱えることも少なくありませんでした

たとえば、ペンシルハウスのような狭小住宅の上の階で暮らす方を、病院に連れて行くサービスがありました。どうやって車椅子とご本人を階下に下ろせば良いのか試行錯誤しましたが、結局単純に背中におぶって降りて、なんとか外出支援しました。介護の理論やテクニックなんてどこにもなく、ただ工夫と体力だけで乗り切っただけ(笑)。そんな有様だったのに、その時、利用者の方から何度も「ありがとう」と言われたのです。そのうれしさ、達成感、やりがい、手応えは、今も忘れられません。

企業で研究員をしていたときには、自分のしていることの貢献度合いや意義が感じられませんでした。大きな企業のなかで、製品のごく一部にかかわり、お客様と直接話すこともない。当然ではあるのですが、自分の仕事の意義を感じづらい環境でした。

しかし、目の前の人が自分のおこないに対して直接「ありがとう」と言ってくれるのは、それまで感じたことがないくらいうれしいことでした。どんな仕事にも、「ありがとう」と言われる喜びがあるのだと思います。その感謝を少しでも感じられる仕事ができたら良いですよね。

困難を乗り越える術は必ず自分の中にある

約束の2年が過ぎる頃には事業が軌道に乗り、メンバーも増えて、すっかり介護の仕事がおもしろくなっていました。結果としてそのまま仕事を続け、今にいたっています。

では、大学までに学んだこと、そして会社員として身に付けたこと、理系の人材として積み重ねてきたことは意味がなかったかというと、そんなことはありません。介護の世界では、理系的なアプローチが効果を発揮する場面もたくさんあります。

仮説を立てて、試してみて、結果を分析し、理論を導き出す。どんなサービスが利用者の役に立つのか、どうしたら利用者の状態がもっと良くなるのか、さまざまな部分で自分が培ってきたものを活かせていると感じます。

何か難しい課題にぶつかったときも“まずできることを、できるやり方でやる”というのは重要です。私も、理系人間なりのやり方で課題を解決してきました。うまくいかないと問題の全容がよくわからなくなってしまったり、すべてを投げ出したくなったりしますが、まずはできる部分まで分解し、手をつけてみたらどうでしょう。

日下部さんからのメッセージ

「無理だ」と白旗を上げる前に、何かできることがあるはず。社会の課題、ビジネスの難問、キャリアの行き詰まり、すべて答えのない問いです。だからこそ、自分なりの解法で納得できる形に持っていくしかありません。できること、積み重ねてきた経験に自信を持って、できそうな部分から乗り越えていきましょう。

課題・困難は分解して着手

「成長の意義」を問い続けよう

こうして自分のキャリアを振り返ってみると、人の役に立ちたいという思いを推進力に進んできたと感じます。つたない介護に対して、初めて「ありがとう」と言ってもらった日から、もっと頼ってもらえる自分になりたいと思い続けてきました。

だから自分にとって成長とは「誰かの役に立つ人間になること」です。成長を感じられるのは、誰かから評価を得るからですよね。何かの指標であれ、数字であれ、自分がかかわる他者からの評価が高まることで、成長したと感じるのだと思います。

キャリアに求めることは成長だという人は多いですが、その成長はなんのためにあるのか、自分に一度問うてみてください。単に成長という言葉で終わらせず、なんのためにより良く、大きく、強くなっていきたいのか、誰に評価されたいのか、見つめてみると良いですね。そこには必ず喜ばせたい誰かがいて、良くしたい何かがあるはずです。

日下部さんのキャリア変遷

視点を変えた試行錯誤が自分なりの答えを作る

答えのない世界で、自分なりに考え試行錯誤して成長を続けるためには、視野を広げることが大切です。たとえばアルバイトをする時、少し視野を広げる練習をしてみてはどうでしょう。

お金を稼ぐという目的に加えて、お客さまの視点に立って仕事を改善してみる。経営者の目線に立って、動いたり考えたりしてみる。お客さまのなかでも、高齢のお客さまの身になって必要なことやできることがないか考えてみる──。視点を変えてさまざまな考え方を試してみると、きっといろいろな価値に気づき、いつかそれを生み出すことができるようになるはずです。

私のキャリアも、まるで予想しなかったことだらけでした。そのたびに新たな視点で見つめ直し、新しい価値を知り、それを生み出してきたと感じます。ぜひ広い視野を持つことを意識しながら、自分なりの答えを作り上げていってください。

日下部さんが贈るキャリア指針

取材・執筆:鈴木満優子

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